空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

ほっとスポット

2011-02-25 19:11:41 | 日記・エッセイ・コラム

 私の唯一の嗜好品はコーヒーである。1日に何倍も飲む。

 若いときには、高い豆を買ってきてネルドリップで入れたり、銀でできたコーヒーフィルターを買ってきたりもした。ここ何年間はめんどくさくなって、自宅で飲むときには、有機栽培のフェアトレードのコーヒー粉を業務用スーパーで買ってきて、コーヒーメーカーで入れて飲んでいた。

 おいしいコーヒーを飲みたいときには、喫茶店に行く。私は、どういうわけか、出かけた先で、安くておいしいコーヒーを入れてくれる喫茶店に鼻が利いた。

 ところが、実家での介護生活が中心になってから、コーヒーメーカーもないし、近所には喫茶店もない。駅まで出るとあるが、おいしいコーヒーは飲めない。仕方がないので、紙パックのドリップコーヒーか、インスタントで我慢していた。

 駅と実家の中間にいつも買い物をするスーパーがあるのだが、今年になって、その一つ南側の通りに、「珈琲亭」という店を見つけた。何回か前を通り過ぎて、ある日、中に入った。豆を売る店だが、小さなテーブル2つとカウンターで、コーヒーも飲めるようになっている。

 マスターが一人でやっていて、注文を聞いて豆を挽き、ペーパーフィルターでドリップして入れてくれる。

 香り高く、雑味がなく、とてもおいしい。カップも有田焼の作家さんの作品で、1つ1つ違うデザイン。ブレンドコーヒーは1杯380円というのにもびっくりした。

 それからは、両親がデイサービスに出かけた日、買い物のついでに必ず寄る。自宅に帰る日も、時間があれば寄る。週に2、3回は行くようになった。

 マスターとも話すようになった。マスター曰く。コーヒーは豆で決まる。いい豆なら、980円の家庭用コーヒーメーカーでもおいしく入れられるとのこと。豆にはとても自信を持っているようだ。

 それで、豆を買い、ドリップの仕方を教えてもらい、自宅で入れて飲んだ。コーヒーメーカーで入れても、おいしかった。それまで飲んでいたコーヒーは水みたいに物足りなく感じた。

 今、私にとって、「珈琲亭」は、実家での介護生活を癒す、ほっとスポットになっている。

 


法純さん

2011-02-18 11:37:09 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、高脂血症の治療に通っている医院へ、血液検査の結果を聞きに行った。

 悪玉コレステロールと、脂肪肝の数値、血圧、いずれも順調に減っていた。ちょっと自信がなかったので、一安心。

 そんなに頑張ったわけではないが、食事、運動など、折にふれて気を付けてきた。お医者さんは、「それが、一病息災の効果ですよ」という。

 自分では、行動様式を変えたことが、数値改善の原因ではないかと思っている。

 状況は変わらないし、両親の心身の衰えは確実に進行しているが、日々生じる出来事に対して、常に「空と縁起」、そして、ダライ・ラマ法王がいつもおっしゃっている「慈悲心」ということを念頭において、考えたり、行動したりするようにしている。

 何事かが起これば、瞬間的には血が逆量したりするけれども、できるだけ平常心になるように、自分の意識を整える努力をした。その結果、無意味に不安になったり、パニクったりしなくなったように思う。

 インターネット寺院、彼岸寺のメンバーで雲水の樋口星覚さんが主宰している「雲水喫茶」というウェブサイトがある。そこに、ポーランドの禅僧、法純さんのブログ「波蘭(ポーランド)だより」も載っている。

 法純さんがいかにして禅僧となったかという物語も面白いが、仏教の教えを日々の暮らしに即して説いている文章は、とてもためになる。時々、「て、に、を、は」を間違えて解読に苦労する文章もあるけれど、法純さんの日本語は相当なものだ。

 先日のテーマは、因果、業について。要約すると、

 「人間は、今ここにある人生のコンテンツを受け入れたがらず、いつも今の状況を変えたいと思っている。いつもそうしていると、今ある世界と自分の間に隔たりをつくってしまうのではないか」

 「それを仏教では無明(梵語でavidya)という。本来の仏性を離れるということだ。本地が見えず、妄想の中で生活を送り、充実することもできない」

 「そういう状況を仏教では苦(dukkha)といい、いつも満足できず、自分の外にばかり幸せを探す」

 「縁起とは、すべてのものは、みんな縁によって起こるという意味。今の縁(状況)は、前の業(karman)の結果であり、業は因果の法則に従って生じるから、そこに責任が存在する。責任をとることができれば悪業は集まらなくなる」

 「業=癖というふうにとらえてみよう。たとえば、誰かに怒られると反射的に怒りを返すというふうに、人は、毎日、毎回、同じパターンで振るまっているのに、自分の反応(原因)と結果について考えない。こうして、悪業が積み重なる」

