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空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

「ダライ・ラマ14世」を再び観に行く

2015-11-17 23:33:38 | 映画

 京都シネマで再上映されているドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」をもう一度観に行った。

 確かめておきたい箇所があったので、京都まで出かけた。

 1回目観たときには、ただ、法王のお話に感動してばかりいたのだが、今回は、少し客観的に、暗闇の中でメモを取りながら観た。(後でメモを見たら、読めない箇所のほうが多かったが)

 確かめたかったのは、カルマについて法王がお話になった場面だ。

 がんが見つかり、再発した女性が「試練を与えられる人と、試練が与えられない人がいる。どうしてですか」と問う。

 法王は答える。

 「仏教には因果の法というものがあります。原因があり、帰結がある。過去のカルマによって多くの不幸が起こるのです」

 難病の子どもを連れた母親に対しても、

 「この状況を解決できる方法があるのならば、そうしなさい。方法がないのならば、因果の法だから、受け入れてください。そして、それ以上、悲しむ必要はありません」と答える。

 最初にこの場面を観たときには、仏教の真理に基づいて、誠実にその人に向けて答えられている、その姿に、感銘を受けた。

 しかし、なぜ、仏教者なら誰でも答えるであろうようなことを、法王はおっしゃったのか。それが気になっていた。

 再び同じ場面を見て、法王の答えには、より積極的な意味が込められていることに気付いた。

 もう1か所、法王がカルマについて話される場面がある。

 「チベットの問題は、我々にとってのカルマです。チベットの外に出て、初めてそのことに気付いたのです」

 カルマは、日本語では「業」と訳される。

 業とは、人間の意識、言葉、行為など。それが積み重なり、因となって、ある結果を生む。

 日本では、「過去の業によって、いまがあるのだから、仕方がない」とか、「親の因果が子に祟り」とか、宿命だから仕方がない、諦めるしかない、というふうに、ネガティブな文脈で使われることが多い。

  しかし、仏教の教えは、そんなに単純なものではない。

 ある一つの原因が、一つの結果を生むのではなく、そこには「縁」=さまざまな条件が複雑に絡み合って、ある帰結に達する。

 法王は話された。「因果の法だから、受け入れなさい。それ以上、悲しむ必要はありません」と。

 「起きてしまったことは、どうすることもできない。私たちは過去には戻れない。だから、それ以上、悲しむことをせずに、良い因が良い果をもたらすように、これからを生きなさい」とおっしゃっているのだ。

 起きてしまったことを怒り、恨み、悲しみ続けるならば、それが業となって、さらに悪い結果をもたらす。

 「チベットの問題は我々にとってのカルマによる。そのことに、チベットを離れて、初めて気付いた」ということを、法王がどういう機会に話されたのかは知らない。

 しかし、それを聞いて、なぜ、法王が、チベットの独立を断念し、「5項目の和平案」を提示されたのかが、よくわかった。

 チベットで起きた問題が、たとえ中国の一方的な侵略によって引き起こされたことであっても、起きてしまったことはどうすることもできない。

 起きてしまった結果を受け入れ、その結果から出発して、どうようになすべきかを考え、行動するしかないのだ。

 現実を見据えて中国と交渉することを考えた結果、独立を断念して中国にとどまること、そのための「5項目の和平案」が提示されたのだと思う。

 中国の侵略は許されるべきことでない。

 しかし、それを、怒り、悲しみ、中国を非難するばかりでは、解決の道は見いだせない。

 ダライ・ラマ法王は、因果の法を説くことで、怒りや怨み、悲しむことから一歩踏み出して、もっと積極的に生きなさいとおっしゃっているのだということに、今日、気付かされた。

 そのように考えれば、悩みを訴える若者に対して、いつも「もっと広い視野で考えなさい」と話される意味も分かって来る。

 目の前にあることに囚われてばかりでは、因果の悪循環から脱することができないのだ。

 映画の中で、「希望が見えない」「閉塞感がある」と訴える日本の若者に対して、法王は次のように答えている。

 「日本人は心の充足が少ないように見える。日本は物質的に恵まれ、テクノロジーも発達している。英語を学び、もっと広い世界に出て、世界に貢献しなさい。それは自信につながります」

 「平和は内なるものから生まれるものです。武力による平和は、一時的なものでしかない。心の中から変えていかなければ。誰かがスタートしなければなりません」

 今日、再び、映画「ダライ・ラマ14世」を観て、この映画は、ダライ・ラマ法王を追いながら、実は日本の有り様を、世界の有り様を映し出している映画だということにも気付かされた。

 パリで起きたテロ事件は、新たな暴力の連鎖を生み出そうとしている。

 ダライ・ラマ法王のメッセージを、いまこそ、すべての人間が受け止めなくては!

