あいさつ代わりに,最近の時事にコメントをいくつか。
・消費税増税法案が衆議院で可決,小沢元代表ら50名余りが造反
→もう勝手にしろ。下手に今の民主党維持されるより,政界再編して有権者に政策の違いを理解しやすい形でまとまってくれた方がまだましだと思う。
・東京大学名誉教授・元最高裁判事の団藤重光さん死去
→ご冥福をお祈りします。ただし,東大の刑法学を駄目な学問にした一因はこの人にあるような気がします。
・国際ハッカー集団アノニマス,違法ダウンロード罰則化に反発し日本政府HP攻撃開始
→不謹慎ではあるが,黒猫は敢えて言いたい。「いいぞ!もっとやれ~!!」
ジョークというか日頃の憂さ晴らしはこのくらいにして,本題の記事を書きます。法科大学院の教育内容については,いろいろ誤解している向きもあるようですが,現在の「通説」的評価はこんな感じです。
http://www.maekawa-kiyoshige.net/active.html
「準備もバッチリ、期待も膨らみ、臨んだ法科大学院での授業でしたが、90分の授業のうち、私たちが傍聴した前半45分は「意思表示とは、動機に導かれて、効果意思が発生し、表示意思、表示行為に至る」等と、実務では何ら役に立たない観念論が、あたかも「お経」のように延々と続きました。
事前に配布されたレジュメは10ページありましたが、45分かかって1ページ進んだだけで、当日のメインディシュであるはずの「錯誤」の論点にまで到達することなく、私たちの傍聴時間は終了しました。
我々が傍聴しているためか、担当教員は肩に力が入り過ぎて、多分、民法の勉強を始めて、まだ2週間しか経たない学生らには理解できないはずです。
しかも、六法を開くことは1度もなく、条文に言及することもありません。「民法」の授業なのに。
何のための「法科大学院」だったのでしょうか。従前の法学部教員の悪いところを凝縮したような、つまりは実務に役立たない、学者のオタク的な関心事項だけを学生に押しつけるような授業だったと言えば、言い過ぎでしょうか。
レジュメを見ても、「法律要件分類説」だけを知っていたら、自分で導くことができる「答」を抜き書きしていて、担当教員が実務を知っているのか、いや、民事訴訟法を知っているのかさえ、疑問に思いました。」(鹿児島大学法科大学院について)
http://www.maekawa-kiyoshige.net/active.html
「ところが、未修者コース1年生の公法入門(憲法)の授業を視察しましたが、教員の話は飛びまくり、かつ、何について話しているのかも説明しないまま、「芦部説によると・・・」だとか、そもそも法科大学院以前のレベルです。小学校の先生なら、保護者からのクレームで、必ずクビだと思います。学生は約15人。起きているだけでも立派です。
法解釈ですから、まずは条文に則して問題点を指摘し、次いで、理由を示した上で結論をハッキリ述べて、その後、事案に当てはめるというのが、法解釈における「三段論法」ですが、その片鱗さえありません。」(日本大学法科大学院について)
ただし,中央大学法科大学院の授業は,以下のように高く評価されているようです。
「こちらは打って変わって、事例に則して、条文を引用した上で、さらに事例の場合分けもし、「これが法科大学院の目指すべき授業だ」と感じました。「口頭の提供」と、不特定物の「特定」の違いも上手く説明しておられました。教員の経歴書を拝見しますと、学者出身ですが、司法修習40期のようです。やっぱり、この違いでしょうか。」
このような法科大学院教育について,従来の法学部から変わっていないだけで,法科大学院になってから特に悪くなったわけではないという議論をする人もいるようですが,仮にそうだとしても,法科大学院の授業は法学部時代と比べて,確実に悪くなっている点が少なくとも1つあります。それは「出席の強制」です。
従来の法学部では,確かに質の悪い授業をする教授が(東大法学部でも)散見されましたが,大学法学部では学生の出席を取る慣行はなかったため,質の悪い授業への出席を強制されることはありませんでした。
