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土肥の河内と何を得る!

歴史、古いものが好き、道路なんかが好き
土肥の河内と名に負える湯河原真鶴を紹介

生長橋【湯河原】

2019-09-21 16:01:24 | 
千歳川の東岸沿いに形成された湯河原の温泉場は、湯河原温泉と呼ばれ、千歳川の西岸は、静岡県熱海市となり、伊豆湯河原温泉と呼ばれます。熱海市側の字は、泉と呼ばれ、川沿いに泉公園があります。
湯河原の温泉場の路地から泉公園結ぶ橋が今回の生長橋です。

本州

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湯河原側から。ポールにより、車両は渡れません。自転車なら入れそうです。


湯河原側の上流側。真ん中に橋脚が1本



長さ35mくらい。幅5mくらい。


湯河原側、左の親柱に竣工年、昭和29(1954)年4月。
上河原橋の1か月後に竣工しています。

右の親柱に漢字で橋名


竣工年の割りに新しく見える。欄干だけ取り替えられたのかもしれません。



熱海側から。橋を渡ると意外と大きい泉公園です。遊具があったり、広場があったりします。


熱海側の左の親柱には、竣工年。なぜか赤く塗られていましす。


左の親柱には、平仮名で橋名。


公園から川に降りれる場所があったので、そこからみてみました。
堰堤があり、流れが早いですね。温泉場散策に一目見てみてはいかがでしょうか。

上河原橋【湯河原】

2019-09-02 12:13:05 | 
千歳川を上って行き、東海道本線の千歳川橋梁をくぐった先に、上河原橋があります。

 Google マップ

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この橋は、山下橋とよく似てます。
1954(昭和29)年3月竣工、長さ26.9m※、幅3.5mくらい。湯河原町道土肥36号線※の橋です。


湯河原町側から。


左側の親柱には、竣工年月が記載されています。


右側の親柱は失われています。


熱海側から。こちらの親柱は両方とも失われています。


上流の河原から撮影。手前の水色のは、水道管の水管橋です。

山下橋【湯河原】

2019-09-02 07:30:47 | 
湯河原町と熱海市の境を流れる川、千歳川。河口で国道135号線が渡る橋、千歳橋から400mほど上流に山下橋があります。

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山下橋は、1956(昭和31)年竣工※、長さは25m※、幅は4mくらい。
湯河原町道土肥15号線※の橋です。
真ん中辺りで鉄格子で封鎖されており、対岸へ渡ることはできません。


向かって左の親柱には、千歳川と記載があります。


向かって右の親柱には、山下橋と記載があります。


対岸は、農地です。私有地にしか見えないですね。こんな状況でホントに町道認定されてるんでしょうか?


やはり鉄の門があるのが不思議。
鉄門が湯河原と熱海の境界なのかもしれません。

※湯河原町橋りょう長寿命化計画

吉浜橋【湯河原】

2019-08-20 07:31:21 | 
国道135号線が湯河原町の新崎川を渡る橋が吉浜橋です。

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神奈川県足柄下郡湯河原町


鉄筋コンクリート下路ロゼ桁構造で、長さ31.6m、幅6m。1951(昭和26)年3月竣工。psコンクリート橋が普及する以前の工法とのことです※。薄い緑で塗られています。長年国道135号線を支えて来ました。写真は、小田原寄りから撮影。右に隣接する橋は、吉浜歩道橋で歩行者専用の橋、左には、真鶴道路の新吉浜橋がかかっています。幅は幹線道路にしては狭く、大型車のすれ違いはギリギリです。
R2.8.14更新





下から見た状況です。


竣工年
吉浜橋の小田原寄りから斜め右に曲がる道が吉浜橋の旧道で、現在の町道本町通り線です。かつて人車鉄道や軽便鉄道も旧道を通っていました。旧道をバイパスする形で吉浜橋や現在の国道135号線が通っています。
橋の建設中に誤って小田原側から車が侵入し、川に突っ込んでしまったことがあったそうです。


熱海寄りから撮影


歩道橋から撮影

※かながわの橋 関野昌丈著 s56年

音無川の3橋【湯河原】

2019-08-09 08:03:37 | 
音無川の音無橋の上流の3本の橋を紹介します。

①丸八橋? 九八橋?


音無橋の上流20mほどのところにあり、写真では緑に埋もれているところです。


橋を渡るとそのまま民家のドアですから、このお宅の私有の橋なのかなと思います。
親柱もあります。さすがに渡るのは自重しましたので、反対の親柱がどうなってるかはわかりません。


右の親柱には、丸八橋?九八橋?と書いてあります。


左の親柱は竣工年月でしょう。大正15年8月。萬盛橋竣工の翌年ですね。


上流側。

②米屋橋
①から20mくらい上流にまた小さな橋があります。




青い鉄の欄干が追加されています。
幅は1m弱
親柱も健在です。


西側、右の親柱。「◯◯やはし」と書いてあります。


西側、左の親柱。竣工年月が昭和6年6月。なかなか古いですね。


橋を渡って東側から撮影。


東側から向かって左の親柱には、竣工年月が同じように書いてありますが、民家にくっついていて上手く撮れませんでした。
右の親柱には漢字で「米屋橋」と書いてあります。


橋を渡って通り抜けたのですが、どうみても民家の軒先ですね。写真の先に橋があります。この橋も私有の橋みたいです。勝手に入ってすいませんでした。
ここのお宅が米屋さんだったとか、屋号が米屋とかが由来なのかなと予想してます。

③無名橋
最後はおまけの無名の橋です。





こちらはれっきとした湯河原町道福浦21号線の橋です。親柱も無し、幅は3mくらい、長さは5.1m※、竣工年は1962年※です。橋の名は無い※。

※出典 湯河原町橋りょう長寿命化修繕計画 平成25年3月 湯河原町