阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

認められたい症候群

2010年03月31日 | 雲 黒斎
あ~~~~

なるほど。

好き嫌いは、マトリックス特有のものなんですね。


>みんなにいい人やって、みんなから好かれたい、認められたいって思っている人は、もしかしたら自分のことが好きじゃないのかもしれないよ。

>だって心底自分を認めていれば、人に好かれたり、認めてもらう必要なんかないもの。


そうですよね~。

そうなんですよね~。

なんだけど、コレこそが僕が長らく嵌っていた「認められたい症候群」とでも言うべき呪縛なんですよ。

ずいぶんと長い間「認められたい」って頑張ってきたからすっかり癖になっちゃってて。

無意識でいると、すぐにまた顔を出すんですよねぇ。これが。

勿論そのコンプレックスをバネにして努力したことが身になっている部分もありますが、それで精神的に追い詰められて病気になってたんじゃ元も子もないですからね。


結局、苦しみの原因は自分に自信が持てないことだったんですよ。

で、自分で自分を認めてあげられない分、外から認められようと頑張っちゃうの。

でも結局、外からどんな高評価を得たとしても、「自分に自信がない」って思ってるのは「他でもない自分」なわけだから、いつまで経っても自信がないまま、認められないままでね。どこまで行っても救われることなんてない。

それに気づいた時は、「あ、俺ってばなんて馬鹿だったんだろう」って思ってたはずなのに、ふとしたときにまた自信が無くなってて(笑)。

僕はなんどコレを行き来するつもりなんだろう(笑)。



>だって心底自分を認めていれば、人に好かれたり、認めてもらう必要なんかないもの。

>人の思いこみや観念までコントロールできないし。

>だから、人がどう思おうと、自分自身を生きていくだけだよね。


うんうん。

で、面白いことにそうやって自分で自分を認めてあげて、自分自身を生きると、だんだん外側からも認められていくもんですよね。

「認められたい」のであれば、誰よりも先に自分が率先して自分を認めてあげる。良いとこも悪いとこもひっくるめて受容してあげる。

自分を愛してあげられないのであれば、他人だって愛してあげられない。


よし、やっぱり自分の為に、自分のしたいことをしていこう。


・・・・・・・・


>あっ、そうだ。

>いまのうちに言っておくけど、黒斎君デザインの5万円札も嬉しいけど、日本銀行発行の5千円札のほうが、もっと嬉しいかも。


いやいや、そんなに遠慮なさらなくていいですよ。


(`▽´)y-゜゜゜「阿部ちゃん、これチップ!(左腕にパテックフィリップの時計をちらつかせながら)」







 

↑ チップがわりに。

Re:好き嫌い

2010年03月30日 | 阿部 敏郎
えっ?

僕のこと嫌いな人がいるの?

おかしいなぁ、こんなにいい人なのに。

僕のことを一番よく知っている僕が、僕のことをこんなに好きなのにね(笑)



