阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

Re:コラボ講演会

2010年05月27日 | 雲 黒斎
いや~。

コラボライブ、ホント間近に迫ってきましたね。

もう明日には広島に向けて出発です。

つい先日札幌に帰ってきたばかりなのに。(笑)

来週・再来週もさらに東京名古屋でのコラボライブですね。

二人の呼吸がさらに合うよう、精進したいと思います。(特に、僕の一人語りにならないように。笑)


ところで、コラボにせよソロにせよ、僕がトークライブを行う際、いつも雲さんから頼まれていることがあります。

それは、

(  ̄Д ̄) 『トーク内容を事前に用意しないで欲しいんだ。アドリブでたのむ』

ということ。

(  ̄Д ̄) 『その時・その場において、もっとも適切な情報をその時に伝えるから、事前に何かを用意する必要はない。その時・その場で確実に私の声をダウンロードすることが出来るよう、コンディションを整えていて欲しい』


そんな雲さんの言葉に、僕はなかなか「うん」と返事が出来ないでいます。

どうしても、事前にネタを用意しちゃうんですね。

そう。その行動は「その時、ちゃんとダウンロード出来なかったらどうしよう」という不安があるからこそ。


で、先日東京で開催したライブの前日にも、僕は雲さんから同じメッセージを受けていました。

『アドリブでね』と。

その言葉を無視して、僕はその夜、ホテルの部屋でいつものネタ帳に翌日のトーク内容をしたためていました。

話にストーリー性を持たせ、会全体が起承転結をもってまとめられるよう、その進行を練っていました。

自分でも「よし」と思える出来に満足し、ようやく床につきました。


ところがです。

ライブ当日となった次の日、想定外のトラブルが発生し、結局僕はそのノートを忘れて出かけてしまう羽目に。


(;`Д´) 「く…。なに、強制的にネタ帳をとりあげられた様なこの感じ…」

(  ̄ー ̄)ニヤリ


そんなこんなで、結局アドリブで進行することになってしまいましたとさ。(笑)


そんなライブを終えた直後、『神との対話』の著者であるニール・ドナルド・ウォルシュさんとお会いする機会があってですね、そのことに関して少しお話をしたんです。

世界各国で沢山講演活動をされてますが、その講演内容って、事前に用意したものなんですか?それとも、アドリブなんですか?って。


そしたらね、やっぱり「アドリブです」って仰ってました。

ウォルシュさんにお伺いしたら、講演中は執筆中と全く同じ状況で、常にダウンロード状態なのだそうです。

きっと、阿部さんもそうですよね?


「僕も、ノッているときはそうなのですが、なかなか『常に』というふうには…」

そう言ったら、ウォルシュさんは「とにかく続けることですよ」とアドバイスしてくれました。

筋トレで筋肉が太くなるのと同じで、ダウンロードを続けることで神様との回線が太くなると。

「だから、私もいまだ毎日朝起きてから、決まった時間に執筆しつづけています」って。


やっぱり、阿部さん同様、みなさん仰ることは同じですね。^^;


 

↑ 継続は力なり。

コラボ講演会

2010年05月24日 | 阿部 敏郎
週末は一緒に広島。

久しぶりだね。


黒斎クンとのコラボ講演会、どうやるのか忘れちゃったよ。


あっ、でもね、別に宣伝するわけじゃないけど、「阿雲の呼吸」のDVD凄いね。

できたばかりの時、すぐに見たんだけど、見ながら思った。

「いままでに、ここまであからさまに真理をしゃべっている映像を見たことがあるだろうか」って。


時代が変わったなァって、実感したひと時でした。


あれっ?

