阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

かんたんなはなし

2010年04月16日 | 阿部 敏郎
黒斎クンとの話の中で、お互いに違う観点から、同じことを言う場面がよくあります。

そういう時は、一つなる真実が立体的に表現できるので、僕たちにとっても気持ちがいい瞬間です。


このブログの場では、いまこの瞬間に感じたことを、ただ書いてみますね。



目覚めとか、悟りとか言うと凄いことみたいだけど、結局は、ただ普通の人になるだけの話です。

それをずいぶん大げさにしてきたのは、権威好きの男性社会の影響もあると思います。


自我クンは普通が嫌いです。

自我クンはとにかく「特別好き」。


自分のマスターは特別だし、その特別なマスターを信奉している自分は超特別。

自分が生まれた時代は特別で、自分が生まれた国も特別。


でも残念なことに、どんなに特別色で彩っても、いつも淡々と「いま」があるだけです。


そのあたりまえの「いま」を、ただあるがままに、あたりまえに受け入れる事。

それが、僕たちが目指している境地です。


えっ?そんな当たり前なこと?


そう、そんなあたりまえのことです。



多くの場合無自覚ですが、僕たちがどれくらい批判がましいか。


あれはおかしい、これもおかしい、こうあるべきだ、こうあるべきじゃない・・・


あの人は間違っている、この人も間違っている、正しいのは・・・自分だけ。

これが自我クンの正体です。



裁くというのは、自分は正しいと思える最も簡単な方法です。

相手を批判していれば、それを批判している自分は正しいと感じられるからです。


自分に何かが欠けていると思っているから、相手をおとしめて自分が優位に立つことで、その穴を無意識に埋めようとしています。

このような傾向が、人類に絶え間ない葛藤と、争いを作り出してきました。


繋がろうとするのではなく、分裂しようとするのです。


僕たちがただあたりまえの「いま」にくつろいだ時、そこに平安と至福があります。

しかも誰の中にも、すぐ近くにあります。



そんな境地に入るための方法が瞑想です。

僕自身、人生で多くのものを手にしてきましたが、瞑想との出会いが一番大きなものでした。


奇跡が起きて自分の問題が全て消えてなくなるなどという幻想を期待しないで、毎日少しずつ自分の混乱を静めていくのです。

それは修行ではなく、安らかな喜びへの道です。


そうやって、ただあるがままの自分と、あるがままの世界を受け入れて行くこと。

それが、僕たちが目指すべき境地です。


精神世界や、スピリチュアル云々というと、何やら仰々しくて、神が出てきたり、超現象が出てきたり大騒ぎですが、そんなものは特別好きの自我クンのお遊びに過ぎません。



こだわりのない素直な心。



ただ、それだけです。