神式では、葬儀のあと、十日ごとに神事を行い、五十日祭を終えた後、祖先神となった故人は神棚に祭られる。
我が家では、略して、十日祭と、五十日祭だけすることにした。
土曜日に、来られる家族が集まって、十日祭を行った。
飛鳥坐神社の宮司さんに教わったとおりに、魚、果物、野菜の供物を用意し、水、塩、米、酒とともに、母の祭壇に供えた。
神主さんは、まず、祭壇、玉串、参列者を清める修跋、献饌のあと、母がこの世での生を終え、黄泉の国に無事にたどり着くように祈る祝詞を奏上する。柿本人麻呂が亡き妻の姿を求めて、山道をさまよう挽歌によく似ている。黄泉路をたどる母の姿を想像して、やはり涙が出てくる。
それから、神主さんのあとについて、参列者一同も祝詞を奏上し、玉串奉奠で、十日祭は終了した。以後は、十日ごとに祝詞を唱えてお祭りするように言われた。
神主さんへのお礼は、あらかじめインターネットで調べておいたとおりに、奉書封筒に「御祭祀料」と書いて、お渡しした。
納骨についてどうするか宮司さんに相談すると、五十日祭が終わったあと、石材店の人に来てもらい、墓地へ行って、納骨祭を済ませることにした。
五十日祭、納骨祭に用意するものも宮司さんにこまごまと教えていただいた。
妹が、外国にいる娘のために、神事の様子を写真に撮って送りたいが、写真を撮らせていただいていいですかと聞いた。
宮司さんいわく。「それは構いませんが、神事は、その場に身をおいて、感じることが大切なんです。写真で見て、理屈で理解するものではないんです。現代人は、心に鎧戸を下ろして、目に見えないものは無いものとして、初めから見ようとしないでしょう。でも、心を開いて、その場に立てば、目に見えないものも感じ取ることができる。私らの神社にも、このごろは、スピリチュアルなものを求めて、鳥居をくぐったとたんに、ああ、ここは何かが違う感じがすると言う若い人が増えているんですよ」
妹は、「わかりました。いつか、娘を飛鳥坐神社に連れて行きます」と納得した様子だった。折口信夫が好きな妹なので、折口にゆかりのある飛鳥坐神社と、宮司さんがすっかり気に入ったようである。そういう妹は、キリスト教徒である。
私も仏教徒であるが、神道について、ユーモアを交えて何でもきさくに教えてくださる宮司さんが気に入っている。神道と日本仏教は、古代からお互いに影響を受けながら現代の姿になったので、今後は神道の勉強もしないといけないなと思ったことである。
墓地は、新興住宅地が出来たとき、地元の村の共同墓地に余裕があったので、新住民にも分けてもらって、我が家も自宅から十分ほどのところに墓をつくることができた。現在は、1歳に満たずに亡くなった兄と、母方の祖母が入っている。五十日祭のあと、ここに母も入る。