そう言えば僕は、嫌いな人いないかも。

苦手な人はいるけど(たとえば自分の問題を聞いてほしくて仕方ない人とか)、でもその人のことが嫌いなわけじゃない。

金正日だって、もし出会ったら、あのおでこにデコピンのひとつもくれてやりたいけど、別に嫌いなわけじゃない。

もしかして可哀そうな奴かもって思っちゃう。



嫌うって難しいね。

しょせん、みんな自分だしね。


僕らは自分の中の可能性を外側に映し出しているだけだから、そこに見えるのは自分自身であって、自分の中にないものは想像もできない。

うそつきは、人もうそつきに見えるし、裏表がある人は、みんなに裏表があると思ってしまう。


人は人のことを自分本位に想像して決めつけるけど、その想像の素材になっているのは自分自身なんだ。

自分以外は決して見えてこない。

だから自分のことを愛して、光も影も受け入れてしまえば、人を嫌いになることはできないんじゃないかな。



それがわかれば、嫌われることにあまり深刻にならないよ。

だって、所詮は「その人の世界」で起きていることだから。


みんなにいい人やって、みんなから好かれたい、認められたいって思っている人は、もしかしたら自分のことが好きじゃないのかもしれないよ。

だって心底自分を認めていれば、人に好かれたり、認めてもらう必要なんかないもの。


人の思いこみや観念までコントロールできないし。

だから、人がどう思おうと、自分自身を生きていくだけだよね。



とまあ、好き嫌いに関しては、ここまでが初心者コース。



次は上級者コースね。


まずは黒斎クンの質問。



>これ、いったい誰の判断なんだろう。

>だって僕、これを「好きってことにしよう!」とか「嫌いリストにいれておこう」とか、そんなこと決めた覚えないですもの。

>なのに、何かを前にしたとき、「これ好き」とか「嫌い」とか「どっちとも言えない」とか、いろいろ判断できるの。

>この基準って、僕じゃないのだとしたら、誰が決めたものなんだろう…。



実はこのような作用は、自我が自分の存在を確かにするために仕掛けた策略。

決めた犯人は誰かと言えば、それは「自我」。

自我が、自らの生成過程でやっていることだから、もちろん自覚はない。



そのことをちょっと説明してみるね。



実際には、黒斎クンも知っているように自我は実体じゃない。

だからこそ、その存在を確かなものに保っておかなきゃって、それは自我の死活問題なんだ。



もともとは開かれた空間が存在している。

それは空(くう)なる次元で、僕が奨励する怪しい瞑想によって行きつく次元だよ。


そこにおいて自我は存在せず、安心と安定と充足感が意識を満たしている。



ところがそこに、自と他を隔てる分離意識が登場する。

なぜ登場するかは僕のメインブログの、色蘊(しきうん)の章を読んでね。



そうやって自分ではないものを作り出して、それが確かなものならば、それを認識する自分も確かなものって思えるでしょ。


だからその対象を、好き、嫌い、どちらでもない、って分けるんだ。

そうすれば、対象がより確かなものとして感じられるから。



ちょっと難解になっちゃったけど、早い話が自我の生き残り戦略だよ。

しかも動物レベルのね。


自我はその上に、さらに複雑なカテゴリー分けをして、そのようにして作り出した素材を複雑に組み合わせて、自分本位の世界を作り出す。

そしてその世界で泣いたり笑ったりして、幻想ゲームを楽しんでいるんだ。


でも、もうそろそろその幻想から目覚めてもいいころだって、全体意識が感じだした。


だからいま急速に、目覚めへの興味が高まっているんだと思う。

このことについては、もっと詳しく書かないと、なんだかよくわからないよね。


またゆっくり書かせてね。




あっ、そうだ。

いまのうちに言っておくけど、黒斎君デザインの5万円札も嬉しいけど、日本銀行発行の5千円札のほうが、もっと嬉しいかも。





それからね、僕の自我はみんなのことが好きだけど、一番好きなのはコレ押してくれる人です。


  

好き嫌い

2010年03月28日 | 雲 黒斎
ども。

「パテックフィリップ」がわからずに、リアルにググってしまった黒斎です(笑)。


阿部さん、心配はご無用です。

僕、たぶんお金持ちになってもこの時計は買わないと思います。

いや、別に清貧を気取っているわけじゃなくてね、単に「カシオ」とか「シャーク」の方が好みなんだもん(あ、まじでドンキ派だ。笑)。

だからその分の差額は阿部さんへのチップに回せるかも(笑)。

その際は、5千円では物足りないようなので、5万円札でお渡しすることにします(勿論僕のオリジナルデザインです)。

阿部さんなら、素直に喜んでくれますよね?


ねっ、


ねっ!!



