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映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」を観た

2024年02月27日 | 映画

柏のキネマ旬報シアターで映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」を見た、1,600円。1991年、制作は米・独・仏・日本、監督ジム・ジャームッシュ(米、71)、原題Night on Earth。日本が制作国に入っているのに驚く。映画の冒頭とエンドロールで日本人の名前が何名か出てきたが詳しく見れなかった。ジム・ジャームッシュ監督作品では「ダウン・バイ・ロー」を観たことがある。

ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台に、タクシードライバーと乗客の人間模様を描くオムニバス映画。物語はすべて同じ日の夜10時から翌朝6時くらいまでの間の話となっており、舞台は夜の街がほとんどである。地球という同じ星の、同じ夜空の下で繰り広げられる、それぞれ異なるストーリーを描くためNight on Earthという原題になったのだろう。

ロサンゼルス

若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で偶然出会った映画のキャスティング・ディレクターの女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。運転しながらタバコを吸ったりガムをかんだりしてだらしない感じだが仕事はしっかりやるキュートなコーキーに可能性を感じたヴィクトリアは映画に出演しないかと持ち掛けるがコーキーは断る

ニューヨーク

寒い夜の街角で、黒人のヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーをようやく捕まえると運転手は東ドイツから来たばかりの英語も運転も下手なヘルムート。途中でヨーヨーは、金は払うから自分にタクシーを運転させろと言い自宅まで行く、帰りのタクシーを心配そうに見送るヨーヨーだったが・・・

パリ

黒人乗客2人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手は、自分を見下す2人に怒って途中下車させる。次に若い盲目の女(ベアトリス・ダル)を乗せる。当初、運転手は気が強く態度の大きい女にいらだつが、女性が自分以上に鋭い感覚を持ち物事の本質が的確に見えているように思え、今度は自分が盲目の彼女を見下していたことに気づく

ローマ

1人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)は神父らしき客を乗せるが、自分は神父ではないと言う。ジーノは勝手に懺悔し始めるが、その内容はくだらないハレンチな話ばかり。客は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく我慢してジーノの懺悔を聞き続けるうちに亡くなってしまう

ヘルシンキ

雪が積もった街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔った3人の労働者風の男。その中の1人アキは酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る2人は今日がアキにとってどれほど不幸な1日かを語り始める。しかし、運転手のミカは「不幸はそれだけか」と客に聞く。むっとした客は、じゃあお前はどんなに不幸なのかと聞かれてミカが話し始めると・・・

それぞれの話が深く考えさせるものとなっている、そして舞台がパリやローマ、ヘルシンキになると、それぞれの国の言葉になり、俳優もそれぞれ国の俳優を使っている。舞台となった都市の景観も実によく考えられた場所で、画面を見ればすぐに「あーあの都市か」とイメージできるようなところで、現地の雰囲気がよく伝わってきた。

ストーリーはすべてタクシードライバーの絡んだもので、そのタクシードライバーが主役となっている。そして客を乗せるのは最初の話は昼間だが、目的地に着くころは夜になり、最後のタクシーは夜中に客を乗せ目的地に着いたときはうっすらと夜が明ける時間となっている。映画の冒頭に5か所の時計が並んで壁にかけてあり、それぞれの国の今の時間が示されている、その一つ一つについて順番に物語を見せ、時間が進んでいく、といううまい設定となっている。5つのストーリーを観て、自分はロス、ニューヨーク、パリ、ヘルシンキの4つのストーリーが良い話だなと感じた。

5か所の舞台が出てくるが日本がないのが残念である。アメリカが2か所なのでもう1か所はアジアの日本から選んでほしかった。

最後の舞台のフィンランドで運転手がミカ、不幸な客がアキとなっているのはフィンランドのカウリスマキ兄弟に敬意を表しての命名か。北欧の街の雰囲気がよく出ていて非常に良かった。

楽しめた映画でした。

 

 


映画「スノーデン」を観る

2024年02月17日 | 映画

テレビで放送された映画「スノーデン」を観た。2016年、米・独・仏、監督オリバー・ストーン、原題Snowden。

アメリカ政府による個人情報監視の実態を暴いた元CIA職員エドワード・スノーデン(ジョセフ・ゴードン=レビット)の実話。何となくスノーデン事件のことは知っていたが、あまり興味は湧かなかった。ただ、知っておくべき事件と思い、新聞のテレビ欄にこの映画の題名を見て、観てみようと思った。

2013年6月、イギリスのガーディアン誌が報じたスクープにより、アメリカ政府が秘密裏に構築した国際的監視プログラム(PRISM)の存在が発覚する。監視の対象はテロリストのみならず全世界の個人情報である。ガーディアン誌にその情報を提供したのはアメリカ国家安全保障局NSAの職員である29歳のエドワード・スノーデンだった。国を愛する平凡な若者だったスノーデンが、なぜ輝かしいキャリアと幸せな人生を捨ててまで、世界最強の情報機関に反旗を翻すまでに至ったのか。

