土肥の河内と何を得る!

歴史、古いものが好き、道路なんかが好き
土肥の河内と名に負える湯河原真鶴を紹介

湯河原町役場第一庁舎【湯河原】

2024-02-09 18:07:48 | 建造物
湯河原町役場の庁舎で一番古い庁舎は、第一庁舎です。

 Google マップ

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〒259-0301 神奈川県足柄下郡湯河原町中央2丁目2−13


実は、文化庁の近現代建造物緊急重点調査(国際的に評価の高い我が国の近現代建築の適切な保護のため、第二次世界大戦終結後から20世紀末までにつくられた建築物と土木構造物のうち、優れた物件を抽出し、緊急かつ重点的に調査したもの)に選ばれ、文化庁ホームページに掲載されています。それによると、
1962(昭和37)年竣工
  • 設計/佐藤茂次建築事務所
  • 施工/小沢土建工業K.K.
  • 構造形式/鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建、陸屋根、塔屋1階付
とのことです。写真は、東側のロータリーがある側から撮影しています。寒桜がきれいです。

船をイメージしたデザインは、豊かな湯河原町になって欲しい思いを込めたのかもしれません。

西側から撮影。
上記ブログによると、設計した佐藤茂次設計事務所の佐藤茂次氏は建築家の佐藤功一氏のご子息とのこと。

中に入ります。

ロビーです。

ロビーの壁はこのような、湯河原の「ゆ」をモチーフにしたレリーフが目を引きます。

議会への階段手すりは建設当時と変わらないかもしれません。

この上にも行きたいですが、遠慮しておきました。

小道地蔵堂寺屋敷跡【湯河原】

2024-02-06 20:59:40 | 寺社
湯河原・真鶴の焼却場の上、さつきの郷や白銀林道をよりも上は、星ケ山の中腹です。車1台幅の車道を上へ上へと昇っていくと小道地蔵堂寺屋敷跡があります。

この少し窪んだ土地は、源頼朝ゆかりの地である、湯河原・真鶴町に点在する頼朝伝説の舞台のひとつです。



治承4(1180)年に小田原市西部、石橋山合戦で平家軍勢に破れた頼朝は、湯河原の英雄、土肥次郎実平の案内で湯河原の山中を逃げ回ります。途中、この地にあったお堂に逃げ込むと、お堂の主、純海上人に匿われます。
やって来た平家軍勢に純海上人は、口を割らなかったため殺されてしまいます。
軍勢が去ったあと、穴から出て来た頼朝は上人の哀れな姿に涙を流し、涙が喉に落ちたところ、上人は息を吹き返したと云われています。
鎌倉幕府樹立後、頼朝は上人へ寺領と頼朝山小道寺の称を贈ったそうです。


右に目を遣ると、純海上人像が鎮座しています。


左には、観音様が祀られています。

鎌倉幕府開運街道のひとつとして、大切にされています。
小道地蔵は、湯河原町吉浜海岸沿いに移転再建され、今日に至っています。

小道地蔵堂の道祖神と力石【湯河原】 - 土肥の河内と何を得る!

吉浜海岸の東の端、国道135号線沿いに小道地蔵堂があります。小道地蔵堂は、源頼朝と縁が深く、古くは小田原市との境の星ヶ山の中腹にお堂がありましたが、焼失し、現在地に...

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