愚公、山を移す

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「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書-

2024-07-19 20:21:51 | 日記

 「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」

ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書-

第4章 呑み込まれた自然  ― 生態学的政治はなぜ環境を超えて反資本主義なのか ―

 この章の冒頭で、フレイザー氏は、気候政治が舞台の中央にのぼり、政治的為政者がグリーンに染まる実態を記述している。そして、地球を守るために必要なのは、「対抗ヘゲモニー(hegemony)を築くことである」と記述している。

    *ヘゲモニー(hegemony)とは、「政治的、経済的、軍事的に優位に立つこと(predominance)、また          はリーダーシップを発揮すること。 特に1つの国家がその他に対して優位に立つこと」(オックスフォー         ド英英辞典)

   フレイザー氏は、資本主義は気候変動の社会歴史的な推進力であり、中核を成す制度された原動力と説明している。気候変動を食い止めるには、原動力を解体しなければならないと言及している。その論点を3つのレベルで説明している。

    第1は資本主義の構造レベルの議論である。資本主義システムには、あらかじめ組み込まれた生態学的危機を誘発しやすい傾向がある。資本主義システムが発展する理由の一つは、大量の自然を強奪しておきながら、その再生費用を負担しないことにある。

    第2は歴史的変遷のレベルからの議論である。16世紀から18世紀の重商主義体制、19世紀のリベラルな植民地主義体制、20世紀中期の国家管理型資本主義体制、そして現在の金融資本主義体制。この4つの体制は、第2章で考察した「人種差別に基づく蓄積」の4つの体制とも合致する。社会的再生産に依存する経済的生産の4つの体制である。フレイザー氏は、4つの体制を超えて悪化する深刻な地球温暖化を指摘している。地球温暖化は累積的にエスカレートし、和らげることも不可能に見え全てを終わりにすると主張する。重商主義体制の時代における風力や水力の時代に於けるエネルギーの問題、そして19世紀のリベラルな植民地主義体制の時代の化石エネルギー(石炭)、20世紀中期の国家管理型資本主義体制がもたらした自動車の時代、そして、現在の金融資本主義体制が到来すると、新たな囲い込みである金融化された自然とグリーン資本主義の問題を指摘している。 

     *グリーン資本主義(Green Capitalism)とは、環境保護と経済成長を両立させることを目指す経済モデ             ル。持続可能な開発を実現するために、環境に優しい技術や製品を開発し、資源の効率的な利用を促進し         ながら、経済活動を行うことを重視する。具体的には、再生可能エネルギーの導入、エネルギー効率の向         上、環境に配慮した製品やサービスの提供、循環型経済の推進などが含まれる。 

    第3は政治レベルの議論である。フレイザー氏は、大惨事を防ぐための生態学政治は、反資本主義で環境という枠を超えていなければならない、と主張している。地球を救う機会をみすみす逃してしまわないために反資本主義で環境という枠を超えた生態学政治を築くことに懸念をしている。環境正義の運動は環境の枠を超えているのである。 

    フレイザー氏は、地球温暖化が進んで沸点に達する運命を回避するための最大の希望は、反資本主義で環境という枠を超えた「対抗ヘゲモニー(hegemony)を築くことである」と結ぶ。それに名前を付けるとすれば「生態学的社会主義」を選ぶと記載している。このプロジェクトの可能性を明らかにするため、次章で現在の共食い資本主義が抱える政治的要素の論点を確認したいとしている。


「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書

2024-06-04 14:57:46 | 日記

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」

         ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書

          第3章 ケアの大喰らい  ― なぜ社会的再生産性は資本主義の危機の主戦場なのか 

 