それにしても、この「好み」って不思議ですよね。

勿論後天的な教育による「好き嫌い」ってのもあるんでしょうけど、そんなのとは全然関係ないレベルの、先天的な「好き嫌い」ってありますよね。

ものの好みだけじゃなくて、「味」だとか「薫り」だとか、いろんなところに。

何かを食べて「おいしい」って感じるのは何でですかね。

で、自分が食べておいしいものも、「うわ、まずい」って思う人がいるのはなんでですかね。

「おいしい」って言葉の意味するところは、みんな共通して「おいしい」のはずなんですよ。

でも、同じ一つの料理や素材を、「おいしい」と思う人と「まずい」って思う人がいる不思議。


自分が「おいしい」って思うのは、別に誰かに決められたワケでも、自分で「おいしいと思うようにしよう」って決めたわけでもなくて、なんでだか「おいしい」って思ってる。

これ、いったい誰の判断なんだろう。

だって僕、これを「好きってことにしよう!」とか「嫌いリストにいれておこう」とか、そんなこと決めた覚えないですもの。

なのに、何かを前にしたとき、「これ好き」とか「嫌い」とか「どっちとも言えない」とか、いろいろ判断できるの。

この基準って、僕じゃないのだとしたら、誰が決めたものなんだろう…。


あはは。こんなこと言ってると、やっぱり変な人って思われるのかな。

でも最近、この「好き嫌い」ってことが、正直よくわかんなくなってきてるんですよ。


「好き嫌い」に理由ってあるんですかね。

それとも理由なんかなくて、たんに「好き」だったり「嫌い」だったりなんですかね。

僕ね、最近どうも後者の様な気がしてるんです。


最近ね、自分のブログや阿部さんのブログのコメント欄を見て思うんですよ。

「阿部さんが好きです」とか、逆に「阿部さんが嫌いです」とか言われることあるじゃないですか。

で、それについての理由なんかも同時に書かれますよね。

「本当の事を話してくれるから阿部さんが好きです」とか、「人を惑わせて怪しげな瞑想を勧めるから阿部さんが嫌いです」とか。

これね、こういう風に書かれていたりするけど、きっと「好き嫌いの理由」じゃないと思うんです。

そうじゃなくて、理由なんて関係なくて、まず先に「好きか嫌いか」があって、「阿部さんが好き」だったら好きなところを探そうとする、「阿部さんが嫌い」だったら、嫌いなところを探そうとする。そういう順序なんじゃないかって思うんです。

「理由」って、先立つものじゃなくて、後付けの言い訳みたいなものじゃないかって、そういう気がするんですが…


阿部さんはどう思います?


 

↑ 好き?嫌い?

時は来た

2010年03月27日 | 阿部 敏郎
昨日夢を見ました。

大成功してリッチになった黒斎クンの夢です。


アルマーニのスーツに身を包み、パテックフィリップの腕時計をして、フェラーリから颯爽と降りてきた黒斎クンが言いました。


「阿部ちゃん、これチップ!」

付き人をしている僕への、温かい気づかいです。


見ると5000円札が一枚。

あんなに成功したのに、5000円だけかよって思ったことは顔に出さずに、大人の僕はニッコリ笑うと、黒斎クンに言いました。


「黒斎様、いつもありがとうござまいます。あなたのその人間的な大きさが、いまの人気を支えているのですね」



・・・・・・・・・・




おー、いやだ、いやだ!!!


他人の成功は、ちっとも嬉しくない。

やっぱり黒斎クンは、雲さんのTシャツ着て、ドンキホーテで買った腕時計して、自転車で登場してほしい。


そして

「阿部さん、パテックフィリップって何ですか?」

って聞いてほしい。


いつまでも、そんな黒斎クンでいてくれるよね。





ねっ、









ねっ!!









黒斎クンの本が爆発的な勢いで売れていると聞いてから、なんとなく体調が悪い僕ですが、みなさんお変わりありませんか。





あはは、

でもよかったね。


やっぱり黒斎クンみたいなメッセージを送る人は、贅沢しなくてもいいけど、日々の生活に不安を抱えているようじゃ、本末転倒だものね。

黒斎クンはこれからますます活躍する人だから、彼方なる力が協力してくれていると思う。


受け取ったエネルギーを、さらにパワーアップした真理のメッセージに変えて、この地上の意識変革に貢献していこうね。



時は来た。




それが実感です。



 

成功哲学

2010年03月26日 | 雲 黒斎
>自分は成功に値する。
>自分は幸せに値する。
>そう心の底から思えたら、もう9割がたやることは終わっています。


本当にその通りですね。

これまで、いかに自分自身を信頼してあげられなかったことか。

いかに、自分自身を批判しつづけてきたことか。

「いま(いまの自分)のままでは駄目だ。きっといつの日か、その条件を満たし幸せになるんだ!」

僕は、思考の罠にまんまと引っかかり「成功や幸せには条件が必要なのだ」と勘違いし続けて生きていました。


でもある日、幸せになるための条件などないことに気づいてしまいました。

それからです、僕の人生が急変しだしたのは。


『幸せになるための条件などない』

これは、「幸せになるための条件が必要ない」というより、『幸せや成功に辿り着くための条件そのものが存在しない』ということなんです。

なのに、僕はこれまでその「条件」を探し求め続けてきました。

アレをしたら幸せになれるんじゃないか、コレを満たせば幸せになれるんじゃないか…

元々存在しないものを探し続けているのですから、決して見つかるハズはありません。


これは「本当の自分探し」と同じ滑稽さです。

本当の自分を探そうと右往左往している張本人こそが、紛う方なき「本当の自分」なのですから。

自分が自分以外の所に自分を見いだせるなんてこと、あるわけがないのですから。


それと同じように、ずっと「幸せ」とは自分とは別の所にある「何か」だと思っていました。

まさか、その幸せを探し求めている自分自身が、その探し求めていた「幸せ」だったなどとは、思いもしませんでした。


…なんだ。幸せって、この僕の事だったのか。

_(*_ _)ノ彡☆ギャハハハ!!バンバン!!


