四季の喜び

心穏やかに

第五福竜丸展示館

2008年07月16日 22時13分40秒 | Weblog
●鉄骨地上2階建・変形コノイド曲線で構成


木造漁船「第五福竜丸」の船体


ビキ二水爆被災にかんする記事・写真多数


「死の灰」


1954年3月14日焼津港に帰った福竜丸は大変な放射能で、マグロは捨てられ、
乗船員23名は全員急性放射能症で東京の病院に入院。
無線長だった久保山愛吉さんはその年の9月23日亡くなりました。





日本全国の学生さんから寄せられた・沢山の折り鶴


吉永小百合さんから福竜丸へ

子供のころニュースで知った
第五福竜丸のこと、
久保山愛吉さんの死は
私の心に深く残りました。
そのことが原爆詩の朗読を始めた
きっかけの一つになっています。