記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

お正月も空爆 一人の殉教者を知る

2009-01-09 | Weblog
昨年末イスラエル軍がガザに空爆を仕掛け、ハマスが報復攻撃し、死者はますます増えてゆく。

これも神の思し召し?



年末 12月28日の日曜日

ETV特集で「知られざる殉教者」つーのをコソッと録画しておいた。
番組ホームページはこちら



11月に長崎で「列福式」があったのをなんとなくニュースで知っていたが、詳しいことはまったく知らず。


ローマ法王ベネディクト16世が長崎までやってきて188人もの殉教者を「福者」とするための式をしたのだそうだ。(福者の上には上の「聖人」がおって、聖何とかと呼ばれるのだそうであります)
このニュースを知った当初は
「あんたらよくがんばったね。」と死んでからほめてもらってうれしいのかどうかわからないが、苦難のうちに亡くなったカトリック信者への表彰は
生きている人(信者さん)には「ああいう風にがんばろう」「ああいう人になれるかな」といった道しるべにはなるだろうなぁ・・。
位に思っていた。


で、せっかく撮ったビデオを正月4日に見ようと思っていたが例のお別れ会後の体調不良で寝込んでしまって未遂。

昨日ポカッと時間ができたので一人紅茶を飲みながらビデオ鑑賞。


えー・・
数年に1回くらい?おりがみには突然「キリシタンな日」が来ます。
昨日から今日の午前中くらいがそうだったんでしょうね。



ペドロ岐部(きべ)という日本人カトリック司祭の生涯に触れて
もう少し詳しく彼について知りたいなぁとネットの海をさまよってきました。

彼の生きた17世紀初頭の日本は、戦国時代が終わり徳川3代家光が幕藩体制を整え鎖国を完成させようとする時代でした。

今の大分県豊後地方の熱心なキリシタンの家に生まれたペドロ岐部は、有馬(兵庫の有馬ではない)の神学校で勉強してやがて同宿(宣教師のアシスタントみたいな仕事)になります。

しかし1614年家康がキリシタン禁教令をふれたことで、状況は一変。
ほかの信者や宣教師ともどもマカオへ国外追放されます。

こっからが波乱万丈。

当時の九州、長崎を中心にしたキリシタンな世界をどっぷりと旅してみると
いろいろと今までより少しだけ詳しいキリシタンな知識が増えました。

江戸幕府のあの手この手の迫害方法
負けるかー!と鎖国を承知で入国しようとする教会の人々
幕府と領民の板ばさみになる大名
転ぶ信者殺される信者

当時としては
最先端の文化を享受できたであろう存在
苦しい生活からの永遠の救いを求めた弱者のよりどころとしての存在

いっぽうでは

神社仏閣を打ち壊すような激しい一面を持ち合わせてもいたという九州のキリシタン
(領主が領民全員にキリシタンになるように強制した地域もあったのでこういうことがおきたらしい)

大混乱の1600年代を想像させられます。



さてマカオに流されたペドロ岐部
ここでも安住の地とはならずインドのゴアへ
さらに陸路!!でエルサレム経由(したらしい)バチカンめざして猿岩石(古!)のように砂漠を歩く歩く。

「立派な司祭になるだよ」と着のみ着のままの日本人の若者がローマでなぜかとんとんと勉強をつんで・・ついに念願の司祭になるのであります。

なのに、目標達成よかったねぇ・・とはならない。

ペドロ岐部は何を好んでか迫害の嵐のただ中へ帰るというのです。


綺麗なラテン語の上司への嘆願書をしたため「にっぽんにかえりまーす」と。
迫害に苦しむ祖国の信者の支えになるですよーと。


帰るのがまた一苦労。

禁令の宣教師を入国させたら貿易できなくなるからとどこの国の船も乗船させてくれない。
しかたなく水夫に変装して2年もチャンスをうかがって、結局人を当てにせず自力での密入国を試みる。信者の水夫とにわか大工で船をこさえて。
が、ボロ舟が嵐にあって大破。
漂着したのが離島だったので、運よく監視の目を逃れて日本に帰還。


さっそく精力的に布教活動。9年もの潜伏活動をします。

ああもう・・どこにそんなエネルギーがあるんだこの人。という感じです。

最後は仙台で密告により捕縛され江戸できびしい詮議を受け拷問の末昇天。



ネットの海をさまよって調べていく過程で
ペドロ岐部はマカオやゴアなど外地でみたヨーロッパ人の姿から
神の教えと「勢力拡大」に一役買っている教会あるいは宣教師会のあり方に
疑問を感じていたのではないかなぁとか
遮二無二ローマを目指していたのは
自分の信じるものの正体を見極めたかったのかなぁとか

しまった!!遠藤周作さんの「銃と十字架」読んどけばよかったなぁ。
「沈黙」で「もういい、おなかがいっぱいです・・耐えられません」というへたれでしたので。




海の上に出るだけも命がけのような長旅をよくもこらえて
死の待つ祖国へ帰ろうとしたのは何でかなぁとか・・愚問?



信仰のひとかけらもない私ですが地には平和を。



岐部さん、今の世の中どう思いますか??

と聞くまでもなく彼は困っている人の真っ只中へ突進しているような気がします。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ビッグNスタジアムでしたね 列福式。 (naotch2918)
2009-01-16 17:16:44
この人の事は少しだけ教わった憶えがありますよ。
逆さ吊りで肥溜めに突っ込まれて…それは凄まじい拷問を。

でも後世に何かを伝えたい…って意味では叙階を受ける為にローマを目指したそんなペトロ岐部も、マニラに流された高山“ドン・ジュスト”右近も、生き延びる為に敢えて棄教の道を選んだ沢野“フェレイラ”忠庵も皆、思いは同じゃ無かったかなぁ…と。

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naotch2918さんへ (おりがみ)
2009-01-17 13:42:10
ましゃかこの記事にコメントがつくとは・・うれしいっす。ありがとごさいます。

>教わった
ど・・どこで?教われるのだろう。
必修科目に、隠れキリシタン授業があるとか?
棄教させるための手段を選ばない責め苦には怒りと人間が果てしなく残酷になれることへの恐れを感じます。
岐部さんは50代で体力があったから、同時に穴つるしの拷問されていた60代の仲間を励ましたばっかりに役人に「こいつは転ばない。生かしておけない」と殺害されたそうですからして・・。

時に異教徒(広い意味では他者)に対し、苛烈な攻撃性も発揮してしまうのが「宗教」の怖さだと思っております。

永遠と有限。自己と他者。勝利と敗北・・。
二律背反ではないのが世界の姿=混沌だと思うんだが・・。
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