こんばんは。
いきなり思い立って行った長府への日帰りの旅。
といっても、新幹線を小倉まで使ったので、時間的には楽でした。
すでに私の頭の中では、この日の工程が決まっておりました。
構想では、午前中に長府散策、その後は、下関の唐戸市場にて海の幸&ビールと決めておりました
帰りは、唐戸市場からフェリーに乗り、門司港へと移動し、門司港からJRに乗って小倉。
小倉からは、新幹線にて帰るコースとしました。
一応、予定通りのコースとなりましたが、10時過ぎぐらいからは暑くて暑くてたまりませんでした。
途中、あんまり暑いので、バスをたった一駅だけの移動でしたが、歩かずにバスを待って乗りました
夏の散策は、かなり大変ですね。
とりあえず、長府の散策からです。
下関からバスにて長府まで、30分ぐらいかかりました。
あとで考えると、JR長府駅から戻るルートの方が早かったような気がします(^^;)
長府は、侍町からのスタートです。
9時前に着いたので、観光案内所が閉まっていて地理感がつかめず、最初うろうろとして
おりましたが、侍町の建物の中に観光パンフレットが置いてあって助かりました。
こういう心配りって嬉しいですね。
1 侍町付近の近くの土塀。雰囲気のよい喫茶店があちこちにありました。
時間が早かったので、どこも開いていませんでした。
-侍町-
1185年(文冶元年)に、壇の浦合戦で破れた平家の残党追討の命を受けた土肥実平(どひさねひら)が入封し、
この辺に居住していたため、いつしか侍町と呼ばれるようになりました。
2 普通のお家の塀がこの土塀でした。なんか不思議な感覚でした。ここまで残っているものなのですね。
地元の方が大事にされてきた証拠なんでしょうね。
3 侍町の侍屋敷長屋。ここにパンフレットが置いてあって助かりました
4 日頼寺 観光パンフレットに載っていたので行ってみました。
-日頼寺-
元々は極楽寺と呼ばれていましたが、毛利元就(もうりもとなり)の四男元清(もときよ)が元就の法号「日頼洞春(にちらいどうしゅん)」
にちなみ「日頼寺」と改称し、菩提寺としました。
また、第14代仲哀天皇(ちゅうあい)が九州遠征時に急死した際、神功皇后(じんぐう)が仲哀天皇のご遺体を仮埋葬した
塚「御殯斂地(ごひんれんち)」があり、現在この地は宮内庁の管轄となっています。
5
6 秋の紅葉の時期は、また素敵でしょうね。
7 土塀の一部
8 再び、侍長屋に戻って水路沿いに登っていくことにしました。
まあ、とにかく大きなお屋敷があちこちにありました。紅葉のある水路が涼しげでした。
水路では、カモのカップルがデートしてました。
9 紅葉の時期はいいでしょうね。
10
11
12 sabunikonさんが紹介されていた功山寺まで登ってきました。
功山寺の境内。ちょっと涼しくてほっとした空間でした。
-功山寺-
鎌倉期創建の禅寺で長府毛利家の菩提寺。幕末に高杉晋作が維新回天の旗揚げをした場所として知られる。
純唐様建築の美しさを保つ無彩色の仏殿は国宝に指定されている
この後に行った、長府毛利邸が良かったです。
もう、ここで十分満足しました。
でも、この後は暑さで地獄でした。
タクシーに乗ろうにも、タクシーがない。
汗だくで移動してお昼前には、唐戸市場にバスにて移動することとなりました
侍屋敷長屋
日頼寺
功山寺
いきなり思い立って行った長府への日帰りの旅。
といっても、新幹線を小倉まで使ったので、時間的には楽でした。
すでに私の頭の中では、この日の工程が決まっておりました。
構想では、午前中に長府散策、その後は、下関の唐戸市場にて海の幸&ビールと決めておりました
帰りは、唐戸市場からフェリーに乗り、門司港へと移動し、門司港からJRに乗って小倉。
小倉からは、新幹線にて帰るコースとしました。
一応、予定通りのコースとなりましたが、10時過ぎぐらいからは暑くて暑くてたまりませんでした。
途中、あんまり暑いので、バスをたった一駅だけの移動でしたが、歩かずにバスを待って乗りました
夏の散策は、かなり大変ですね。
とりあえず、長府の散策からです。
下関からバスにて長府まで、30分ぐらいかかりました。
あとで考えると、JR長府駅から戻るルートの方が早かったような気がします(^^;)
長府は、侍町からのスタートです。
9時前に着いたので、観光案内所が閉まっていて地理感がつかめず、最初うろうろとして
おりましたが、侍町の建物の中に観光パンフレットが置いてあって助かりました。
こういう心配りって嬉しいですね。
1 侍町付近の近くの土塀。雰囲気のよい喫茶店があちこちにありました。
時間が早かったので、どこも開いていませんでした。
-侍町-
1185年(文冶元年)に、壇の浦合戦で破れた平家の残党追討の命を受けた土肥実平(どひさねひら)が入封し、
この辺に居住していたため、いつしか侍町と呼ばれるようになりました。
2 普通のお家の塀がこの土塀でした。なんか不思議な感覚でした。ここまで残っているものなのですね。
地元の方が大事にされてきた証拠なんでしょうね。
3 侍町の侍屋敷長屋。ここにパンフレットが置いてあって助かりました
4 日頼寺 観光パンフレットに載っていたので行ってみました。
-日頼寺-
元々は極楽寺と呼ばれていましたが、毛利元就(もうりもとなり)の四男元清(もときよ)が元就の法号「日頼洞春(にちらいどうしゅん)」
にちなみ「日頼寺」と改称し、菩提寺としました。
また、第14代仲哀天皇(ちゅうあい)が九州遠征時に急死した際、神功皇后(じんぐう)が仲哀天皇のご遺体を仮埋葬した
塚「御殯斂地(ごひんれんち)」があり、現在この地は宮内庁の管轄となっています。
5
6 秋の紅葉の時期は、また素敵でしょうね。
7 土塀の一部
8 再び、侍長屋に戻って水路沿いに登っていくことにしました。
まあ、とにかく大きなお屋敷があちこちにありました。紅葉のある水路が涼しげでした。
水路では、カモのカップルがデートしてました。
9 紅葉の時期はいいでしょうね。
10
11
12 sabunikonさんが紹介されていた功山寺まで登ってきました。
功山寺の境内。ちょっと涼しくてほっとした空間でした。
-功山寺-
鎌倉期創建の禅寺で長府毛利家の菩提寺。幕末に高杉晋作が維新回天の旗揚げをした場所として知られる。
純唐様建築の美しさを保つ無彩色の仏殿は国宝に指定されている
この後に行った、長府毛利邸が良かったです。
もう、ここで十分満足しました。
でも、この後は暑さで地獄でした。
タクシーに乗ろうにも、タクシーがない。
汗だくで移動してお昼前には、唐戸市場にバスにて移動することとなりました
侍屋敷長屋
日頼寺
功山寺