阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

DVDになりました!

2010年04月29日 | お知らせ


トークライブ『阿雲の呼吸』が、な・な・な・なんと、DVDになっちゃいました!


このDVDは、昨年12月に東京で開催した同名のコラボトークライブ+特典映像をまとめたものです。

発売元は、僕たちが日頃お世話になっているアウルズ・エージェンシーさん。

発売は2010年5月20日(木)、税込み価格 3,360円です。

現在、アウルズ・エージェンシーの通販サイト「アルケミスト」にて先行予約を受付中!

5月15日までにご予約いただいた方には、『ザ・シークレット』のサントラCD(税込2,625 円)をプレゼント!

よっ!下野社長太っ腹!(笑)

※amazonなど他の通販サイトでもご予約いただけますが、このプレゼントキャンペーンは、「アルケミスト」のみでの限定企画となっておりますのでご注意ください。


どうぞ、よろしくお願い致します。<(_ _ )>


で、「アルケミスト」では、日本でいまだ劇場公開されていない、映画版『神との対話』のDVDなんかも買えちゃいます。

僕(黒斎)も、つい先日まで「神との対話」が映画化されていただなんて知りませんでした。


ご存じです?この本の著者、ニール・ドナルド・ウォルシュさん。

ご自身の体験を綴った著書『神との対話』シリーズが、世界30数カ国で翻訳・発売され、そのメッセージ性の高さで、多くの人々の人生を変え、また、精神的な解放を導いているアセンテッド・マスターの一人です。

そのメッセージ内容は、人間の自我・コンプレックスをストレートに刺激してしまう強さを持つので、時に大きな批判を受けていたりもするのですが、「神」という言葉に付随した誤解を解くため、恐れることなく尽力されている方です。


そんなニール・ドナルド・ウォルシュさん、このDVDと新刊神との対話 ガイドブックの発売に合わせて2年ぶりに来日され、5月の23日に東京で講演会を開催されます。

実はその流れで、なぜか僕(黒斎)もウォルシュさんにお会いできることになりまして。

ヾ(≧▽≦)ノ まさかお会いできるとは!うれしー!


いやはや、本当に人生ってのは、何が起こるのか予測のつかないものですね。


 

↑ こちらも応援いただけると幸いです。

エール

2010年04月26日 | 阿部 敏郎
「普段はスーパードライの黒斎クンが、エビス顔でキリンのように首を長くしている」

そんなコメントを読んで、サントリーモルツな僕ですが、今夜はサッポロ黒ラベルです。
(なんの引っかけにもなっていない)



講演会の受付、すごい作業でしょ。

僕など、最初のうちは泣きながらやっていました(^o^)


でもそのうち、名前を覚え出すんですよ。

顔はわからなくても、名前はフルネームで記憶していたりします。

ご本人はそんなこと夢にも思ってないでしょうけどね。



講演会は、リアルな世界で会えるので、時間と共に信頼関係が高まっていきます。

僕たちが発信している魂のメッセージは、受け取ってくれた相手に対して、自分の姿や素性を明かすのが最低限の責任なので、たとえどんなリスクがあろうとも、それを引き受けていく覚悟と勇気が必要です。

あるがままの自分を晒して、生の真実を伝えていきましょう。



これから先は、波乱万丈。

何の保証もない荒野が広がっています。


でもそのうち、喜びも悲しみも、ただ来ては去っていく単なるムードだということが分かってきます。


どこまで行っても同じこと。

結局は、いまを生きるだけの話です。



これからの黒斎クンの活躍を、心から応援しています。

出会ってくれてありがとう!!


「出会いは命」





若オヤジと古オヤジ(本人は自覚していない)の交換日記。


請熱烈的応援






オリオンビールもよろしく(下地 勇)

ローカルネタです。

答辞

2010年04月24日 | 雲 黒斎
祝辞、ありがとうございました。

いつもは「スーパードライ」を気取ってポーカーフェイスでいる私も、頂戴した『淡麗生』の合い言葉に、思わず満面の「エビス」顔となってしまいました。

こうして会社を辞め、自分のペースで生活することが可能となった今、忙しさを理由に定期的なブログ更新を出来ずにいた僕も、これでようやく「キリン」の如く首を長くして更新を待ってくれていた皆様のお気持ちにお応えすることが出来そうです。

これからは毎朝の瞑想も出社時間を気にせずに行えるため、阿部さん同様「一番搾り」のメッセージを配信できるよう精進したいと思います。


( ̄ー ̄) ←上手いこと言ってやったでしょ的な面持ち。


とはいったものの…

一人で全部やらなきゃいけないってのも結構大変ですね。

いえね、先日いよいよソロトークライブの受付をはじめてみたのですが…

想像していた状況と全然違って、えらい大変なんですよこれがまた。^^;

