先日、秘仏、愛染明王像が公開されていることを知って、初めて西大寺を訪れた。
近鉄西大寺駅は、奈良に行くときに通過するのみで、降りたことがない。かつて東大寺に対して西の大寺と言われたほどのお寺があるとは想像できないほど、駅の周囲は雑然としている。
ところが、駅周辺からちょっと住宅地に入ると、静寂な空間が現れる。平安時代、室町時代の再三の災害や兵火によって、昔日の堂塔は失われ、東大寺の広さには到底及ばないが、思ったより広々とした境内に、ゆったりとお堂が配置されている。
西大寺といえば、称徳天皇発願の寺であること、鎌倉時代に叡尊によって再興されたこと、大茶盛のお寺ということぐらしか認識がなかった。
実際にお参りしてみると、観光客もまばらで、明るく、静かな、とても親しみの持てるお寺である。
愛染明王は、小像ながら、鎌倉彫刻の美しさ、力強さをもった仏像。ご本尊の釈迦如来立像は、清凉寺の釈迦如来像を模刻したものという。この二つのお像があまりにすばらしいので、絵葉書セットを買ってしまったほどだ。
京都・清凉寺の釈迦如来像は、お釈迦様37歳の姿を写したといわれる像が中国に伝来し、それを東大寺の僧、奝然(ちょうねん)がコピーさせて日本に持ち帰ったという伝説がある。独特の形と雰囲気を持っていて、私の好きな釈迦如来像である。
西大寺のご本尊が清凉寺式釈迦如来像だとは知らなかったので、拝観できて幸いだった。
興正菩薩叡尊坐像も、生前に造られたといわれるだけあって、叡尊の人となりが伝わってくるような、生き生きとした肖像である。
称徳天皇は、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の後、鎮護国家を祈願して西大寺を建立した。彼女はまた、乱平定を祈願して、百万塔を造らせ、諸寺に納めている。当時、天皇の寵愛厚く、中央で力を持っていた道鏡の進言があったのかどうか。
百万塔はいま、西大寺にはたった一つしか残されていない。その百万塔を前にすると、父、聖武天皇のあとを継いで孝謙天皇となり、さらに淳仁天皇を排して称徳天皇として再び皇位についた、女帝の思いの強さが伝わってくるような気がした。
西大寺は、さまざまな歴史と人々の思いを内に秘め、周囲の街の喧騒から隔離された、異空間のようなお寺だった。
その日は、さらに、別の異空間にも迷い込んだのだが、それについては明日。