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黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

司法試験と刑法学説に関する昔話

2012-06-30 00:49:15 | 法曹養成関係(H25.1まで)
 元法律新聞編集長の河野真樹氏が,「学者と弁護士の溝」という記事を書いておられました(下記リンク参照)。
http://kounomaki.blog84.fc2.com/
 記事全体に関するコメントは長くなるので避けますが,河野氏は弁護士と学者の対立的な構図について,以下のような感想を述べておられます。
「弁護士と学者の間の、こうした相互蔑視的な話は、その後も、長くこの世界を見てくると、度々目や耳にすることはありました。学者が弁護士の主張を、前記学者のように、あたかもある種の目的のためにひねり出したもののようにとらえたり、それがあたかも依頼者という立場によって主張されるものとして、そこに普遍的なものを見ていないような態度であったり。これに対し弁護士側は学者について、実務を知らない、机上の空論だといった批判的な見方をぶつけたり。」
 弁護士の立場としては色々言いたいこともありますが,両者の対立を弁護士でも学者でもない第三者から見れば,「感情的な相互蔑視」と見えてしまうのかもしれません。
 今日の本題は,先日の記事で一言コメントした団藤先生の話に関連するものです。団藤先生の学説の特徴については,法曹関係者であれば特に説明するまでもないと思っていたのですが,最近の司法試験受験生や合格者には詳しい経緯を知らない人もいると思われるほか,現に説明してほしいという趣旨のコメントも頂いたので,旧司法試験時代の受験生にとって団藤先生ほか東大教授達の作り出した刑法学説がどのようなものであり,それに対し黒猫がどういう認識を持っているのか,詳しく説明することにします。

1 旧司法試験における刑法論文試験の傾向とセオリー
 新司法試験の勉強しかしていない人には分からないかも知れませんが,同じ司法試験の論文式試験でも,旧試験と新試験では出題の傾向が大幅に変わっています。新試験では,できるだけ現実に近い事例を長文で出題し,その事例を分析させて的確な結論を出させるという出題が主になっていますが,旧試験では,問題文はせいぜい10行にも達しないものが多く(ただし,平成20年以降の試験では,新試験の影響を受けて問題文が長文化する傾向が見られました),中には「一行問題」と呼ばれる,極めて簡潔な問題文の出題もありました。
 この記事は刑法の話なので,できれば刑法の一行問題があればよかったのですが,法務省のHPで公開されている平成14年度以降の司法試験では,刑法の出題はすべて事例問題とされているため,民事訴訟法の問題で代用します。

平成14年度民事訴訟法第1問
「民事訴訟において手続きが公開されない場合について説明せよ。」
平成15年度民事訴訟法第1問
「訴訟手続の進行に関する民事訴訟法の原則と当事者意思の反映について論ぜよ。」
 
 一行問題とは,上記のように法律学の抽象的な命題について論じさせるものであり,上記のような設問1つに対し,A4版の解答用紙4枚分もの解答用紙が用意されています。必ずしも4枚全部埋める必要はありませんが,大体4枚目に届くくらいの解答を書く必要があると考えられてきました。論文式試験の解答時間は1科目につき2時間,設問は2つであるため,解答用紙4枚を大体1時間で埋めなければなりません。まさに時間との勝負です。
 そして,上記のような一行問題に対し適切な解答をするには,出題された概念について深く理解し,自分で説明できるくらいのレベルに達していなければなりませんし,問題文を見てからゆっくり答案の書き方を考えるのでは到底間に合いませんので,その命題の定義,問題となる論点,論点に関する学説の対立状況,自分の意見といった感じの論証パターンを答案練習の過程で確立し,出題されそうなものについては論証パターンを丸暗記してしまうという勉強方法がある程度有効でした。
 なお,学説の対立状況というのは,一見簡単なように見えますが,実際の「学説」は教科書や論文に書かれているものであり,当然ながら極めて長文にわたるものです。それを熟読し理解した上でA4版4枚以内の答案に表現するというのはほとんど不可能事であり,実際には予備校のテキストで主要な学説の対立状況が簡潔にまとめられているので,それを論証パターンの一環として覚えるという勉強方法が一般的でした。
 そして,刑法の一行問題,以下は個人のサイトに載せられていたものからの転載なので正確性に問題がある可能性もありますが,それでも参考のため転記すると,刑法では過去に以下のような「一行問題」の出題実績があったようです。

