空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

西洋からし菜

2013-03-29 01:07:37 | 日記・エッセイ・コラム

 実家に帰って、家の風通しと、草抜きをしてきた。 

 母の死後、父が心身ともに老化が進んで、自宅での介護が困難になったため、ケア付き高齢者専用住宅に入居、実家は空き家になっている。時折、帰って、家の管理をしている。父については、書くべきことがたくさんあるので、これから少しずつ書いていくつもり。

  昨年の夏は猛暑で、植木の水やり、草刈りのため、毎週、1泊2日で、帰っていた。今は、隔週で済んでいるが、時折、ゴミ収集日に合わせて帰り、片付けで出たゴミをまとめて出している。

  今回は、母の生前から、ずっと布団類が押し込まれていたままになっていた押し入れを整理し、汚れたまま積み重ねられて変色したシーツやカバー、化学繊維の肌かけ布団類などをゴミ袋に詰め込んで出した。市指定の有料のゴミ袋があり、中袋1コ、大袋2コも出した。

  そのあと、お隣さんに来年度の自治会費を預けに行った。実家のある地域では、家がある限りは自治会員なので、毎年、会費を払っている。

  お隣の奥さんと父の近況についてしばらくおしゃべりした後、実家の横を流れる川土手に、西洋からし菜の若芽を摘みに行った。 

 西洋からし菜は、近年、各地の河原に猛烈に広がって、毎年、河原を黄色く染めている。菜の花よりアクが強いが、さっと茹でて、2、3回水を替えて漬けておくとアクも弱まり、とても良い山菜になる。それでも独特の苦みや辛みがあるので、人によっては好き嫌いがあるかもしれない。 

 まさか川に生えている草が食べられるものだと知る人は少ないので、私が若芽を摘み取っている脇を、何をしているんだろうというような顔をして、ご近所の人が通り過ぎる。

  2週間前にも摘んで帰って、白和えにしたり、さっと炒めてしょうゆ、かつお節をかけたり、からし菜パスタにもして食べた。ホウレンソウパスタよりおいしい。 

 今日は、茹でたてを、冷蔵庫に残っていたソーセージと一緒にさっと胡麻油で炒めて、かつお節、ポン酢をかけて、パンとコーヒーの朝ごはん。残ったのをパックに入れて持って帰った。また白和えやパスタをつくるつもり。

  母の生前にも、今の季節には、西洋からし菜を摘んできて、京揚げも入れて、よく白和えをつくった。母は西洋からし菜のアクのある味が好きで、毎回、喜んで食べてくれた。おいしいおかずが一品、タダでできたのよ、と言うと、肩をすくめて笑った。

  我が家の近くを流れる川にも西洋からし菜が生えているが、10年ぐらい前までは川原がすっかり黄色くなるほど繁殖していたのに、最近はあまり見かけない。気候がおかしくなって、日照りが続いたり、豪雨で植物が根こそぎ流されたりするし、頻繁に川の草刈りをするので、生態系が変わったのかもしれない。


セッション3

2013-03-27 02:48:36 | 健康・病気

 セッション3は「前後の関係性と呼吸の3次元的広がり」。要するに、長年のゆがみで狭くなった胴体の前後方向に広がりができるように、体側の緊張を解放して、自由な動きを作るということ。

 横向きに寝て、足から骨盤、肋骨部分、腋、首にかけて、順に圧を加える。あちこちが痛くてうめきまくる。

 この時も、右体側が終わった段階で、鏡の前に立ち、Before、afterの違いを確かめる。施術が終わった右半分は、輪郭がくっきりとしているの対し、左側はぶよーんとした感じ。とくに、太ももとウエスト部分の違いが顕著だ。左の太ももの内側にはゆるんだシワが斜めに走っているのに対し、右の太ももはシワが無くなって皮膚に張りがある。右側の緊張が解放されて正しい位置になったの対し、左側はもとのままなので、体が左に傾いている。

