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「定年後にやっていること」です

ゴルフの帰りに「軽井沢安東美術館」に寄る

2023年06月07日 | 美術館・博物館

軽井沢でゴルフをしてから軽井沢駅近くの大賀ホールの前に最近できた「軽井沢安東美術館」に行ってみた。この美術館は投資ファンド会社の経営者安東泰志氏とご夫人が創設した日本のみならず世界でも初めての藤田嗣治の作品だけを展示する個人美術館である。入場料は一人2,300円。

安東泰志氏は長年にわたって藤田の作品を蒐集し、自宅の壁にかけて慈しんできたコレクターである。夫妻が個人的に蒐集した藤田作品が多くなり、将来夫妻が亡くたった場合にその作品の散逸を防ぐために、その作品を展示する美術館を創設したとある。もともと夫妻の自宅に飾ってあったコレクションをもとにした美術館なので、美術館のコンセプトは来場者に安東夫妻の自宅に招かれたような気持になる場所にするという考えで作られている。

展示室に入っていくと直ぐに右側にサロン・ル・ダミエがある。この部屋では藤田の来歴や展示作品の説明のビデオ10分が流れており、鑑賞を前に事前勉強が可能となっている。椅子とテーブルがあり、コーヒーの無料サービスもあるのでコーヒーを飲みながらビデオを見て予習ができるのは素晴らしい。また、室内のインテリアもフェルメールの絵を思い起こさせるような床のデザインなど大変おしゃれな感じとなっている。

その後、順路に従って展示室を見ていくと、展示室は全部で4つに分かれており、藤田の来歴に従って作品が展示されている。最初は一般的な風景画などもあるが、その後、乳白色の裸婦像、聖母子像、子供の肖像画、猫の絵などが多く展示されている。部屋ごとに壁紙の色が異なっており、まるでイギリスのナショナル・ギャラリーに来ているような錯覚に陥る。

順路の中には当館の建設の全工程を記録した映像が見れる場所があり、また、安東夫妻のご自宅に絵があった当時の様子を記録したビデオと写真の展示もあったりして参考になる。全体的にインテリアはおしゃれでセンスが良く、ご夫妻の趣味の良さがにじみ出ている。

特記すべき点としては写真撮影のことだ、説明によれば写真撮影はOKだが、一つの写真には3つ以上の展示作品が写るようにするのが条件となっていることだ。例えば、1枚の絵だけを被写体として取る写真は許可されない、ということだ。これは著作権の関係があるためだと思われるが、ありがたい対応である。思わず写真に収めたくなる素晴らしさがある美術館だからだ。

さて、藤田嗣治であるが、彼は世界で有名になった後、日本で活動したいと思って日本に一時期滞在していたが、戦時中に戦争画を書いたことについて周囲の無理解により不愉快な思いをし、フランスで生きていくことにした、そしてフランス国籍も取得して、最後は夫人と一緒にフランスの地に眠ることになる。藤田は「自分が日本を捨てたのではなく、日本が自分を捨てたのだ」と終生語っていたそうだ。近藤史人著「藤田嗣治、異邦人の生涯」を読むとその間の経緯が詳しく書かれており、藤田の思いがよくわかる。戦前、戦中には保守的なことを言っていた学者が戦後節操もなく進歩的な学者に転向したことを書いた松本清張の小説を以前紹介したが(カルネアデスの舟板)、似たような例はいたるところにあったのだろう。

鑑賞を終わって、仕事に成功して金持ちになった人の金の使い方としては有意義なものだと感じた。若くして株式上場などで巨額の金を手にした実業家がグルメやヨットなどに成金趣味のように金を使っているのに比べれば、安東氏の金の使い方は立派なものだ。もちろん、税金対策とか実利的な面もあるだろうが、芸術や伝統芸能というものは税金ではなく金持ちの支援などでやっていくべきものだと思う。身銭を切って作品を蒐集する人には審美眼が備わっていくものだ。その意味でもこの美術館創設は有意義だと思う。