じゅうぶん宣伝してるか。



僕らのコラボって、お互いの言おうとしていることをサポートしあっているんじゃなくて、自分がしゃべりたいことを、それぞれにしゃべっている。

狙っていないのに、そこに何とも言えない共通点が残る。


これからますます我道を行って、これからますますバラバラな個性になって、お互いの話なんか聞かないで、相手が隣りにいる事も無視して、時間を奪い合って、しゃべりまくろうね。


それが「阿雲の呼吸」だ。


な~んてね、勝手なこと言ってみたけど、とにかく黒斎クンのこれからの活躍を応援しています。

それぞれに力を付けていくのが、コンビ強化に繋がっていくと思うしね。


友よ、時代はまさに「いま」だ。


前世からの約束を成就しようぜ。


と、謎の言葉を残しつつ、今日はここまで。





これからも応援よろしくお願いします。

 

脳と言葉

2010年05月18日 | 雲 黒斎
>思考を司る脳は、大脳新皮質。
>そして覚醒体験は、原初的な脳である脳幹体験だと思って下さい。


あ~~~~。

これ、わかります。


ちょっと話はずれますが、「脳」がらみで思い出したことがあるので書かせてください。


こういう発言をすると、また神秘体験的な誤解を招いてしまうかもしれませんが、書いてみます。

その体験によって、僕の中で決定的に変わったものがいくつかあります。

一つは価値観。

表現が難しいのですが、僕はこれまで、この価値観の変化を「裏返る」と表現していました。

その「価値観の裏返り」によって見た世界を、メインブログで綴っています。

上記はこれまでもブログを通してお話してきたことですが、そのほかにもどのように伝えたらいいのかわからない変化が2つあります。

一つは「脳」、もう一つは「言葉」です。

「脳」に関してはその変化を体感として味わいました。

脳の構造自体には変わりありませんが、シナプス(ニューロン間接合部)の繋がりが劇的に変わったように感じます。

バラバラだった情報が、瞬く間に一つに繋がる快感。

それはまるで「ずっと解けなかった知恵の輪が不意に外れた時の気持ちよさ」を何倍にもしたような感じでした。

そして、そのシナプスの繋がりの変化に伴って変わったのが「言葉」でした。

特に古くから使われている慣用句や四字熟語などは、その言葉の奥深さに数々の感銘を受けました。

「この言葉って、ホントはこういうことだったのか!」

そういった、言葉や意味への気づきが怒濤の勢いで続きました。


自分が思っていたものとはまるで違う本来の言葉の意味。

それを知ったとき、言葉というツールの持つ奥深さと危うさを、同時に知りました。


(  ̄Д ̄) 『言葉は意味ではない。言葉である』


その時聞かされたこの言葉が、僕の中でとても大きなものとなっています。


 

↑ これとの縁も、とても大きなものとなっています。

Re:続・交信

2010年05月13日 | 阿部 敏郎
>この感覚で言えば、たぶん阿部さんも同じような感じ方をされているのではないかと思うのですが、いかがですか?


はい、そのとおりでごぜえます、お代官様(笑)



黒斎クンのブログに、「阿・雲の呼吸」への、こんな質問が来ていました。

ここにはコメ欄がないから、きっと黒斎クンのブログに書きこんでくれたのでしょう。

僕が質問されたわけではありませんが、出しゃばって答えます。



>>詰まりはあれど、回線(ホース)そのものは、元から存在していました。
>>で、そのホースを詰まらせていたものが「思考」でした。

>と、ありますが、この場合の”思考”とは、どういう定義なのでしょうか?

>つまり、1)感情を伴う思いとしての思考、2)科学や数学などで用いられる思考および日常の論理思考、3)(1)(2)どちらも含めた意味での思考のどれなのかという質問です。

>私は、「1)感情を伴う思いとしての思考」だけが、そのホースを詰まらせると思うのですが、いかがでしょうか? 