 「悪い癖を減らし、良いことを積み重ねて、自分で現実を創っていくと、受け身ではない、積極的な人生になる。自分が自分の幸せのマスターとして人生を送ることができる」

 「お釈迦様はおっしゃっている。自分の過去(因)を見たいなら、今の人生(果)を見なさい。自分の将来(果)を見たいなら、今の人生(因)を見なさい」

 「これが仏道です」と法純さんは結んでいる。

 

 


キング・コーン

2011-02-15 21:11:05 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、BSで再放送の番組を見た。昨年、放送されたというアメリカのドキュメンタリー映画「キング・コーン」だ。

 二人の若者が、自分たちの髪の毛の成分がコーンに由来したものだということを知って、アメリカのコーンの生産現場を体験する。

 アメリカのコーンの生産は、1973年、当時のバッツ農務長官が導入した増産政策にもかかわらず、補助金なしでは赤字である。

 コーンのほとんどは家畜のえさ、炭酸飲料の甘味料、コーン油、燃料用エタノールの原料になっていて、生産者でさえ食べない代物だ。しかし、あらゆる加工食品に使用されて、アメリカ人の健康を脅かしている。

 コーンで促成生産された牛は病気になりやすいため、大量の抗生物質を与えられ、肉はほとんどが脂肪で、ひき肉にされ、ハンバーグになっている。「ぼくたちの体がコーンで出来ているはずだ」と若者たちは納得する。

 増産のために、農地に大量のアンモニアをまき散らし、密植に強い遺伝子組み換えコーンが猛威をふるう。もともとタンパク質豊富だったのに、でんぷんばかりになってしまったアメリカのコーン。

 バッツ元農務長官は、コーンの増産のおかげで、輸出量が増え、食料品が安くなり、国民を豊かにした、と自分の政策を自画自賛し、コーン生産者は自分の農作物に誇りを持てず、こんな現状はおかしいと思いながら、もう誰も止められない、とため息をつく。

 放送を見て、気分が悪くなる。

 この気分の悪さは、口蹄疫、鳥インフルエンザが発生するたびに、テレビで放映される映像を見たときの気分の悪さと同じものだ。

 特定の地域に集中し、身動きできないほど狭いケージで飼われている鶏や牛。何十万羽、何万頭が処分されましたと、穴のなかに鶏や牛が重機で埋められている映像。すべて処分が終わり、もう安全ですと宣言する行政官。

 トウモロコシも、鶏も、牛も、私たちと同じ生き物だ。

 私たちは、生き物の命をもらって食べているからこそ、生きられる。

 そういう食べ物が、こんなふうにつくられ、飼われていいのだろうか。

 私は長い間、食品の安全や健康を考える消費者グループに入って、有機農業の生産者グループから、スーパーよりは高いけれども、安全でおいしい食べ物をいただいてきた。

 初めて日本で鳥インフルエンザが発生したとき、私たちに卵と鶏肉を届けてくれていた生産者も、影響を受けた。

 その生産者の鶏舎は広くて、日当たりも風通しもよく、鶏は地面を走り回っていた。病気にかかりにくく、ほとんどの養鶏業者がえさに混ぜている抗生物質も使わない。ちなみに、日本の養鶏、畜産業で使われる飼料はアメリカから輸入されたコーンに全面的に依存している。

 そんな鶏舎で、夫婦二人で管理できる羽数しか飼えない。

 鳥インフルエンザが発生すると、野鳥との接触を防ぐため鶏舎の網目を細かくするようにとお上からのお達しがあって、健康な鶏を育てるためには、コスト優先で密集して飼うことこそ問題視しなければならないのに、とその生産者は怒っていた。

 禅宗で、食事の前に唱える「五観の偈(げ)」という短い経文がある。その中の二つ。

 ①「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」

 ②「二つには己が徳行の全欠を忖(はか)って、供(く)に応ず」

 ①は、他の生命に支えられ、犠牲の上に生かされていることを感謝する、②は、大切な生命をいただけるに値するような日々の生活を送っているかどうか反省するという意味だ。

 五観の偈まで持ち出さなくても、かつて私たちは、食物を大事にし、その食物をつくってくれた人に感謝し、食物の命を無駄にするような食べ方はしなかった。

 命を育て、命をいただいているということを忘れるような食生活を続けていると、いつか人間はそのしっぺ返しを、全生命から受けるのではないだろうか。

 

 

 


ルーシー・リー

2011-02-07 22:19:18 | アート・文化

 両親の介護契約が3月で切れるので、あらためて申請しなければならない。主治医の診察が必要なので、時間がかかる覚悟で両親を医院へ連れて行ったが、思ったより早く終わった。

 これ幸いと思い立って、友人を誘い、大阪市立東洋陶磁美術館で開かれている「ルーシー・リー展」に行った。

 彼女の作品は、テレビや雑誌で見たことはあるけれど、本物を見るのは初めて。東洋陶磁美術館では、1989年に三宅一生企画構成の展覧会が開かれているそうだが、その頃は仕事に追われていた時代で、ルーシーの存在さえ知らなかった。