もうちょっと要領よく出来るつもりでいたんだけどなぁ…

定員はコラボライブ時の4分の1程度のものなのですが、それでももうてんやわんやで。

これまでコラボライブの受付は阿部さんにおんぶにだっこ状態でしたが、自分でこうして大変さを経験した今、これまでお任せしっぱなしにしていましたことを深く反省するとともに、今後も益々おんぶにだっこ状態でお任せしっぱなしにしようかと画策しております。(笑)


さて。

受付処理の続きをせねば…


と、いうことで、それではまた! (* ̄▽ ̄)ノ



 

↑ 人知れず「ギネス」を目指しています。

祝辞

2010年04月22日 | 阿部 敏郎
退職おめでとう。

なんだかおかしな「おめでとう」だけど、自分の気持ちに正直に生きる勇気に「おめでとう」かな。


いままで給料をもらっていた人が、それを貰えない世界に入るというのは、不安もあることでしょう。


僕があっさり「やめたら?」と言えたのは、僕自身が給料をもらったことがないからです。

今までに数カ月先の保障を得たことはありませんが、それでもなんとかやってきました。


この世の不思議は、「何とかなる」ということです。

何ともならなければ、何ともならないなりに何とかなるのだから、またそこから何とかすればいいだけの話です。


人生とは、常にいま、やることをやるだけのことで、いたってシンプルです。

ありもしない未来を持ち込んで、わざわざ複雑に悩む必要などないのですから。


もっとも、黒斎クンは、このあたりのことは良くわかっていますよね。

あとは実感を伴いながら証明していくだけです。



これからの黒斎クンは、収入が何倍にも膨れ上がると思います。

でも知っての通り、ただ起きることが起きているだけです。


我々の本質は、そんなこととは何の関係もなく、いつも「いまここ」に在り続けているのですから。



この先、時代が僕たちをさらに押し上げてくれることでしょう。

でもそんな時も、現象に巻き込まれることなく、淡々と「いま」を生きていきましょう。


合い言葉は、「淡麗生」です。




多くの人に届きますように、ご協力お願いします。

 

戸惑いと勢いと

2010年04月19日 | 雲 黒斎
阿部さん、お待たせいたしました。

僕のサラリーマン生活も、残すところあと二日。

今日明日の出社を持ちまして十数年お世話になった会社に別れを告げることになりました。


一応僕もクリエイターの端くれですので、実は以前から「独立」という響きに憧れがありました。

「もしも願いが叶うなら、いつか今の会社を辞め、独立起業してデザイン事務所を立ち上げる」

かつて、そんな夢を少なからず抱いていた僕ですが、まさかこんなカタチで会社を辞め、事務所を構えることになるとは夢にも思っていませんでした。(笑)


北海道の広告制作業界はこのところ動きが活発で、ちょっとした独立ラッシュみたいになっています。

ちょうど僕と同い年ぐらいの力のあるデザイナー・ディレクター達が次々と新しい会社を立ち上げているんですね。

だから、業界的には「実は、もう少しで会社をやめます…」といった話をすると、「お!いよいよ独立?おめでとう!がんばってね!」と言った方向に話が進む事が多いのです。

なのですが…

僕の場合「実は、もう少しで会社をやめます…」といった話をすると、「え!?やめて大丈夫なの!?」と、今後の心配をされてしまうんですね。どうも、僕のキャラクターと「独立」ってのは結びつかないみたいで。(笑)


そんな、どちらかというとサラリーマン生活が似合う僕が、勢いに任せてノープランで飛び込んでしまった新生活。

ましてや数年前まではお先真っ暗で、何の希望も見出せずにいた僕が、こんなことになっているとは。

人生ってのは、つくづく分からないものですね。

はてさて、これからどんなことになっていくのやら。

思わぬ方向に進んだ際は、「あの時、阿部さんにそそのかされたから…」と阿部さんに責任転嫁する準備も万端です。(笑)


そんなこんなで、明後日からは僕の生活も心機一転。

阿部さん、そしてこのブログをご覧の皆々様。

今後も、これまでと変わらぬご厚誼、ご支援をくださいますようよろしくお願い申し上げます。



 

↑ 黒斎君の新たな門出を祝って!

