阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

馬耳東風

2010年07月21日 | 雲 黒斎
ちょっと「前世」の話からずれてしまうのですが…

こういった類の話って言うのは、本当にコミュニケーションが取りづらいですよね。

と言うのも、話が核心に迫れば迫るほど、「聞き入れたくない内容」にならざるを得ないから。

「認めたくない現実」を認めなければ先に進めない話だから。


受信者側にインプット出来る体制が無い以上、発信者側がどんな表現でアウトプットしようともその意味が通じることはありません。

僕のブログでも書いたことがあるのですが、コミュニケーションってのは「双方向」ですよね。お互いに「理解しよう」という気持ちが無ければ成り立たないワケで。


このこと、阿部さんの著書「一瞬で幸せになる方法」にもありますよね。

第2章の冒頭、「判断せずに人の話を聞く」という話題。

少し抜粋させてください。


*****

話の意味というのは、その人が抱えている現実や、その人が経験から学んできた言葉の解釈によって、様々に違って聞こえます。だから言葉ってのは、すごく危ういものなんです。

人間には言葉以外にも、情報を感知する能力があって、たとえば僕がいま、機嫌がいいのか悪いのか、元気なのか元気じゃないのか、同じ言葉を喋っていても、そういう情報をキャッチする能力を、みんなが持ってる。その能力があれば、言葉では表し切れない情報も、互いに交感することができますね。

やり方としては、まずはその人に興味を持とうとすること。そして、その人に近づこうという気持ちを持つこと。その気持ちをお互いに持ち合えば、同じ空間を共有することが出来て、同じ解釈を共有できて、心が一致した状態になるんです。

僕はよくコンサートなんかやっていて、そう感じる時があります。
 
その時はまさに、それが出来ている。

言葉ってのは不思議で、言葉以上の力、意味がありますね。言葉そのものより、むしろその背景にある意味のようなものが、大事なわけです。

「お前、俺に向かって『馬鹿野郎』って言っただろう、だから悪いんだよ」って怒ってる人がいたとして、でも相手が馬鹿野郎って言ったその言葉の中には、もしかしたら愛が含まれていたかもしれない。

反対に「ありがとう」って言うのも、心を込めて「ありがとう」って言うのと、皮肉っぽく「ありがとう」って言うのとでは、意味が全然違いますよね。表面上の言葉だけでは、判断しきれないものがある。

そういうことが、誤解を生むことも多いんです。

僕は心を込めて、あなたを感じながら、いま何が必要なのかってことを整理していく。あなたのほうは、阿部はいま何を伝えようとしてるんだろう、そのことを感じようとして聞いてくれれば、お互いに有意義な時間を持つことができます。

何を伝えようとしているかを、感じながら聞くということは、言っていることが、合っているか間違っているか、自分にとっていいか悪いか、そういうことばかりを判断しながら聞かないってことでね。

このような態度が何故よくないかっていうと、判断するってことは、すでに自分は答えを持ってしまってる、ということなの。

そうなると、自分の過去の経験や知識以上のものは、入ってこない。

だから一旦自分の判断は脇に置いて、この人はいったい何を言おうとしてるのかなってことを、感じようとして聞けば、何か新しい発見があるかもしれない。

そう言いながら自分で、「そうだよな」って思ってる。結構いいことも、たまに言うんですよね(笑)。そうだよなって、どっかでみんなも思ってるでしょ。そういう気持ちで、時間を共有しましょう。

僕らは通常、自分じゃないものから、いかに自分を守るか、安全でいるかってことを考えています。だから僕たちは、なかなか一つになれないわけです。


*****


まさに、このことなんですよね。

僕のブログの内容も、阿部さんのブログの内容も、一般的な価値観から見たら、なかなか素直に「うん」とは言いづらいものですよね。

「苦しみは、自分自身が生み出しているんですよ」と言っても「そんな理不尽なことがあるか!」って言われちゃうし、「本当はみんなひとつのおなじものなんですよ」って言っても、「そんな言葉になんの意味があるっていうのさ。全然現実的じゃない」って受け入れてもらえないし、「あなたは今以上に幸せにはなりません」なんて話した日にゃ、思いっきりどん引きされちゃうし。

僕たちの言わんとしている意味が通じずに、その人の価値観の中で処理されてしまいます。


まぁ、とはいえ僕も昔はそうでしたからね。あまり偉そうなことも言えないのですが…。


僕ね、学生時代、すごく捻くれてたんですよ。

だから、自分で選んで通っている学校でも、先生に対して「勉強に興味のない俺に、教えられるものなら教えてみな」みたいな態度でね。

教わりたいんだか教わりたくないんだか(笑)。

先生から見たら「おまえ、一体何のために学校に通ってるんだよ」ってなりますわな。


とにもかくにも。結局は、話を聞いてくれる人にしか、お話することは出来ないんですよね。


「聞く」のは簡単。でも、「聞き入れる」のはなかなかに難しい。

スピリチュアル・精神世界うんぬんの前に、日常の夫婦間でだって「聞き入れられない」ってことがありますもん。


 

↑ 押してくれると嬉しいなぁ。(聞き入れてもらえますか?)

最新の画像もっと見る