映画の冒頭、この映画は実話である、と断り書きが出る。ただ、どこまでが実話かはハッキリしないので、全部実話と信じるのは考えすぎであろう。

映画を観て感じたところを書いてみたい。

  • 最近アメリカは中国によるアメリカの機密情報収集に対する懸念を持ち、中国製のソフトウェア、携帯電話、通信機器などに関して制限をかけている。例えば、HuaweiやZTEによる通信機器の使用に対する制限だ。この映画のように自分たちもつい最近までそういうことをやっていたことは棚に上げてだ。どっちもどっちだ。現在でもGoogleなどを使っている日本人は個人情報をすべてアメリカに収集されている可能性がある。スノーデン事件後、政府による個人情報に対するアクセスに規制ができたようだが、実際のところはどうなのか。
  • メールや電話などの通信傍受には通信会社、IT企業の協力が必要だ、アメリカでもスノーデンが暴露した資料にはGoogleなど多くの米企業の社名が出ていたが、それらの企業の多くは、一連の報道を受け「PRISMというものについて全く関知していない」、「政府からの直接アクセスを可能にするシステムは存在しない」とコメントしてしらばっくれた。
  • つい最近、アメリカの日本占領時の検閲の制度的実態を書いた本(山本武利「検閲官」)を読んだばかりだが、その本ではアメリカが日本でだけでなく本国でも戦時中に検閲を行っていたと書いてあった。アメリカというのは戦後になっても必要があればそういうことを平気でやる国家だと言うことだ。日本の政治家や高級官僚はアメリカという国をよくよく研究して付き合った方がよいだろう。
  • スノーデンの彼女リンゼイ・ミルズ(シャイリーン・ウッドリー)と知り合った頃の2人の会話が映画の中で出てくる。彼女はリベラルで民主党支持者、一方、スノーデンは彼女の政治的傾向に対して批判的なのが面白い。例えば、公園を歩いているときブッシュ政権のイラク攻撃反対の署名を求められると彼女は直ぐに署名するが、スノーデンはしない。曰く、自分の国を非難したくない、彼女は自分の国や大統領を批判するのは当然の権利だと言う。するとスノーデンはリベラルなマスコミへの疑問は?君は一方の意見に偏っているよと言うと、彼女は賢い保守派には腹が立つと言う。スノーデンは、それは真実を言うからだろと返す。前半部分は彼女の意見に賛成だが、後半部分はスノーデンの言うとおりでは。
  • スノーデンが機密情報を暴露した動機は、アメリカ政府が個人情報まで監視することに対する反感だけでなく、もともとリバタリアンであったところオバマ政権の社会主義的な政策に幻滅したことも原因だとウィキには書いてある。この映画でもオバマさんが何回か出てくる。
  • この映画には日本が登場する。スノーデンは日本の横田基地内のNSA関連施設で業務を行っていた。アメリカは日本に対しても国民監視への協力を依頼したが断られた。しかし、実際には監視を実行した、日本の通信システムや物的なインフラも乗っ取りするため、密かにプログラムを送電網、ダム、病院などにも組み込んだ。もし、日本が同盟国でなくなった場合は電力システムを停止させられるマルウェアを横田基地駐在時に仕込んだ、だから同盟が解消されたら日本は終わりだ、など。これも実話か?

面白い映画であった。


映画「ゴールデンカムイ」を観る

2024年02月14日 | 映画

近くのシネコンで「ゴールデンカムイ」を見てきた。シニア料金1,300円、土曜日だったためか結構客が入っていた。人気コミックの映画化のため若い人が圧倒的に多かった。2024年制作、監督久保茂昭。カムイとは、アイヌ語(kamuy)で神格を有する高位の霊的存在、という意味。日本語では神居と表現される。

映画の中でアイヌ民族の住んでいる村をアイヌ語でコタンと紹介していた。若いとき仕事で旭川に出張に行った帰りに、神居古潭(カムイ コタン)というアイヌ民族の神聖な場所と思われてきた景勝地に立ち寄ったことを思い出した。

この映画の原作は野田サトルの同名のコミック、2014年から集英社の「週刊ヤングジャンプ」で連載が始まり2022年に完結した、既刊全31巻で累計2,700万部を販売した大ヒット作品。どおりで大勢見に来ているわけだ。

