入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部 (朝日新聞) - goo ニュース
青山学院高等部の英語入試問題で,ひめゆり学徒体験談が退屈だったという内容の長文読解問題を出したことが不適切だとマスコミに叩かれているようだけど,実際の入試問題を読んでみると,このマスコミの行動って本当に適切なのかと思います。
マスコミが引用している部分だけを読むと,感想文の筆者はいかにも戦争体験の重要性を理解していない浅薄な考えの持ち主のような印象を受けますが,全文を読むとそうではないことが分かり見ます。
(↓ここに件の問題文が掲載されています)
http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf
まず,朝日新聞の記事によると「生徒の感想文」となっていますが,原文の該当部分は筆者の「高校時代の思い出」を書いたものであり,ここがまずちょっと事実誤認。
そして全文の趣旨は,英語の文章なので全文細かくは読んでいませんが,まず戦争の問題に関するテレビ番組で,兵士たちの死体の映像などが隠さずに放映されていたことにショックを受けた,こういった映像であれば,戦争の時代を知らない後世の人たちにも,言葉によることなく戦争の惨禍の記憶を鮮明に伝えられるという話があり,それに対し高校時代に修学旅行で沖縄に行ったとき,防空壕の見学に行ったところ生徒たちは防空壕の中でふざけ回っていて,また元ひめゆり学徒の体験談を聴いたときには,語り部の女性がその話を何回もぺらぺらと話すので,筆者自身も子守話みたいな軽い話に思えてきて退屈だったという話があって,戦争の貴重な体験を伝えることは大事だが,それをどういった方法で伝えるかも大事ではないか,という問題提起をしているものです。
決して浅薄な感想といえるものではなく,また入試問題の文章として特に不適切なものであるとも思われません。
マスコミが問題となる文章全体の趣旨を理解せず,その一部のみを捉えて不適切だといって避難するのは,世間一般ではあまり気が付かれていない視点からの意見表明を困難にし,果ては民主主義社会に必要な言論の自由を封殺する行為ではないかと思います。
黒猫としては,むしろマスコミの方こそが不適切な報道を猛省し謝罪すべきだと思います。
青山学院高等部の英語入試問題で,ひめゆり学徒体験談が退屈だったという内容の長文読解問題を出したことが不適切だとマスコミに叩かれているようだけど,実際の入試問題を読んでみると,このマスコミの行動って本当に適切なのかと思います。
マスコミが引用している部分だけを読むと,感想文の筆者はいかにも戦争体験の重要性を理解していない浅薄な考えの持ち主のような印象を受けますが,全文を読むとそうではないことが分かり見ます。
(↓ここに件の問題文が掲載されています)
http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf
まず,朝日新聞の記事によると「生徒の感想文」となっていますが,原文の該当部分は筆者の「高校時代の思い出」を書いたものであり,ここがまずちょっと事実誤認。
そして全文の趣旨は,英語の文章なので全文細かくは読んでいませんが,まず戦争の問題に関するテレビ番組で,兵士たちの死体の映像などが隠さずに放映されていたことにショックを受けた,こういった映像であれば,戦争の時代を知らない後世の人たちにも,言葉によることなく戦争の惨禍の記憶を鮮明に伝えられるという話があり,それに対し高校時代に修学旅行で沖縄に行ったとき,防空壕の見学に行ったところ生徒たちは防空壕の中でふざけ回っていて,また元ひめゆり学徒の体験談を聴いたときには,語り部の女性がその話を何回もぺらぺらと話すので,筆者自身も子守話みたいな軽い話に思えてきて退屈だったという話があって,戦争の貴重な体験を伝えることは大事だが,それをどういった方法で伝えるかも大事ではないか,という問題提起をしているものです。
決して浅薄な感想といえるものではなく,また入試問題の文章として特に不適切なものであるとも思われません。
マスコミが問題となる文章全体の趣旨を理解せず,その一部のみを捉えて不適切だといって避難するのは,世間一般ではあまり気が付かれていない視点からの意見表明を困難にし,果ては民主主義社会に必要な言論の自由を封殺する行為ではないかと思います。
黒猫としては,むしろマスコミの方こそが不適切な報道を猛省し謝罪すべきだと思います。
非難:人の欠点や過失などを取り上げて責めること。
避難:災難を避けること。災害を避けて、安全な場所へ立ちのくこと。
すみません、どうも誤変換が気になってしまって。
この場合は批判と書くべきかしら?
