●鉄骨地上2階建・変形コノイド曲線で構成
木造漁船「第五福竜丸」の船体
ビキ二水爆被災にかんする記事・写真多数
「死の灰」
1954年3月14日焼津港に帰った福竜丸は大変な放射能で、マグロは捨てられ、
乗船員23名は全員急性放射能症で東京の病院に入院。
無線長だった久保山愛吉さんはその年の9月23日亡くなりました。
日本全国の学生さんから寄せられた・沢山の折り鶴
吉永小百合さんから福竜丸へ
子供のころニュースで知った
第五福竜丸のこと、
久保山愛吉さんの死は
私の心に深く残りました。
そのことが原爆詩の朗読を始めた
きっかけの一つになっています。
木造漁船「第五福竜丸」の船体
ビキ二水爆被災にかんする記事・写真多数
「死の灰」
1954年3月14日焼津港に帰った福竜丸は大変な放射能で、マグロは捨てられ、
乗船員23名は全員急性放射能症で東京の病院に入院。
無線長だった久保山愛吉さんはその年の9月23日亡くなりました。
日本全国の学生さんから寄せられた・沢山の折り鶴
吉永小百合さんから福竜丸へ
子供のころニュースで知った
第五福竜丸のこと、
久保山愛吉さんの死は
私の心に深く残りました。
そのことが原爆詩の朗読を始めた
きっかけの一つになっています。