日露戦争中「不死身の杉元」の異名を持つ杉元佐一(山崎賢人)。戦後、一獲千金を狙い、北海道で砂金採りに明け暮れていた。ある日、杉元はアイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った男は、捕まる直前に金塊を隠しその所在を暗号にした刺青を24人の囚人の身体に彫って彼らを脱獄させた。杉元は埋蔵金の探索中ヒグマに襲われ、アイヌの少女アシㇼパ(山田杏奈)に救われる。彼女は金塊を奪った男に父親を殺されており、その仇を討つため杉元と行動をともにする。一方、北海道征服のため埋蔵金を狙う日本帝国陸軍第七師団の鶴見篤四郎中尉(玉木宏)と、戊辰戦争で戦死したとされていた新選組副長・土方歳三(舘ひろし)も現れ、これらの三つ巴の争奪戦が行われる、というストーリー。映画の中では北海道の自然、アイヌ民族の生活ぶりがわかるようになっている。

鑑賞後のコメントとしては

  • 特にたいした予習もしないで見たけどストーリーも理解できたし、面白かった。ところどころ映画でなければあり得ない場面があるが、それはそれで良いでしょう。
  • 映画館で原作者の書いた野田サトルの書き下ろしのアートボードが入場者特典でもらえた。このアートボードには主な登場人物の姿が書いてあり、原作はこんな感じなのかとわかったが、杉本佐一の山崎賢人が原作の絵とそっくりなのには驚いた。
  • 出演者は皆いい演技をしていたと思う。特に山崎賢人、山田杏奈、矢本悠馬(白石由竹役)、玉木宏が良かった。
  • 映画の中では殺傷場面など悲惨で目を背けたくなるような画像は無かったが、杉元が第七師団に捕まり鶴見中尉にみたらし団子を食べながら追求を受けているときに突然、団子の串で頬を刺し抜かれる場面があったが、映画ではやりすぎかなと思った。
  • 埋蔵金争奪戦に土方歳三が出てきたのは話が飛躍しすぎと感じた。
  • それ以上に、帝国陸軍が北海道征服を狙っていると言うところも、ちょっとあり得ないような気がした。それに比べれば、土方歳三がでてくるのは明治新政府に対する抵抗勢力として函館戦争などを闘った歴史が史実としてあるからまだ何とかわからなくもないが、陸軍がでてくる必然性がちょっとわからなかった。
  • そこでウィキでゴールデンカムイを見ると、陸軍第七師団について「北海道を本拠とし旭川に本部を置く大日本帝国陸軍の師団。日露戦争には勝利したものの、多くの戦死者を出したことで参謀長でもあった花沢中将は自害、勲章や報奨金はおろか陸軍のなかで第七師団は冷遇されるようになる。こうした背景から鶴見は戦友や戦死者遺族の窮状を救うため、自らが指導者となり北海道に軍事政権を実現させるべく、軍資金として刺青人皮及びアイヌ埋蔵金を追う」とでていた。何とか有り得る設定か。
  • 冒頭、日露戦争の二〇三高地の戦いがでてくるが、我が国は過去にロシアと戦争をしたのだと改めて認識した、そして辛勝した。我が国は遠くない過去に、当時の大国、そして今でも大国の清国、ロシア、アメリカと戦争をした歴史を持っている。今、これらの国と戦争をしようなどと思う国など無いだろう。若い人に「日本は80年前にアメリカと戦争をしたことを知っているか、ロシアと120年前に戦争をして勝ったことを知っているか」と聞けば、「マジかよ、ありえねー」と答える人も少なくないだろう。
  • 終わりかたを見ると今後も続編があるのでしょう。見たくなった。

楽しい映画でした。

 


映画「燃えよドラゴン」を再び観る

2024年01月25日 | 映画

テレビで放送されていたブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」を観た。1973年、香港・米合作、ロバート・クローズ監督、原題Enter the Dragon。上映中の新作映画に何か面白そうなものがないかチェックしているが、これは観たいと思う映画がないのでテレビで放送していた昔のヒット作品をつい見てしまうことが多い。しかし、それはそれで良いと思っている。

この映画はもう50年も前の映画になるが自分が青年の頃、爆発的にヒットした映画だ。ブルース・リーの格闘シーンは今でも脳裏に鮮明に焼き付いているが、その後見直すこともなかったのでストーリーなどはすっかり忘れていた。良い機会だから見直そうと思った。

リーは国際情報局のブレイスウェイトにかつて同じく少林寺で武術を学びながらも悪の道に手を染め破門となったハン(シー・キエン)が所有する島で3年に1度開催する武術トーナメントの参加を依頼される。トーナメントの参加は表向きで、犯罪行為の疑いがあるハンの島の内偵をして欲しいという依頼。リーは消極的であったが、帰郷した際に家人から、数年前に妹スー・リン(アンジェラ・マオ)がハンの屈強な手下により追い詰められた末に自害を遂げたことを聞き、ハンへの復讐をするため島に乗り込むことにしたが・・・

