愚公、山を移す

Wilsonです。
人間万事塞翁が馬 人間到る処青山あり

これから「正義」の話しをしよう 功利主義/リバタリアリズム

2022-01-17 11:38:50 | 日記

 

これから「正義」の話しをしよう マイケル・サンデル著 

第2章 最大幸福原理 - 功利主義

第3章 私は私のものか? - リバタリアリズム(自由至上主義)

 ・ジェレミー・ベンサム(1748~1832)

    英国の道徳哲学者、法制改革者。功利主義原理を確立した。

    ☆正しい行いとは、「効用」を最大にするあらゆるもので、道徳的議論は暗黙のうちに、

   幸福の最大化といる考え方に依存せざるを得ない。道徳の至高の原理は、「幸福」にあ

   り、「効用」という言葉で、快楽や幸福を生む全てのもの・苦痛や苦難を防ぐ全ての物

   を表した。「効用」を最大化すべきだという「功利主義原理」を支持した。

・ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)

 英国の哲学者、政治哲学者。政治哲学においては自由主義、晩年は社会主義者を名乗った。

 ☆ベンサムの「最大幸福原理」<功利主義原理>に対し二つの反論をする。「最大幸福原理」

  は、人間の尊厳と個人の権利を尊重していない事、そして、道徳的なことに 対し、快楽と

  苦痛という尺度に還元することは誤りとした。

・リバタリアニズム(自由至上主義)

☆リバタリアン(自由至上主義者)は富の再分配に反対し、制約のない市場を支持し政府規制

  に反対する。近代国家が制定している3点の政策・法律を拒否する。

  ① パターリズム(父親的温情主義)の拒否

   例)シートベルト着用義務法は、リスクを決める権利を侵害している。

  ② 道徳的法律の拒否

   例)合意のうえの売春を阻む法律は正当ではない。

  ③ 所得や富の再分配を拒否

   例)ある人々(例えば貧者)に援助する事を要求する法律を拒否する。

    最小国家(契約を履行させ、私有財産を守り、平和を維持する国家)だけが、リバタリ

    アンの権利理論と両立する。

 

  2章~3章を通じて、欧米社会と中国社会が目指すあるべき大枠が浮かぶ。日本は経済成長を

  求めても、中国に圧倒的に敗北する。中国の人口は日本の10倍。日本人が10人子供を産んで

  も追いつきはしない。成長(GDP)に目標を置けば相手にされない。中国は日本の最大貿

  易国であるが、中国の最大貿易国ではない。日本は、国民の満足度にフォーカスを当て運営

  することで価値観を生み出せる。

  中国も功利主義を正義として、リバタリアンの価値基準と異なる次元の国家を築きつつある

  が、他国への非尊重、非道徳的行動(戦争行為)は正義ではないことは、自らの経験(阿片

  戦争・日中戦争)で理解している。欧米社会も功利主義を正義として、民主主義を守ってい

  るが、民主主義は必ずしも多数の国家で成立してない。

 


カール・マルクス『資本論』-人新世の危機に甦るマルクス-

2022-01-07 11:31:37 | 日記

NHKテキスト 100分de名著

カール・マルクス『資本論』-人新世の危機に甦るマルクス- 

 講師 斎藤幸平  

第1回「商品に振り回される私たち」  

 自然との物質代謝は人間の生活にとって「永遠の自然的条件」である。人間だけが、明確な目的を持ち、意識的な労働を介し自然との物質代謝を行う(物質代謝論)。人間は労働により、社会共有の富である水、空気、公園、図書館等を手にした。しかし、 資本主義では社会共有の物も商品としていく。15世紀のイギリスでは、都市部の囲い込み運動で工場生産が拡大した。そして、農村部の農業従事者も都市部に出て労働者となった。労働により得た賃金で農産物を買い、社会共有物を買うようになった。

 商品の使用価値・交換出来る物の価値に、価格が付けられる。資本主義の下で、物(商品)と人間の立場が逆転し、人間が物(商品)に振り回され支配されるようになる。この現象を物象化と呼ぶ。商品を作り続け、売れるか売れないかに振り回わされる事になる。

第2回 なぜ過労死はなくならないか

 資本主義は価値増殖の運動である。この増殖運動(膨張)は止められない。資本家は巨万の富を築いても、更に富を築かざるを得ない。個人の力に関係なく、資本主義の歯車に組み込まれていく。

 資本主義の世界では、商品を売って利益を得る。資本家は、労働者が生産した商品を販売して利益(余剰価値)を得る。労働時間が増えれば、資本家の利益も増える。労働者も競い合い労働時間を増やす事で収入が増える。しかし、労働者の立場は弱くなる。

 労働条件が悪化している日本の現状から、2点の問題点が指摘出来る。①自発的に労働者が労働時間を決めることが出来る事(強制労働からの自由)。②労働者は生産手段をもっていない事(生産手段から自由)。労働者の自発的責任感・向上心・主体性・自負といったものが、資本論理に「包摂」された結果である。ビッグデータに取り込まれた行動情報・消費情報等あらゆる情報は、マーケット分析されて気が付かないうちに商品提供を受ける事になる。

 どうすればよいのか。まず一つ、労働時間を短縮することがある。ブレーキが効かない生産に歯止めをする。例えば、フィンランドでは、6時間労働・週休3日の提案がなされている。これは、労働力を「商品」にしないで、自分が持っている労働力から「商品」として売る領域を制限することである。労働時間に対し裁量権を持つ労働者(例えば大学教授、芸能人等)は例外として考えても、日本社会では、「働かざる者食うべからず」という勤労倫理があり、更に、副業奨励、自己啓発セミナーの賑わい等、労働時間短縮に対する逆風がある。過労死がなくならない現状が見える。

第3回 イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を生む

 2030年、労働時間が週15時間になるかも知れないというケインズの予言があった。しかし、現実は生産力が上った現在でも、人は働き続けている。商品を安くすると、価格競争が起きる。労働者は、更に生産量(利益)を上げるため労働に酷使される。

 生産力が高まると精神的労働(構想)と肉体的労働(実行)が分断される。職人は、技術・知識・洞察力・判断力(構想)から、作ろうと思ったものを自らの手で作り出す(実行)ことが出来る。しかし、生産工程を細分化して労働者たちに分業をさせ(作業を単純作業化する)、作業をマニュアル化し、作業スピードを上げ、更に人員を増やす事で、生産規模(量)を拡大することが出来るが、労働者は作り上げる力(生産能力)を失っていく。拡大した生産力は、「労働者の生産力」ではなく「資本の生産力」として現れて行く。

 また、人間にしか出来ない仕事であるエッセンシャルワーク(単純そうでも相手に合わせ細やかな要求に応える難しい仕事)に、長時間・低賃金という負荷が掛けられている現実がある。これに対し、社会的に重要とは思われないが、高給が得られる仕事(本人でさえ意味がないとする仕事)が、広告業・コンサルタント業を中心に増加している(ブルショット・ジョブ)。爛熟した現実社会の実態である。精神的労働(構想)と肉体的労働(実行)の分断を乗り越え、労働の自立性は如何に回復すべきであろうか。

 学校給食の実施方法を、一つの取り組み事例として、提示している。センター方式(給食センターで纏めて給食を作る)の流れに抵抗し、自校方式(各校で給食を作る)で子どもに食と食を通じた自治を回復した事例である。各校で栄養管理者を配置し、地元の有機生産農家等とも連携し地産地消の豊かな給食を目指し、食育・地域振興にも配慮した取り組みである。

第4回 コモンの再生 ― 晩年マルクスのエコロジーとコミュニズム

 自然との物質代謝は人間の生活にとって「永遠の自然的条件」である。人間だけが、明確な目的を持ち、意識的な労働を介し自然との物質代謝を行う(物質代謝論)。 資本主義は人間だけはなく、自然からも豊かさを吸い尽くす。その結果、人間と自然の物質代謝に亀裂が生まれた。近代農業生産の輪作は土壌を疲弊させ、都市部の労働者は「商品」の恩恵を受けているが、長時間労働により疲弊していった。資本主義は価値の増殖を無限に求めるが、地球は有限である。

 アソシエート(共同目的のために結びつき協同する)すれば、労働者は人間と自然のとの物質代謝を合理的に制御することが出来る。GDP重視の経済から脱し、人間と自然を重視して必要を満たす規模の定着を目指す「脱成長」型経済への取り組みでもある。

 資本主義の経済では、種々な不平等が生じる。そして、多様な「階級」を作り貧困や困難が固定化される。資本主義は、あらゆるものを商品化して格差・分断を生み、貨幣無き者を排除する。人々が参加出来る民主主義領域を、経済領域にも広げることが「コモン化」(商品化に対する抵抗)に向けたコミュニズムへの戦いであり、生産手段と地球を、「コモン」として取り戻す事なのである。水資源・森林資源・地下資源といった富を、商品化しないで、「コモン」として管理するのである。

 コモンとして生産手段を共有することで、各人は能力に応じコモンを人に与え、各人は必要に応じてコモンを人々から受け取る。スペインのバルセロナでは、観光推進政策によって観光資源として民泊化が推奨された。すると、住宅不足が顕著になり著しく家賃が上昇した。自治体(バルセロナ・イン・コモン)は、違法民泊を禁止し、違法民宿に対し営業停止令を出し、新しい住宅の30%を公営住宅とする事を制定した。このような例は、水道水の公営化への見直し等で各地に見られる。社会の豊かさを得るため、成熟化している資本主義では、アソシエーションに繋がる別の社会を思い描く試みが必要である。