どうせ死ぬなら、なるべく若くして死ぬに限る。ただし死の観念が出来上がってから。
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人生苦しみのほうが多いのだから早く死ぬほうが理にかなっていますが、「ただし死の観念が出来上がってから。」というのはいかがなものか。長く生きたからといって、死の観念が出来上がるとは限らないですし。
芥川みたいに若くして死ぬ人ほど死の観念が出来上がっているものだと思いますがね。年を取ってから死ぬのは、老衰でも自殺でも、自然に近いことでしょうし・・・。
・・・意図を読み違えてますでしょうか?ならばご教授ください。
「死の観念が出来上がってから」は、「若くして死の観念を完成するかどうかはあなた次第(早く完成させい!)」くらいの作意です。
「なるべく若くして」は文末まで生きてます。ただ、老いてようやく死の観念を完成させたなら、そこで死ねばいいんですが。(まにあわぬまま死ぬ人は落第?)
しかしアフォリズムでこの形式「~に限る。ただし~」だと、逆説を述べていると解釈するのが順当かと思われます。
同じ内容で形式をかえてみられたほうが面白いのができそうな気がするのですが。
・・・・・・・・・
死の観念を完成させるために、生き急がねば。