ストーリーはけっこう面白く、島の武術トーナメントの模様も面白いし、リーが島の内部の麻薬工場の内偵するところもハラハラするし、リーを含め3人の島に乗り込んできた武道家の部屋に美女たちが訪れ、どれでも好きな女を選んで下さい、と言うところなどもかの国ではありそうな話で笑えた。最後にリーとハンの格闘シーンとなるが、これもなかなか面白かった、ハンが義手を金属の爪に替え、これを振り回してリーを責めるところなど見ていてハラハラする。良くできた映画だと思った。50年経っても充分通用する映画だ。ただ、リー自身の色恋沙汰がないのがちょっと物足りないと思った。

ブルース・リーは1940年生まれ、この映画が上演される前に既に「ドラゴン危機一発」(1971年)、「ドラゴン怒りの鉄拳」(1972年)などがヒットし香港の大映画スターになっていた。この「燃えよドラゴン」はリーのハリウッド初進出映画だったが、1973年7月20日に、「死亡遊戯」で共演予定の女優ベティ・ティン・ペイの香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドに横になったまま昏睡状態になり病院へ搬送されたが死亡した、32歳であった。随分と不可解な死であった。

リーの格闘シーンは見ていて惚れ惚れする素晴らしさだ、鍛え上げた肉体、軽い身のこなしから鋭いパンチや蹴りが炸裂する。弟子に指導するときに「大事なのは気持の集中、気合いだ、本気になってかかってこい」と言い、本気になってかかってきた弟子に、「どんな気分だった」と聞くと、弟子はどう答えたら良いか考えている。すかさずリーは「考えるな、感じとれ」と言ったが、この台詞がけっこう流行ったようだ。

リーは映画俳優である前に少林寺の武道家、武術家でもあった。そうでなければ映画であのような武闘シーンは撮れないだろう。ただ、実際の武闘シーンはどうやって撮影していたのだろうか、まさか本気出してやっているわけでもないだろうが、それを本気らしく見せるのが俳優と監督らの腕なのであろう。

楽しめました。


映画「用心棒」を再び観た

2024年01月21日 | 映画

テレビで放送されていた映画「用心棒」を見た。1961年、監督黒澤明、脚本黒澤明、菊島隆三。この映画を観るのは何回目だろうか、もう数え切れないくらい観ているが、やはり何度観ても面白い。そして人気があるのだろう、テレビで何回も再放送されるのだ、その度にまた観たくなる。私はこれが黒澤映画の最高傑作だと思う。

出演は、三船敏郎、仲代達矢、山田五十鈴、東野英治郎、加東大介、志村喬などそうそうたるメンバー。みんな一癖も二癖もあるある面々ばかり。

舞台は賭場の元締めである清兵衛一家と、清兵衛の弟分で跡目相続に不満を持って独立した丑寅一家の二組のやくざが対立するさびれた宿場町。そこへ一人の凄腕の浪人(三船敏郎)がふらりと流れ着く。男はめし屋のおやじ(東野英治郎)から町の実情を聞きくと、巧みな策略で自分が用心棒として役立つことを双方の一家に見せつける。両家といろいろ接触していくうちにこのヤクザ一家たちがどうしようもない連中であることを知ると、双方を戦わせ共倒れをさせようと画策するが・・・、最後には残忍な方法で清兵衛一家を滅ぼした丑寅一家に単身乗り込んで自らの刀を抜き瞬く間に丑寅一家を次々と斬り倒す。そして町の平和を取り戻した彼は、またいずこへとも知れず去っていく。

主人公の浪人役の三船敏郎がとにかくかっこいい、ベランメイ口調の話しぶりでユーモアもある。剣を抜けば凄い腕前。私はこの映画で三船敏郎が一気に好きになった。そして浪人が入り浸っためし屋のおやじ役の東野英治郎の渋さ、丑寅の子分の亥之吉役の加東大介のまぬけぶり、清兵衛の女房役の山田五十鈴の悪賢さなど脇役陣の演技が光る。極めつけは、丑寅の腹心の弟である切れ者の卯之助役の仲代達矢だ。飛び道具のピストルにマフラーのニヒルな殺し屋を演じ、三船敏郎とは違った強烈な個性を出しており、個性と個性のぶつかり合いが両者の最後の決闘だ。

この最後の決闘シーンが最高に素晴らしい、三船敏郎がかっこよすぎる。場面設定も素晴らしいし、三船の姿もかっこいいし、仲代達矢の卯之助との間合いをジリジリ詰めていくときの緊迫感がたまらない。男だったら誰でもこんな役をやって見たいと思うだろう。これを観たイタリアのセルジオ・レオーネ監督が本作をもとにクリント・イーストウッドが主人公の「荒野の用心棒」を作ったのもわかる。素晴らしい、の一言だ。ただ、風で砂埃が派手に起こるシーンはちょっとやり過ぎだと思う。

さて、この映画だが、観ていて日本人なのに日本語が聞き取れない場面が少なくない。特に早口で話すセリフに聞き取りづらいところがあるが自分の耳が悪いのだろうか心配になった。

最高の娯楽映画だとあらためて認識した。


映画「僕が宇宙に行った理由」を観た

2024年01月09日 | 映画

近くのTOHOシネマで映画「僕が宇宙に行った理由」を観た、シニア料金1,300円。2023年、監督平野陽三。今日はプレミアムシートの部屋だった。座席数が少なく、普通の部屋よりシートが大きく、となりのシートの間に20㎝くらいの幅のテーブルがある贅沢な部屋だ。20人くらいは入っていたか。

この映画は、日本の民間人として初めて宇宙旅行を成し遂げた実業家の前澤友作に密着したドキュメンタリー。前澤氏はご存知の通り、衣服の通販サイト(株)ZOZOの創業者で、ZOZOを上場会社まで発展させ、Yahooから買収提案を受けるとこれに応じ、持ち株を売却して2,400億円を手にし、経営者の地位を降りた人だ。

映画の中で前澤氏は「自分はゼロを1にする能力はあるが、1を100にする能力はないため、経営者を辞任した」と述べている。これは1つの見識であろう。ベンチャー企業を作り、新たなビズネスをはじめ、これを成功させるまでの能力と、個人企業から脱し東証一部に上場するほど大きくなった会社を維持・発展させていく能力とは別物であろう。その両方ができる人は少ないはずだ。その点で私は前澤氏に共感できる。

巨額の富を手にした前澤氏は、ベンチャー企業に投資するファンドを立上げ、もう既に10社以上のベンチャー企業に投資しているようだ。また、地元や災害地域に寄付をするなど慈善活動も多くされているようで感心だ。ワイン、高級車、現代アートのコレクターとしても知られている。これらのことをしてもまだまだ十分財産があるだろう。子供の頃からあこがれていた宇宙に行ってみたいという夢が叶う可能性があることを知り、実現に向けて計画を練り、一つずつ実行して、遂にその夢を実現させた。その過程をドキュメンタリーとして追ったものがこの映画である。

この映画を観ると、宇宙に行くための準備がいかに大変かよくわかる。先ずは宇宙に行けるだけの健康状態、精神状態になっているかの試験がある。これにパスしないとスタートラインに着けないが、これが簡単ではない。前澤氏は2回目で合格したが、同僚の平田氏は鼻の手術とか歯の手術とかをして何とか合格した。その後、無重力状態で活動ができるようになるための知識の習得、フィジカル面でのトレーニングが延々と続く。軽いノリで宇宙に行ってきます、というような簡単なものではなく、相当な覚悟と忍耐力、精神力、体力などが求められることがわかる。

今回、氏の宇宙旅行に協力したのはロシアのチームでロケットもロシア製のソユーズというのが皮肉だ。前澤氏が宇宙旅行に行ったのは2021年の12月、ウクライナ侵略がある2ヶ月前である。チームのリーダーはロシア人である。訓練の場所、サポートチームもロシア人中心だ。ZOZOの創業者だった頃から氏は戦争の無意味さを感じ、東証での上場セレモニーで鐘を叩くときも会社のメンバーとTシャツにNOWARと書いてアピールしていた。宇宙から美しい地球を観て、世界のリーダーはみんなここに来るべきだと訴えていたのに宇宙から戻ったら戦争が起こったとはなんたる皮肉か。

前澤氏のようなタイプの人間は一流会社に就職しても出世はできないであろう。しかし、氏が言うように、大会社で活躍する人とゼロから事業を起こして大きくする人は同じタイプの人間ではない。日本はもっと前澤氏のようなタイプの人もどんどんでてくるよう、考え方を変えていかなければいけないだろう。そのためにも前澤氏のような成功したベンチャー経営者の皆さんには、築いた財産を公益、慈善活動、その他世のため人のために積極的に使って、自らもその活動に従事するなどの貢献もし、世の中から尊敬を集め、若い人たちの憧れの存在になるよう活動してほしい。


映画「M3GAN ミーガン」を観る

2024年01月08日 | 映画

AmazonPrimeで映画「M3GAN ミーガン」を観た。2023年、米、監督ジェラルド・ジョンストン、原題:M3GAN。

子どもを守るAI人形が引き起こす惨劇を描いたサイコスリラー。

おもちゃ会社の研究者ジェマ(アリソン・ウィリアムズ)は、まるで人間のようなAI人形「M3GAN(ミーガン)」を開発している。ミーガンは子どもにとっては最高の友だち、そして親にとっては最大の協力者となるようプログラムされていた。交通事故で両親を亡くした姪ケイディ(バイオレット・マッグロウ)を引き取ることになったジェマは、あらゆる出来事からケイディを守るようミーガンに指示する。しかし、ミーガンの行き過ぎた愛情は予想もしない事態を招いてしまう。