かんたんなはなし

2010年04月16日 | 阿部 敏郎
黒斎クンとの話の中で、お互いに違う観点から、同じことを言う場面がよくあります。

そういう時は、一つなる真実が立体的に表現できるので、僕たちにとっても気持ちがいい瞬間です。


このブログの場では、いまこの瞬間に感じたことを、ただ書いてみますね。



目覚めとか、悟りとか言うと凄いことみたいだけど、結局は、ただ普通の人になるだけの話です。

それをずいぶん大げさにしてきたのは、権威好きの男性社会の影響もあると思います。


自我クンは普通が嫌いです。

自我クンはとにかく「特別好き」。


自分のマスターは特別だし、その特別なマスターを信奉している自分は超特別。

自分が生まれた時代は特別で、自分が生まれた国も特別。


でも残念なことに、どんなに特別色で彩っても、いつも淡々と「いま」があるだけです。


そのあたりまえの「いま」を、ただあるがままに、あたりまえに受け入れる事。

それが、僕たちが目指している境地です。


えっ?そんな当たり前なこと?


そう、そんなあたりまえのことです。



多くの場合無自覚ですが、僕たちがどれくらい批判がましいか。


あれはおかしい、これもおかしい、こうあるべきだ、こうあるべきじゃない・・・


あの人は間違っている、この人も間違っている、正しいのは・・・自分だけ。

これが自我クンの正体です。



裁くというのは、自分は正しいと思える最も簡単な方法です。

相手を批判していれば、それを批判している自分は正しいと感じられるからです。


自分に何かが欠けていると思っているから、相手をおとしめて自分が優位に立つことで、その穴を無意識に埋めようとしています。

このような傾向が、人類に絶え間ない葛藤と、争いを作り出してきました。


繋がろうとするのではなく、分裂しようとするのです。


僕たちがただあたりまえの「いま」にくつろいだ時、そこに平安と至福があります。

しかも誰の中にも、すぐ近くにあります。



そんな境地に入るための方法が瞑想です。

僕自身、人生で多くのものを手にしてきましたが、瞑想との出会いが一番大きなものでした。


奇跡が起きて自分の問題が全て消えてなくなるなどという幻想を期待しないで、毎日少しずつ自分の混乱を静めていくのです。

それは修行ではなく、安らかな喜びへの道です。


そうやって、ただあるがままの自分と、あるがままの世界を受け入れて行くこと。

それが、僕たちが目指すべき境地です。


精神世界や、スピリチュアル云々というと、何やら仰々しくて、神が出てきたり、超現象が出てきたり大騒ぎですが、そんなものは特別好きの自我クンのお遊びに過ぎません。



こだわりのない素直な心。



ただ、それだけです。






トークライブ開催のお知らせ

2010年04月13日 | お知らせ
お待たせいたしました。

阿部敏郎と雲 黒斎によるコラボトークライブ、広島・東京・名古屋開催のお知らせです!


感覚派の阿部敏郎と理論派の雲黒斎。
まるでキャラの異なる2人が絶妙の呼吸で繰り広げる
100%アドリブの抱腹絶倒トークライブ。
霊的体験は特別なことじゃなく、誰にでも起こりうるもの。
いつか、あなたにそれが起きたとき、
このメッセージが道標となることを願って。


「阿雲の呼吸」the LIVE!

第1部「ラブの章」/14:00(13:30開場)~16:30 
第2部「ピースの章」/18:00(17:30開場)~20:30



【フライヤーの原寸(A4サイズ)データはコチラから】


■阿部 敏郎 and 雲 黒斎 トークライブ「阿雲の呼吸」 in 広島

とき:2010年5月29日(土)
ところ:アステールプラザ(広島市中区加古町4-17)
※第1部は「大音楽室」、第2部は「大会議室A」にて開催

入場料/第1部・第2部共に¥4,000(定員:各70名様)

【広島開催・お申し込みはこちらから】


■阿部 敏郎 and 雲 黒斎 トークライブ「阿雲の呼吸」 in 東京

とき:2010年6月6日(日)
ところ:KFC国際ファッションセンター10F(東京都墨田区横網一丁目6番1号)

入場料/第1部・第2部共に¥4,000(定員:各250名様)

【東京開催・お申し込みはこちらから】


■阿部 敏郎 and 雲 黒斎 トークライブ「阿雲の呼吸」 in 名古屋

とき:2010年6月12日(土)
ところ:名古屋会議室 宝第一栄伏見中央店(名古屋市中区栄二丁目5-1 宝第一ビル2階202)

入場料/第1部・第2部共に¥4,000(定員:各140名様)

【名古屋開催・お申し込みはこちらから】


沢山の皆様との出会いを楽しみにしております!