ゆっくり1時間ちょっと鑑賞して美術館を後にした。観覧料は若干高いが観に行く価値は十分あると思った。


「板谷波山記念館」に行く

2023年05月20日 | 美術館・博物館

今日はゴルフの後、帰り道にある下館の板谷波山記念館に行ってみた。初訪問である。入場料は210円と安い。

板谷波山(1872-1963、91才没)は茨城県出身の、明治後期から昭和中期にかけて活動した陶芸家であり、「波山」は故郷の名山である筑波山に因む。日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者である。テレビでもよく紹介されているし、映画もある。

彼の作品はこの記念館だけでなく、直ぐ近くにあるしもだて美術館、ちょっと離れた広澤美術館にもあるが、この記念館だけまだ行ったことがなかった。

記念館の中に入ると、波山の生まれ育った家があり、その横に作品展示室、奥に作業棟があり、その中には東京の田端にあった窯を移築したものが展示されている。そして波山の映画の一部も放映されている。この映画を観ると、この窯(だと思うが)を初めて作って火を入れたとき、なかなか温度が上がらなかった、しかし、所定の温度まで上がらないと陶芸は失敗に終わり、波山の夢は終わる。そこでもう燃やす薪もなくなって最後は家の雨戸を全部薪がわりにして温度を上げたことが映されていた。

焼き窯の温度を上げることがいかに大変かは2、3年前の朝ドラ「スカーレット」を見て初めて知ったので波山夫婦の苦労のほどが想像できる。

波山は第2次大戦後、地元の戦没者の遺族や80才以上の高齢者に香炉や鳩杖を贈呈した。波山の人となりがうかがえる話である。

5月20日からは、波山没後60年の節目として「陶の詩人」と題した板谷波山記念館としもだて美術館の連携展示(後期)が開催されるそうなどで、今度はそれを観に行きたい。


静嘉堂@丸の内で「明治美術狂想曲」展を観る

2023年05月19日 | 美術館・博物館

静嘉堂@丸の内で開催中の展覧会「明治美術狂想曲」展を観に行ってきた。新聞に載っていたから行ってみたくなった。1,500円。静嘉堂は以前、世田谷区にあったが最近、丸の内の明治生命ビルに移った。前から一度行ってみたかったが機会が無かった。今回、曜変天目も展示されていると知ってさらに行ってみたくなった。

静嘉堂は三菱グループの岩崎彌之助と岩崎小彌太が創設・拡充させた。現在、国宝7件、重要文化財84件を所有し、およそ20万冊の古典籍と6,500件の東洋古美術品を収蔵しているという。静嘉堂という名前は中国古典からとったもので、彌之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整うという意味だそうだ。

今回の展覧会について、美術館の説明では「明治時代は「美術」が産声を上げた時代、「美術」という言葉が誕生し、博覧会が開催され、美術館が初めて設置された。社会全体が西洋化する一方、古美術品の再評価や保護、日本美術史の編纂も、明治時代の重要な出来事。展覧会では、現代の「美術」につながる諸制度・文化が生まれた明治時代を立脚点として、静嘉堂のコレクションの中から岩﨑家とゆかりが深く、当時としてはセンセーショナル、しかし現代でも色あせない明治美術を展示する」とある。

ギャラリーは1から4まであり、以下のようになっている

ギャラリー1 「美術」誕生の時、江戸と明治のあわい(crossover)
ギャラリー2 明治工芸の魅力、欧米好みか、考古利今か
ギャラリー3 博覧会と帝室技芸員
ギャラリー4 裸体画論争と高輪邸の室内装飾