誤変換が気になるとなかなか本題に入れない人も中にはいるということで。
本題に入ると、戦争体験者の皆が皆プレゼン上手ではないのだから、求めるものを間違っている気もしますが。退屈と正直に感じたことを書いたことよりも、それを教育者が入試問題とするのはどうかと思います。いや、あなたの授業は退屈ではないのか?と。
>マスコミが問題となる文章全体の趣旨を理解せず,その一部のみを捉えて不適切だといって避難するのは,世間一般ではあまり気が付かれていない視点からの意見表明を困難にし,果ては民主主義社会に必要な言論の自由を封殺する行為ではないかと思います。
白を黒にしちゃうんですから、マスコミの力は怖いですね。
2005年度青山学院高等学校入試問題IVの英文の和訳(仮)
1945年8月に終わった第2次世界大戦から60年が経とうとしている。確かに、ある人々にとっては、この戦争はある面で終わっていない。だからまだ60年とも言える。いずれにせよ我々はこの年月を考えないといけない。我々はこの重大な経験を忘れてはならないのだ。日本は唯一の被爆国である。日本人は戦後生まれの者も含め、過ちを繰り返してはならないことを世界に訴える責務がある。 しかし60年である。年々戦争経験者が亡くなっていく。近い将来、おそらく20年も経たない内に、直接の経験談を聞けなくなるだろう。そのときから、どうやって我々の経験、メッセージ、望みを次世代に伝えていけばいいのだろうか。
昨年の夏、忘れがたいテレビ番組を見た。それはショッキングな映像だった。それは、第2次世界大戦の終結を忘れないためのものであった。それは一人の作者の戦争経験と高齢の戦争経験者のコメントからなっていた。大部分は80歳後半で杖なしでは動けない状態である。その番組は将兵の死体を隠していなかった。私はそのような映像を予想せず、見続けることが出来なかったので、別の番組にチャンネルを変えた。このような映像が有効であることは判った。しかるに一方私が感じたように多くの人も感じるだろうと予想された。驚いたことに、数日後、高齢の女性からの投書を新聞で見た。彼女は番組に強い印象を受け、「映像を見せて頂いたことに感謝します。私たちはもうすぐ戦争がどんなものか言葉で表現できなくなりますが、言葉なしで大事なことを伝えることが出来ます。本当のことを見せることを恐れてはなりません。」この投書を読んだときに、私の高校時代の経験を思い出した。
それは学校の行事で沖縄へ行ったときのことだった。私たちのクラスは戦後そのままになっている防空壕に行く機会があった。私たちはそれぞれライトを持って、年配のガイドの後に壕の中に入っていった。壕は暗く湿っていた。戦後ほとんど人が手を触れていなかった。都会子にとっては遊び場だった。誰かが滑ったり落ちたりして、お互いに笑いあった。お互いの声が反響するのを喜んだ。ここでキャンプをすれば面白いんじゃないか。と誰かが言った。反響は本当に面白かった。高齢のガイドは「ライトを消して下さい」と言った。最後のライトが消えると闇だった。それは( 3 )な闇だった。みんな黙っていた。私は何も言えなかった。「これが戦争だ。私たちの壕の中での唯一の望みは戦争を生き残ることだった。もう2度と経験したくない。」誰も何も言わなかったし、もちろん、笑う者は居なかった。外の光を見たときにどのように感じたか、壕から出たときに神にどんなに感謝したかを今でも覚えている。女子生徒の一人が泣き出したが、驚かなかった。言葉は少なかったが、その経験がどんなものだったか私たちは理解した。そのときになって、高齢の案内人が余り語らずに、質問にほんの少しの言葉しか答えなかった理由が分かった。
そして、私たちはひめゆり祈念公園に行った。私たちは壕のことを忘れ始めていたが、もっとショッキングな話を聞かされるのではないかということで恐れ、神経質になっていた。確かに、ひめゆり部隊を生き延びた年配の婦人の話はショッキングだったし、戦争についての大きなイメージを与えた。しかし本当のことを言えば、私はその話に飽きて、退屈していた。婦人が語れば語るほど、私が壕で受けた強い印象は薄れていった。婦人が何度も話を多くの機会にして、段々流ちょうに話をするのを聞いた。婦人の言葉は平板で、母親が赤ん坊に話す言葉のようだった。もちろん、級友の一部はその話に心を動かされたようだった。だからその話が重要ではなかったと私は言うことはできない。真実と経験を次世代に伝えることは大事である。しかしどうやって。最善の方法は何であろうか。最も明確な方法は言葉によるものである。言葉の力は偉大である。しかしそれを理解する方法が問題となる。もし話し手の言いたいことを理解できないのなら、どんな貴重な体験談もただの言葉の羅列になる。また、話し手の意見が強すぎると、違ったメッセージになってしまうと言う問題もある。昨年夏の中国で開催されたサッカー杯を思い出してみよう。多くの中国人が日本チームにブーイングした。おそらく彼らの大部分は戦争の話を親から聞き、日本人についての独自の見方を作ってしまったのだろう。彼らが親から得た話が強かったと、我々は言うべきではない。正確に話したのだろうか。またどうやってだろうか。
既に述べたように、何時の日か、戦争の話を直接聞くことは出来なくなるであろうが、それに代わる方法がある。時には、言葉なしに最良のメッセージを伝えることが出来る。貴方が青山学院高等学校の生徒となったら、学校の行事で長崎に行くことになります。そして原子爆弾の経験者の話を聞く機会があります。その時にどのようなメッセージを得られると考えていますか。
(訳:T.M.)