黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

本当に恐ろしいのは,法曹界における「無責任主義」の蔓延

2012-04-17 12:44:30 | 司法一般
 一部「有識者」の提言によって強引に進められた司法制度改革。その「三本柱」とでもいうべき看板政策は,①法科大学院制度の創設,②司法試験合格者数の年間3000人への増加,③裁判員制度の創設です。
 先日衆議院の法務委員会で答弁した佐藤幸治氏(司法制度改革審議会会長,京都大学名誉教授)によると,この3つは三位一体の関係にあるそうで,具体的には③の裁判員制度を維持するには多数の法曹が必要であるから②が不可欠であり,②の年間3000人の合格者数を輩出しつつ法曹の質を維持するには①が不可欠であるという考え方らしいです。
 上記3つの看板政策については,黒猫はそのすべてに強く反対していますが,上記のうち①の法科大学院制度については,そもそも政策としておかしいということがようやく世間一般にも理解されるようになってきたように思います。
 ②についても,法科大学院の関係者や一部の渉外弁護士などは相変わらず増員論を主張しているようですが,口先では増員賛成を唱えていても就職難となった修習生の受け容れという問題には知らん顔をするという増員論者の本質が明らかになるにつれ,現実を無視した増員論も以前よりは下火になっているような気がします(もっとも,この先も油断は禁物ですが)。
 しかし,③については,未だに「国民の判断」という美辞麗句に惑わされ,実質的には「法律の知識も裁判の経験もない素人が証拠もろくに検討できないまま短期間で下した判断」が「法律の専門家である職業裁判官が証拠をじっくり検討して下した判断」より優れていると思い込んでいる裁判員信者」が国民の間にも相当数いるらしく,未だ裁判員制度の問題点が国民の間に広く認識されているとは言えない状況にあります。

 久し振りにブログのコメント欄をチェックしてみたら,先日黒猫が書いた覚せい剤密輸事件の記事についても批判的なコメントが付いているようなので,問題の事件について説明を補足しておきましょう。
 平成24年2月13日の最高裁判決は,別に被告人を逆転有罪とした原審(東京高裁)の事実認定が誤っているとは言っていません。例えば,
「原判決は,A被告人が,チョコレートのトレーの下に覚せい剤を隠して一見発見できないように隠匿した本件チョコレート缶を手荷物として持ち込んだことを,被告人の覚せい剤の認識を認定する証拠となり得るとし,(中略)手荷物の持ち主は通常は手荷物の中身を知っているはずであると考えられるから,上記のような持込みの態様は被告人の覚せい剤の認識を裏付けるものといい得る
「原判決は,C被告人のマレーシアへの渡航費用について,覚せい剤輸入事件で裁判中のカラミ・ダボットから被告人の口座に振り込まれた資金が使用されていることを被告人の覚せい剤の認識を裏付ける方向の事実と評価している。高額の報酬を約束され,経費も負担してもらって,海外から荷物を日本に運搬することを依頼されたという事実は,違法な物の運搬であることを前提に依頼が行われたことを推認させる方向の事実といえ,その依頼が覚せい剤輸入事件で裁判中の者からの依頼である場合には,覚せい剤に関係する依頼であることを推認させる方向の事情であるともいえる
「カラミ・ダボットは本件とは別の覚せい剤輸入事件の共犯者として起訴され,第1審で無罪判決を受けたものの,検察官から控訴されていたものであって,そのような人物から依頼されてマレーシアに渡航して結果的に覚せい剤を持ち込んでいるという本件の経過は,被告人が故意に覚せい剤の輸入に関わったと疑わせる事情であり,被告人がこのような事情を意図的に隠していたことをもって,被告人が故意に覚せい剤の輸入に関与したことを裏付ける方向の事情とみた原判断も,理解できないわけではない
 このように判示しており,高裁の事実認定が経験則に照らし間違っているという趣旨のことは何一つ言っていません。でも,裁判員裁判による第一審が逆の結論を導いているので,こじつけの説明で第一審判決が明らかに不自然不合理なものとはいえないと結論づけ,再逆転無罪の判決を言い渡しているのです。
 この判決は結論として被告人を無罪にした事案であるため,いわゆる判官贔屓のような感性でこの判決を支持する人もいるようですが,この判決で示された「裁判員裁判で示された結論は,明らかに不合理なものでない限り尊重すべきだ」という論理は,結論が全く逆の事案についても当てはまります。
 問題点を具体的にイメージしやすいように,架空の事例を一つ考えてみましょう。
 先日,木嶋佳苗被告(人)に対する裁判員裁判で,結論としては死刑判決が言い渡されましたが,仮にあの裁判では事実認定に重大な誤りがあったものとされ,控訴審の東京高裁(職業裁判官による裁判)では逆転無罪判決が言い渡されたとします。それに対し検察側が上告し,最高裁が再逆転で有罪(死刑)判決を言い渡しました。その判決書にこのようなことが書いてあったら,あなたはどう思いますか?

