記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

黄色いハンカチは今

2006-11-17 | Weblog
団地とか公営住宅で、一人暮らしの高齢者が孤独死・・それも何日も発見されず・・そんな悲しいことが起きないように、見守りの手立てとして、ベランダの物干しに黄色いハンカチを干して出し入れしてもらう、というのを聞いたことがありますか。

映画「幸せの黄色いハンカチ」の舞台になった北海道の夕張市が、財政破綻で今大変な危機をむかえている・・朝ズバで、みのさんが騒いでいました。





夕張
喰う張り
坂ばかり
ドカンとくれば
死ぬばかり


という言葉をご存知でしょうか。
炭鉱の町夕張は常に危険と隣り合わせで日々の糧を得ていたヤマの男たちによって支えれてきた歴史がありました。

おりがみが大学生のころ。

夕張炭鉱でガス突出事故が起きました。
生存者が坑道に残っている可能性を残しながら、消火をするための注水をした。

「父ちゃんは三度殺された。ガスで殺され、火で焼かれ、水に沈められた。」
掘り出された遺体は、まるで煮込んだシチューの骨の様だったという描写に絶句しました。
生き残った炭鉱の人たちを襲った失業の嵐。会社が炭鉱は再建できないからと、働いている人を解雇したのであります・・・。


知人の声楽家が夕張の出来事を歌にしていたり・・事故の遺児たちが書いた文集を読んだりしていて、普通の大学生よりは夕張の事をちょっとは知っている、そんな大学生おりがみでありました。
遠い町の出来事とはいえ、この日本でこんな悲惨なことがあっていいのか、このことの顛末を見届けたい・・・そんな感情が沸き起こりました。


おりがみは「座り込み」に行きました。正確には「座り込みの応援に来てほしい」といわれて、たまたまその日の午後は授業がなかったんですが・・・。

炭鉱を経営している会社のそのまた親玉みたいな会社の社長さんだか会長さんだかのお住まいが東京にありまして。
「解雇を撤回してくれ」怒号もなく、握り拳を振りあげるでなく、唇をかみ締めて座り込んでいる炭鉱で働いていた人たち。

その前で声楽家の人や合唱団の人とうたをうたいました。

夕張の灯をヤマの灯を
消してはならぬ
消さしては
死んだ父ちゃんうかばれぬ・・

みどり萌え立つ夏
黒い水流る川よ
木々を渡る風に
跳び回る子らよ
ああヤマに生き
喜びも悲しみも
山並続く 夕張の町・・


座り込んだから、歌ったからといって働いていた人の主張がかなったかといえば、現実は冷たく、厳しく・・・ええ、歌ってるときからそれはなんとなく解ってきたのですが。

閉山、解雇・・・。
お金に繋がらなければ企業はかくもあっさりと町を見捨ててゆくのだと
社会がそういうなりたちをしてるのかと、実地でまなばされました。

そこに働く人の事なんか構っちゃいられない・・

しかし、人はそんな時こそ、踏みつけられようが言いたい事はいっとかなければいかんということも学びました。




石炭産業から観光産業へと夕張市は事業転換をします。



新婚旅行で初めて北海道を訪れる事になったとき、おりがみは「幸せの黄色いハンカチ」のキンちゃんのようにレンタカーで道内を回り、夕張を訪ねてみました。


『石炭の歴史村』というテーマパークでは、炭鉱の様子が再現され、レストランでは美味しい夕張メロンがならび・・・

一歩町を出れば、住む人もない炭鉱住宅(炭住)が建っています。健さんを待って倍賞さんが黄色いハンカチをはためかせていたらしき場所も静かなもんでした。

メロンはもう凄く美味しかったです・・・
観光ったっておりがみみたいな物好きはともかく・・基幹産業のなくなったこの町を支える事ができるのだろうか。
「あと何十年かしてこの結果が町を滅ぼす」そんな予感がしました。


おりがみが生まれた頃、九州の炭鉱でも似たようなことがあったですが・・。筑豊はいまどうですか?


あらゆる産業、教育、福祉、医療の現場で「景気回復」とは無縁の苦しみに喘ぐ人々。
勝ち組負け組とお互いを貶めて、自分より不幸な人をこき下ろし、幸福そうな者にはほころびを見つけようと鵜の目鷹の目の嫉妬の嵐。



それで飯野海?




