人生、勝ち負けではない。だから、勝たねばならないのだ。
最新の画像[もっと見る]
- 不要不急の今(2020年4月22日) 4年前
- 不要不急の今(2020年4月22日) 4年前
- 涼宮ハルヒはバートランド・ラッセルの転生である 5年前
- バートランド・ラッセル 反核の論理学者 私は如何にして水爆を愛するのをやめたか 5年前
- ラッセル、美的定義 5年前
- ラッセル、美的定義 5年前
- ラッセル、美的定義 5年前
- バートランド・ラッセル 反核の論理学者 チラシ 5年前
- ハルヒ、そして人間原理芸術学 6年前
- エンドレスエイトの驚愕@7月末 6年前
「阿呆理詰日記2966」、おもむろに意訳してみました。
「人生、勝ち負けではないと悟ってしまった。だからこそ、「勝つ」ことによる無意義な陶酔に依存しなければならないのだ。」
間違っていますか?いつもながらの忌避なきご指導を期待しております。
「人生、勝ち負けではない(故に勝つ根拠というものも存在しなければ、負ける根拠というのも存在しない)。
だから、勝たねばならないのだ(負ける根拠が存在しないのだから、「負けない」以外の選択は論理的にあり得ない)。
と訳しました。
それと、ついさっきふと思ったのですが。
φ様は、戦後一転して「負けるが勝ち」というのを実践してきた日本を皮肉っておられるのかもしれない、というような気もしてきました。
レスを楽しみにしております。アフォリズムには、なぞなぞ的面白味もありますね。こうやって書き込んでいると、わくわくします。。。
いずれ、2966の解釈一覧をやろうかなと。
では、作意に一番近い解釈を容易に感じさせそうなvariationを2967に。
私の解釈は「根拠がない」というのがみそで、「根拠があるから結果がある」という素朴な因果律に従うと、
「負ける根拠がなければ負けることはない」=「勝つ」
もちろん、対称的に「勝つ根拠」をあてはめても同じように「勝つことはない」=「負ける」と主張できます。
故に、勝ち負けどちらを選ぼうが、どちらにも正当性があります。
ここで「勝たねばならない」と選んだのは恣意的なもの。
しかしながら、あえて「勝たねばならない」と勝手に脅迫的になれるのも、その正当性が保たれるのは「根拠がない」=「人生、勝ち負けではない」から。
故に、二つの文が「だから」という接続詞でつなげるのかなぁ~
と考えちゃったりしました。
私も「だから」がひっかかっていて、それゆえいろいろな解釈が思い浮かんでは逡巡してしまって、断定できなくて考え込み続けているのですが。
「だから」が付いてなければ解釈しやすいのに、なんで「だから」が付いているねん!苛立たしいですわ。