>これだけが、心に曇りを作る原因であって、「2)科学や数学などで用いられる思考および日常の論理思考」はうまく働かせれば、悟りのために障害にはならないように思うのです。



さて、僕の答えを先に言うと、「(1)(2)どちらも含めた意味での思考」です。


「科学や数学などで用いられる思考および日常の論理思考」も対象への作用であり、対象そのものではありません。

思考はその性質からして、対象との分離作用です。


黒斎クンは、



覚醒前が

【黒斎】■■■■■■■■■■【雲】

と、パイプが詰まり行き来出来なくなっているのに対し、


覚醒中(啓発中)が

【黒斎】==========【雲】

というように、ホースの詰まりがなくなっているような感覚です。



という、まことに分かりやすい表現をしてくれましたが、さらに言うと、



【黒斎】==========【雲】





【黒斎】=【雲】


であり、もっと言えば


【黒斎雲】


なのだと思います。




黒斎クンはこうも言っています。

『いわゆる「交信中」の僕は、「黒斎」であると同時に「雲」になっています』

ね、そういうことですよね。




その体験は、分離作用に対して、統合作用といったところでしょうか。

主体と客体がひとつになっています。


したがって、覚醒体験を客観認識している自己は存在していません。


しかしそれでは、「何をもってその体験を認識するのか」という問題が残ってしまいます。



だから


知った者は言わない。

言うものは知らない。


となるのです。



でもそれを言ってしまったら終わってしまうので、僕ごときがそこを説明してみます。



思考を司る脳は、大脳新皮質。

そして覚醒体験は、原初的な脳である脳幹体験だと思って下さい。



脳幹は宇宙全体と繋がっていますが、客観的な認識能力はありません。

あらゆる動物は脳幹を持っていて、そのような意味かえら言えば、彼らは全員悟っています。

しかしその悟りを知りません。

彼らは天の王国に暮らしていますが、その自覚が無いのです。


一部の人間が報告する覚醒体験とは、脳幹を大脳新皮質が、ほんの一瞬だけ認識する体験だと思います。

思考が入り込む余地が無いくらいの瞬間です。


しかし、脳幹において存在するのは時間の長さではなく、時間を超えた次元、いわゆる「永遠」なので、その瞬間に永遠を経験します。

したがって、その瞬間(永遠)に、あらゆる情報を受け取るのです。



僕がした体験を、論理的に(理屈で?)説明すると、そんな感じです。


黒斎クンが「時間を超えた一瞬の出来事」というのは、そういう事ではないでしょうか。



あー、久しぶりに頭を使ったから、目がさえてしまった。


今は深夜の4時です。


どうしよう、眠れなくなっちゃった。






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続・交信

2010年05月11日 | 雲 黒斎
どこまで「言葉」で通じるかはわかりませんが、この「交信」をもうすこし踏み込んでお話したいと思います。


前回お話させていただいた通り、それは時間を超えた一瞬の出来事です。

ですから、厳密には「やりとり」ではありません。

あるときの僕は「黒斎」であり、いわゆる「交信中」の僕は、「黒斎」であると同時に「雲」になっています。

通常、これまでの人間が捉えられていた次元に生きる僕を「黒斎」としたときに、「黒斎」からは認識出来ないが、別次元に同時に存在している「雲」があります。

「交信」とは、通常認識で分断されていた「黒斎」と「雲」の次元を隔てる壁がなくなり、黒斎側の次元において「雲」の存在を自覚出来る状態の事を指しています。

もしくは、「黒斎」と「雲」が繋がってるホースの詰まりが無くなった状態とでも言いましょうか。


文字を使って無理矢理「図」にすると…


覚醒前が

【黒斎】■■■■■■■■■■【雲】

と、パイプが詰まり行き来出来なくなっているのに対し、


覚醒中(啓発中)が

【黒斎】==========【雲】

というように、ホースの詰まりがなくなっているような感覚です。


で、この話の重要な部分は、ホースが詰まっていようがいまいが、誰もが皆「別次元の自分と繋がっている」ということです。

【この世】     【あの世】

との間に、ある日突然どこかからホースが現れて

【この世】=====【あの世】

となるわけではないんです。

【この世】■■■■■【あの世】

と詰まりはあれど、回線(ホース)そのものは、元から存在していました。


で、そのホースを詰まらせていたものが「思考」でした。

自分の抱える苦しみに耐えきれなくなり、すべてを明け渡したその瞬間、自分の中から「思考」が無くなるという経験をはじめてしました。

それを「目覚め」と呼んでいます。


そう言えば、以前のコラボライブでこのことを『「ナローバンド」から「ブロードバンド」への移行』という例えでお話したことがありましたね。

「覚醒前がナローバンドであった僕が、目覚めを経験したとたんにブロードバンドに切り替わったようだ」と。


この感覚で言えば、たぶん阿部さんも同じような感じ方をされているのではないかと思うのですが、いかがですか?