    今日の社会的再生産の危機に関し、フレイザー氏は、その原因は社会秩序にあり資本主義

社会そのものが腐敗していることを論点としている。資本主義社会では、社会的再生産に対

する労働は生産的労働を生み出すが、その労働は非生産的とみなされる事を指摘する。

しかし、この労働は資本主義の経済的生産にとって必須の前提条件なのである。産業革命以

降、資本主義社会は社会的再生産の労働を経済的生産の労働から切り離し、そして資本主義

社会は女性が従属する現代の新たなかたちの制度基盤をつくった事にも言及している。

  16世紀から18世紀の重商主義体制、19世紀のリベラルな植民地主義体制、20世紀中

期の国家管理型資本主義体制、そして現在の金融資本主義体制。この4つの体制は、前章で

考察した「人種差別に基づく蓄積」の4つの体制とも合致する「社会的再生産に依存する経

済的生産」の4つの体制である。

  1980年代に入ると現在の金融資本主義体制が形成され始める。グローバル化と新自由主義

の時代である。この体制は、国家及び企業に社会福祉の削減をもたらすことになる。その結

果、社会的再生産の二重構造が生まれる。社会的再生産を支払える者と支払えない者との格

差が生まれた。金融資本主義体制の決定的な特徴である、債務をもって金融機関が国家を制

する仕組みが出来たことをフレイザー氏は指摘する。(第5章で詳細説明) 金融機関に国

家と国民に市場規律に従う権限を与えることになったのである。これは個人投資家の利益を

守ることなのである。社会の保護は徐々に損なわれて行く。

  「社会的再生産に依存する経済的生産」の4つの体制に於いて、資本主義社会のジェンダー

秩序は議論の対象であり、市場化、社会的再生産、解放という三つの運動の中で、「切り離

された領域」「家族賃金」「共稼ぎモデル」へと変化を推し進めて来た。この後の状況は、

生産と再生産との分離をどのように作り直すのか、そして「共稼ぎモデル」の次世代モデル

を模索することになる。この章の課題である「社会的再生産の危機」(ケアの危機)の根源

には社会的矛盾がある。現在の社会的生産が主導で、社会的再生産が下に位置付けられる構

造への克服が求められる。自然を食い尽さずに社会的再生産を育む新たな社会秩序を描くか

が、次章の テーマとしている。


「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書-

2024-04-18 21:49:09 | 日記

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著 -ちくま新書-

第2章 飽くなき食欲 ― なぜ資本主義は構造的に人種差別的なのか

ナンシー・フレイザー氏は、収奪は資本主義の構造要素であり、収奪は搾取以外の蓄積方法であると言う。収奪(しゅうだつ)とは、他人の財産や権利を強制的に奪うことを指す。新世界(南北アメリカ大陸)の奴隷制度は、収奪(しゅうだつ)に該当するのである。ここで言っている奪取とは、Expropriationの日本語訳と思われるが、そのExpropriationの日本語訳を調べると、「収用」(しゅうよう)」と辞書に記載されている。一般的に、収用とは、政府や公共機関が民間の財産や資源を公共の利益のために取り上げることを指す。

資本主義社会では、搾取される労働者は自由な身分を持ち、労働力を売って賃金を受け取る権利が与えられていると述べている。この搾取は、Exploitationの日本語訳と思われる。Exploitationの日本語訳は、「搾取」とか「利用」等に翻訳される。しかし、「搾取」と「利用」とは、日本語では意味に違いがある。資本論の翻訳者は、多くの場合、Exploitationを搾取と翻訳する。しかし、この2章を読み進めていくと、資本論における「搾取」は、「搾取」ではなく、「利用」が理解し易い翻訳に思える。

ナンシー・フレイザー氏は、この章で資本主義の人種差別性を解説する。現在に繋がる主権国家体制がある程度まとまったのは19世紀のことである。イギリスに始まった産業革命は技術革新を生み、19世紀に欧州諸国、アメリカ等にも波及し工業生産・国力の増大や多くの都市も形成された。ヨーロッパ諸国の世界進出により帝国主義時代が到来する。人種差別が当然の事として罷り通った。そして二度の世界大戦を経て、現在の金融資本体制の時代となる。今日の金融資本主義で目にするのは、搾取と収奪の新たな組み合わせであり、政治主体の新たな論理であると、ナンシー・フレイザー氏は述べる。即ち、搾取(利用)と収奪(収容)の新たな組み合わせが出来上がっているのである。アメリカ国内でも、サブプライムローン等の餌食になるのは、差別される人種の多くの借り手が犠牲になっている。

ナンシー・フレイザー氏は、人種差別を克服するには、政治努力による人種を超えた同盟が必要になる点を上げる。必須条件は、金融資本主義の搾取(利用)と収奪(収容)の共生関係に重点を置く視点である。搾取(利用)されるものは収奪(収容)され、収奪(収容)される者も搾取(利用)するのである。

現在、各国のポピュリズムの視点が強調される時代に、どのように取り組み人種差別を克服していくのか課題は大きい。

 


「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著、ちくま新書

2024-03-04 12:18:47 | 日記

「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」 ナンシー・フレイザー著、ちくま新書

第1章 雑食 ― なぜ資本主義の概念を拡張する必要があるのか

 

著者のフレーザー氏は、現在の資本主義の復活は、歓迎すべき展開であると述べている。そして、マルクスによる資本主義を想定する特徴については、以下の4つの特徴を指摘している。

第1の特徴 生産手段の私有化

第2の特徴 労働市場という制度と自由賃金の利用 

第3の特徴 資本自体の際限のない自己増殖

第4の特徴 資本主義社会の市場への特有の役割

    その1 資本主義の市場は、生産に対する主な投入物(インプット)を再分する機能を持つ

    その2 社会的余剰の投資方法は市場が決める

 これらの観点から、資本主義は半プロレタリア化した世帯を基盤にしている点を、フレーザー氏は強調している。しかし、その背景として、マルクスは搾取から収奪という認識転換が持つ意味を明らかにしていないことを付け加えている。 