 

 

 

 


ドキュメンタリー映画の手法~「ルンタ」「ダライ・ラマ14世」「ロバート・アルトマン」を見て

2015-11-16 11:11:19 | 映画

 前回、写真家、セバスチャン・サルガドのドキュメンタリー映画について書いてからだいぶ経った。

 その映画と前後して見たドキュメンタリー映画がある。

 中国のチベット支配に抗議するチベットの人々を描いた「ルンタ」、ダライ・ラマ14世に長い間密着して撮った映像をもとに作られた「ダライ・ラマ14世」だ。

 その映画を見てからだいぶ経っているので記憶が薄らいでしまっているが、昨日、「ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われた男、そして愛された男」という優れたドキュメンタリー映画を見て、感じるところがあったので、記憶をたどって書くことにした。

 ◇「ルンタ」について

 チベットに関する映画は出来るだけ見るようにしているが、「ルンタ」は、正直言って、がっかりした。

 ルンタとは、経文を書いた旗のことで、ルンタを屋外に掲ると、風にはためくたびに、経文を読んだと同じ功徳があり、願いがかなえられるという。

 とても大事なテーマを扱っているのだが、この映画を作った人が何を言いたかったのかが、伝わってこなかった。

 監督は池谷薫。チベット亡命政府がある、インドのダラムサラで、チベット政府関連の建物を作る一方、NPO法人を組織して、中国の人権弾圧に抵抗する政治犯の支援活動をしている中原一博さんに密着して作った映画だ。

 池谷監督が中原さんを知ったのは20年以上前だそうだ。中原さんの活動に共感して、この映画が作られた。

 中国のチベット弾圧は政治・経済・文化、あらゆる方面で行われ、若者たちが、焼身自殺という最後の抗議行動にまで追い詰められていく。

 この映画が、チベットの現状を世界に訴えているということは分かるのだが、池谷監督が撮りたかったのは中原さんなのか、チベットの人々なのか。

 中国から逃れてきた政治犯たちの言葉も、中原さんというベールを透しているようで、もどかしい。

 最後の方で、ルンタの翻るチベットの谷間が出てくる。

 中国人の観光客が能天気にルンタが風になびく風景のなかではしゃいでいる。その舞台で、中原さんが、いきなり、日本語で「チベット万歳」と叫ぶのだ。

 これには、戸惑った。「何? これ! 」という感じ。

 この場面で、監督はチベットに対する中原さんの思いを表現したかったのか。

 一緒に映画をみた友人と帰りに寄った喫茶店で、いつもなら、ああだ、こうだとにぎやかに感想を言い合うのだが、このときはしばらく沈黙があった。

 二人とも、映画に対するがっかり感をどう表現していいか、分からなかったのだ。

 後日、インターネットのサイトで、この映画に同様の違和感をいだいた人の感想を見つけた。

 「この映画に感じる距離感は、そのまま、チベットに対する日本人の距離を表しているのではないか」というものだった。そうかもしれない。

 同じくチベットの難民に取材した岩佐寿弥監督の作品をおのずと思い出す。

 チベット難民のおばあさんに取材した「モゥモチェンガ」、6歳で家族と離れ亡命、ダラムサラのチベット子ども村に学ぶ少年を取材した「オロ」。

 どちらもすばらしい映画だった。

 岩佐監督は、通訳とカメラマンという数人のスタッフだけを連れて、ヒマラヤの谷間で生きる難民の生活を撮り続けた。

 監督は、「国破れて、なお生きる少年在り」という点で、敗戦直後、少年だった自分と「オロ」とは重なっていると語っている。

 「それでもぼくは歩いていくという少年オロの決意は、21世紀という多難な時代に生きる地球上のすべての少年に共通する」と、岩佐監督は語っている。

 岩佐監督の作品には、主人公の姿の向こう側に、人間や世界に対する普遍的な愛というか、まなざしがある。

 「オロ」の公式ホームページを見て、後日知ったのだが、撮影にあたって、現地コーディネーターを務めたのは中原一博さんだった。

 岩佐監督は、今年5月4日に亡くなった。

 

