季節はまだ冬の一歩手前、今は晩秋と言っていいでしょうか。どこか物寂しい落葉の季節になりましたね。大河ドラマ「花燃ゆ」の旅も今回は、落ち葉舞う桐生市方面に車で出かけてきました。
車の助手席には、ぐんま「花燃ゆ」プロジェクト推進委員会の作成した「楫取素彦史跡ゆかりのマップ」を広げ、名曲「枯葉」の入った、ビル・エヴァンス・トリオの名盤「ポートレイト・イン・ジャズ」を聴きながらの旅です♪
まず最初に向かったのは現在は桐生市になってますが、かつての黒保根村の「水沼」という所です。わたらせ渓谷鉄道の水沼駅は、ホームから降りるとそこは日帰り温泉浴場になってます。
水沼駅入口の交差点から国道122号線を数百メートル進むと、左側に黒保根歴史民俗資料館の入口があります。
この歴史民俗資料館は明治4年の廃藩置県後からここに村役場があったという、黒保根村にとって歴史ある敷地に建てられたそうです。
歴史民俗資料館裏の細い道路をはさんだ石垣の上には、このような長屋門が残されています。ここは「花燃ゆ」の番組終わりの大河ドラマ紀行でも紹介された「水沼製糸場跡」です。
水沼製糸場は明治7年、地元の有力名士、星野長太郎氏によってに創設された民間で初めて洋式器械を導入した製糸場でした。
上の写真は現在の水沼製糸場跡。モノクロの写真は同じ場所での、操業当時の工女たちを中心とした記念写真のようです。(以下、モノクロ写真はすべて現地説明板から複写させていただいたものです。)
星野長太郎(ほしの ちょうたろう 1845年~1908年)
水沼村で代々名主を務める豪農の息子として生まれ、これからの日本の「国益増進は製糸改良にある」という持論を貫きみずから器械製糸の伝習を受け、製糸改良にかける星野氏の熱意は私財を投じて器械製糸所の創設に至りました。その事業に対しての態度はほんとうの捨て身だったといいます。
大河ドラマ「花燃ゆ」でもイケメン俳優、大東駿介さんが情熱的な星野長太郎を演じてますね ♡
こちらの人物は星野長太郎の弟、新井領一郎氏(あらい りょういちろう 1855年~1939年)
領一郎氏は星野家の六男として生まれ、隣村で生糸問屋を営む新井家の養子となりました。英学校等で学んだ英語が非常に堪能だったため、長太郎たちの計画する日本人によるアメリカへの生糸の直接輸出の実現のため、弱冠二十歳でニューヨークへ旅立ちました。その後、アメリカ市場での高い評価と信頼を勝ち取り、直接輸出は成功して「日米生糸貿易の創始者」と言われたそうです。
「花燃ゆ」では細田善彦さんという、またまたイケメン俳優さんが真摯で誠実な領一郎氏を演じてます。
星野長太郎と新井領一郎。この兄弟の熱い志に共感した県令・楫取素彦は、資金を調達し二人をバックアップしてゆきますが、その様子もドラマの中でよく描かれてました。
操糸器械(そうしきかい)32台を導入した水沼製糸場の工場外観。
水沼製糸場工場内で働く工女たち。
明治12年、星野長太郎氏は、前橋から足尾銅山に布教に向かう途中水沼村を訪れた宣教師、ニコライと出会ったそうです。ニコライは正教会(せいきょうかい)と呼ばれるキリスト教のロシア人宣教師で、現在もお茶ノ水界隈に建つニコライ堂でも有名です!
アメリカ滞在中の新井領一郎氏は同年の夏、長太郎氏から送られてきた手紙で、兄がキリスト教に改宗したことを知りました。同封されていた新聞記事には兄夫婦と工女40人が受洗し、工女たちはそれから「よく学び、よく働くようになった。」といったことが記されてました。
その後、領一郎が帰国した際には兄が毎日、聖書を読んでいることに驚いたそうです。
楫取素彦と義兄の吉田松陰。そして、星野・新井兄弟とその末裔の関係は、次回のブログで語りたいと思います。
葛飾区民講座のチラシを拝見しました。第3回、第4回もとても素敵な講座になりそうですね。渋沢栄一と尾高 惇忠、我が家からも近い島村の旧宅が絹産業遺産群構成資産となっている田島弥平、楫取県令もみんな富岡製糸でつながってますね。そして女子教育、女性解放の先覚者、津田梅子、新島八重や荻野吟子もみんなキリスト者であったことが個人的には嬉しいです。
いい講座になりますように。また長谷川先生のこれからのお働き、ご健康が守られ祝福をお祈りしてます。