いくつか感想を述べてみよう

  • 美術館はそれほど広くなく、1時間もあれば十分鑑賞できる展示量であった、写真はホワイエ以外は禁止であった(残念)
  • 展示作品ではなんといっても黒田清輝の「裸体婦人像」が強烈だ、最初に日本で展示された時、あまりに刺激的なので警察の指導で下半身を覆う腰巻きをかけて展示した、本展ではもちろん腰巻きはないが現代においても非常に艶めかしい絵だ。この絵は、黒田がパリ万博に出展した「智・感・情」という若い女性の3つの裸体画3部作(これは上野の黒田清輝美術館にあり何度か観たことがある)が師のラファエル・コランに不評だったために奮起して現地フランスで描いたもの。当展覧会の図書の表紙にもなっている。その後、岩崎家の所有になり港区の高輪邸に展示されていた。まさに、「当時としてはセンセーショナル、しかし現代でも色あせない明治美術」というのはこの作品のことだろう。
  • その高輪邸であるが、ギャラリー4で室内装飾の展示がある。この高輪邸には仕事で一度招待されて食事をご馳走になったことがある。高輪邸は開東閣(かいとうかく)という名前の三菱グループの接待施設(非公開)となっているが洋風建築の建物と広い庭園がある贅沢な施設だった。
  • 展覧会のテーマとは関係ないが、世界で3つしか完成品が残っていないという国宝、曜変天目(稲葉天目)が展示してあり、鑑賞できたのはうれしかった(上記の写真参照)。多分、初めて観たと思う。青・藍の色合い、模様が素晴らしい。思っていたより小さかったが素晴らしい作品であった。
  • 入口を入ると直ぐに正方形のホワイエがあり、ギャラリーがその回りを囲むようにある。ソファーもあり、鑑賞中或いは鑑賞後に休憩するのに便利だ。

観に行く価値は十分あると思った。

 


森美術館「ワールド・クラスルーム」展を観に行く

2023年05月17日 | 美術館・博物館

六本木ヒルズ内にある森美術館で開催中の展覧会「ワールド・クラスルーム(現代アートの国語・算数・理科・社会)」展を観に行った。森美術館に来るのは10年ぶりくらいかもしれない。料金は夫婦2人分で3,600円。

美術館の説明では、展覧会の狙いを「1990年代以降、現代アートは学校の授業の国語・算数・理科・社会など、あらゆる科目に通底する総合的な領域ともいえるようになってきた。それぞれの学問の最先端では「わからない」を探求し、歴史を掘り起こし、過去から未来に向けて新しい発見や発明を積み重ね、私たちの世界の認識をより豊かなものにしている。現代アーティストが私たちの固定観念をクリエイティブに越えていこうとする姿勢もまた、こうした「わからない」の探求に繋がっていうる。そして、現代美術館はまさにそうした未知の世界に出会い、学ぶ「世界の教室」とも言える。この展覧会は、学校で習う教科を現代アートの入口とし、見たことのない、知らなかった世界に多様な観点から出会う試みである」としている。

展覧会のセクションは「国語」、「社会」、「哲学」、「算数」、「理科」、「音楽」、「体育」、「総合」に分かれて展示されていたが、面白い切り口だと思った。実際に展示作品を観ていくと「これ何?」というような観る人に考えさせる作品ばかりである。既存の概念では説明できない作品も少なくなかった、少し笑ってしまうおかしい作品もあった。観ていて全然退屈しなかった。

観た作品で印象に残っているものを少しだけ記してみると

  • 田部友一郎氏の「見えざる手」という作品には笑った。暗い壁に3つの縦長のスクリーンがあり、そこにマルクスとケインズとアダム・スミスの化身が写り、プラザ合意のことについて議論しているのだ。誰のためにやったんだとか、ひどい合意だとか、ケインズの理論ではどう説明するのだとか、お互いの理論を出して皮肉交じりに批判しあっているのだ。
  • 作曲家・指揮者のグスタフ・マーラーの使っていたメガネを使って彼の交響曲10番の楽譜を見た写真があった(下の写真左参照、米田知子作)

観た後の感想と若干のコメントを述べよう

  • 現代アートはなかなか親しみにくいな、と感じていたいが、今回展示されている作品は比較的わかりやすいものであたっと思う。抽象的な作品は少なく、何かを暗示したり、皮肉ったり、問題提起したりしているものが多く、説明書きなどを読むと作者の作品に込めた意図、狙い、問題提起などがわかるようになっていてよかった。
  • 断りのない限り写真撮影OKであったのは有難い。
  • 作品の説明書きのパネルだが、あまりに小さい、文字が小さい、これではシニアや近視の人は読むのに一苦労だ。しかも照明も暗い、配置もかがんでみないと読めない位置である。もう少し観る人の立場になったものにしてもらいたい。
  • 作品数が多すぎるように思う。まともに一つ一つ観ていくと一日かかるだろうし、それでは非現実的だ。もう少し作品を絞って、料金も安くすることも必要なのではないか。