 ◇「ダライ・ラマ14世」について

 この映画の監督は光石富士朗。しかし、実際にほとんどの映像を撮ったのは、薄井大還と、その息子の一議だ。

 薄井親子は、ダライ・ラマ法王の自宅での撮影を許されたことから、その後、来日時も法王に密着し、映像を撮り続けてきた。

 それらの映像を元に作品化するにあたって、客観化するために、友人のプロデューサー吉田裕を通して、光石に監督・編集を頼んだ。

 薄井親子は、長年、法王に密着して映像を撮っていたから、法王に対する思いには並々ならぬものがあるに違いない。

 しかし、彼らが撮ってきた膨大な映像を選んで、観客に確かなことを伝えるためには客観的な目が必要だと、光石に監督を依頼したのだという。

 それは、見事に成功して、単なるチベット・キャンペーンになることを免れている。

 何よりも、ダライ・ラマ法王と仏教をよく理解していると感じた。

 ダライ・ラマ法王の映像の合間、合間に、いろんな日本人の法王への問いがはさみこまれている。

 インターネット上で、この問いがあまりに愚かで、ばかばかしいと批判している人が結構いた。

 しかし、この問いを発している人たちは、ごく普通の人々だ。

 そして、ブッダがこの世を「火宅」と喩えた、その「火宅」に生きている人々そのものである。

 ブッダは、人々に火宅から逃れて、外へ出るようにと、生涯をかけて教えを説く旅を続けた。

 私には、ただチベットのためだけではない、世界中を旅して、その時、その場所で出会った人々にふさわしい言葉で慈悲を説き、仏教の教えを伝え続けるダライ・ラマ法王は、まさにブッダその人のように思える。

 そのダライ・ラマ法王の姿を、この映画は余すことなく伝えている。

 チベット・キャンペーンの映画だと誤解して、この映画を見ない人はずいぶん損をしていると思う。

 物欲と暴力に満ちた今の日本、世界にとって、とりわけ、人生に答えを見つけられないと苦しんでいる若い人々に、この映画は少なくとも、一歩歩みだす勇気を与えてくれる。

 もう一度、見たくて、再上映している京都シネマに明日にでも出かけようと思っているのだが、映画の公式ホームページで、昨日15日に光石監督が挨拶に訪れたことを知り、残念無念。

 でも、昨日は、シネ・リーブル神戸に「ロバート・アルトマン」を観に出かけていたのだ。

 

  ◇「ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われた男、そして最も愛された男」について

 初めて見たアルトマン監督の映画は、「MH マッシュ」 (1970年)だ。私と同世代の人なら大抵そうだろう。

 朝鮮戦争が舞台だが、当時はベトナム反戦運動が盛んだった時代だから、当然、ベトナム戦争と重ねて観た。

 あまりの斬新さにショックを受けたのを覚えている。こんな映画のつくり方って、あり?という感じ。

 案の定、アルトマンは、多くの映画製作会社、スポンサーに嫌われ続けたが、映画を愛する俳優、スタッフには敬愛された。

 この映画の監督は、ロン・マンというカナダのドキュメンタリー映画作家だ。

 「MH」から、遺作となった「今宵、フィッツジェラルド劇場で」まで、多くの見落とした映画もあったが、なぜ、アルトマン映画に引かれるのか、分かった気がする。

 過激さゆえにハリウッドで嫌われたが、アルトマン自身は「本当のことを撮って、まっすぐ歩いてきただけだ」と言う。

 アルトマンには、この世界を1つの視点で切り取ること、お定まりの手法でこの世界の真実を描くことは不可能だということがよく分かっていて、映画を作るたびに、本当のことを伝えるには、どんな描き方をすべきか、試行錯誤してきた人だということがよく分かった。

 そのためには、ある時には、ドン・キホーテのように、風車に向かって突進することも辞さない。

 それに対して、ハリウッドは、いかに古びた見方に固着し、飽きることなくワンパターンの手法を取り続けてきたか!

 ロン・マンという監督も、アルトマンという映画人の本当の姿に迫るために、独特な手法を用いて、このドキュメンタリー映画を作っている。

 アルトマンを敬愛する映画スタッフ、「アルトマンらしさとは?」という問いに対する俳優たちの答え、映画、テレビ・ドラマの映像、撮影風景、子どもたちが映したホーム・ムービー、夫人へのインタビュー、そして、アルトマン自身のいろいろな場面での発言、それらが、アルトマンの映画よろしく、多面的、多重的にちりばめられていて、映画を見る観客の想像力がアルトマン像を結んでいくというような手法だ。

 この映画を見たら、アルトマン自身も感心するのではないかと思った。

 

 続けざまに、いろいろなドキュメンタリー映画を見て感じたこと。

 複雑極まるこの世界の真実に迫るには、一面的であってはならない、客観化、相対化が必要なこと。

 映像の向こう側に、人々の想像力を喚起する、ある種の普遍的な世界観があること、そして、人間、世界に対する愛情があること。

 そのために、あらゆる手法への努力を惜しまないこと。

 そういえば、これは、仏教的な世界観に似ているなあ。