 重要な認識的転換の第一は、生産から社会的再生産への移行であり、現在の資本主義のかたちは、公的支援の削減を要求するとともに、多くの女性を低賃金サービス労働に誘致し、商品生産と社会的再生産とを分離して制度的境界の地図を描き換え、ジェンダー秩序を作り変えている点を、フレイザー氏は指摘する。 

 そして、エコノミーからエコロジーへ。資本主義は人新生と呼ばれる時代を開始している。人間活動が地球を食い尽くそうとしている。新自由主義は環境主義を市場としているのである。 

 経済的なものから政治的なものへ、世界システムとして編成されるグローバル化の進む資本主義経済と、国際的システムとして編成される領域国家の政治世界との分裂の問題がある。

 搾取から収奪へ。資本は有毒廃棄物処分の場として、低賃金ケア労働の供給源として、人種差別の対象となる領域に依存している。経済的、生態学的、社 会的、政治的危機は、帝国主義や人種差別的抑圧と絡んでいる。 

 資本主義は経済より大きい何者かである。それは資本主義を経済よりも、もっと大きなシステムとして概念化する事を意味する。資本主義において決定的なことは、経済と政治を制度的に切り離したことである。この分離を前提に、資本主義を制度化された社会秩序として語る事は、資本主義の人種的抑圧、ジェンダー支配、自然環境の破壊、政治支配の非偶然的構造的な重なりを示す。

 重商資本主義、植民地資本主義、国家管理型独占資本主義、新自由主義資本主義、この4つの体制が資本主義を構成する領域の境界線を構成する領域の境界線を引いて来た。資本主義を制度化された視界秩序として捉えれば、資本主義批判が可能か解りやすくなる。このことは、社会、政体、自然、周辺を資本主義の外部のものとして捉えることは間違えである事を意味する。 

 フレーザー氏は、この章で資本主義の全景と背景との関係の説明には3つの明確な考えが組み合わさっていることを上げ、更に、4つ目の考え方である飽くなき共食いへの危機が存在することで結んでいる。

  ①資本主義の非経済的領域は、資本主義の背景条件である。

  ②資本主義の非経済的領域は、重要性と特徴を持ち反資本主義闘争に資 源を提供し得る。

  ③資本主義社会の本質的な部分は、歴史的に経済と協力し合って資本主義の構成要素となり、

   経済と共生関係にある特徴を持つ。

  ④資本主義の前提と背景との関係は、社会を不安定にする原因を組み込んでいるのである。

    

    

  

 

 


「スミス・マルクス・ ケインズ よみがえる危機の処方箋」 ウルリケ・ヘルマン著 みすず書房

2024-02-01 12:01:09 | 日記

「スミス・マルクス・ ケインズ よみがえる危機の処方箋」

           ウルリケ・ヘルマン著 みすず書房 

 第10章スミス、マルクス、ケインズから何が学べるか

 

「有効性を持つ認識を生み出したければ、経済学は、スミス、マルクス、ケインズに立ち返らねばならない」。ヘルマン氏は、新古典派経済学者に対するコメントと思われる言及をしている。

 ミクロ経済学観点から、スミスが説く価格は費用と上乗せ利益の総計と考える追加的視点は正しいと論じ、新古典経済学者が説く限界生産性が価格を決定するのでないと指摘する。

 ヘルマン氏は、新古典派経済学者たちの政府の政策決定に絶大な影響力を認めるものの、金融市場の独自の論理については、ケインズが説くマクロ経済学的に全体の総計として考える時に理解し得る、と言及している。世界の年間GDTが73兆ドルしかないのに、日々4兆ドルが通貨投機のために地球をめぐっていることはマクロ経済学的視点から理解が出来る点を指摘している。

 競争原理が寡占を生むことになり、市場は飽和状態になり生き残るのは少数の巨人のみ。マルクスとエンゲルスが認識した巨大多国籍企業によるブローバル経済の誕生である。新古典派経済学者は、イノベーション(発明)も個々の天才による貢献と言いたがるが、ヘルマン氏は国家が資金援助している点を言及する。国家が資本主義発展のベースとなることを強調している。 

 ヘルマン氏は、改めて資本主義について言及する。資本主義は静止する事を知らない一つの過程であり、安定する事もなく、好況と危機の間を揺れ動き、資産は投資する時に実在するものであり、貯蓄は社会全体にとっては危険なものになる事も指摘する。巨大資本が経済を支配し貧富の差が拡大する。資本主義は、人類がかつて作り出した唯一の動学的な社会システムである。経済学は自分の理論から資本主義を取り除くような姿勢に終止符を打ち、この資本主義こそ深く研究すべきなのであると結ぶ。