「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており,控訴審は,第1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく,当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし,これに事後的な審査を加えるべきものである。第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって,刑訴法382条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。このことは,裁判員制度の導入を契機として,第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては,より強く妥当する。」
「被告人は「練炭は料理に使うために購入した」などと説明しており,(中略)このような被告人の説明も不自然で信用しがたいとは言えないと判断した原判断も理解できないわけではない。しかし,関係各証拠に照らし,被告人の説明が「不自然で信用しがたい」と断じた第一審判決の判断がおよそ不自然不合理なものであるとはいえず,第一審判決のような評価も可能である。」
「以上に説示したとおり,原判決は,間接事実によって本件公訴事実が被告人の犯行であると推認できるとして被告人を有罪とした第1審判決について,論理則,経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。そうすると,第1審判決に事実誤認があるとした原判断には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。」
「なお,裁判官○○○の補足意見がある。
(中略)例えば,裁判員の加わった裁判体が行う量刑について,許容範囲の幅を認めない判断を求めることはそもそも無理を強いることになるであろう。事実認定についても同様であり,裁判員の様々な視点や感覚を反映させた判断となることが予定されている。そこで,裁判員裁判においては,ある程度の幅を持った認定,量刑が許容されるべきことになるのであり,そのことの了解なしには裁判員制度は成り立たないのではなかろうか。裁判員制度の下では,控訴審は,裁判員の加わった第1審の判断をできる限り尊重すべきであるといわれるのは,このような理由からでもあると思われる。
 本判決が,控訴審の事後審性を重視し,控訴審の事実誤認の審査については,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであるとしているところは誠にそのとおりであるが,私は,第1審の判断が,論理則,経験則等に照らして不合理なものでない限り,許容範囲内のものと考える姿勢を持つことが重要であることを指摘しておきたい。」

 実際の判決書と読み比べてもらえば分かりますが,上記の文章は判決書の言い回しとほとんど同じであり,事案に対する判断の部分を一部差し替えただけです。特に補足意見はそのまま引用しただけです。
 つまり,最高裁平成24年2月13日判決の論理を使えば,このような判決を出すことも許容されてしまうのです。念のために言っておきますが,この判決では「疑わしきは被告人の有利に」ないしこれに準じる考え方には一言も触れていませんから,あなたがこの判決の考え方を支持するのであれば,上記のような判決も当然支持しなければならないことになります。

 話を実際の事件に戻します。このように,刑事裁判において何が真実であるかという最も重要な問題についての判断を避け,「裁判員がそう判断したんだから良いんだ」と言わんばかりの無責任な態度を最高裁が示すことも大きな問題ですが,このような判決を受け,覚せい剤の密輸事件に対する検察官の態度も無責任になることが懸念されます。
 すなわち,覚せい剤の密輸事件では被告人の故意に関する立証が難しく,裁判員裁判では無罪事件も相当数出されています。検察官としても,人員に制約があるため裁判員裁判に無限の労力をかけられるわけではないため,最近は被疑者から明確な供述を引き出せないと検察官が起訴を渋る傾向にあるそうです(下記のリンク参照)。http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20120415082.html
 それでも,捜査段階で「中身は覚せい剤だと知ってました」なんて素直に言ってくれる容疑者はむしろ少数であり,税関で捕まっても「覚せい剤とは知らなかった」と言い張れば起訴されず逃げられるような状況になってしまえば,言うまでもなく覚せい剤の密輸は歯止めが利かなくなり,日本の治安は悪化する一方になるでしょう。
 したがって,捜査機関としての責任を果たすため現状では裁判員裁判が面倒でも何とか起訴しているわけですが,上記の最高裁判決によって第一審判決を控訴審で覆す可能性はさらに低下しました。
 この問題に関して,とある検察幹部は「検察にとって立証のハードルは高くなったが、国民の判断であり、仕方ない。与えられた枠組みで捜査、立証していくだけだ」と語っているそうですが,これは要するに,裁判員制度によって覚せい剤の密輸を水際で食い止めるのが難しくなり,結果として日本中に覚せい剤の中毒者がはびこり治安が大幅に低下したとしても,それで良いというのが「国民の判断」であるから仕方ないと言っているのです。
 裁判官も検察官も国家公務員ですから,法律に従って自らの仕事を進めていけば良く,それが社会全体にとって悪い結果になっても,一切責任は問われません。もちろん,現場で仕事をしている裁判官や検察官の多くは,自らの手で社会正義を実現しようという高い職業倫理を持っていると思いますが,そういうプロの法律家にとって到底是認できないような結論が裁判員裁判によって出された場合,彼らがその結論を受け容れるには「それが国民の判断だから」という極めて無責任な発想にすがるしかないのです。裁判員制度による弊害はいくつもありますが,日本の将来にとって最も有害なのは,日本の法曹全体にこうした「無責任主義」が蔓延することです。
 アメリカの刑事裁判では,起訴するかどうかを決めるのも素人の大陪審,有罪かどうかを決めるのも素人の小陪審であるため,検察官は裁判の結果について何の責任も感じません。そのため,被告人に無罪の判決が言い渡されると,検察官から「おめでとう」と言われることすらあるそうですが,裁判員裁判の影響で,日本でもそのような風潮が「感染」する兆候が見え始めてきました。
 裁判員裁判により,今までプロが納得していた論理にも国民は納得しないという判断が示された以上,検察は頑張って立証方法を工夫するだろうなどというのは,あまりにも安易な考え方です。検察官にとって最も楽な選択肢は,無罪になるおそれのある事件は起訴しない,起訴する場合でもわざと法定刑が低く裁判員裁判の対象事件にならない罪名で起訴することであり,性犯罪などの事件では実際にそのような運用も散見されています。
 このような事態になっても,弁護士会はまず反対しません。仕事柄弁護士の担当する役割の多くは被疑者・被告人の弁護であり,刑事事件の無罪率が上がり被疑者が起訴されない確率も上がれば,刑事事件を手がける弁護士にとってはハッピーです。被疑者が殺人などの重大事件で起訴されなければ,検察審査会で強制起訴される可能性もありますが,その場合に検察官役を務めるのも指定弁護士なので,弁護士の仕事は増えます。反対する理由がありません。