美術館は54階にある。Tokyo City Viewと同じフロアだ。美術館に入場した人は追加料金500円でシティービューにも入れるが、シティービューの入口の前に無料でビルの外の景色が見られる場所がある。時間がない人はここで十分展望を楽しめる。今日は雨だったのが残念だった。


「出光美術館 茶の湯の床飾り」展を観る

2023年05月14日 | 美術館・博物館

以前から行ってみたいと思っていた出光美術館(千代田区丸の内)に行ってきた。いま開催中の展覧会は「茶の湯の床飾り」だ。美術館の説明では、茶の湯は中国より抹茶や煎茶の喫茶法が伝来し、日本の文化や風土に合わせて独自の変容を見せているが茶の湯や煎茶においてどのような書や画が掛物として茶席を飾ってきたのか、出光美術館のコレクションを中心に紐解く展覧会だとのこと。

展示は時系列的に4つに分類されている
第1章 床飾りのはじまり(唐絵と墨跡)
第2章 茶の湯の広まり(一行書の登場)
特集 茶の湯の物語
第3章 近代数寄者の新たな趣向
第4章 煎茶の掛け物

最初のうちは中国で勉強した修行僧などが持ち帰った書や茶器などを将軍などが楽しんだが、時代が進み、珠光、村野紹鴎、利休、古田織部、小堀遠州らが次々と出てくると侘、禅宗との結びつきなどにより徐々に日本流の広がりを見せ、茶を楽しむ人口も増えていく、その過程で用いられた茶器、掛け軸などが楽しめる。

茶器や掛け軸の良し悪しはわからないが、これらのものを見ていると不思議と心が落ち着いてくる。詫びさびの精神も日本人の中にDNAとして引き継がれているように思える。現代人で茶の湯を楽しむ人は限られているかもしれないが、お茶を飲んだり花を生けたりすることを茶道や華道にまで高めてしまう日本人の探求心や真面目さは世界に誇るべき文化だと思う。また、そこまでいかなくても日本には欧州などに負けないほどの喫茶文化があり、昔ながらの喫茶店や名曲喫茶、ジャズ喫茶、あるいはスタバのような外資のチェーン店までが棲み分け、いろんなお茶の楽しみ方を提供してくれるのはありがたいことだ。

展示作品のいくつかは非常に印象に残るものがあったが、上の写真のポスターでも使われている「禾目天目(のぎめてんもく)」、展示では上下に分離して展示されているので(上が茶碗、下が茶碗受け?)、写真と同じ姿ではないことに留意が必要だ。

出光美術館は初めて訪問したが、思っていたより内部は広く、ゆっくり見ていたらあっという間に1時間半くらいたってしまった。鑑賞が終わって展示室を出ると、そこは皇居が見える休憩室になっており、ゆっくり休めるようになっているのはありがたい。


「濱田庄司記念益子参考館」に立ち寄る

2023年04月29日 | 美術館・博物館

ゴルフの帰りに益子町にある「濱田庄司記念益子参考館」に立ち寄った。入場料は1,000円。

このユニークな名前の展示館は、陶芸家濱田庄司(人間国宝)が蒐集した陶磁器、漆器などを展示・公開するために自邸の一部を活用する形で1977年4月に開館したもの。濱田の蒐集は、日本国内にとどまらず、中国、朝鮮、台湾、太平洋諸国、中近東、ヨーロッパ、中米などの各地に広がり、時代的にも古代から近現代まで多岐にわたっている。その蒐集品は、自分の作品が負けたと感じたときの記念として、購入し諸品であり、これらは、濱田の眼を楽しませ、刺激し、制作の糧となったもので、身辺に間近くおいて親しんだもの。

