記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

見送りびと

2009-12-30 | 保育について
望年会を無事終えて、師走も29日。

がけ保草創期の大恩人、ゼンジイのお通夜に駆けつけた。


寒い寒い風の中。
連なる喪服の列。
斎場からあふれる。
86歳と言う年齢、交友関係の広さだろうか。
東京に住まわれていたと今回初めて知った。


保育士おりがみにとっては、かつての園児のおじいちゃんであるが・・
ゼンジイ、ただのジイではない。
がけ保が今あるのは彼のおかげだとも言える。




保育所がなかった町に
「保育所を作って」ともとめていた働く母親達が
なかなか実現されないため
「公立保育所ができるまで」と
自分達で「自主保育」を始めた。
保母の経験があるエッちゃんと
看護婦のカズちゃんが保母役をかってでた。
カズちゃんのお家を臨時保育所としてスタート。
そのとき、夫のゼンちゃんはこう言った。
「保育園やるのはかまわない。ただし、どんなに親が迎えに来るのが遅くても嫌な顔をするな。それだけは絶対に守れ。ソレができないならやるな」


カズちゃん宅での保育はその後エッちゃん宅に引き継がれた。


「公立園」ができるまで・・とはじめたはずが


保育に欠けるこどもはあとからあとからやってきた。


「待機児童」なんて言葉が無い時代だ。

とうとう個人宅での保育に限界を感じ、農家の納屋を改造しての「独立園舎」建設。
さらに別の借地の上にプレハブを建てての学齢期までの年齢別保育を開始。
園児はさらに増え、手狭なプレハブを増築し鉄骨二階建ての園舎建設。
これらの3次にわたる「建設運動」ののち
新たに認可園の建設と言う事業に連なる。

無認可園と認可園。二つの保育所が姉妹園としてゼンジイの祭壇にひとつの花を掲げた。





原点。


「親が遅くなっても嫌な顔をするな」

がけ保は
横浜市の保育所よりもはるかに前から保育時間を夜の6時半まで「延長」していた。
やがて公立や認可園が6時半まで見るようになったときには
さらにニーズに応えて7時までの保育時間になった。


この秋、うえむすめのがけ保時代の同期生の父上が急死されたが、彼の息子がその7時までの保育が必要だったおこの第一号だ。(非公式にはずっと以前から職員の「善意」でもっともっと遅い時間まで預かる事があったが)これについてはまたあらためて・・。


保育時間の要求は8時まで延び、いまや11時間保育はあたり前の世界になった。


今のおりがみのポジション(遅番)の原点。



ゼンジイちゃんの言葉。今一度噛み〆る師走。

でもやはり
親御さんにはいいたいときがある。

「はやくかえっておいで」とね。

お子は待ってます。

あなたの帰りを。

遅くまであいている保育所は

確かにあって良いのだけれど

小さいお子をもつ親御が

さっさと夕方帰れるような働き方を

この国はどうして作れないの?と。


おひとよしの保母は笑顔の影でずーっと拳を奮わせているのですよ・・・。

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2 コメント

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父親も母親も・・・ ((まめ)たぬき)
2009-12-31 11:35:22
正規雇用だと時間一杯まで働かされる。
非正規雇用だと、待機児童の多い街だと、入所順位が低くなるので、下手をすると働くことを諦めざるを得なくすらなる。
通勤時間が長いということも考慮してくれない妙な基準もあったり・・・。

保育所がなかったら、ほんと辛いけど、
親を家庭に返せない世の中にも困ったもんです。
イレギュラーな時間で働く両親を持つ家の子ども達にも対応した保育所が必要とされてるけど、
どうしても「そう」じゃなきゃならない、ってのも親のほうもつらいだろうなあ・・・。

えらいサン達はそういう経験がないから、なかなか理解しようとしてくれないのかもしれません。理解してもらうために声を上げなきゃいけないんですが・・・。
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(まめ)たぬきさんへ (おりがみ)
2009-12-31 17:30:22
人が休んでる時間に働くのが儲けにつながったのは江戸時代?でしょうか。誰もが紀伊国屋文左衛門になっちゃうわけないし・・。
24時間年中無休と言う便利さとひきかえに私らとんでもない世の中に子どもをおくり出してるんだって思う。

>エライさん
そうそうママから毎月1500万円・・。ソレだけあればうちの保育所改築できるぞ・・・。
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