阿部敏郎・雲 黒斎




↑沢山の皆様からのクリックも楽しみにしております。

パターン

2010年04月10日 | 雲 黒斎
その「理解」は、決して難しいことではありません。

阿部さんが仰るように、あまりにも当たり前すぎて気づかなかった単純なことへの気づきです。

あまりにも単純で、あまりにもシンプル。

それほどまでに単純なことなのに、自我の努力でそこに到達できない原因は、その単純さゆえでしょう。

自我は、自分の枠内でしか物事を捉えることができません。

そして自我には、自分が捉える事が出来ない領域に対して行う、いくつかの典型的な反応パターンがあります。


1.「目覚められないのは、自分の能力の低さに原因がある」と思い込んでいるパターン

このパターンは、「自分にそれを捉える事ができないのは、そのことがとても難しいことなのだろう」という錯覚から生まれます。

その錯覚を起点としているため、「目覚め」のために「難しい事を解釈できるようになろう」という努力になりがちです。

しかしながら「それ」は「難しい」ことの対極にある「簡単さ」の中に存在しているため、努力すれば努力するほど「それ」から遠ざかってしまいます。

これまでいろいろな宗教で誤って語られてきた「修行」の数々が、これにあたります。

「これをして徳を積みなさい」「これをして自分の愚かさを正しなさい」

そうやって「自分を高め、霊的な垢を落としたのちに、やがて目覚めは訪れるのです」という未来思考。

これ、言葉を変えれば「神との取引」です。

「神様、ボク、いい子にするから幸せにしてください!」という態度です。

しかしながら、よくよく考えれば、これほど馬鹿馬鹿しいこともないですよね。

なんだってわざわざ「取引によって人を幸せにしたり、不幸せな目に遭わせる、懐の狭い神様を崇めようとしているのか」ってことですよ。

神様って、「お前はいい子だから天国にいさせてあげよう。お前は悪い子だから地獄でアタマを冷やせ」なんて、そんな意地悪しますかね。(笑)

どうせ偶像を作り出すなら、どんな悪い子にだって「よしよし。もう牙をむかなくても大丈夫だよ。君のこともちゃんと愛しているからね」って抱擁してくれる、そんな神様を崇拝すりゃいいのに。


2.「そもそも自分が捉えられない領域などない」と、その領域の存在そのものを受け入れないパターン

仏教で言われるところの煩悩の一つ、「疑」に近いニュアンスかもしれません。

「目覚め」という状態そのものが理解できないので、「そんなのは嘘だ」と、話に聞く耳を持てない状態。

かつての僕がこの状態でした。

「霊」や「神」等と言った単語があるだけで、そこに「いかがわしさ」を感じ拒否反応を示していました。

そもそも聞く耳を持っていないので、その手の話の場に参加するとしても、単に自分の持つ「受け入れられない理由」を一方的に表明するのみですので、話を続けたとしても相互コミュニケーションにはなり得ません。


3.とにかく自分の枠内において理解しようと四苦八苦するパターン

自分の知り得なかった領域を、自分の知り得る範囲内で理解しようとしてしまうパターンです。

まぁ、その気持ちもわからなくもないですが、よくよく考えれば絶対に答えにたどり着けないとわかる道のり。

その愚かしさは、海外旅行の醍醐味を、なんとか日本国内で味わおうとするのに似た滑稽さです。

枠外のことは、枠内で理解することはできません。


文章にする分には、こうやって簡単にいくつか書き出す事ができるものですが、しかしながら、やっぱりこの話が通じないことが多いんだよなぁ…。




 

↑ さぁ、枠の外へ!

Re:理解

2010年04月09日 | 阿部 敏郎
>この「目覚め」や「悟り」と言われるものを、もっと身近な言葉で置き換えるとしたら『理解』だと思うんです。


ピンポン!

ピンポン!ピンポン!ピンポン!


まさに存在の理(ことわり)が解る・・・

すなわち、理解そのものだね。


急に視野が広がるというか、それまで平面しか知らなかったものが、急に立体的、空間的に見えてくる。

立体の中には無数に平面が含まれているので、どの平面を解析しても、どうにも説明つかない。


それが真理を言葉で伝えられないもどかしさだよね。

全部を丸ごと一度に見るしかないわけだ。



その時感じることがある。



あー、そうだったのか!!

ここは気がつかなかった。

あまりにも身近すぎて、あまりにも当たり前すぎて、見落としていた。

ちょうど自分の舌ベロを、自分で味わうことができないのと似ている。

それそのものは、それそのものを味わうことができなかったんだ。



って、そんな感じじゃない?