 そういえば,裁判員制度以外の場面でも,最近は露骨な「弁護士エゴ」と思われる主張が平然と出されるようになりました。例えば,民法(債権法)の改正で,検討委員会試案のように条文の文言を変えることは,要するに契約書で免責事由をいっぱい書き連ねた方が勝つことになり,自ら契約書の文言を作ったりチェックしたりできない社会的弱者の保護にもとるということで,東京弁護士会ではこの点について反対意見を主張することになったのですが,その議案を常議員会にかけたところ,「契約書の免責事由ですべてが決まるようになれば,みんなが弁護士に契約書の作成を依頼するようになり,弁護士の仕事が増えるからそれでいいじゃないか」という趣旨の発言をした常議員がいたと聞いています。
 また,法科大学院制度を維持しつつ,その改善を求めるという提言に賛成した弁護士の中には,その理由として「弁護士の中には,純粋な弁護士業務よりも「人を教え導く」ことに適性のある方が少なくないと見受けられ,こうした弁護士の活躍(もっと有り体に言えば生活)の場が拡大されることは大変好ましいから」と回答した人がいるそうです(下記リンク参照)。
https://docs.google.com/file/d/0B4Eb67AWYaCHZTNlNDcxYzYtNjEzYS00Njk0LTliMGQtY2IwYjg0NzZmMzU3/edit?pli=1
 まあ,法科大学院制度の下で国に散々裏切られ,司法修習も期間が短縮されて次第に形骸化し,莫大な借金を抱えたまま社会に放り出された新60期以降の弁護士に,高い公共心を要求すること自体が間違っているのかも知れませんが,そういう人達が弁護士会で次第に多数派となっていった場合,弁護士会の性質も大幅に変わるのではないでしょうか。
 貸金業規制法におけるグレーゾーン金利の廃止は,弁護士会などの長年にわたる主張がようやく結実したものではありますが,グレーゾーン金利がなくなれば当然弁護士の仕事も減るわけで,現に過払い金返還請求事件の現象は多くの弁護士にとって痛手となっています。
 これまでは,弁護士エゴではなく社会全体のためになるかどうかという視点で判断する弁護士が多かったため,弁護士業務にとってはマイナスになるグレーゾーン廃止運動を弁護士会として行うことも可能だったわけですが,10年後くらいには,逆に弁護士会が金融業界とつるんで,グレーゾーン金利の復活運動を起こすようになるのかも知れません。
 普通の一般市民が聞いたらとんでもない主張と思われるでしょうが,司法制度改革の主眼は弁護士人口を大幅に増やして,弁護士に対する潜在的需要を掘り起こすことにあるわけですから,弁護士に対する潜在的需要が顕在化するように法改正を行うことは,司法制度改革の趣旨には見事に適合することになります。こうして,弁護士の社会正義に対する「無責任主義」は,それが司法制度改革による「国民の判断」だからという理由で正当化されるのです。
 司法制度改革の弊害は数え切れないほどありますが,その中でも最大の弊害の一つは,こうした法律家による「無責任主義」の傾向を助長し,しかもそのような行動に「国民の判断だから」という大義名分を与えてしまうことではないかと感じています。

1 コメント

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Unknown ( )
2012-04-17 13:56:45
正確に引用しますと、
「上記のような持込みの態様は被告人の覚せい剤の認識を裏付けるものといい得るが,本件
チョコレート缶への覚せい剤の隠匿に被告人が関与したことを示す直接証拠はな
く,被告人はチョコレート缶を土産として預かったと弁解しているから,他の証拠
関係のいかんによっては,この間接事実は,被告人に違法薬物の認識がなかったと
しても説明できる事実といえ」
です。

証拠の評価は明確に書き直されていますね。
ここを意図的に無視して「こじつけの説明」と考えるのはそれこそ「こじつけの説明」でしょう。

更に、判官贔屓などという憶測を持ち出してミスリードを誘う態度は噴飯モノと言えます。

最初の点が酷すぎると感じますので、その後の文章は指摘を挙げる気が起きませんでした。
残念な記事でした。

裁判員制度は既に動いている以上、批判するならより理論的精緻さを伴わないと逆効果と考えます。
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