AIロボットは現時点で既に我々の生活に便益をもたらしている。一人暮らしの老人の話し相手になるロボットやファミレスなどで料理の配膳をするロボット、ホテルやゴルフ場のクラブハウスの床掃除ロボットなどいろんな場面で活躍しているのを目にしている。今後、この分野はサービス業や製造業などで一層普及していくだろう。

この映画はそれらのAIロボットが暴走して人類に悪影響を与えるリスクがあることを示したサイコスリラー映画であり、ハイテク分野で世界の最先端を行くアメリカらしい映画である。確かに、便利になる一方、運用の仕方を間違えると人類に危害を加えるリスクのあるAIやロボット、使い進めていくうちに想定外の事態も多く起こるだろう。しかし、先進国における少子化、高齢化の進行を考えるとAIロボットの更なる活用の余地は大いにあるだろう。

人は新しいものに対しては先ず拒絶反応を示す傾向がある。これは人間の知恵でもある。新しいもの、革新的なものに直ぐに飛びついて今までのやり方を全部変えてしまうことに対しては慎重であるべきであろう。しかし、試行錯誤して徐々にそういったものに慣れていき、文明の利器を最大限に利用しなければ立ち行かなくなるのも当然のことであろう。この時大事なのは新しいものに対して完璧主義で批判を加えるべきではない、ということではないか。

AIロボットとは直接関係ないが、飛行機だって100%の安全は保証できないが飛んでいる。100%の保証がなければ認めないという考えではイノベーションは起こらないで古いやり方のもとで衰退していくだけであろう。ここに日本人の弱さがあると思う。マイナカードもミスはあるが比率にすれば0.00・・%程度の発生率であろう。これを何件間違えが判明したとだけ報道するのは不安を煽るだけの情緒的報道で国民をミスリードしているだろう。

AIの運用も含め、安全性は合理的な範囲で保証されているということで納得しないと科学的とは言えず感情的反応といえよう。「安全だけど安心できない」と言って莫大な予算と時間の無駄使いをした知事がいた。日本人は情緒的な反応は結局は自らのクビを締めることになると悟るべきでしょう。

話が大きくなったが、AIロボットの時代が今まさに現実に進行している状況に警鐘を鳴らすものとして興味深い映画であった。

さて、今日は1月7日、正月に食べすぎ飲み過ぎで酷使した胃腸をいたわり、七草粥を食べた。


映画「007スペクター」を観る

2024年01月06日 | 映画

テレビで放送していた「007スペクター」を大晦日の夜に観た。2015年、米、サム・メンデス監督、原題Spectre。観るのは2度目か3度目だが、冒頭シーン以外はあまり覚えていない。

スペクターはダニエル・クレイグになってから4作目である。私の評価は、

1作目:カジノ・ロワイヤル(マーティン・キャンベル監督、144分、興行収入6.2億ドル)・・・満点
2作目:慰めの報酬(マーク・フォースター監督、106分、5.8億ドル)・・・期待外れ
3作目:スカイフォール(サム・メンデス監督、142分、11.1億ドル)・・・及第点
4作目:スペクター(サム・メンデス監督、148分、8.8億ドル)

さて、今回はどうなるか。

ダニエル・クレイグ以外の主な出演者は、

  • M(MI6の局長):レイフ・ファインズ
  • Q(MI6の研究開発担当者):ベン・ウィショー
  • ルチア・ルキアラ(ボンドがローマで接触):モニカ・ベルッチ(ボンドガール)
  • マドレーヌ・スワン(女医、ホワイトの娘):レア・セドゥー(ボンドガール)
  • フランツ・オーベルハウザー(スペクターの秘密の鍵を握る男):クリストフ・ワルツ

ボンドガールの一人、レア・セドゥーの出演した映画は何本か観たが、なかなかかわいい女優だと思った。今回もかわいらしい感じのボンドガールを演じており、良かった。

映画の中でのいくつかのポイントとなるアクションシーンなどについて書いてみると、

  • 冒頭、メキシコシティで催されている「死者の日」、ボンドと亡きMからの遺言で得たスキアラ(アレクサンドロ・クレモナ)との格闘シーン、ヘリを使ったシーンだが迫力はイマイチだった、メキシコの雰囲気は007シリーズらしく良かった
  • 黒幕フランツ・オーベルハウザーの秘密会議に潜入するが見つかり、逃走、組織のヒンクス(デイヴ・バウディスタ)に追跡され、カーチェイス、これは結構迫力あって良かった。
  • 組織の黒幕だったホワイトの娘、医師のマドレーヌ(レア・セドゥー)に患者を装って接触し、情報を得ていく、マドレーヌと共に特急列車に乗り込んでスペクターの秘密基地に向かう時、車内でまたヒンクスに襲われ、危機一髪というところでマドレーヌに救われる。この列車内の格闘も迫力あった。
  • 秘密基地でボンドは拷問台に拘束されるが、腕時計に仕掛けてあった小型爆弾を起動させてマドレーヌに渡し爆発させて危機を逃れ、この混乱に乗じて基地全体を爆発した、この大がかりな基地爆発シーンだが、ありきたりのシーンに思えた。