2000年4月,名古屋弁護士会において,登録年数10年以下の若手弁護士を対象に司法試験と予備校の講義に関するアンケートを実施したところ,大学の講義については「ほとんど受講した」「半分程度受講した」との回答が過半数を占めており,不十分ながらも多くの司法試験受験生が大学の講義も一応履修していたことが窺われますが,講義の評価については,大学の講義は「役に立たなかった」とする回答がかなり多かったのに対し,予備校の講義が役に立たなかったとする回答は非常に少なく,全体として予備校の講義の方が高い評価を受けているという結果となったそうです(『司法改革の失敗』460頁参照)。
なお,このアンケートについては,知識や受験技術の修得にとどまらず,「法的思考方法の修得」についても予備校の方が評価が高かったという結果が出ていることは,特に強調しておくべきでしょう。
しかし,このような状況を踏まえて設置された法科大学院では,各授業で学生の出席を取り,出席回数が一定に満たない者は単位を認めないという取り扱いになっています。誰が聴いても眠くなってしまうような講義内容であっても,司法試験の受験資格を得るためには,いちいちそのような講義に出席して,少なくとも講義時間中座っていなければならないのです。
授業の内容が法学部時代から大して改善されてもいないのに,法曹を目指す者に対し多額の学費を支払わせて法科大学院の修了を義務づけるのは,何ら合理的理由を説明できない職業選択の自由の侵害であり憲法第22条に違反するというべきですが,法曹を目指す者に対し,弁護士出身の現職国会議員に「起きているだけでも立派です」と言わしめるような意味のない授業を強制するのも,法曹志望者に対しその意に反する苦役を強いるものであり,憲法第18条に違反するというべきでしょう。
このように,ほとんど誰が見ても税金の無駄遣いとしか思えない法科大学院の授業ですが,法学部時代を含めて大学が予備校の授業と大きく差を付けられてしまうのは,構造的な理由があります。
まず,現在でも法科大学院教員の大半を占めている研究者教員は,学生に教える手腕を買われて教授や准教授に抜擢されるわけではありません。論文を書くなど研究者としての評価で出世が決まっています。一応学生に対する授業内容のアンケート調査も行われているようですが,その結果が研究者教員の出世や給料を左右するわけではありません。これに対し,予備校教員の評価は,教える能力でほぼ全てが決まると言っても過言ではないでしょう。
また,法科大学院では2割以上の実務家教員を配置することになっていますが,大学という教育機関の性質上,実務家教員の人選も名声重視になります。元○○地裁所長,元○○地検検事正,元○○弁護士会会長などといった肩書きを持つ老人を法科大学院教授に起用しても,教える能力にはさほど期待できないと思われますが,大学は実務家の中でも,とにかくそういう「権威」を持った人を好んで教授に起用する傾向があります。
一方,司法試験予備校でも弁護士が講師を務めていることは多く,特に黒猫が通っていた早稲田セミナーでは実務教育を重視するという見地から講師の圧倒的多数を弁護士が占めていましたが,その多くは若手ないし中堅どころの年齢でした。人選に弁護士会内の地位や所属事務所の名声などが影響している形跡も全くありませんでした。
大坂弁護士会では,法科大学院制度を支持する理由として「多くの法曹実務家が法曹養成過程に関与できるようになった」ことを挙げているようですが,その前提として,「法科大学院制度が出来る前は法曹実務家が法曹養成過程に関与できなかった」と考えているのであれば,それは全くの誤りです。
大阪弁護士会の上記主張は,弁護士の中でも常議員会の構成員となっている人達,言い換えれば大規模単位会の派閥が法曹養成課程に関与する実務家の人選に関与できるようになったという程度の意味に過ぎず,それがわが国の法曹養成に対し与えた効果を考えれば,明らかにマイナスの効果の方が強いと言わざるを得ません。
さらに言えば,法科大学院で教鞭を執っている研究者教員の多くは,法曹としての実務経験がないどころか,司法試験に合格したこともありません。彼らの知っている法学教育とは研究者養成のための教育であり,彼らが作成を指導する修士論文や博士論文は,9割が他の文献からの引用といわれています。他の文献をあまり引用せずに自分の頭で考えて書いたような論文は,高く評価されないというよりは,そもそも論文の名に値しないと考えられているようです。