(濱田の作品)

濱田庄司記念益子参考館は、濱田がそれらの品々から享受した喜びと思慮を、広く工芸家および一般の愛好者と共にしたい、また自身が制作の際に参考としたものを、一般の人たちにも「参考」としてほしい、との願いをもって設立された。この参考館は敷地内に展示館がいくつかあり、番号がついているので順番に見ていった。奥の方には濱田の制作場所の館や登窯などもあった。

(濱田の蒐集作品)

濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家の一人、1894年生まれ、東京府立一中時代に陶芸家の道を志し、その後、東京高等工業学校窯業科に進学し先輩の河井寛次郎と出会い、終生の友となる。卒業後は、河井も入所していた京都の陶磁器試験場に入り、技手として主に釉薬の研究・開発にあたりながら、自作の制作もスタートした。1920年にバーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動をスタートする。1923年に帰国し翌年に益子に移住した。益子では間借りの生活であったこともあり、沖縄にも長く滞在し、多くの作品を残した。

(蒐集作品、展示塔)

濱田の収集作品を観ると、いろんな国々の作品があり面白く、いいなーと感じた作品が多い、見る目があったのだろう。濱田自身の作品は地味な色合いのものが多いが、これは民芸品として日頃の生活で使うものを作っていたためであろう。よって素朴な味わいのある作品が多いと感じた。

(住居、アトリエ)

このあと、益子焼の販売所に行き、気に入った作品を買いたかったがゴルフの後で疲れていたし、時間もなかったので、他にはどこも立ち寄らないで帰った。外国人観光客なども来場しており、海外でも見る価値のある展示館として紹介されているのだろう。行ってよかった。


「根津美術館 国宝・燕子花図屏風」を観に行く

2023年04月27日 | 美術館・博物館

南青山の根津美術館で「特別展 国宝・燕子花図屏風」を開催されているので行ってきた。チケットは事前予約制で1,500円、日付確定で変更不可、あいにく今日は雨だが行くしかないと思い、行ってきた。皆さん同じ考えであろうか、雨にも負けず結構な人がきていた。平日のためか、展示作品の内容ゆえか、美術館自体が素晴らしいせいか、女性客、特に若い女性客が多かった。また、外国人も多かった。

この写真は美術館のエントランス

根津美術館は毎年、カキツバタが咲くこの時期に尾形光琳の燕子花図屏風を特別展示している、何年か前にも同じ時期にこの燕子花屏風図を見に来た。その時は尾形光琳・乾山兄弟をモデルにした小説「光琳ひと紋様」(高任和夫)を読んだので、その本の表紙にもなっている燕子花図屏風が観れるというので来たのだった。

今回の特別展示室に入って順路に従って観ていくと、やはりこの「燕子花図屏風」が圧巻だ。一番大きな展示スペースに展示されており、室も広く、ゆっくり鑑賞できる。同じ展示室に光琳の白楽天図屏風、夏草図屏風もあり贅沢な空間なっている。展示室の中央には長椅子もあり座ってゆっくり見ることもできるのは有難い配慮だ。

尾形光琳は江戸中期を代表する画家の1人で、この時期の有名な画家の生存期間を示せば以下の通りとなるが、いかに偉大な画家たちが続出した時代かわかる。

雪舟   (1420-1506)
長谷川等伯(1539-1610)
狩野永徳 (1543-1590)
俵屋宗達 (1570-1643)
狩野探幽 (1602-1674)
尾形光琳 (1658-1716)
伊藤若冲   (1716-1800)
円山応挙 (1733-1795)