この映画の専用サイトによれば、今回のスペクターのストーリーの売りは観客がボンドに感情移入できるような話をちりばめているということ。例えば、ボンドが所属する組織MI6が統合され、ボンドも時代錯誤な存在としてリストラされそうになるとか、マドレーヌと恋に落ち、彼女を守るために体を張った格闘シーンや、仕事と恋の間に揺れるシーンがあったりなど。しかし、感情移入なんて考えなくてもいいじゃないか。そんなことをしたら安っぽいアクションムービーになるだけだろう。ボンドは男の憧れであり、とても手が届かない存在の方が良い気がするがどうであろうか。

ボンドの愛車や彼が着用するアイテム。アストンマーティンDB10、オメガシーマスター、トム・フォードの高級スーツ。男の一流品しか身につけないボンド、そして、メキシコシティの「死者の日」、古都ローマ、冬のオーストリア・アルプス、モロッコと、風光明媚な地を訪ね、ボンドガールとかっこよく決める。こんなとこ行ってみたい、こんなことやってみたいと思わせる、それがボンドであり、人間くささを出したら逆効果じゃないかな。

今回のスペクター、私の評価はギリギリ及第点といったところか。

 

 


映画「PERFECT DAYS」を観る

2023年12月27日 | 映画

日比谷シャンテで映画「PERFECT DAYS」を観た。2023年、日本、監督ビム・ベンダース。1,300円、シニア料金、座席は満席だったのには驚いた。シニアが圧倒的に多かった。

この映画は、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、主演の役所広司が日本人俳優としては柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞した。東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダースが、東京、渋谷の街、そして同プロジェクトで改修された公共トイレを舞台に描いた。このトイレプロジェクトは偶然だがテレビの「新美の巨人たち」で取り上げていたので知った。

映画は主人公の平山の日常生活の模様を淡々と描いていく。東京スカイツリーの見える下町のアパートに一人で住む中年の平山、彼の過去は何も示されない、毎朝近所のお寺の坊さんのゴミ掃除の箒を掃く音で目覚め、歯を磨き、洗面し、仕事着に着替え、アパートの前にある自販機で缶コーヒーを買う。仕事道具を積んだ軽ワゴン車に乗り込むと缶コーヒーを飲み、カセットテープで古い音楽を聴きながらトイレ掃除の現場に向かう。相棒の若者(柄本時生)と分担して丁寧に仕事をこなすと、夕方には銭湯の一番風呂に入る。そのあと、行きつけの浅草駅地下の飲み屋で一杯やり、家に帰ると、文庫本を読んで眠くなると寝る。この繰り返しだ。テレビもないし新聞もない、パソコンもない。携帯だけは持っていたが。

変化と言えば、①あるとき姪が家出して訪ねてくる②仕事の相棒が彼女を遊びに連れて行くバイクが壊れたので軽自動車に同乗させてやる③行きつけのスナックのママのところに別れた亭主(三浦友和)が訪ねてきた場面に遭遇する④毎日公園で撮っている木漏れ日の写真を現像しに行き、新しいフィルムを買う⑤本を読み終わると新しい本を古本屋に買いに行く、などだけ。

ストーリーに劇的な展開があるわけでもなく、どんでん返しがあるわけでもない。監督はこの主人公の平和な、規則的な、何にも縛られない自由な生活を称えているのだろうか。平凡な生活こそ人間の最大の幸せである、ということを言いたいのだろうか。そのこと自体、反対する理由は全くないどころか同意見である。

現在の先進国における暖衣飽食に対する痛切な皮肉か、あるいはウクライナや中東のような人間同士で殺し合うバカさかげんに対する批判か。人間みんなこんな風に生きていけば幸せなのに、どうしてそれができないのか。映画の中で姪の娘が「お母さんは自分たちが住んでいる世界とおじさんの住んでいる世界は違うのと言っているのよ」と平山に話す場面がある。住んでいる世界が異なれば考え方も異なり、違う考えの人とは衝突も起こる。衝突を起こさないためには、違う世界の人とは接触しないし、接触しても自己の主張を押し付けたりしなければ良いわけだが、なかなかそうもいかないというのが現実だ。