その理解は、とてつもなくリアルで、疑いようがなく、たとえ100万人が「お前が見たのは幻想だ」といったとしても揺るがない、そういう体験だよね。


したがって、誰かから「お前は目覚めていない」と言われたとしても、何も動じることがない。

その人達を説得してわかってもらおうなんて気もない。


そんなこととは、まったく関係のない確信なわけだ。



だから「私は目覚めているんでしょうか?」なんて疑問は入る余地がないということだよね。




最近この手の話に興味を持っている人が多いから、いろんな角度から伝えていこう。


緩慢な目覚めがありうるかどうかは知らないけれど、目覚めとは、あまりにも次元が違う世界での、リアルな体験であることだけは確かです。



はいそれじゃ、黒斎クンにバトンタッチ。




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理解

2010年04月08日 | 雲 黒斎
>去年の1月に、二人で初めてコラボ講演会やったよね。
>黒斎クンにとっては初めての講演会だったわけだけど、正直言ってあんなに喋れるとは思わなかった。
>あがっちゃってシドロモドロの君を、僕がさりげなくリードする様を思い浮かべていたのに、始まってみたら、喋るはシャベルは。
>まるで数十年分の知識が、堰きを切ったように湧き出してきたね。
>あの姿を横から見て、頼もしいなと思ったのと、少しつまらなくなったのと(笑)
>でも、やっぱり黒斎クンは、伝えたいことが山ほどあるんだなって思ったよ。


あはははは…

その節は、というか、たぶん毎度の事ですが、大変ご迷惑をおかけしております(笑)。

こればかりは、実は僕自身も不思議なんですよ。

阿部さんはいつも間近で見ているから既にご存じだとは思いますが、毎回毎回ライブの直前はめちゃめちゃ緊張していて、「これを話そう、あれを話そう」なんて考える余裕はないんです。

だから、「伝えたいことが山ほどある」ってワケでもなくて、むしろ真っ青になりながら「大丈夫かなぁ…、ちゃんと話せるかなぁ。っていうか、何話したらいいんだろう…」って具合。

でも、いざライブが始まってしまうと、あの調子で。

自分自身でもびっくりしてしまうほどのマシンガントーク(笑)。

で、そうして話し出すと、なぜだかキャラクターも真面目でね。

気の利いたジョークとか、下ネタとか、そういったゆるい感じが、なかなか出てこないんです。

ブログの印象だと、どちらかというと僕が「おちゃらけ」担当で、阿部さんが真面目でって感じだと思うんですけどね、なぜだかライブだとその立ち位置が逆転してしまっていて…。

なんでですかね、あれ…。

まぁ、謎は謎のままですが、これからもどうぞよろしくお願いします。


さて、今回の話題は「目覚めの自覚」についてでしたね。

僕としては、以前お話したとおり「私は目覚めたんでしょうか」と聞く人は、目覚めていないと思っています。

ただ、その目覚めに行き着くまでの「経過」には、人それぞれの違いはあると思います。

「バッ!!!」と、絶大なインパクトを持って目覚める人、ジワジワと目覚める人、起きかけてまた眠りに入ってしまう人…

十人十色でいろんなパターンがあると思います。


でも、その経過がどうであれ、目覚めている人は目覚めているし、夢の中の人は夢の中。

やっぱり「私は目覚めているんでしょうか?」という質問が出てくる時点で、目覚めてはいないと思います。

目覚めていれば、誰になんと言われようと、疑うことなく目覚めているという確信があるはずです。


と、言いますのもね、この「目覚め」や「悟り」と言われるものを、もっと身近な言葉で置き換えるとしたら『理解』だと思うんです。

目覚めると同時に、そこには夢の中では経験しえなかった、研ぎ澄まされた「洞察」や、あらゆることに対しての深い「理解」が生まれます。

「これは、こう言うこと」「それは、そう言うこと」、そういう風に、あらゆる事が見通せている状態。

そういった状態こそが「目覚め」と呼ばれるものだと思うのです。

だからこそ、そこに「私は目覚めているのでしょうか?」という、いわば「理解のうすさ」は同居できないはずなんですよ。


これは、精神世界に限った話ではなく、「理解」という仕組みそのものと同じことだと思うんです。

「わかった!」という感覚は、やっぱり何かを「わかった!」と感じているのですから、「わかっているのかなぁ…」という感覚ではないはずです。

また、その「わかった!」に行き着くまでの「経過」に個人差があっても不思議ではありません。

それまでどんなに考えてもわからなかったものが、不意に「わかる」。


その仕組みにおいて「存在」という事のからくりを理解する、その事が「目覚め」や「悟り」、また、流行りの言い方にすれば「アセンション」、ひいては「愛」ではないでしょうか。



 

↑ 日々、みなさまのご理解を求めております。