お百度参りすることも、ありがとうと唱え続けることも、決められた数のお線香をあげることも、一生懸命机にかじりつくことも、何かを我慢することも、なにもしなくて良かったのか。

だって、そんなことをしようがしまいが、僕はいつだって僕じゃないか。これまでだって、これからだって、僕が僕以外になるなんてこと、できっこないじゃないか。

_(*_ _)ノ彡☆ギャハハハ!!バンバン!!



と、いうことで、今日は僕のそんな経験に基づいて選定した「成功哲学」をご紹介します。

それは、成功法則を説いたジョセフ・マーフィーさんの著作でも、成功哲学の祖、ナポレオン・ヒルさんの著作でも、斎藤一人さんや小林正観さんの著作でもありません。

それは、1911年にノーベル文学賞を受賞したベルギーの劇作家、モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール・メーテルリンクさんの著作です。


え?ご存じないですか?モーリス・メーテルリンクさん。

いや、多分、コレをご覧の多くの方もご存じだと思うのですが…。幼いころに、ちょっとでも聞いたことないですかね?『これ』



うん。

ここで、「阿部敏郎さんの、この著作です」とならないあたりが僕らしいですね(笑)。



 

↑ 探し物が見つかったあなたも。見つからなかったあなたも。

はじめの一歩

2010年03月25日 | 阿部 敏郎
黒斎クンは最初に出した本がいきなりベストセラーになるから、当面はお金の心配からは解放されます。

人はそのような状況を羨ましがるけど、本人にとってみたら、それは一時のものだと分っているので、そのことですべてが解決するわけじゃありませんよね。

黒斎クンはこれから、そんな経験をしていくのだと思います。



不安を払しょくする根本的な解決は、「いまここ」に徹底することだけど、そこは人間の悲しさ、またすぐに時間の罠にハマッてあれこれ思いを巡らしてしまうのです。

僕など「いまここ」をメインテーマにして話をしているけれど、それでも一日の半分以上は「いまどこ」を生きています。

目覚めを経験した人はわかるでしょうが、目覚めた後も、真理の次元と、この現象界(幻想界)を行ったり来たりです。


とりあえずこの交換日記では、「いまここを生きれば不安も心配も全部消えてなくなる」という話ではなく、生身の人間の通常の状態、すなわち時間という幻想の中で生活するにおいて、少しでも金銭的な心配や苦労を克服できるような話をしましょう。

究極的な話は、メインブログで披露することにします。


そうそう、いまメインブログでは、人生で起こることはあらかじめ決まっているのか、それとも自分の選択によってどのようにでも作り出せるのかという話で盛り上がっています。

深い霊的体験をすると、多くの場合、この世には何ひとつ偶然はなく、ことは必然の中で起こるべくして起きていたという感覚を得ます。

そう、全ては決まっていたと感じるのです。


もし決まっているとすると、これから先の自分の経済状態も全部決まっていて、どうにもならないと考える人が出てきます。


でもそれは間違いです。


もしかして、ここに書かれた文章によって、あなたが何かを学び、人生観が大きく変わり、いままでとは違うお金の流れを引き寄せるかもしれません。

でも、それさえも決まっていたというだけの話です。


変な言い方ですが、どうせ決まっているなら、どう決まっていてほしいか、それを作り出す力を持っているとしたら、それを使わない手はありません。

僕自身はそんな感覚で生きています。



したがってここでは、人生は自分次第でいかようにも変えることができ、どんな人生でも自由に作り出せるという立場で話を進めます。


で後になってみれば、それさえも決まっていた・・・チャンチャン(^o^)

ね、それでいいじゃない。




チャンスはみんな同じです。

いまあなたが、たとえどんな状況に追い詰められていたとしても、いまを境に、すべては良い方向に向かっていきます。


やりかたは簡単です。


すべては良くなっていくと信じることです。


えっ?そんなに簡単なこと?そんなに簡単なことなら、誰でも成功できちゃうじゃない。


そうなんですよ、川崎さん(ここでまた世代間ギャップが)


そうなんです、誰でも成功できます。

それなのに、できない人が出てくるのは、結局のところ、信じるという力を軽く見てそれを徹底しないか、あるいは疑いや否定の習慣が深すぎて、素直に信じられないからです。


理屈は手放して、いますぐ信じなさい。


いまから、すべては良くなっていくって。



黒斎クンは、そういう気持ちが育ち始めているでしょ。


ちょっとアドバイスですが、いま自分が感じれる限り、最高の状態を思い描いて下さい。



できた?