そういう人間が法科大学院の学生を教えると,レポートにも当然の如く「文献からの引用」を要求します。彼らの指導方法に合わせて司法試験のあり方を変えるというのであれば,おそらく学生に即日答案を書かせる試験ではなく,課題を出して3日くらいで学生に参考文献を調べさせ,レポートを提出させるような試験になるでしょう。ほぼ全員が同じような文献の丸写しでレポートを出してくるので点数に差は付きませんが,こんなひどい国家試験をやっている国はおそらく世界のどこにも無いでしょう。
もっとも,法科大学院は研究者養成を主眼に置いているわけではないので,法科大学院を修了しても研究者になれるわけではありません。法曹としての実務に役立つわけでもなく,研究者として役に立つわけでもないどっち付かずの教育であり,税金や学生の学費のみならず,教える側や教えられる側の労力も無駄にしている,まさしく浪費のための教育です。
そして,法科大学院特有の問題点として,教育機関の採算性を度外視して少人数教育を義務づけた結果,多くの教員に余裕がなくなりました。従来の研究者は法科大学院の授業やその準備に時間を取られ過ぎて本来の研究が出来なくなり,地位が低い講師はあちこちの法科大学院などへ出張講義に出向き,それでようやく生活の糧を得ているような状態です(要するに,自分の本来所属する大学の授業に専念するだけでは,給料が安すぎて生活できないのです)。実務家教員も,年寄りが就任する教授はともかく,より学生に身近な立場である若手の教員は,ほとんどボランティアに毛が生えたくらいの給料しかもらっておらず,学生の教育やその質を向上させるための調査・研究等に専念できる立場ではありません。
法科大学院では建前上,司法試験の受験指導に偏った教育が禁止されていますが,実際には多くの法科大学院で事実上の受験指導が行われているようです。ただし,受験指導が文部科学省の目をかいくぐってこっそりと行われ,しかもその担い手がボランティアばかりでは,自らが受験生時代に予備校で教わったテクニックをそのまま学生に教える程度が精一杯ではないでしょうか。
新司法試験の「採点実感等に関する意見」を読んでいると,旧試験時代でしか通用しない「違憲審査基準」の論述パターンを丸暗記したような答案が未だに目立つようですが,新司法試験が始まった直後ならともかく,新試験6年目になる昨年の段階において,各司法試験予備校が新試験に対応しない古い教え方にこだわっているとはさすがに思えません。
司法試験予備校は,大手4校が市場規模縮小に伴い経営難に苦しみながらも何とか生き延びている状況ですが,激しい市場競争にさらされており,受講生に出席義務を課せるわけでもないこれらの予備校が新試験に対応した授業に切り替えられないのであれば,とっくの昔に受講生から見離されて潰れていることでしょう。
そうなると,未だに旧試験時代の発想から抜けきれず,司法試験の考査委員を苛立たせるような答案を書く受験生というのは,司法試験予備校によって生産されているのではなく,むしろ各法科大学院の「隠れた受験指導」によって拡大再生産されているとみるのが妥当ではないでしょうか。
現在の司法試験受験生は,法科大学院で資力を使い果たしたのか,お金が無くて受験予備校にも行けず日々の生活にも苦労している人が少なくないように見受けられますが,司法試験勉強の独学は「毒学」につながるという言葉があるとおり,独学だと基本書に書かれている雑多な事項のうちどこが重要なのか理解できず,どんどん間違った方向に学習が進んでしまうという難点があります。
だからと言って出身法科大学院で先輩の弁護士などに受験指導を受けても,特に旧試験時代の合格者は新試験の傾向を十分把握しておらず,気付かないうちに間違った教え方をしている可能性が多分にあり,結果として役に立たない受験指導になっている可能性も多分にあるということです。
少しでも司法試験の合格率を高めようとして授業料免除などの大判振る舞いをしている法科大学院でも,さすがに予備校の講師を招いて受験指導の質を上げる余裕はないでしょうから,司法試験受験者の質と量がともに低下し,その連鎖が止まらないという深刻な「負のスパイラル」の問題を解決するためには,やはり一刻も早く法科大学院修了を司法試験の受験資格から外し,司法権受験生を無用な負担から解放するしかないのです。