 左体側のロルフィングで驚いたのは、肋骨の下側(12番目の肋骨)を抑えたとき、しこりがあって、圧を加えられるとものすごく痛い。「この固さは、子どものころから形成されてきたもののようですね。何かのたびにこの部分に力が入って緊張させていたんです」とロルファーのAさん。

  思い当たるふしがあった。私は、今でいうアダルトチルドレンでなかったかと思うことがある。いつも両親、とくに母の顔色を窺って、周りの空気が都合の良くない方向に行かないように気を配っているような子ども時代があった。生活の苦しさに加えて、夫婦の間に何か問題があって、長女の私はそれが何か分からないながら気付いていた。母はいつもしかめっ面をして、ため息をついていた記憶がある。たまに笑顔の母を見ると、ほっとして、うれしかった。いつもこんなお母さんでいればいいのにと思った。

 そのような子供時代が、12番目の肋骨のしこりを形成してきたのかもしれない。

  ロルフィングに関するあるサイトには、「12番目の肋骨には横隔膜と腰方形筋がついていて、この肋骨の周辺を柔軟にし動きを自由にすることは、横隔膜の動きを助け、呼吸に影響する。また、腰方形筋を介して骨盤の傾きにも影響する」と書いてあった。

 セッションを終えた後、再び鏡の前に立つと、中心の軸ができて、ゆったりと自然に立っている私の姿があった。トイレに入ったとき、鏡に映った私の首から胸にかけての姿は、花が開いたように輝いて見えた。スタイルが悪い全身が映っていないのと、照明が暗いので欠点が見えないせいもあるが、私はロルフィングの効果だと思いたい。


セッション2

2013-03-27 01:44:06 | 健康・病気

 基本的なロルフィングの10セッションのうち、2回目のセッション「サポートの基盤と地面への適応」を受けた。

 セッションのテーマは英語をそのまま翻訳したらしくて、内容が分かりにくいが、セッション2は全身を支える足の土台作り。

  足の模型を手にしながら、解剖学的構造やどんなふうに動いて歩くのかを学習する。一般的に、足は大地にしっかり立っているというイメージから、堅固で動かない構造を想像しがちだが、たくさんの小さい骨が常に動いて、体のバランスを取っている。だから、むしろ、繊細で、微妙な動きができるように、常に柔軟でなければならない。

  ところが、長年の癖や、正しくない歩き方によって、骨が自由に動かなくなったり、あるべき湾曲や空間が正しい位置から外れたまま固着してしまう。足のゆがみは、それとのバランスをとろうとして、上半身のゆがみを引き起こす。

 街で見かける若い女性たちが、超高いハイヒールやブーツを履いて、奇妙な姿勢で歩いている姿を思い浮かべた。彼女たちの多くが、O脚だったり、X脚だったりする。上半身を大きく揺らしたり、ものすごく大きな足音を立てて階段やエスカレーターを上り降りしている。その理由が納得できた。彼女たちの10年後、20年後の姿がたやすく想像できる。

  足の甲、足裏、脛、大腿部と圧を加えて行くのだが、脛と大腿部がものすごく痛かった。もう我慢できないというところまで、ぎゅうっと抑えられる。圧を加えているロルファーの指や肘が、私の身体に食い込んでくるような感じ。

 右足を終えた段階で、左右の足の長さが違うのが分かった。鏡の前に立つと、beforeの左足は老人の足、afterの右足は壮年期の若々しく伸びた力強い足と、はっきりと違いが分かる。

 両足が終わって鏡の前に立つ。両足とも、胴体からすっきりと伸びて、身体全体が解放された感じでまっすぐ立っている。

  前回のセッション後、便の臭いがしなくなったのは、ロルフィングの効果なのか聞いた。呼吸が良くなって、内臓に酸素が行き渡り、内臓の働きが良くなったせいではないかという。

 このような変化は、たいていセッション10を終えたころに出るのだそうだ。私の身体は、反応が早いらしい。長年、鍼灸治療で身体のメンテナンスを受けてきたせいだと思う。


ロルフィングその2

2013-03-18 11:40:49 | 健康・病気

 ロルフィング体験のつづき。

  ベッドに横たわって、ロルファーが首の下に手を入れようとしたときも、私は反射的に首をあげようと力を入れた。すると、「今、首をあげようとしましたね。これからは、そういうことをせずに、なされるままに身体を私にまかせてください」と言われた。

