「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書-
第2章 飽くなき食欲 ― なぜ資本主義は構造的に人種差別的なのか
ナンシー・フレイザー氏は、収奪は資本主義の構造要素であり、収奪は搾取以外の蓄積方法であると言う。収奪(しゅうだつ)とは、他人の財産や権利を強制的に奪うことを指す。新世界(南北アメリカ大陸)の奴隷制度は、収奪(しゅうだつ)に該当するのである。ここで言っている奪取とは、Expropriationの日本語訳と思われるが、そのExpropriationの日本語訳を調べると、「収用」(しゅうよう)」と辞書に記載されている。一般的に、収用とは、政府や公共機関が民間の財産や資源を公共の利益のために取り上げることを指す。
資本主義社会では、搾取される労働者は自由な身分を持ち、労働力を売って賃金を受け取る権利が与えられていると述べている。この搾取は、Exploitationの日本語訳と思われる。Exploitationの日本語訳は、「搾取」とか「利用」等に翻訳される。しかし、「搾取」と「利用」とは、日本語では意味に違いがある。資本論の翻訳者は、多くの場合、Exploitationを搾取と翻訳する。しかし、この2章を読み進めていくと、資本論における「搾取」は、「搾取」ではなく、「利用」が理解し易い翻訳に思える。
ナンシー・フレイザー氏は、この章で資本主義の人種差別性を解説する。現在に繋がる主権国家体制がある程度まとまったのは19世紀のことである。イギリスに始まった産業革命は技術革新を生み、19世紀に欧州諸国、アメリカ等にも波及し工業生産・国力の増大や多くの都市も形成された。ヨーロッパ諸国の世界進出により帝国主義時代が到来する。人種差別が当然の事として罷り通った。そして二度の世界大戦を経て、現在の金融資本体制の時代となる。今日の金融資本主義で目にするのは、搾取と収奪の新たな組み合わせであり、政治主体の新たな論理であると、ナンシー・フレイザー氏は述べる。即ち、搾取(利用)と収奪(収容)の新たな組み合わせが出来上がっているのである。アメリカ国内でも、サブプライムローン等の餌食になるのは、差別される人種の多くの借り手が犠牲になっている。
ナンシー・フレイザー氏は、人種差別を克服するには、政治努力による人種を超えた同盟が必要になる点を上げる。必須条件は、金融資本主義の搾取(利用)と収奪(収容)の共生関係に重点を置く視点である。搾取(利用)されるものは収奪(収容)され、収奪(収容)される者も搾取(利用)するのである。
現在、各国のポピュリズムの視点が強調される時代に、どのように取り組み人種差別を克服していくのか課題は大きい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます