愚公、山を移す

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スミス・マルクス・ケインズ よみがえる危機の処方箋 ウルリケ・ヘルマン著 

2023-06-11 23:55:15 | 日記

スミス・マルクス・ケインズ よみがえる危機の処方箋  

ウルリケ・ヘルマン著 

第3章 パン屋から自由貿易まで-『国富論』(1776年)

   重商主義の時代、金(きん)が国家に豊かさをもたらし金銀を多く保有している国が豊かな国であるとされた。近代経済学では、貿易収支の黒字が国家に利益をもたらすと説明している。アダム・スミスは、国家の豊かさは人間の労働から生まれると考えた。そして、分業論を通してその事を説明する。「10人の職人が、分業をする事で、1日に48,000本のピンを作ることが出来る。しかし、1人では20本、場合によっては1本も出来ない。」もっとも、分業は古代より行われている。しかし、アダム・スミスの考える分業論・自己の利益への追求は、社会全体として経済の総体を論じるメカニズムの研究(マクロ経済学)に繋がって来る。アダム・スミスは、価格と利潤について2種の価格を説明した。労働量で測定される自然価格と、貨幣で表現される市場価格(名目価格)の関係である。例えば、市場価格が下落すると、利益がなくなり生産が出来なくなる。しかし、生産が出来なくなれば需要が増える。すると市場価格が上がり自然価格も上がるメカニズムが生まれる。そして、アダム・スミスは、Invisible Hand(見えざる手)の名言に表現される自由貿易のあり方を唱え、資本主義経済のあり方を論じた。

   19世紀中期から後期に掛け、明治政府はヨーロッパに視察団を送っているが、その100年前、アダム・スミスが国富論を完成させた頃、イギリスの賃金労働者は、アフリカの王侯より豊かさを享受していた。明治政府の視察団は、アダム・スミスが言う自由貿易―Invisible Hand(見えざる手)との概念を理解できたとは思えない。

   本章では、アダム・スミスは当時のイギリスの植民地支配と奴隷制度に対する政策が、経済的・道徳的にも窮乏化をもたらすことになる事を警告している。『国富論』が完成したのは1776年。アメリカ合衆国が独立宣言をした年である。多くのイギリス人が恐れていたのと異なり、イギリスはアメリカ植民地に対する管理権を失っても、アメリカからの貿易打撃は受けず拡大発展をする。

   本章の最後に、アダム・スミスからマルクスへの橋渡し役としてデビッド・リカードについて言及している。デヴィド・リカードは、アダム・スミスの国富論を正典化しアダム・スミスを学派創始者「古典派経済学者」とすることに貢献したと述べている。デビッド・リカードの著作で、階級・資本家という言葉が使われたようである。アダム・スミス、デヴィド・リカードが活躍していた時代では、多くの小企業が互いに競い合う正真正銘の市場経済のもとで活躍していた。マルクスの時代では、既に近代資本主義の時代になっていた。近年、古典派経済学不要論があるという。現代は、古典派経済学の時代と大きく変わり、また古典派経済学の研究にはあまりに時間が掛かり過ぎるという論点である。暴論のように思えるが。