なお,以上で触れた以外にも,法科大学院の授業には「ケース・メソッド」の問題がありますが,長くなるのでこれは別の機会に書くことにします。
・消費税増税法案が衆議院で可決,小沢元代表ら50名余りが造反
→もう勝手にしろ。下手に今の民主党維持されるより,政界再編して有権者に政策の違いを理解しやすい形でまとまってくれた方がまだましだと思う。
・東京大学名誉教授・元最高裁判事の団藤重光さん死去
→ご冥福をお祈りします。ただし,東大の刑法学を駄目な学問にした一因はこの人にあるような気がします。
・国際ハッカー集団アノニマス,違法ダウンロード罰則化に反発し日本政府HP攻撃開始
→不謹慎ではあるが,黒猫は敢えて言いたい。「いいぞ!もっとやれ~!!」
ジョークというか日頃の憂さ晴らしはこのくらいにして,本題の記事を書きます。法科大学院の教育内容については,いろいろ誤解している向きもあるようですが,現在の「通説」的評価はこんな感じです。
http://www.maekawa-kiyoshige.net/active.html
「準備もバッチリ、期待も膨らみ、臨んだ法科大学院での授業でしたが、90分の授業のうち、私たちが傍聴した前半45分は「意思表示とは、動機に導かれて、効果意思が発生し、表示意思、表示行為に至る」等と、実務では何ら役に立たない観念論が、あたかも「お経」のように延々と続きました。
事前に配布されたレジュメは10ページありましたが、45分かかって1ページ進んだだけで、当日のメインディシュであるはずの「錯誤」の論点にまで到達することなく、私たちの傍聴時間は終了しました。
我々が傍聴しているためか、担当教員は肩に力が入り過ぎて、多分、民法の勉強を始めて、まだ2週間しか経たない学生らには理解できないはずです。
しかも、六法を開くことは1度もなく、条文に言及することもありません。「民法」の授業なのに。
何のための「法科大学院」だったのでしょうか。従前の法学部教員の悪いところを凝縮したような、つまりは実務に役立たない、学者のオタク的な関心事項だけを学生に押しつけるような授業だったと言えば、言い過ぎでしょうか。
レジュメを見ても、「法律要件分類説」だけを知っていたら、自分で導くことができる「答」を抜き書きしていて、担当教員が実務を知っているのか、いや、民事訴訟法を知っているのかさえ、疑問に思いました。」(鹿児島大学法科大学院について)
http://www.maekawa-kiyoshige.net/active.html
「ところが、未修者コース1年生の公法入門(憲法)の授業を視察しましたが、教員の話は飛びまくり、かつ、何について話しているのかも説明しないまま、「芦部説によると・・・」だとか、そもそも法科大学院以前のレベルです。小学校の先生なら、保護者からのクレームで、必ずクビだと思います。学生は約15人。起きているだけでも立派です。
法解釈ですから、まずは条文に則して問題点を指摘し、次いで、理由を示した上で結論をハッキリ述べて、その後、事案に当てはめるというのが、法解釈における「三段論法」ですが、その片鱗さえありません。」(日本大学法科大学院について)
ただし,中央大学法科大学院の授業は,以下のように高く評価されているようです。
「こちらは打って変わって、事例に則して、条文を引用した上で、さらに事例の場合分けもし、「これが法科大学院の目指すべき授業だ」と感じました。「口頭の提供」と、不特定物の「特定」の違いも上手く説明しておられました。教員の経歴書を拝見しますと、学者出身ですが、司法修習40期のようです。やっぱり、この違いでしょうか。」
このような法科大学院教育について,従来の法学部から変わっていないだけで,法科大学院になってから特に悪くなったわけではないという議論をする人もいるようですが,仮にそうだとしても,法科大学院の授業は法学部時代と比べて,確実に悪くなっている点が少なくとも1つあります。それは「出席の強制」です。
従来の法学部では,確かに質の悪い授業をする教授が(東大法学部でも)散見されましたが,大学法学部では学生の出席を取る慣行はなかったため,質の悪い授業への出席を強制されることはありませんでした。
