阿雲の呼吸

 
阿部 敏郎 と 雲 黒斎

かわいいオヤジの、怪しい交換日記

自信

2010年04月02日 | 阿部 敏郎
>面白いことにそうやって自分で自分を認めてあげて、自分自身を生きると、だんだん外側からも認められていくもんですよね。


本当だね。

僕は若いころ、「みんなから好かれたい病」にかかっていて、いつも相手に合わせて自分を作っていたから、どれが本当の自分かわからなくなってしまっていた。

自分を小分けにして、それを小包にして、みんなに配ってたみたいな感じ。

そこまでしていたのは、よほど自分に自信が持てなかったからだろうな。


あの頃は何をするにも、人からどう思われるかが一番のテーマだった。

自分がどうしたいかじゃなくて、人がどう思うかが自分の人生を作っていた。

人に認めてもらうための人生だった


それがいまはどうだろう。

人に認めてもらうために何かをするんじゃなくて、自分が何かをした結果、もし認めてくれたらそれもよし、そうでなければよれもよしという生き方に変わった。


そしたらね、黒斎クンが言うように、まわりからの評価が上がったみたいな気がする。

人生は皮肉だね。



結局は自信のなさが、的外れな生き方をしていた原因だった。

でね、この自信なんだけど、いまは自信があるかって聞かれても、これといってどこにあるのかわからない。


おそらく自信なんてものは存在していない気がする。

特技に対する自信はともかく、自分という人間に対する自信なんて、ただの迷信だと思う。


でも「自分に自信がない」っていう状態は確かにある。

昔の僕がそうだったようにね。


したがって、この世にいるのは、「自信がない人」と「自信がある人」の2種類じゃなくて、「自信がない人」と「自信のなさが無くなった人」の2種類だと思う。



たとえば、我が家には猫が6匹いるんだけど、彼らは全員、自分が猫であることに自信なんか持っていない。

でも、自信のなさもない。


だからいつもあるがままに猫やっているよ。


ということは、我々が目指すべきは、自信を持つことではなく、自信のなさを無くすことだと思うんだ。


それって微妙に違うよね。

でもここんとこをしっかり見極めないと、的外れなものを追い求めることになっちゃう。


これって大切くない?(若者風に)






これって微妙~(若者風に)
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