今回の展示を観ての感想を若干述べる

  • 絵の説明の小さなパネルが以前と比べ格段に大きくなっているし明るい照明になっている、よって近視の人でも読みやすい、さらに燕子花図屏風のように大きな絵には絵の両サイドに同じ内容のパネルが設置してある、先日の国立近代美術館でも同様だったが、このような工夫は有難い
  • 一方、写真撮影禁止は残念だ
  • 燕子花図屏風以外で特に注意をひいたのは同じ展示室の①白楽天図屏風(光琳作)と次の展示室にある②伊勢神宮道中図屏風(作者不詳)だ。
  • ①は唐の詩人白楽天が航海と和歌を守護する住吉明神とその化身である漁師に和歌の偉大さを思い知らされ、神風によって乗ってた船が弓なりに反り、中国に追い返されてしまう図を描いたもの、当時の中国人が日本の和歌を賞賛するというのが興味をひかれる
  • ②はこの時代の京都から伊勢神宮までのお伊勢参りの道中を一つの屏風に描いた作品だ。非常に精巧に書かれており、各地の名所風俗を描き出し光琳の生きていた時代の雰囲気が伝わってくる。洛中洛外図屏風と構図がよく似ているが同じ時代のものみたいだ。

さて、根津美術館には庭園があり、その庭園の中心部には何とカキツバタがいっぱい植えてあり、ちょうどこの特別展を開催する時期に満開になる、というか満開になる時期に特別展を開催している。事前にホームページで確認すると今週は満開のようで、雨が降っていたが庭園を散策してカキツバタが咲いているのを楽しんだ。水中に咲く花なので晴天の時に見るよりむしろ雨の日に観るのがふさわしいのかもしれない、緑の葉と群青色の花のコントラストが大変きれいだ。一度は観る価値がある。光琳の絵を観た後だけに余計に感動する。

今回は午後1時から鑑賞することにした、国立近代美術館では午前中に鑑賞してエネルギー不足状態になったからだ、この点は成功だった。美術館に1時間半くらいいて帰路についた。


国立近代美術館「重要文化財の秘密」展を観る

2023年04月01日 | 美術館・博物館

国立近代美術館の企画展「重要文化財の秘密」展に行ってきた。改装のためか一時閉鎖されていた国立近代美術館が再開され、初の展覧会だ。事前予約で1,800円で、企画展と常設展示が観られる。

観た絵画の中で特に印象に残った絵について、その一部を書いてみる

  • 菱田早春「王昭君」・・・自分を描く絵師に賄賂を渡さなかったため醜く描かれ、匈奴への貢ぎ物とされた王昭君の引渡しの時、美人の王昭君を王が初めて見て後悔する逸話、悲しむ王昭君と側近女性を描いた絵
  • 百福百穂「豫譲」・・・自分か仕える王を殺害した者を物陰に隠れていざ討とうとする瞬間を描いた絵
  • 鏑木清方「築地明石町」、「新富町」、「浜町河岸」・・・美しい絵、江戸の風物を描く
  • 和田三造「南風」・・・ジェリコーの「メデュース号の筏」を思い出す(写真参照)
  • 萬鉄五郎「裸体美人」・・・解説にゴッホとマチスの影響があると書かれていたがまさにその通り、ゴッホのタッチとマチスの色彩、その両方を描いた絵だ、素晴らしい(写真参照)
  • パウル・クレーの絵・・・所蔵作品展にクレーの特集をしたコーナーがあり、新収蔵作品「黄色の中の思考」をはじめ多くの絵が展示されているが、その色彩感覚が素晴らし(写真参照)

全体的な感想

  • 最近しばらく来てなかったから以前はどうだったか知らないが、展示室内は原則撮影自由となっていた。これは有難い、他の美術館もファンサービスの観点から同じ扱いにしてもらいたい。
  • 1,800円で企画展から常設展示まで、4階から2階まですべての展示室が観られる、今日は約2時間で全部見たが、疲れた。午前中に行ったが、昼食を食べて午後から見た方が体力的には良いかもしれない、最後の方は疲れてどうでも良くなった。1時間見ただけでもなぜか美術館というのは疲れる、同じ1時間でも散歩ではそんなに疲れないのに不思議だ。とにかく圧倒される量の素晴らし作品群の展示であり、1,800円は安いと言えよう、しっかり腹ごしらえしてからじっくり時間をかけて見るべきだと感じた
  • 今日は比較的空いているように見えた、よってそれぞれの絵をゆっくり観られたのは良かった、また、館内もかなり広いのでゆったり観られたのは良かった。来てる客層は老若男女、多岐にわたっていた
  • 美術館の展示で常々不満に思っていたのはそれぞれの絵に作者名やちょっとした解説が書いてあるプレートが表示されているのだが、文字が小さく、かつ、館内も薄暗いので非常に読みづらい点だ、特に近視の人は。ところが今回の展示では、比較的読みやすい文字の大きさ、プレートの作成の仕方、照明、そして幅広の絵では絵の左右の両端に同じプレートがあり一カ所に客が集中せずに流れが非常に良かった。良く工夫していると思った。
  • 常設展示室では重要文化財に選ばれた作品を書いた作家の別の作品を展示している、面白い展示だ、中には重文より優れているとか人気があるという作品あるとの説明だ