そしたら、それ以上を求めてみるのです。


そうやって、自分が観念のレベルで作ってしまった、自分の限界を超えていきましょう。

まずは、そこからです。



自分は成功に値する。

自分は幸せに値する。


そう心の底から思えたら、もう9割がたやることは終わっています。



本当は、誰もがそう思えて当然なんですよ。


だって、あなたは神なんだから。

あなた以上に尊いものは存在していないのだから。



まずは、それを思い出してね。




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Re:お金の話

2010年03月24日 | 雲 黒斎
前略 阿部敏郎さま

>あっ、そうだ。黒斎クンにこれだけは言っておこう。
>独立する時に、最初は恐怖心があったって言っていたけど、それは無用ですよ。
>だって僕と出会ったんだから、君が成功しないはずがないでしょ。

はい。

幸か不幸か阿部さんと出会ってからというもの、現に僕の人生は想像もつかないほどの急展開となっております(笑)。

その勢いたるや、まさにジェットコースター並みの絶叫ぶりでございまして、我が三半規管もいよいよ馬鹿になってきている今日この頃。

軽い目眩を覚えながら、「はてさて、これは一体なんなのか」と思いを馳せる日々でございます。

これは単なる偶然の産物か。それとも本当にゴーマンオヤジのなせる技なのか。

いまのところ、うすうす後者なのではないかと感じはじめている昨今なのです。


さて、それはさておき、話を「タブー」に戻しましょうか。


お金。

これを「タブー」と呼ぶかどうかは微妙なところではありますが、これに関連したコンプレックスを抱える方の多さは明らかですね。

かくいう僕も、数々のコンプレックスを抱え続けている身。

その中には、やはり「お金」というものも含まれており、いまだ上手なつきあい方ができておりません。

なんていうんですかね、かっこ良く言えば「酔い越しの金は持たない」というタイプでございまして、悪く言えば「まるで計画性のないダメ男」なのでございます。

明日のことなど考えず、あればあるだけ使うんだから、今やなかなか財布を持たせてはもらえません。

「あるがまま、あるがまま」と言ってるうちに、いまやすっかり「ないの、ママ…」と女房に頭をさげているのが、我が家の実体でございます。

そんな自分なものですから、なかなかお金に対してあれこれ講釈できる立場ではなかったりします。


そんな僕ではございますが、最近ようやくこのお金との付き合い方、といいますか、お出迎え方がわかりかけてきました。

僕ね、わかったんですよ。

お金にコンプレックスを持っていたから、お金を素直に迎え入れる事ができなかったんだなって。

お金が好きなのか嫌いなのか、自分でもよくわかんない状況になってたなって。

自分の甲斐性の無さを棚に上げて、お金持っている人を見てひがんだり、稼いでいる人を根拠も無く悪者にしてみたり、「金ばかりが人生じゃないよ」なんて言って自分を正当化してみたり。

本当は欲しいくせして、反面お金をずいぶん悪者扱いしていたなってね、気づいたんですよ。

「思いが現実化する」という法則が本当なのだとしたら、僕の思いは「お金が欲しい」と「お金は悪いもの」を頻繁に行き来しているわけですから、神様だって「結局どっちを望んでるんだよ!」って突っ込みの一つも入れたくなるんじゃないかと。


これに気づいたきっかけはね、実はテレビを見ていた時なんです。

阿部さん「ダウンタウンDX」って番組ご存知です?

あんまりテレビ見ないようだから、ご存じないですかね。

まぁ、ダウンタウンが司会のバラエティ番組なんですけど、この番組のコーナーの一つに「スターの私服」ってのがありましてね、ゲストがその日着てきた私服を合計金額順に紹介するんです。

古着や頂き物などでコーディネイトして1万円を切るようなゲストもいる一方、高級な宝飾品やブランド品で億を突破するゲストもいたりするんです。

これ見てた時にね、僕またひがんでたんです。

「こんな所にそんな金使って、馬鹿じゃねぇの」って、そうやって見てたんですね。

でもそのときふと、「あれ、なんかちがうかな」って思ったんです。

「こうしてお金を作れる人には、その分たくさん使ってもらわなきゃ。そうじゃなきゃ、僕たち下々までお金がまわってこないじゃないか」って。

「お金は元々誰かのものじゃなく、みんなのものなんだから、こういう人たちにこそいろんなところで使ってもらわなきゃ、その流れが止まっちゃうじゃないか」って。

「まして、この人たちが身につけているものは、それこそ中途半端なものなんかじゃなく、クリエイターの思いがものすごくたくさん込められて世に出されたものじゃないか」って。