ただ座して巨大な流れに飲み込まれるのではたまったもんじゃない。
炭鉱に安全の守り神として連れて行かれた籠の小鳥のように、敏感にならねば・・と。思った朝でした。

黄色いハンカチを確かめに、今日の町を歩こう。

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
栄枯盛衰 (シルク@昼休み)
2006-11-17 12:55:02
知り合いの方に、小学生の時に炭鉱が閉山になって、九州から大阪へ出てきたという方がおられます

石炭から石油、レコードからCD…etc
今、自分が関わっている仕事があっという間になくなってしまうとどうなるか?
若い頃はあまり気になりませんでしたが、四捨五入で50歳ともなると不安ですな
体力だけはつけておかねば

少し前、パソ通時代からの仲間のブログに【フラガール】という映画の紹介が出ていました
http://www.hawaiians.co.jp/tomaru/spend/spd04.html

これは、福島県の常磐炭鉱が閉鎖される時、町の人の雇用を確保するにはどうしたらよいかというのがテーマだそうで
そうして出来上がったのが常磐ハワイアンセンター(スパリゾート ハワイアンズ)だそうです
初期の頃のドカベンに出てくる【いわき東高校】も、炭鉱が閉山になって、甲子園が終わったらチームメイトはみんなはなればなれになってしまうという設定がありましたよね、確か

私たちが生まれた頃だと、福岡県の三井三池炭鉱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E4%B8%89%E6%B1%A0%E7%82%AD%E9%89%B1
労働争議と炭鉱史上最悪の事故で揺れる街に灯りをともしたのは、原貢監督(ジャイアンツの原監督のお父さん)が率いる三池工業の選手権優勝
エースの上田投手はプロでもそこそこに登板し、初期の頃のあぶさんに【ジージョ】のニックネームで登場します
優勝パレードを沿道で見ながら、『かっこいいなー、ボクも野球で頑張ろう』と、小学生だった真弓さんは思ったとか

石炭産業のことも、私たちがこの世からいなくなる頃には遠い過去の事となるでしょうが、日本の近代化に寄与したことを後世に語り継ぐことは、戦争を忘れない事と同じくらいに重要なことだと思います

とりとめなくダラダラとしたコメントですみません
返信する
炭鉱 (giants-55)
2006-11-17 20:29:38
書き込み有難うございました。

「月が出た出た月が出た あーヨイヨイ♪ 三池炭鉱の上に出た♪ あんまり煙突が高いので♪ さぞやお月さん煙たかろ ほらヨイヨイ♪」

最近の夏祭りでは余り耳にしなくなった気もしますが、子供の頃盆踊りと言えば必ずこの「炭坑節」が流れていました。今は亡き祖母からこの振り付けを教わり、何度か踊ったものですが、コミカルさを感じさせる”炭鉱の世界”の裏に、過酷な現実が在ると知ったのは五木寛之氏「青春の門 筑豊編」の映画を観た時でした。その後で原作や炭鉱の歴史に付いて記された本を読んだのですが、”黒いダイヤ”と呼ばれて大資本が鎬を削るって採掘に当たっていた当時、人の命が斯くも軽視されていた事がとてもショックでした。

夕張炭鉱のガス突出事故、あの当時の報道を今でも覚えています。後年、日航機事故で感じたのと同じ、悲惨さ&遣り切れなさで一杯になりました。「父ちゃんは三度殺された。」という言葉、当時もそうでしたが、今改めて目にするとその悲惨さを改めて痛感します。

結局、「弱い立場の人達に全ての皺寄せが来てしまう。」という構図はあの頃も今も全く変わっていないという事なのでしょうね。そんな中、”黄色いハンカチ”的な動きは、「何とかしなければ。」という地域住民の連携を感じさせ、一寸救われた思いにはなりますが・・・。

P.S. よもやおりがみ様があの番組を見ておられたとは^^;。
返信する
社会科教材 (おりがみ)
2006-11-18 00:49:43
コメントありがとうございます。

シルクはんへ
私と同世代の人でも三井三池の争議については良く知らない人が多いんじゃないかなぁ・・・。そもそもこのブログをはじめたのは、自分の記憶が確かなうちに「こんな事もあったんだよ」「こういう本やマンガがあったのよ」と記しておきたいという「落書き」願望も理由の一つでした。
だから、シルクはんが書いてくださった事(知り合いの方の事。常磐炭鉱の事。ドカベンの事)は全て凄くうれしい記憶であり、貴重な証言です。お互いの記憶の断片をつなぎ合わせると、大きな一枚の年表が書けそうです。
「フラガール」・・見てみようかなぁ。


giants-55さんへ
立場の弱い・・それは私の属する階層というか檻のようなものかと思います。
例えて言うなら怪獣映画とかで、ガメラに心を通わせるような特別な存在でもない。あっさりゴジラが壊したビルの瓦礫の下敷きになって死ぬのが適役。

「青春の門」大竹しのぶさんの体当たり演技が記憶鮮明です。

あの番組・・・ええ、もう食い入るように・・ね。しかし今の学校の方がよっぽど「ハレンチ」だと言ったらいい杉山?





それにしても
このページだけで「現代社会」「政治経済」「日本史」の教材が幾つ作れるかな??なんて思ったりして・・。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。