いろんな面で関係者の創意工夫がなされており、かつ、展示作品の内容的にも十分行く価値がある展覧会だと感じた。

 


「茂木本家美術館」に行く

2023年03月19日 | 美術館・博物館

千葉県野田市に茂木本家美術館がある。新聞の美術欄で知った。この美術館はホームページによれば

「キッコーマンの創業家のひとつである茂木本家が2006年に開館した地域貢献型美術館です。創立者である十二代当主茂木七左衞門(1907-2012)は若い頃から美術品を蒐集してきましたが、これらの作品を多くの方々に鑑賞していただきたいという思いから美術館を設立しました。」

できてからまだ17年と新しいためビルの内外はきれいで、ビルの外観、内部のデザインも周辺とマッチして洒落て、かつ、上品な感じがある。この建物の設計などについてはホームページで

「美術館は茂木本家が「くしがた」というブランドで独自の醤油を醸造していた工場の跡地にあり、茂木本家の私邸、稲荷神社、キッコーマンの本社に囲まれています。この歴史ある場所に、彦坂裕氏、上山良子氏にそれぞれ建築設計、ランドスケープデザインをお願いし、周辺地域と融合しながらも洗練されたデザインにこだわった美術館建築と景観を実現いたしました。」

展示室は常設展示室と浮世絵ギャラリーとがあり、後者は年4回、テーマを決めてそれにふさわしい浮世絵を展示する部屋で、今日は「浮世絵で見る滝と橋、北斎から巴水まで」がテーマとなった展示がなされていた。美術館の展示室はガラス窓で外の庭園が大胆に見えたり、縦長に見えたり、天井から光を取り入れたり、いろんな工夫がなされており、建物自体も一つの美術作品のように思える。

展示室への入口と反対側にはカフェがあり、カフェの中からは庭園に出れるようになっている。庭園の奥には稲荷神社があり、また、庭園は隣接する茂木本家の板塀と屋敷林などが借景となっている。

美術鑑賞、庭園散策あとはカフェMOMOAで予約しておいた昼食を食べた。蕎麦とお寿司または天むすのセットで、事前予約注文だが、二人で一つずつ注文し、合計3,100円。地元の料理店の人が来て調理してくれるそうだ。また、カフェの壁の専用ショーケースには茂木瓊子初代館長が蒐集した塩こしょうセットのコレクションを展示されていたが洒落たものばかりだった。

贅沢で上品な時間を過ごせました。


「佐伯祐三展、自画像としての風景」を観る

2023年02月22日 | 美術館・博物館

いつも見ているテレビ番組で今東京ステーションギャラリーで開催中の佐伯祐三展をやっていたので、行ってみたくなった。ホームページを見ると予約制とのことなのでネットで朝一番の10時に予約してステーションギャラリーにやってきた。東京では18年ぶりの回顧展となるそうである。

10時少し過ぎて到着して見ると入口前に行列が・・・・予約者だけでも行列ができているのかと思ったら、これは当日券を求める人のようで予約済みの人はスマホで予約表を見せてすぐに入れた。最初に3階までエレベーターで上がると、次の順番で展示してあった。