で、そうやってよくよくタレントさんのことを見直してみたら、ものすごく沢山の人に還元してるんですよ。それはもう、僕ら一般ピーポーの想像を絶するほどに。

「みんなで平等に慎ましく」ってんじゃなくて、「みんなで豊かに」って感じなの。

それに、人気のあるタレントさんだと、もう労働基準法なんてガン無視で休み無く働いてるんですよ。

それを知ったら、それまでひがんでた自分が、なんだか情けなくなっちゃいました。

「沢山稼いでる」って、そういう表面的な部分だけを抜き出して評論家・批評家気取り。軽々しくバッシングしてた自分が恥ずかしくなっちゃいました。


僕は、まったく戦争を知らない世代なんだけど、それでもどっかに「欲しがりません、勝つまでは」みたいな清貧思考、日本人的プログラムが流れてるんですかね。

どこか「お金を稼ぐ事は悪い事だ」みたいなものがあったんです。


でも、「あ、それってなんか違うな」って、ようやくそこから抜け出した感じです。

そして実際に、その気づきからお金の流れ方が変わってきているのを実感しています。(いや、まだそこまで具体的に形になっていませんけどね)

前回の阿部さんの言葉じゃないけど、ほんとにうまくいきそうな気がするんです。

で、この気づきは、多分阿部さんの知っているそれと、同じような気がしてるんです。(これもやっぱり「いまここ」ですよね。)


もしこれで僕が本当に豊かになる事ができたら、その方法も具体的にシェアしてみたいと思います。

精神世界的な話ばかりじゃなくて、たまにはそういう成功哲学系の話をしても、いいですよね?



 

↑ 素直に欲しがります。

お金の話

2010年03月22日 | 阿部 敏郎
さて、またオヤジの交換日記を書いてみます。

タブーについては黒斎クンが見事に解説してくれたから、これ以上大オヤジが言う事は何もありません。


それじゃ今日はタブーの中の、お金について書いてみましょうか。

そう言いながら、お金の何がタブーなのかよくわからなくなっているけれど、とにかく書いてみます。



僕自身はお金に困ったことはありません。

資産家でも金持ちでもないけれど、お金に困ったことはありません。


なぜなら、お金儲け自体は少しも難しいものだと思っていないので、必要ならば稼げばいいだけだからです。

ご丁寧に僕の年収まで予想した人がいましたが、あれくらいの金額は、本当にその気になれば一カ月で稼いで見せます。

もし僕の生きる目的がお金儲けならば、そのことだけに集中し、その結果を手に入れています。


なぜそれをやらないのかって?

だってもっとやりたいことがあるし、そこまでお金が欲しいわけじゃないからです。


お金を稼ぐためには、社会のルールの中で、その基本に沿って、アイデアを具現化するだけの話です。

社会のルールを無視すれば、短期的にお金を作れても絶対に長続きはしませんし、幸せな気持ちにもなれません。

そして、そのアイデアが人に幸せを与えるものだというのが基本です。


それさえ満たされれば、もう成功したのも同じです。

この次元(3次元)は、時間という制約があるので、それが成就するのに時間がかかるのですが、成功は一瞬で出来ます。

あとは成就を待つだけです。


努力も要りませんし、頑張る必要もありません。

本当にそれをやりたければ、すぐにやっているでしょうし、それは努力とか頑張りだとかいう性質のものではありません。



いわゆる成功哲学に関しては、本の1冊や2冊くらい書ける知識がありますが、いまはそれよりもやりたいことがあります。

そう、「やりたいこと」、これはお金儲けより、もっと大切な価値です。


もちろん生活は充実していた方がいいので、食べたいものを食べ、好きな時に好きなところに行けるくらいのお金と時間は持てるようにしています。

でもだからと言って、お金儲けを優先するような生き方では楽しめないし、「やりたいことだけをやって生きたい」と心底思っているので、この25年間はそんな生き方をしてきました。