平成2年度刑法第1問
「実行の着手について一般的にその意義を述べた上、間接正犯の実行の着手について論ぜよ。」
平成5年度刑法第1問
「甲は、殺人の意思で、乙は傷害の意思で共同してAに切りかかり、そのためAは死亡したが、それが甲の行為によるものか乙の行為によるものか判明しなかった。共同正犯の本質に論及しつつ、甲及び乙の罪責について論ぜよ。」

 もっとも,平成5年の第1問については,一行問題とするには若干文章が長く,正確には「二行問題」というべきかも知れませんが,本質的な問題の傾向及び解法については一行問題と同様のことが言えます。
 こうした刑法(特に総論)の問題を解くにあたっては,その前提となる刑法の学説を理解することが不可欠であり,様々な学者が非常に緻密な理論を構築しているので,刑法の学習にあたっては誰か主要な刑法学者の学説を自分の採る説として採用し,その説に従った答案の作成パターンを覚える必要があるというのです。
 予備校のテキストでは,いくつかの論点について複数の学者の見解が並べられていることもありますが,この論点について気に入った学説があるからといって,その論点だけその学説を採用するような答案を書いてはいけない,全体について一人の学者による学説で押し通さないと,本番の試験で論理一貫しない答案を書いてしまうおそれがあると講師から注意されました。
 黒猫が司法試験の受験生だった頃,具体的にはどんな教授の学説があったかというと,古いものには東大名誉教授である団藤重光教授の学説(団藤説),名古屋大学名誉教授である大塚仁教授の学説(大塚説),首都大学東京の教授である前田雅英教授の学説(前田説),同志社大学教授である大谷實教授の学説(大谷説),東大教授である山口厚教授の学説(山口説)などがありました。
 ちなみに,上記のうち大谷教授以外は東大の大学院で勉強した人達であり,大まかな師弟関係の系図を書くと以下のようになるみたいです。

  小野清一郎 →団藤重光(東大教授)→大塚仁(名大教授)
                    田宮裕(東大教授)
                    井上正仁(東大教授)など
         平野龍一(東大教授)→山口厚(東大教授)
                    前田雅英(首都大学東京教授)など

 なお,団藤教授の最後の弟子に何かとんでもない奴がいますが,それはこの記事の本題ではありません。

2 主要な刑法学説の特徴と傾向
 上記のうち,昔の受験生に参考としてよく使われたのは団藤説や大塚説などですが,彼らの学説は独自の問題意識に基づいて,判例や実務の動向とは無関係に自らの刑法理論を作り上げ,その理論に基づいて判例を批判するのが彼らにとっての美徳とする傾向がありました。団藤教授や平野教授の弟子で,東大に残った刑法学者として著名なのは山口教授ですが,黒猫の見る限り,山口教授もそのような東大刑法学の伝統を引き継いでいるように感じられました。
 そして,団藤教授は定年退官後最高裁判事に任じられたとき,それまで判例・実務の考え方とかけ離れた団藤説を司法試験で勉強していた実務家達は,一体どんな判決を出すのか戦々恐々としていましたが,実際に出された判決は従来からの流れを汲んだ穏当そのもので,団藤説が反映された形跡は全くと言って良いほど見られませんでした。
 例えば,団藤説では,判例上認められている共謀共同正犯は認められないとされており,団藤教授は共謀共同正犯否定説の旗手と目されていましたが,最高裁判事になると一転して共謀共同正犯の成立を認める判決を出し,最高裁判事を退官すると自ら出した判決と論旨の異なる講演を行うなど,どう見ても論理的に一貫しない行動で当時の法曹実務家を呆れされたのでした。

