阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

目覚めの瞬間

2010年04月07日 | 阿部 敏郎
ところでさ、黒斎クン、そろそろ本題に入ろうか。

(な~んて言いながら、本題は何なのか考えている僕)



おっ、そうだ、あれだ!


去年の1月に、二人で初めてコラボ講演会やったよね。

黒斎クンにとっては初めての講演会だったわけだけど、正直言ってあんなに喋れるとは思わなかった。

あがっちゃってシドロモドロの君を、僕がさりげなくリードする様を思い浮かべていたのに、始まってみたら、喋るはシャベルは。

まるで数十年分の知識が、堰きを切ったように湧き出してきたね。

あの姿を横から見て、頼もしいなと思ったのと、少しつまらなくなったのと(笑)

でも、やっぱり黒斎クンは、伝えたいことが山ほどあるんだなって思ったよ。



その時の模様は、「アラームクロック」というCDに収録してあるので、興味のある人は聞いて下さい。

ご注文はコチラから。



と、さりげなく宣伝したところで・・・


あの中でね、目覚めの体験は強烈だから、その体験をした人は、自分が目覚めたかどうか疑う事はあり得ないって話があったよね。

「私は目覚めたんでしょうか」と聞く人は、目覚めていないと言った。

僕も一緒にそう言った。


何故かと言えば、目覚めはあまりにもリアルな体験で、それまでの夢(それまでは現実だと思っていた)が、一瞬にして消え失せて、どうにも疑いようのない確かさで真理を実感するからだよね。


あのリアルさは、いまこうしてブログを書いているこの現実よりも、はるかにリアルだった。

だから僕たちに言わせたら、疑いが出るような目覚めは、目覚めなんかじゃない。



でもね、もしかしたらだけど・・・もしかしたらね・・・

それは僕らの経験であって、もしかしたらジワジワと目覚める人もいるのかな、自分でも気づかないうちに。


ちなみに、妻の智子さんは、タイで瞑想中にいきなりクンダリーニが上昇して、その次の瞬間に目覚めちゃった。

あきらかに疑いようのない体験だったみたい。


やっぱり、男も女も、疑いようのないリアルさを伴っているような気もするし。



そこんとこ、どう思う?






みなさん、ここんとこ、よろしく。

 

悪癖

2010年04月04日 | 雲 黒斎
うちもね、猫、飼ってるんです。

これがまぁ、なんと申しますか、いいも悪いも、やっぱり「あるがまま」ってヤツでして。

すごいですね。なんにも飾らない。計算しない。

確かに、自信がなさそうにしている気配もないし、自信満々の様子もない。

ただ、「猫」なんですよね。

粗相してこっぴどく叱られた直後でも、すぐにケロッとして温々と日向ぼっこしてる。

こっちはそれ見てまたイラッとしてたりね。「この野郎!怒られたそばから!!」って、まだまだ過去を引き摺ろうとしてる(笑)。


そんな彼らと生活を送っている僕はと言いますと、まだまだ人の顔色を窺ってしまっています。

いまだに「認められたい症候群」から抜けきれてないとこがあって、何かあるとすぐに動揺しちゃう。


なかでもそうですね、やっぱり一番は、うちの奥様に対してでしょうか。

「認められたい症候群」&「嫌われたくない病」の挟み撃ち。

奥様にじっと見つめられると、ときめきではなくて、不安でのドキドキが出てきちゃったりします。


「あれ、俺、またなんかやっちゃったかな…」「あ、また怒らせちゃった…」「アッチャ~…、どうしよう、すごく呆れられてる…」


なにかとすぐにそういった気持ちがこみ上げてきて、ソワソワと落ち着きがなくなってしまう。

まぁ、僕も一頃よりは随分まっとうな生き方をするようになってきたので、その理由は「心のどこかにやましいものを隠し持っているから」ってことではないんですよ。

こういったソワソワ反応が出てきてしまう原因は、やっぱり「自分に自信がもてていないから」ですよね。

「僕が自分勝手なことばかりやってるから…」「不甲斐ないから…」「女々しいから…」「気持ちをわかってあげられていないから…」「あぁ、嫌われちゃったらどうしよう…、いよいよ見放されたらどうしよう…」

そうやって勝手に色んな事を考えて、ますます自分に対しての自信を失って、でもって、僕はそんな自信のなさを隠しておけるほど器用なワケでもなく、そのままオロオロと目が泳いでる僕を見て、ますますイライラが増していく奥様。

なんでしょう、この悪循環(笑)。


で、こういう話を二人でもっと具体的にすることとかもあるんですけど、そういうときは「なんでそこまでわかってるのに、普通にできないの?」なんて言われたりしちゃうんですよ。

まぁ、そりゃそうですよね。ごもっともなご意見です。^^;


なんですけどね、これ、なんなんだろうな。

もう、パブロフの犬みたいな条件反射で自然と出てきてしまう、それはそれはねちっこく僕に絡みついているクセなんですよ…。



 

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自信

2010年04月02日 | 阿部 敏郎
>面白いことにそうやって自分で自分を認めてあげて、自分自身を生きると、だんだん外側からも認められていくもんですよね。


本当だね。

僕は若いころ、「みんなから好かれたい病」にかかっていて、いつも相手に合わせて自分を作っていたから、どれが本当の自分かわからなくなってしまっていた。

自分を小分けにして、それを小包にして、みんなに配ってたみたいな感じ。

そこまでしていたのは、よほど自分に自信が持てなかったからだろうな。


あの頃は何をするにも、人からどう思われるかが一番のテーマだった。

自分がどうしたいかじゃなくて、人がどう思うかが自分の人生を作っていた。

人に認めてもらうための人生だった


それがいまはどうだろう。

人に認めてもらうために何かをするんじゃなくて、自分が何かをした結果、もし認めてくれたらそれもよし、そうでなければよれもよしという生き方に変わった。


そしたらね、黒斎クンが言うように、まわりからの評価が上がったみたいな気がする。

人生は皮肉だね。



結局は自信のなさが、的外れな生き方をしていた原因だった。

でね、この自信なんだけど、いまは自信があるかって聞かれても、これといってどこにあるのかわからない。


おそらく自信なんてものは存在していない気がする。

特技に対する自信はともかく、自分という人間に対する自信なんて、ただの迷信だと思う。


でも「自分に自信がない」っていう状態は確かにある。

昔の僕がそうだったようにね。


したがって、この世にいるのは、「自信がない人」と「自信がある人」の2種類じゃなくて、「自信がない人」と「自信のなさが無くなった人」の2種類だと思う。



たとえば、我が家には猫が6匹いるんだけど、彼らは全員、自分が猫であることに自信なんか持っていない。

でも、自信のなさもない。


だからいつもあるがままに猫やっているよ。


ということは、我々が目指すべきは、自信を持つことではなく、自信のなさを無くすことだと思うんだ。


それって微妙に違うよね。

でもここんとこをしっかり見極めないと、的外れなものを追い求めることになっちゃう。


これって大切くない?(若者風に)






これって微妙~(若者風に)
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5万円札ありがとう(^o^)/

ダウンロードして来年の子供のお年玉にします。