いまやりたいこと・・・それはいまやっていることです。

目覚めを促すブログを書いたり、講演したり、瞑想を紹介したりね。


瞑想に関して言えば、この瞑想は僕と不思議な縁がいっぱいあって、しかも僕が知る限り最も現代人にマッチした優れモノだし、値段も他の同じようなものに比べて断然安いし、これをパワフルに紹介できるのは僕しかいないと直感したから、いま一番やりがいのある活動としてやっています。


47000円が高いと思う人には高いだろうし、それでもやりたい人はやるし、それでいいと思います。

ちなみに、この金額は僕が決めたものではなく、最初から決められていたものです。

もし僕が料金設定をするとしたら、定額制はやめて、その人の月収の三分の一を目安にするでしょう。

それくらいの投資をする覚悟がないのであれば、まだやる時ではないと思います。

月収100万円の人には、30万円の価値があるものだと確信しています。




さて話を戻しますが、お金ってその人の人生観や世界観、そして自分観を如実に表すものですね。

いまもしお金に不自由している人がいたら、まずは自分がどんな観念を握りしめて、どんな生き方をしているのかを検証してみることです。

さきほど、「お金儲けは基本に沿って」と書きましたが、その基本の中には、自分を知るということも含まれます。

自分を知り、世の中を知り、人を知り、時代を知る。

これができて、お金を稼げなければ、よほどお金が嫌いな人か、お金に罪悪感を持っている人でしょう。



まだ書きたいことはたくさんありますが、そろそろ黒斎クンにバトンタッチします



あっ、そうだ。黒斎クンにこれだけは言っておこう。

独立する時に、最初は恐怖心があったって言っていたけど、それは無用ですよ。


だって僕と出会ったんだから、君が成功しないはずがないでしょ。


おおっ!!!でた!!ゴーマンオヤジのゴーマン発言。


でも本当にそう思っていて、それは君にだけじゃなく、縁あって出会った人みんなに、心の中で感じていることです。


あはは、またこの日記、楽しくなってきた。




今日もいい日でありますように。






多くの人に届きますように、応援よろしくお願いします。

 




僕の本家のブログは、コチラから。


黒斎クンのはコチラから。

流れ

2010年03月21日 | 阿部 敏郎
あはは、昨日の黒斎クンの記事は思わず噴き出してしまいました。

面白いですね。


黒斎クンの新しい本も、手元に届きました。

とても素晴らしい本でした。

いろんなことが急展開ですが、これはまだ序の口で、これからさらにめまぐるしく事が起きていくと思います。

もうこの流れは、誰にも止められません。


僕たちにできることは、流れを信頼して、思召すままに生きることだと思います。


今日は東京の母の家に来ていて、つい寝坊してしまいました。

午後からの準備などもあって、長文が書けません。



またゆっくり書きます。


じゃあね。




いつもありがとうございます。

 

Re:タブー

2010年03月20日 | 雲 黒斎
*****

タブー【taboo】 (yahoo辞書より)

1.聖・俗、浄・不浄、正常・異常を区別し、両者の接近・接触を回避・禁止し、それを犯した場合には超自然的制裁を受けるとする観念・慣習の総称。特定の人間(王・死者・妊産婦など)、事物(動植物・鉱物・食物など)、状態(出産・成人・死など)、行為(戦闘・狩猟・近親相姦・食事・言葉など)、日時、方角などをめぐるものなどがある。禁忌。

2.一般に、触れることを禁じられていること。 ・社長の前でゴルフの話は---だ

*****


はい。僕の前で早漏の話はタブーです(真顔で)。

なにかと「はやい」という言葉に過敏に反応してしまう僕にとって、そこは非常にデリケートな部分です。

そのデリケートさ加減たるや、時にフェミニーナ軟膏のお世話になるほどのデリケートさなのです。


…と、まぁ、ようはそういうことなんですよ。

「言ってくれるな、触れてくれるな」ってのは、その背後にコンプレックスがあるからこそですよね。

「劣等感」や「後ろめたさ」といった思い出したくないアレコレがあるから、「そこん所は刺激してくれるな」っていう暗黙の了解。

「自分でも思い出したくない劣等感であるがゆえ、自分の口から『触れんといてくれ』ともお願いはできないぞ。それほど口にできないけども、言葉には出せんけども、そこんところ感じ取ってくれや」という、何とも我が侭なその態度。

そこにコンプレックスがあることを素直に認められないから、たとえ触れられても平気な演技をし、あわよくばそれほどコンプレックスでもないものをあたかもコンプレックスであるように見せ掛けてホントのコンプレックスをひた隠し、出来るだけ見て見ぬ振りを、いや出来る事なら心の奥底に鍵をかけて封印してしまいたい。