2000年4月,名古屋弁護士会において,登録年数10年以下の若手弁護士を対象に司法試験と予備校の講義に関するアンケートを実施したところ,大学の講義については「ほとんど受講した」「半分程度受講した」との回答が過半数を占めており,不十分ながらも多くの司法試験受験生が大学の講義も一応履修していたことが窺われますが,講義の評価については,大学の講義は「役に立たなかった」とする回答がかなり多かったのに対し,予備校の講義が役に立たなかったとする回答は非常に少なく,全体として予備校の講義の方が高い評価を受けているという結果となったそうです(『司法改革の失敗』460頁参照)。
なお,このアンケートについては,知識や受験技術の修得にとどまらず,「法的思考方法の修得」についても予備校の方が評価が高かったという結果が出ていることは,特に強調しておくべきでしょう。
しかし,このような状況を踏まえて設置された法科大学院では,各授業で学生の出席を取り,出席回数が一定に満たない者は単位を認めないという取り扱いになっています。誰が聴いても眠くなってしまうような講義内容であっても,司法試験の受験資格を得るためには,いちいちそのような講義に出席して,少なくとも講義時間中座っていなければならないのです。
授業の内容が法学部時代から大して改善されてもいないのに,法曹を目指す者に対し多額の学費を支払わせて法科大学院の修了を義務づけるのは,何ら合理的理由を説明できない職業選択の自由の侵害であり憲法第22条に違反するというべきですが,法曹を目指す者に対し,弁護士出身の現職国会議員に「起きているだけでも立派です」と言わしめるような意味のない授業を強制するのも,法曹志望者に対しその意に反する苦役を強いるものであり,憲法第18条に違反するというべきでしょう。
このように,ほとんど誰が見ても税金の無駄遣いとしか思えない法科大学院の授業ですが,法学部時代を含めて大学が予備校の授業と大きく差を付けられてしまうのは,構造的な理由があります。
まず,現在でも法科大学院教員の大半を占めている研究者教員は,学生に教える手腕を買われて教授や准教授に抜擢されるわけではありません。論文を書くなど研究者としての評価で出世が決まっています。一応学生に対する授業内容のアンケート調査も行われているようですが,その結果が研究者教員の出世や給料を左右するわけではありません。これに対し,予備校教員の評価は,教える能力でほぼ全てが決まると言っても過言ではないでしょう。
また,法科大学院では2割以上の実務家教員を配置することになっていますが,大学という教育機関の性質上,実務家教員の人選も名声重視になります。元○○地裁所長,元○○地検検事正,元○○弁護士会会長などといった肩書きを持つ老人を法科大学院教授に起用しても,教える能力にはさほど期待できないと思われますが,大学は実務家の中でも,とにかくそういう「権威」を持った人を好んで教授に起用する傾向があります。
一方,司法試験予備校でも弁護士が講師を務めていることは多く,特に黒猫が通っていた早稲田セミナーでは実務教育を重視するという見地から講師の圧倒的多数を弁護士が占めていましたが,その多くは若手ないし中堅どころの年齢でした。人選に弁護士会内の地位や所属事務所の名声などが影響している形跡も全くありませんでした。
大坂弁護士会では,法科大学院制度を支持する理由として「多くの法曹実務家が法曹養成過程に関与できるようになった」ことを挙げているようですが,その前提として,「法科大学院制度が出来る前は法曹実務家が法曹養成過程に関与できなかった」と考えているのであれば,それは全くの誤りです。
大阪弁護士会の上記主張は,弁護士の中でも常議員会の構成員となっている人達,言い換えれば大規模単位会の派閥が法曹養成課程に関与する実務家の人選に関与できるようになったという程度の意味に過ぎず,それがわが国の法曹養成に対し与えた効果を考えれば,明らかにマイナスの効果の方が強いと言わざるを得ません。
さらに言えば,法科大学院で教鞭を執っている研究者教員の多くは,法曹としての実務経験がないどころか,司法試験に合格したこともありません。彼らの知っている法学教育とは研究者養成のための教育であり,彼らが作成を指導する修士論文や博士論文は,9割が他の文献からの引用といわれています。他の文献をあまり引用せずに自分の頭で考えて書いたような論文は,高く評価されないというよりは,そもそも論文の名に値しないと考えられているようです。