 

↑ 汝、ホースとともにあらんことを。(スターウォーズっぽく)

Re:交信

2010年05月10日 | 阿部 敏郎
最近は忙しくて、この交換日記も、つい間隔が空いてしまうけれど、お互い無理なくいこうね。


今回の話は、「へえ、そうなんだ」っていう新しい発見がありました。


それは、黒斎クンと雲さんとの交信が、時間の中で生起しているものではなく、瞬間の中で捉えているという件(くだり)です。

それならば、理解できます。


雲さんとの交信と言われた時、僕の中で多少の違和感がぬぐえなかったのは、もし「やりとり」であれば時間経過の中での経験であり、時間経過の中での経験であれば、それは思考が作り出している世界だからです。

雲さんという存在が、思考の産物であれば、黒斎クンの既知以外の情報は得られません。

でも黒斎クンのブログを読むと、人智を超えた説得力があります。

それが何なのか、興味がありました。


そうか、瞬間的な体験か。



だったら、僕も似ているかも。

黒斎クンとの違いは、頻繁にそのような体験(交信)があるのではなく、25年前に一気に全部受け取って、それを長期間かけて、少しずつダウンロードしているような感じがあることです。


その情報を、僕の判断や思考を挟まずにダウンロードできた時は、とても滑らかで美しい文章になります。

それはもはや自分が書いているとは言えません。

何かの力が、僕を媒体にして、流れ出てくるようなものです。



もしかしてこれも交信でしょうか。

であれば黒斎クンが言うように、誰にでもある能力ですね。

「時間を超えた情報」という一言で、ずいぶんと理解できた気がします。



それは違う言葉でいえば、瞬間的な閃きのようなものですか。


あらゆるアイデアは思考を超えた次元からやってくるわけで、各々が自分の雲さんから受とっているのかもしれませんね。


音楽も似ていて、作詞や作曲なども、彼方なるところから届けられます。

もしそれが思考の産物であれば、人の心を感動させることはできません。

いわゆる「頭で作った歌」になってしまいます。


そう思ってみれば、この人間界は、彼方から届けられた情報で満ち満ちていますね。


もしかしたら、人間は何もやっていないのかも。


ことは起きているのだと思います。




そんなわけで黒斎クン。

忙しいだろうから、無理なくね。




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交信

2010年05月06日 | 雲 黒斎
>黒斎クンにとっての雲さんとの交信がどのようなものであるのか、時間がある時にでも教えてください。


これについては、メインブログの方でも以前何度か説明してみようと試みたことがあるのですが、なんともはや、どうにも説明が難しくて……

それこそ「超個人的」なことで、僕の体感が、そのまま他の人にも当てはまるということでは無いような気がするんです。

また、それを言葉に置き換えた時に生まれる解釈の齟齬からも逃れられません。

だからこそ、「僕がどうなのか」よりも、実際に誰もが「それ」を体験できる何かを示したいんですけど、今のところ瞑想以外に「これ」と言えるものが見つからないんです。

で、その「瞑想」も、「神」と同じぐらい誤解の多い言葉ですからね。これすらも言葉で説明するのは困難です。


そうは言っても、その「言葉にするのが困難な事をどうやって言葉で伝えていくのか」というこのことこそが僕らの腕の見せ所ってことなのでしょうから、頑張ってみますか。(笑)


「交信」は、ある日突然、なんの前触れもなく始まりました。

プロローグ的なものは、僕のブログや本でお話させていただいた通りです。

それ以前に、宗教やスピリチュアル・精神世界に興味があって勉強していたワケではありません。むしろ、そういったアレコレを懐疑的に眺めていた側の人間です。

特殊な修行や、瞑想習慣があったわけでもありません。徳を積むというようなこともなく、慈悲深い人間でもありません。むしろ、精神や身体に悪い事ばかりをしてきた側の人間です。