  ウィーンから、ナチスの手を逃れてイギリスへ亡命、バーナード・リーチとの出会いを経て、ルーシー独自の陶芸の世界を確立し、88歳で脳卒中に倒れるまで、創作の情熱を失わなかった、そんなルーシーの芸術の軌跡をほぼ余すところなく伝えている展覧会だった。

 陶芸作品は壊れやすいので、これだけの作品を揃えるのは大変だったろうと思う。

 最初の展示ケースから、美しさに見入ってしまった。

 ルーシー・リーという人について、多くを知っているわけではないが、テレビ番組や写真を見たり、簡単な評伝などを読んだりして、私なりのルーシー像があった。

 彼女の作品から受ける感じは、そのルーシー像そのままだったのに驚いてしまった。ルーシーの魂が、そのまま作品になっているという感じなのだ。

 美しく、繊細だけれど、はっきりと自己を主張している、けれど押しつけがましさはない。まるで、森の中の花や木のように存在している。あるいは、風に乗って聞こえてくる音楽のようでもある。

 彼女のように歳をとりたいね、と友人は言った。

 陶芸作品が、人生まで教えてくれる、そんな展覧会だった。

 


異空間その2

2011-02-01 11:44:21 | 日記・エッセイ・コラム

 西大寺拝観を終えて、まだ時間があるので、ふた駅南の西ノ京に行く。

 この駅には、唐招提寺(たまに薬師寺)に行くときによく降り立つのだが、「がんこ一徹長屋」という看板がいつも気になっていた。そこに寄ろうと思った。

 奈良の伝統的な工芸に従事している職人さんの工房が集まっていて、その中の奈良一刀彫に興味があった。会社勤めをしていたころ、昼ごはんによく行ったお店が、3月になると、奈良一刀彫の雛段飾りを飾っていて、こんなお雛様が欲しいなあと思っていた。

 私の財布の中身で買えるようなものはないかと、機会があれば探していたが、「がんこ一徹長屋」でも、やはり、簡単に買えるようなお値段ではない。職人さんたちは雛つくりに忙しそうなので、声を掛けるのをあきらめて、お隣の漆空間「あをぎり」へ入り、しばらく漆作品を見ていると、奥で仕事をしていた女性漆職人の森田さんが出てきて、話しかけてくれた。

 私が、「以前にテレビで中国の漆は質が悪く、日本の漆を使おうにも品薄で高価だということを言っていましたが」と聞くと、森田さんは、「そんなに簡単な問題ではないんですよ」と、漆を巡る中国、日本の歴史的、政治的背景を話してくれて、目から鱗が落ちる思い。

 漆に限らず、最近のレアメタルにしても、輸入食品の問題にしても、国と国の間の、人、物の交流には、テレビや新聞で報道されるより、歴史、政治、経済システムが複雑に絡まっていて、何が本当なのか、分からない。 

 分からないからこそ、私たちは、世間に垂れ流しされる情報に安易に振り回されずに、用心深く考えることが必要なのだ。でなければ、過去の誤った歴史を繰り返しかねない、というのが、森田さんと、私とが1時間余り話し合った結論だった。

 森田さんは、長屋を突き抜けたところにある、古くからある神社と、墨の資料館に行くといいですよと、教えてくれた。

 神社は、養天満神社といって、薬師寺の寺内社だったらしいが、薬師寺より古くから鎮座していたらしいのだ。境内は広くはないが、鎮守の森は奈良盆地の古い植生が残っている原生林で、奈良市指定の天然記念物になっている。シカの影響を受けている春日原生林よりも、自然な状態を保っているのだそうだ。

 墨の資料館は、隣接する墨製造工場・墨運堂の施設で、がんこ一徹長屋も、墨の資料館を作ったのを機に整備されたという。見学する人もまばらで、ゆっくりと墨の製造工程、歴史、日本、中国などの墨や、書、水墨画を見学できる。館内に漂う墨の香りが、心を鎮めてくれる。

 駅までの帰り道、蓮の花を描いた看板に魅かれて、カフェに寄った。昭和の民家をそのまま利用、土・日・祝だけ開いている週末カフェで、お菓子付の豆乳カフェをいただいた。「和三~WAMI」という名は、昭和の和と、線路をはさんだ東側にある薬師寺の玄奘三蔵院から取ったそうだ。何とも言えない、ほんわかした空間で、ここが異空間でなくて、なんであろう。お昼ご飯も食べられる。その日はがんこ一徹長屋内にあるうどん屋で遅いお昼を済ませたので、次は絶対に、ここでご飯をいただこうと思う。

 ということで、この日思い立って訪れた西大寺、がんこ一徹長屋、養天満神社、和三カフェ、いずれも非日常の世界に導いてくれた異空間でありました。