 「今まで、相手の行動を先読みして、いつも反射的に体を動かしてきたような気がします」というと、Aさん「そうしなければ、これまで、あなたは生きてこられなかったからですよ。でも、これからは、そうしないでもいいんです。ゆったりを自然にまかせればいいんです。あなたはたとえばよく訓練された盲導犬や介助犬のように、とても良い生き方をしてこられたんです。でも、ハーネスを外された盲導犬のように、これからは自由に、思うように生きていいんですよ」。

 いつも気配りして、反射的に先に先に行動するようにしてきた結果、私の身体はストレスにさらされ、身体にゆがみを作ってきたわけだ。

 この時も、今まで、いかに肩肘張って生きてきたかを思い知らされた。

 歩きの学習では、ロルファーが私の背中の腰の部分に指を当てた状態で歩く訓練をした。うまく歩くことができると、「そう、今の歩き方でいいですよ」と言われるのだが、ぴんとこない。ただ、これかなっと思える瞬間があって、その時は、足がふっと軽くなって前に進んだような気がした。

 ロルファーは、私の指を自らの背中に同じように当てさせて、正しい歩き方ができたときと、そうではないときの違いを示してくれた。正しい歩き方のときは、指が身体をしっかり感じている。そうでないときは、指先がふにゃふにゃして、暖簾に腕押しという感じがした。「背中に指を当てなくても、常に、私はここにいるとイメージして歩いてください」。

  終わって、鏡の前に立つと、体つきはあまり変わらないが、力なくゆるんでしわだらけだったお腹が、ややしゃんとしている。お腹に力をいれなくても、自然に姿勢よく立っていられる。お腹に手を当てると、水をいれたゴム風船のようにぷよぷよしていたのが、適度な弾力を感じた。

 Aさんいわく。「普通、このような治療は、故障を起こす前のように戻るのが最終的な目的ですが、ロルフィングは、前以上によくなって、若々しい身体を取り戻せますよ。その過程を楽しみましょうね」。

 帰るときは、腰も伸び、肩甲骨も開いて、本当に足取りも軽くなっていた。

 この状態は、一夜明けてからも続いた。毎朝、目覚めたときすでに固くなっている身体を、意識してほぐし、腰に手を当てて骨盤をゆるめて腰を伸ばし、痛みを感じながら肩甲骨を後ろに開かなければならなかったのに、気がつけば腰が伸び、肩甲骨も開いていた。歩き続けても、疲れを感じない。

  ちょっと首が凝ったり、肩甲骨が固くなったと感じたときには、意識的に呼気を背中全体に入れるように呼吸したり、背中に指を当てて歩いたり、軽く腕を回したりすると、楽になった。

 それから、これは2日目に気付いたことだが、臭気のきつかった便が、ほとんど臭いがしなくなっていた。ロルフィングと関係があるのか、ないのか。

 何よりいいのは、教えられたとおりに呼吸し、歩くことに気をつけるようになったことだ。

 ロルフィングを勧めてくれた友人に感謝している。その友人は、ロルファーと患者との関係が、能のシテとワキの関係に似ているという。能のワキ方の安田登さんもロルファーで、能とロルフィングを関連させた著作もある。どちらが一方的に主役、どちらが一方的に脇役という関係ではなく、お互いの立場でお互いに働きかける関係だ。

 明日は2回目のセッション。どんな経験が待っているか、とても楽しみ。

 


ロルフィング

2013-03-14 09:30:19 | 健康・病気

 母の死後、ブログを再開するつもりでいたのに、一回書いただけで、その後ほったらかしにしてほぼ1年。その間、書くことはいっぱいあったのに、気が進まず。また再開したのは、これまでの体験になかったことを体験したからだ。