そういう人間が法科大学院の学生を教えると,レポートにも当然の如く「文献からの引用」を要求します。彼らの指導方法に合わせて司法試験のあり方を変えるというのであれば,おそらく学生に即日答案を書かせる試験ではなく,課題を出して3日くらいで学生に参考文献を調べさせ,レポートを提出させるような試験になるでしょう。ほぼ全員が同じような文献の丸写しでレポートを出してくるので点数に差は付きませんが,こんなひどい国家試験をやっている国はおそらく世界のどこにも無いでしょう。
もっとも,法科大学院は研究者養成を主眼に置いているわけではないので,法科大学院を修了しても研究者になれるわけではありません。法曹としての実務に役立つわけでもなく,研究者として役に立つわけでもないどっち付かずの教育であり,税金や学生の学費のみならず,教える側や教えられる側の労力も無駄にしている,まさしく浪費のための教育です。
そして,法科大学院特有の問題点として,教育機関の採算性を度外視して少人数教育を義務づけた結果,多くの教員に余裕がなくなりました。従来の研究者は法科大学院の授業やその準備に時間を取られ過ぎて本来の研究が出来なくなり,地位が低い講師はあちこちの法科大学院などへ出張講義に出向き,それでようやく生活の糧を得ているような状態です(要するに,自分の本来所属する大学の授業に専念するだけでは,給料が安すぎて生活できないのです)。実務家教員も,年寄りが就任する教授はともかく,より学生に身近な立場である若手の教員は,ほとんどボランティアに毛が生えたくらいの給料しかもらっておらず,学生の教育やその質を向上させるための調査・研究等に専念できる立場ではありません。
法科大学院では建前上,司法試験の受験指導に偏った教育が禁止されていますが,実際には多くの法科大学院で事実上の受験指導が行われているようです。ただし,受験指導が文部科学省の目をかいくぐってこっそりと行われ,しかもその担い手がボランティアばかりでは,自らが受験生時代に予備校で教わったテクニックをそのまま学生に教える程度が精一杯ではないでしょうか。
新司法試験の「採点実感等に関する意見」を読んでいると,旧試験時代でしか通用しない「違憲審査基準」の論述パターンを丸暗記したような答案が未だに目立つようですが,新司法試験が始まった直後ならともかく,新試験6年目になる昨年の段階において,各司法試験予備校が新試験に対応しない古い教え方にこだわっているとはさすがに思えません。
司法試験予備校は,大手4校が市場規模縮小に伴い経営難に苦しみながらも何とか生き延びている状況ですが,激しい市場競争にさらされており,受講生に出席義務を課せるわけでもないこれらの予備校が新試験に対応した授業に切り替えられないのであれば,とっくの昔に受講生から見離されて潰れていることでしょう。
そうなると,未だに旧試験時代の発想から抜けきれず,司法試験の考査委員を苛立たせるような答案を書く受験生というのは,司法試験予備校によって生産されているのではなく,むしろ各法科大学院の「隠れた受験指導」によって拡大再生産されているとみるのが妥当ではないでしょうか。
現在の司法試験受験生は,法科大学院で資力を使い果たしたのか,お金が無くて受験予備校にも行けず日々の生活にも苦労している人が少なくないように見受けられますが,司法試験勉強の独学は「毒学」につながるという言葉があるとおり,独学だと基本書に書かれている雑多な事項のうちどこが重要なのか理解できず,どんどん間違った方向に学習が進んでしまうという難点があります。
だからと言って出身法科大学院で先輩の弁護士などに受験指導を受けても,特に旧試験時代の合格者は新試験の傾向を十分把握しておらず,気付かないうちに間違った教え方をしている可能性が多分にあり,結果として役に立たない受験指導になっている可能性も多分にあるということです。