そんな僕が、ある日突然、繋がっちゃいました。

「何と繋がったのか」ということも、ぶっちゃけ上手く説明できません。

一応「守護霊(雲さん)」ということにしていますが、「それ」をなんと呼ぶのが正しいのかも、正直よくわかりません。

ただ、明確にわかっていることは、「それ」は「僕以外の何か・僕とかけ離れた何か」ではないということです。

ですから、それを「交信」や「対話」と呼ぶのであれば、僕は、他ならぬ僕自身と交信・対話している、という事になります。

「じゃあそれはただの独り言じゃないか」となってしまうのですが、その時僕が得る情報は、僕の知り得なかった情報や、僕の想定外の返答だったりするので、明らかに「独り言」の範疇を超えてしまうのです。

「交信の相手」がいる、とも言えるし、いない、とも言える。

これが、言葉にしたときに生まれてしまう一つ目の「矛盾」です。


もう一つの矛盾は、以前お話したとおり、そのやりとりが、「時間の概念を超えている」ということです。

「やりとり」は一瞬の出来事なので、実際には「やりとり」ではありません。

「やりとり」には通常、「行程」や「時間」が必要となりますが、そういったものが一切ありません。

何も挟まない、クリアでダイレクトな体験です。



こういった話が、その体験をしていない方々に、いったいどれほど通じるものなのか、それが掴みきれないのです。



 

↑ 意味があると言えばあるし、ないと言えばない。でも押して欲しいというこの矛盾、掴んでもらえますか?

神性意識

2010年05月02日 | 阿部 敏郎
阿部です。


昨日テレビで「ダビンチコード」をやっていて、遅ればせながら初めて見ました。

キリスト教文化圏の人にとっては、いろいろ衝撃的な内容なのかも知れないですね。


キリストが生身の人間で、子供までいて、それを隠そうとする影の教会勢力が、歴史的に暗躍してきたという話は、僕たちから見れば少々違和感を覚えます。

特に今の時代、キリスト性(神性)とはなにか、宇宙意識とは何か、悟りとは何かという理解が、僕たちのような一介の市民レベルで共有されだした時代には尚更です。


たしかに歴史上、自我を超えた大いなる意識を体現した人たちがいました。

「我即神なり」を実感した人たちです。


そのキリスト性は内なる変革だったのですが、それを知らない人は、肉体もすべてこの世のものではない存在がいたと思ってしまうのでしょう。



キリスト性は内なる変革であるがゆえに、徹底的に個人的なものです。

遺伝するような代物ではありません。

教祖の世襲制が多くの矛盾をはらんでしまう理由は、そこにあります。


この映画を見て、2000年もの間、人間がいかに神という概念に縛られてきたのかよくわかった気がしました。



ニル・ドナルドウォルシュさんも、同じようなジレンマに晒された人ですね。

日本ではさほどではありませんが、アメリカ国内においての彼への評価は、ずいぶん過酷な面があったようです。

あのDVDの冒頭で、彼に与えられた評価として、


冒涜者

偽善者

詐欺師


とテロップされていましたね。


神が、なぜお前ごときを選んで、メッセージを伝えたのかというわけです。


でも僕たちは知っています。

彼が受信して伝えてくれたメッセージが、真実を突いているということを。

その内容の迫力から見れば、彼が詐欺師と呼ばれようと、冒涜者と呼ばれようと構いません。

それくらい圧倒的な内容だったと思います。


このような否定的評価も、ダビンチコードの中に見え隠れする神への幻想と、似たようなものだと思います。


神はニールさんだけを選んだわけではなく、僕たち全員を選んだのです。

神はえこひいきをしません。

ただ彼の場合は、置かれた状況の中で、自分を空っぽにしてダイレクトに彼方なるものと交信できただけの話です。




黒斎クンにも、同じようなことが起きたのではないでしょうか。


黒斎クンにとっての雲さんとの交信がどのようなものであるのか、時間がある時にでも教えてください。






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