 12日に、ロルフィングという、「身体が本来持つ構造を取り戻し、快適なカラダを手に入れる」という、身体への再教育プログラムを受けた。 

 母の介護で痛めた腰はなかなかよくならず、加えて昨年、山歩きの時に転んで左腕をねじってしまい、以来、左肩からひじにかけて疼痛が続いていた。鍼灸院で治療を続けていたのだが、頼りにしていたその鍼灸師がぎっくり腰になってしまった。

 鍼灸師の友人は、以前聞いたことがあるロルフィングという治療を受けてみようと言うのだ。

 数日後、友人から「ぎっくり腰が改善したので、治療にお越しください」と、随分元気な声で電話がかかってきた。一回施術を受けただけなのに、腰の痛みがなくなったというのだ。

 鍼灸治療を受けながら、友人が受けたロルフィング体験を聞き、その勧めで、私もセッションを受けることにした。料金は決して安くはないのだが、話を聞いていると、高くても経験してみる価値はあると思った。 

 ロルフィング(Rolfing)というのは通称で、正しくはStructural Integration。パンフレットによれば、アメリカの生化学者アイダ・ロルフ博士によって開発されたので、彼女の名をとって、ロルフィング、施術者をロルファーという。

 身体の器官や、身体全体を包んでいる筋膜という膜状の結合組織が正常であれば、身体の機能はスムーズに働くけれども、一部の筋膜が緊張したり、引っ張られたりして歪んでしまうと、ネットワークがうまくゆかず、身体全体に影響を与えてしまう。

 ロルフィングは、手技と動きを使った身体への教育により、本来あるべき状態に戻し、生まれ持った楽な身体を取り戻すのが目的だという。

 ロルファーのAさんは私より十歳若い女性。病歴や現在の身体の状態について話すと、「今まで頑張ってきたあなたの生き方が、そのまま結果として今の身体の状態になったんだということがよく分かります」と言われ、納得。

 胸と腰を覆うだけの姿で鏡の前に立つ。背中から私を見て、「肩から上、腰から下はすばらしいですよ。常に成長しようとして、大地にしっかり立ち、枝先を空いっぱいに伸ばした木のような強さを感じます」とのこと。お世辞でもそう言われるとうれしい。私の理想は、まさに木のように空に向かって生きることだから。

 「でも真ん中のお腹がだめですね。あなたの強いところを支えきれない。このまま行くと、このような姿になってしまいますよ」と、一呼吸すると、首をうなだれて、背を丸め、重そうな足取りでぺたっ、ぺたっと歩く老婆の姿を再現して見せてくれた。

 想像はできたけれども、実際に見せつけられると、ぞっとする姿だ。

 そのあと、ベッドに仰向けに寝て、施術が始まった。首、足、足首、脛、腕と手、胸骨から肩にかけて、手やひじを使って強い圧を加えていく。

 強い痛みを感じるところもあったし、圧を加えられるたびに、強い波動が体を伝わってくることもあった。

 田起こしされた固い田んぼの土の割れ目に、初めは津波のように強い波が入り込んできて、田んぼ全体が水で満たされると、こんどは細かい土のすみずみにまで水がしみこんでくるというイメージだ。細胞の一つ一つが癒されていくようだった。

 施術を受けながら、「すごい! 不思議!」としか言いようがなかった。 

 一回目のセッションのテーマは「骨盤と歩きの自由化」というもので、固くなった身体をほぐして、自然な呼吸と歩き方を学ぶ。背中に手を当てて、吐いて、吸ってを繰り返す。吸うときに、呼気が背中全体に行き渡るようにする。あるいは、手を当てられた背中の部分に呼気が入るようにイメージして呼吸する。

 なかなか言われるようには呼吸できない。「今の呼吸はいいですよ」と言われても、何がいいのか分からない。それでも、いいと言われた呼吸ができたときには、力が抜けて、ほんとうに楽に呼吸できたように思う。私は呼吸をするときでさえ、身体に力が入っていたのだと思った。思ったとたん、そうまでして頑張ってきた自分が健気にも、哀れにも思えて、泣けてきた。(この項つづく)