そんなことを考えながらこの映画を観たが、何かすっきりした後味はなかった。それは映画としてはもう少し何かがあった方が良いのではと感じたからだ。しかし、感じ方は人それぞれで良いのだろう。

平凡な毎日を退屈と感じる人も多いだろう、特に若者は。それは仕方ない、この映画の良さがわかるのは中高年になってからで良い。平凡な生活の良さが身にしみてわかるのは、それを失ってからだ、不治の病におかされたときとか、家族を亡くしたときとか、いくらでもそんなことはあるだろうが普段それに気付かないことが多い。そんな点が少しストーリーに絡めば、更に観る人に考えさせるのではないかと思った。

私も平山のような質素な、質実剛健な生活にはあこがれる。平山のライフスタイルで良いと思ったのは読書の習慣だ。最初の方で彼が読んでいる本が画面に映る場面があったが、タイトルがよくわからなかった。途中、古本屋で買った本は幸田文の「木」と、もう1冊はパトリシア・ハイスミス(米、1995年74才没)の「11の物語」だ。古書店主の女性が「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だと思うわ。恐怖と不安が別のものだって彼女から教わったの」と平山に語るシーンが印象的だが、彼女の本は読んだことがないので、その意味がわからなかったが。

自分がどんな経済的境遇になっても読書の習慣さえあれば心が豊かな生活が送れると思っている。文庫本1冊、古本屋なら500円以下で買えるだろう、それを毎日少しずつだが読む習慣があれば豊かな人生が手に入ると思う。もう少し余裕があればテレビでは多すぎるくらいのクラシック音楽番組もあるしテレビ映画も多くある。金がなくても心が豊かな生活は可能だ。質素で規則正しい生活の中にそういった金のかからない楽しみがあれば人生がどれだけ充実することだろうか。

良い映画でした。

ところで一昨日、24日のクリスマスイブは例年通り、シニア夫婦二人で鶏肉。このくらいの贅沢はあっても良いでしょう。

 


映画「小説家を見つけたら」を観る

2023年12月24日 | 映画

テレビで放映されていた映画「小説家を見つけたら」を観た。2000年、米、ガス・ヴァン・サント監督、原題Finding Forrester(フォレスターを探す)。

NYのブロンクス。黒人の高校生ジャマール・ウォレス(ロブ・ブラウン)はバスケットボールが大好きな16才の少年だが大変な文学少年でもあった。そんな彼が、バスケットボールの練習コートに隣接するアパートから練習の様子を望遠鏡で見ている老人の部屋に侵入を試みるという友人たちの肝試しに応じて老人の部屋を訪問する。やがて老人はウォレスの文学才能を見抜き二人は話をするようになる。この老人は40年前にピュリツァー賞に輝いた処女作(AVALON LANDING)一冊だけを残して文壇から消えた幻の小説家、ウィリアム・フォレスター(ショーン・コネリー)だった。二人の間にはやがて師弟関係のような友情が生まれる。

成績のいいジャマールは、有名私立高校へ学費免除で転校したが、教師のクロフォードは急速に上達していく文章力を疑っていた。学校の作文コンテスト用にフォレスターの部屋で書いた文章を提出するが、その文章はタイトルと冒頭部分が、フォレスターの古いエッセイの写しだったのだ。それに気づいたクロフォードは盗作と決め付け、ジャマールは退学の危機に追い込まれる。

作文コンテストの日、突然学校に現れるフォレスター。ジャマールを友と呼んで用意した文章を読み上げ、聴衆に感動を与え、危機を救う。実は、その文章はジャーマールが書いたものだった。そしてフォレスターはスコットランドに旅立つと宣言した。やがてジャマールの卒業が近づいたある日、弁護士(マッド・デイモン)がフォレスターの訃報と遺品を持って現れた。フォレスターは新作の小説「日没」を書き遺し、その序文はジャマールによって後日書かれる、と書いてあった。

あまり期待せずに観た映画だったが、面白い映画だった。特に主人公のジャマールが黒人で運動神経も良いが勉強家であるという設定が良いと思った。映画の最初の方でジャマールの部屋が映り、そこに何冊もの本が積まれている。その中に三島由起夫の本が4冊もあった。ただ、私はこのどれも読んでないが。

The temple of Dawn(暁の寺)
The Sound of Waves(潮騒)
The Sailor who fell from Grace with the Sea(午後の曳航)
After the Banquet(宴のあと)

また、フォレスターは最後に故郷のスコットランドに旅立つが、フォレスター演じたショーン・コネリー(2020年、90才没)自身もスコットランド人で、スコットランド独立運動を熱烈に支援していたとのこと。

この映画では、この老小説家と若者との交流を通じて孤独だった小説家が心を開き、若者も小説家に学び、救われるといういい話だが、ショーン・コネリーの演技はさすがであると感じた。

落ち着いた映画で楽しめました。