それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子著 朝日出版社
「 序章 日本近現代史を考える」
この著作(「それでも日本人は「戦争」を選んだ」)は、2009年7月に発行されている。今から15年前の著作である。栄光学園中学校・高校の歴史研究部の中学1年生から高校2年生計17名の生徒を対象にした2007年年末から2008年年始 5日間の集中講義をベースにした著作である。
序章では、歴史を学ぶ意義・歴史を学ぶことの難しさ・そしてその価値・重要性を説明している。名門校の中学生・高校生、それも歴史を学ぶことに興味をもつ生徒に対しての講義であるが、現在の情勢から将来を展望することに対して重要なポイントを学ぶことが出来る。以下、機微に触れた点を列挙してみた。
序章は、2001年9・11テロ後のアメリカと日中戦争期の日本に共通する対外認識についての考察から始まる。9・11テロに対する米国の意識は、国内にいる無法者が、罪のない市民を皆殺しにした事件であり、国家権力で鎮圧して良い事例とみなされ、邪悪な犯罪者を取り締まる感覚であり、戦いの相手を戦争の相手、当事者として認めないような感覚に陥った事をあげている。
一方、1937年(昭和12年)に始まった日本と中国との戦争(日中戦争)は、日本政府が発した声明では「国民政府を相手とせず」、日本軍の言い分は、「報償」であり中国が条約を守らなかったから守らせるために戦闘行為をおこなっていると主張したのであった。当時の近衛内閣のブレインの記述資料からも「討匪戦」、すなわち 悪人(ギャング)を討つというような感覚であったことを述べている。9・11テロに対する米国の意識・行動との共通性を指摘している。
次に、リンカーン大統領のゲティスバーグでの演説の一節 「of the people, by the people, for the people」と演説した背景を述べている。南北戦争中、北軍の戦意を高揚するため、国民は「人民の人民による人民のための政治を絶滅させないため」身を投げなければならないと、リンカーン大統領は述べた。この演説の一節は日本国憲法前文にも書かれている。日本国憲法で、日本は天皇制から主権は在民国家であることを定義している事を説明している。
また「歴史は数だ」と断言した政治家レーニンを紹介している。このレーニンの言葉は、戦争の犠牲者数が圧倒的になった際、そのインパクトが歴史を変えることがあると教えていることを述べている。
E・H・カー(1892-1982、イギリスの歴史・政治学者)を紹介している。第1次世界大戦後(1919年)から1939年迄の20年しか平和が続かなかったことを分析する。日独伊に対する大国の軍事的抑止力を構築できなかったことを問題視している。更に、E・H・カーは、科学が一般化できるように歴史も一般化出来る、即ち、歴史は科学であることを説明している。歴史から学ぶことの意義を提示する。過去の歴史が現在に影響をあたえた事例について、ロシア革命後、レーニンの後継者にスターリンを選んだ事例、すなわち後継者候補のトロツキーがフランス革命の帰結から第2のナポレオンになる事を知った上で、軍事的カリスマを警戒することでグルシアから来た田舎者のスターリンを選んだ結果、スターリンの大粛清の歴史に繋がることになった。明治期、西郷隆盛という人物がいた。ナポレオンとトロツキーと西郷隆盛に共通するのはカリスマ性を持つ軍事的リーダーであった。西南戦争後、政治から軍隊を切り離し統帥権の独立がはかられたことで、日中戦争・太平洋戦争の局面で外交・政治・軍事の連携が取れず、戦争による大量犠牲者を出した。
アメリカの政治学者・歴史学者 アーネスト・メイ(1928 – 2009) の著作「歴史の教訓」を紹介する。その著作では、ベトナム戦争に関する政策を立てていた政府機関の中で最も優秀な補佐官が立案した政策が大きな誤りを生んだことに対し、3つの命題をまとめた。①外交政策の形成者は、歴史が教えたり予告したりしていると自ら信じているものの影響を受ける事。②政策形成者は、通常、歴史を誤用すること。③政策形成者は歴史を選択して用いることが出来る事。
アーネスト・メイは、第2次世界大戦の終結政策に於いて、アメリカ国民の犠牲という点だけではなく、冷戦時代を考慮すれば、ソ連を牽制するためにも、ドイツ・日本の降伏条件を緩和すべきであったとアメリカの政策を非難している。スターリンの発言から、戦後ソ連が東欧・東アジアへの影響力の行使を予知出来たはずと言っている。
アーネスト・メイはベトナム戦争に深入れしてしまった理由について、アメリカの「中国喪失」の体験をあげる。第2次世界大戦の米英と共に戦勝国となった、蒋介石が率いる中華民国であったが、中国内戦の結果、米国は多額の支援を中華民国にしていたにも関わらず、中国は1949年共産党による中華人民共和国となり共産化してしまった。あくまで介入してアメリカの望む体制を作り上げなくてはならなかったのである。人口10数億の中国の共産化を、ソ連に接して誕生するのを見過ごした中国喪失体験がベトナム介入にアメリカを縛ってしまった。
この序章での一連の講義の概要を念頭に、第1章日清戦争に読み進めたい。