少しでも司法試験の合格率を高めようとして授業料免除などの大判振る舞いをしている法科大学院でも,さすがに予備校の講師を招いて受験指導の質を上げる余裕はないでしょうから,司法試験受験者の質と量がともに低下し,その連鎖が止まらないという深刻な「負のスパイラル」の問題を解決するためには,やはり一刻も早く法科大学院修了を司法試験の受験資格から外し,司法権受験生を無用な負担から解放するしかないのです。
なお,以上で触れた以外にも,法科大学院の授業には「ケース・メソッド」の問題がありますが,長くなるのでこれは別の機会に書くことにします。
これは大ウソです。研究時間が減っても給料が減るわけではないので、今まで生活できていたものが法科大学院ができたからといって食えなくなり他大学で授業を余儀なくされるなどということは、あり得ません。大学教授の給料は、研究成果の質や量で決まるわけではありませんから。
大学の給料のしくみを全くご存じないようですね。
冗談で書かれているならよいのですが、まじめに批判されるつもりならば、推測で書くのではなく、きちんと調べて書かれたほうがよいと思います。部分的に共感できる部分や正しい事実が書かれているだけになおさら、上のような明らかなウソが混じっていると始末に負えません。
大学教員(常勤の教授、准教授、専任講師)の給与は、各大学で定められている俸給表により決まります。ノーマルな経済状況であれば、定期的に号俸が上がり、これに従い給与が上がりますが、今時のデフレ下では据え置かれていることも少なくありません。
このように、勤続期間とともに号俸が上がるのであって、研究成果の質・量とは基本的に無関係です。
ですので、本務校をもつ大学教員は、いくら法科大学院の授業が増えこれによって研究時間が減ったとしても、給与の額には影響しません。
厳密に言えば、専任講師から准教授、准教授から教授への昇任は研究成果によって判断されますので、法科大学院の授業が増え研究時間が減ると研究成果を思うように上げられなくなり昇任が遅れ、その分、給与の上昇カーブが緩やかになるということはあり得ます。しかし、仮にそうなったとしても、現状よりも給与が減るわけではありません。
したがって、「法科大学院が出来て授業負担が増え、これによって研究時間が減った」というのは、その通りだと思いますが、「これによって生活が困窮する」ことには、なりません。黒猫氏が言われるような文脈で、本務校をもつ大学教員が、本務校からの給与だけでは生活に困窮するため他大学の非常勤講師を引き受けるというのは、明らかなウソです。
わたし自身は、法科大学院制度に懐疑的ですし、教育レベルの低い法科大学院や個別の授業がたくさんあることにも異論ありませんが、事実の中にウソを混在させたり、事実を曲解して何でも法科大学院批判に結びつけたりするやり方は、フェアでないと感じます。
学部時代は予備校の問題集などで勉強しましたが、今は予備校教育に問題があるのは明らかである、司法試験指導をするなら、考査委員が評価してくれるような答案を模範答案として掲載する必要があると思っています。
もっともこれは学者が教壇に立っているロースクールが、本来的に行うべきだとは思っており、予備校で補完する必要がある現在の制度には憤りを感じております。
でも、入門期の教え方や授業に関しては、平均的に予備校の方が上だったな。自分に合った教え方をする講師を選べるというメリットもあった。
予備校も使い方が重要でさ。
入門期を過ぎたら、予備校の授業を自分の頭で取捨選択できる人が確実に受かっていた気がする。
予備校べったりすぎる奴って、自分で考える力がないから、結局は受かっていなかった。
法科大学院は、くそみたいな授業をするのに当たっても、出席強制されて、下手すりゃ分厚いレポートまで要求されて、ふざけるなって感じだよね。役に立たないだけならまだしも邪魔するなって言いたいよね。
きちんとしたレポートを要求するなら、まともな授業をやってからにしろって。
法科大学院の問題は、その一定レベルに達するだけの授業さえしていないこと。
その結果、本来なら要求される知識すら備えない人ばかりになってしまい、しかも、合格者を増やしすぎたからそれでも合格してしまう。
知識や思考力という観点での質の低下は深刻を極めており、司法研修所も頭を抱えているのが実情。
法科大学院制度は、もしかしたらこういう事態を始めから想定し、わざと法曹の質を低下させることが狙いだったのではないかと思っている今日このごろ。