  • プロローグ 自画像
  • 1-1 大阪と東京:画家になるまで
  • 1-2 大阪と東京:柱と坂の日本、下落合と滞船
  • 親しい人人々の肖像
  • 静物
  • 2-1 パリ:自己の作風を模索して
  • 2-2 パリ:壁のパリ
  • 2-3 パリ:線のパリ
  • 3  ヴィリエ=シュル=モラン
  • エピローグ 人物と扉

佐伯祐三(1898-1928、30才没)はパリの街を独特のタッチで描いた作家としてその存在はよく知っていたが、今回改めて彼の展覧会を観てその業績を確認することができたのは大変良かった。上記の展示の順番は彼が生きてきた順であり、一つ一つのコーナーを解説を読みながら観て歩くと彼の人生が良く理解できるようにうまく展示されていた。

観た感想をいくつか述べよう

  • 年とともに彼の作風が大きく変化していくのがわかった、パリの街の壁の広告描いた画家というようなイメージを持っていたが、東京の下落合の風景や死の直前のフランスのモランの教会の風景などパリの街の風景と全く違うタッチで描いているのが意外だった、作風の変化はパリの滞在経験(フォービズムの画家ヴラマンクからの批判を含む)から当然であるが、結構大胆に変わっていると思った、ゴッホもパリに出てきて大きく作風が変わったが、佐伯が変わる方向性は次に述べるようにゴッホとは全く逆方向のような気がする、ただ、死期が近づいたモランで描いた絵や郵便配達夫の絵ではまた作風の転換があったように思う。
  • パリの街の風景だが、全体的にどんよりとした曇りの日の風景が多い、実際、西ヨーロッパの天気はそんな日が多いのだろうが、印象派の絵のように晴れた日の絵が一枚も展示されていない、というのも何か画家としての彼の主張があるような気がしたが、果たしてそれは何だろうか
  • 人物画より風景画が多いと感じた
  • ゴッホの「オーヴェルの教会」と全く同じところで同じ教会を描いた絵(作品展示番号60、オーヴェールの教会)があったのには驚いた、ゴッホとは違うイメージでその対比が面白かった
  • 「パリ遠望」(展示番号54)はセザンヌの影響を受けたと説明書きがあったが、絵を見たただけで色彩のタッチが全くセザンヌと同じだと一目でわかった、ユトリロの影響も受けたと説明があったが、ユトリロについては不勉強で何も知らない、勉強せねば、ユトリロの絵をネットでちょっと見るといい絵がいっぱいある
  • 死の直前に書いた展覧会のポスターにもなっている「郵便配達夫」(展示番号140)はゴッホの「郵便配達人 ジョセフ・ルーラン」とよく似ていると思った、ゴッホからの影響も受けているとのことで、それが出た一つの例であろうが私はこの郵便配達夫は佐伯の絵の方が好きだ、が、先ほどのオーヴェールの教会はゴッホの方が好きだ
  • 大阪中之島美術館所蔵となっているものが多かったがここは昨年行ったのだったが、佐伯の絵があったか記憶にない(モディリアーニの企画展が開催中だったからかもしれない)、佐伯の絵をこんなに所蔵しているとは知らなかった、中之島美術館はできたばかりの美術館で、また行ってみたい美術館だ
  • 今回も写真の撮影は不可であった、なぜであろう、海外は撮影OKのところが多いのではないだろうか、パリのオルセーやルーブル、ピカソ美術館、ニューヨークのMOMA、グッゲンハイムなどはOKだ。
  • 佐伯は自身が結核で早死にしただけではなく、一人娘も結核で亡くなったとは知らなかった、更に奥さんの米子が画家になったというのも知らなかった
  • 佐伯、ゴッホ、モーツアルトなど、なんでこんなに素晴らしい芸術家が早死にするのだ、もっと生きてほしかった
  • 東京ステーションギャラリーは室内の壁に東京駅の煉瓦塀をそのまま使っているところが多くあったが、これが今回展示されている佐伯の絵と妙にマッチしているように感じた

美術館内はかなり混雑していたが客は圧倒的におばさま方が多かった

帰りに入口を見るとまだ行列ができていた。