でも隠し続けたいその気持ちとは裏腹に、自分の劣等感に関わる話題がでようものなら、妙に過剰反応してしまうこの私。

あらやだ、今の反応、皆にばれてはいないかしら…(ドキドキ)


それがタブーなのでございます。


性にコンプレックスがある人にとっては性的な話題がタブーだし、

お金にコンプレックスがある人にとっては金銭的な話題がタブーだし、

身体的にコンプレックスのある人にとっては、身体的な話題がタブーだし、

歴史的、文化的なところに後ろめたさがある国家にとっては、その後ろめたい事がタブーだし、

とにかく人間には、他人に触れて欲しくない色んなものが積もり積もっているのだから、それは例外なく皆にあるんだから、そこんところは暗黙の了解として触れずに、大人の付き合いをしていこうじゃないのさ、ってのがタブーがタブーとしてそこにある理由なんですよ。


ってことはですよ。

阿部さんの言う「僕はこれからタブーに触れますよ」というそのことは、「僕はこれからあなたのコンプレックスを刺激しますよ」ということと同義なワケです。

あらやだ。おっかない。

そのコンプレックスが深ければ深いほど、相手の痛みは深いのですから、そんなことしたら「この野郎!」っていう攻撃を喰らうことになりますもの。

「なんだってテメェにそんなこと言われなきゃならねぇんだよ!」って、絡まれますもん。


なもんですから、阿部さんと違って好感度を最重要視している黒斎くんにとっては、出来れば避けて通りたい道のりなのでございます(笑)。


とはいえ。

阿部さんがそこに触れたいお気持ちも、胸が切なくなるほどに共感できるんですよ、これがまた。

なぜなら、タブーのその奥にあるコンプレックスこそが、我々を真実から遠ざけ、幻影の中に閉じ込め、息苦しさを生み出す元となっているのですから。

それを見抜く力こそが、目覚めということにおいて必要不可欠となるキーワードなのですから。


先日ね、僕も「Twitter」でこんなことをつぶやいていたんです。


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人は、自分のコンプレックスを他者に投影して、自分独自のマトリックスを創る。問題が現れるのは、自分のコンプレックスに自覚が持てていない時。

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問題はここなんですよ。

人のコンプレックスは嫌になるほど敏感につかみ取れるのに、自分のこととなると、とたんに見えなくなってしまう。

他人が自分と関わりのないコンプレックスで苦しんでいる姿をみると、普通にこう思うワケですよ。「馬鹿だなぁ。そんなのコンプレックスに感じることじゃないのに。そのコンプレックスを自分で認めてしまえば楽になれるのに」って。

でも、自分のコンプレックスは素直に認める事はできないの。

そりゃそうですよね。自分にとって、一番見たくないものなんだから。

でも、そこから目を背ける態度こそが自分を苦しめている最大の原因なんです。


だからこそ、誰かが「大丈夫だよ。怖くないから、しっかりこれと向き合ってごらん。嫌いなものを無理に好きになれといっているわけじゃないんだ。イヤなものはイヤなんだと、自分に嘘をつかずにそのまま受容してみてごらん。そしてそれ以上、これにこだわる事をやめてごらん。君はこのことにこだわるまいとして、逆にこのことにこだわっていたんだ。その事に気づく、たったそのことだけで、君はそこから自由になれるのだから」と伝えなきゃならない。

そのために「ほら、これがアナタ自身がずっと目を背け続けてきた、心の奥底に隠し続けてきたコンプレックスですよ」って、その人の無意識領域から意識の上に引きづり出してあげなきゃならない。

どんなに相手がそこから目を背けようと、どんなに自分が攻撃されようとも、それを示してあげなきゃならない。


コンプレックスを刺激される側の立場になってみれば、それはキャバクラのおねぇちゃんとおんなじ心境で、「おさわり」を許せるのは好きな人だけに限られるのでございます。

嫌いな人からの「おさわり」だなんて、決して許してはおけないのでございます。嫌いな人におさわりされたならば、平手打ちどころか、ごっつい灰皿で後頭部を殴打してやりたくなるのです。

だからこそ、この「おさわり役」は、なかなかにして大変なのでございます。


ああ、なんて損な役回り…。

なので、やっぱりこの「おさわり役」は、自称スケベオヤジの阿部さんにおまかせしたいと思います(笑)。



 

↑ タブー? いえいえ、いっぱいおさわりしちゃって頂戴!