ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

淺草「天藤」で天ぷらを食べる

2023年02月16日 | グルメ

淺草には何かと良く出かける。行ったついでに食事をすることが多いが、まだ十分開拓できているとは言えない。今日は昼食にお気に入りの「天藤」(てんとう、と読む)で天ぷら定食を食べることにした。伝法院通の一番西側のホッピー通りとぶつかる交差点の角にある。

店内は広くなく、奥にカウンター席が5席くらい、手前に4人掛けテーブル席が2つと2人がけテーブル席が1つだったと思う。営業は10時からというのが有難い、昼からの用事に備え、少し早めに食べたいことがあるからだ。ただ、夜も5時くらいまでしかやっていない。

私はいつも天丼ではなく、天ぷら定食を食べる。天丼はどこの店でもタレが甘く、食後にむねやけするようで好きになれない。ここの天ぷら定食は2300円とリーズナブル、大きな海老一つと小さめの海老が二つ、ナス、鱚か白身の魚、シシトウ、小柱と小さな海老のかき揚げなどが出てくる、これにお新香と味噌汁がつく。天ぷらの揚げ方は衣が出しゃばることなく衣の量だけが大きく膨らんでいるようなものではないのが良い。

平日に行けば長い行列が並んでいることもあまりないが客はどんどん入ってくるので私はいつも少し早めに行くことにしている。近くの有名店などはいつも行列ができているが私はこちらの方が好きだ。この日はもうカウンターやテーブルにアクリル板がおいてなかったがもうこれで良いと思う。

ごちそう様でした。

 


Netflixで「ペギー・グッゲンハイム アートに恋した富豪」を観る

2023年02月16日 | 映画

Netflixで何か映画を観ようと探していたらこの映画を見つけた。

この映画は現代美術コレクターであるペギー・グッゲンハイム(1898年8月26日-1979年12月23日、81歳没)の生涯を描いたドキュメンタリーである。ペギー・グッゲンハイムはユダヤ系のニューヨークの富豪で、1912に発生したタイタニック号沈没事件で死去したベンジャミン・グッゲンハイム家の娘として生まれた。また、ニューヨークのグッゲンハイム美術館を建てたソロモン・S・グッゲンハイムの姪でもある。

20代で第1次世界大戦後のパリに渡り、シュールレアリスムや抽象絵画といった斬新な表現に出会う。アートへの造詣を深めていった彼女は、多くの芸術家たちを支援していた。1949年に集めたコレクションを展示するためにベニスに「ペギー・グッゲンハイム・コレクション」を設立し、そこで彼女は死ぬまで過ごした。映画は彼女のインタビューを中心に彼女と付き合いのあった今では有名な画家たちの証言も集められた。そして彼女の自由奔放な人生、恋愛遍歴を存分に描いている。

映画の中で、第2次大戦の時代が描かれており、そこで印象に残ったのは、

  • ナチはユダヤ人を敵視していたと思われているが、実はモダンアートも敵視していた、それが頂点に達したのは1937年ミュンヘンで行われた”退廃芸術展”だ、人々が嫌うべきとされた650点もの芸術作品が強い憎悪を持って一堂に集められた
  • 大戦中、画家や画商は絵を安く処分して換金したがっていた、それをグッゲンハイムは抜け目なく買い集めた、グッゲンハイム家の人は商売を心得ている、グッゲンハイムはたった4万ドルで多くの良い作品を手に入れた、今の価値ならいくらになるか・・・もう買えない価値になっている、そして当時の美術界は男性社会だが彼女は女性としての自由と権利を獲得した、働く女性はめずらしい時代だったので彼女は先駆的だ
  • 戦時中、彼女はキュービズムにも手を出した、今ほど注目されていなかった、当時買ったピカソなどの絵をルーブル美術館に預かってもらうようお願いしたが拒否された、ルーブルは今では後悔しているだろう

私は幸運にもニューヨークのグッゲンハイム美術館とベニスに彼女が建てて住んでいたグッゲンハイム美術館ともに行ったことがある。ニューヨークのグッゲンハイムはその独特のビルのデザインに驚いたし、ベニスのグッゲンハイムは運河のすぐ横に建っており、印象深い。この映画を観てもっと勉強してから訪問すれば良かったがもう遅い。下の写真は訪問時に自身で撮影したもの。

ニューヨークのグッゲンハイム美術館

ベニスのグッゲンハイム美術館