 判例や実務と無関係な理論であれば,実務家を目指す司法試験受験生としてはできれば無視したいところですが,実際にはこのような学者が司法試験の委員を務め,その学者の学説を知らなければ解答できないような問題が出題されることもあったため,受験生達も彼らの刑法学説を勉強せざるを得ないのが実情でした。
 一方,このような東大学閥の教授に反発するような感じで登場したのが前田説でした。前田教授は,師である平野教授と同様に結果無価値論の立場に立脚しながらも,具体的な問題では判例・実務の考え方を非常に重視した解釈論を展開し,その著書である『刑法総論講義』『刑法各論講義』等は読みやすさにおいて他の追随を許さず,旧司法試験下における受験生のバイブルとしての地位を確立しました。
 また,大谷説も,行為無価値論を採用しながら比較的判例・実務を重視した解釈論を展開したため,黒猫の受験生時代には,概ね前田説・大谷説が「受験生通説」の地位を獲得するに至りました。
 もっとも,黒猫自身は前田教授の書いた基本書や判例集を使っていましたが,特に「前田説」を採っていたわけではありません。前田教授と大谷教授の対談集を読んだとき,前田教授ご自身が「自分の学説は判例を理論的に説明しようとしただけ」などと発言されており,しかも一部の論点について改説を検討されているのを見たことから,少なくとも前田説に関しては,その全てについて前田説を覚えて一貫した答案を書かないと司法試験に受からないというほどの緻密な理論などはないと確信するに至りましたので,司法試験合格まで特に「○○説」といったものは意識せず,判例中心の書き方でよいという態度に終始しました。
 黒猫はこの時点において,東大の刑法学は独自の理論に拘りすぎて受験生に受け入れられないものになっている,もはや東大の刑法学は机上の空論として,受験界からも次第に忘れ去られていくだろう・・・と予想していました。

3 法科大学院時代の傾向
 ところが,最近の傾向を調べて見ると,必ずしもそうは言えないようです。
 事例中心の新司法試験時代になり,刑法の勉強でも学説の比重は減るだろうと考えていたのですが,受験生向けのサイトを見ると,なんと基本書に関しては前田教授の本が急速に勢いを失い,それに代わって山口教授の本がベストセラーの地位を獲得しているようです。おそらくは法科大学院教育の影響でしょうが,山口教授特有の切れ味の鋭い論理が受験生の間で好評を博しているようです。
 まあ,法科大学院の刑法の授業に付いていくことを重視するのであれば,基本書としても学説の説明を重視した本が必要なのかもしれませんが,山口教授の本は難解で理解するにはかなり深い勉強が必要であるとされているほか,司法試験ではまず出題されないマニアックな論点まで網羅されたものであり,実務的にはとても採用できないような独自説も含まれているので,それが司法試験向けの基本書として適切かどうかは疑問の余地があります。刑法以外の科目についてもそうですが,基本的に法科大学院の法律基本科目は,司法試験の役に立つという観点から教えているものではありませんので。
 最近の受験生の中には,上記のように山口教授の本を使って勉強している人もいますが,その一方で予備校のテキストや司法協会の『刑法総論講義案』を使って判例中心の勉強をしている人もいるようであり,今後どちらが司法試験合格者の中で有力となるのか,黒猫としては若干興味があるところです。

3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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三毛猫のつぶやき (なめ猫)
2012-06-30 03:20:19
田宮裕センセイは,立教大学教授でしたよ。
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権威の復権 (ワンスター)
2012-06-30 07:49:08
東大の刑法学を机上の空論にしたということですね。
ただ、当時の時代の空気として、知識人ほど共産主義的なものへの憧れがあったような気がします。
理論が現実を変えられる、そうあるべきだと考えていたんでしょう。

問題なのは、法科大学院という誰も望んでいない装置で権威の復権を図った現在の学者の存在。
実務家の卵に、机上の空論を刷り込もうとしている。
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お願い (Unknown)
2012-06-30 20:16:32
団藤教授の最後の弟子のとんでもなさを
本題にした記事を書いてください。
期待しております。
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