阿呆理詰日記1745 2006-05-27 13:10:33 | アフォリズム日記 戦争の真の恐ろしさは、尊い命が軽んじられること、ではない。 命は軽いこと、尊くないことがバレてしまうことである。 ←1580 « 阿呆理詰日記1744 | トップ | 阿呆理詰日記1746 »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (α) 2006-05-27 22:41:50 本来、生命の重さは等しいはずだが、種々のバイアスが生命を尊くもするし、卑しくもする。 返信する Unknown (φ) 2006-05-28 01:12:33 重ければ重いほど、個々で差がつくはずなのですね。というわけで、1746。 返信する Unknown (α) 2006-05-28 20:18:34 >重ければ重いほど、個々で差がつくはずなのですね。ちょっとよくわかりません。たとえば、2kgの鉄球はどれも2kgだし、5kgの鉄球はどれも5kgで、2kgの鉄球個々の相違と5kgの鉄球個々の相違にそれほど差があるようには思えませんが。 返信する Unknown (α) 2006-05-28 20:39:52 生命の重さは鉄球のように量れない。量れないのだから、重くも軽くもない。ゆえに、生命の重さは等しいものとみなしてもよいのでは。 返信する Unknown (φ) 2006-05-29 00:18:29 まず第一に、数で量れることは確かなので(一人の命よりは一万人の命の方が重い)、重さはあるでしょう。第二に、電子や陽子はみな平等ですが、恒星や銀河のような重いものは必ず個々で差がつきます。差がないということは、差がつきようがないほど個々の絶対値がちっぽけということです。 返信する Unknown (α) 2006-05-29 21:24:57 スケールの大きさが大中小とそろったみたいです。生命の重さを量れるものとすると、100人の足軽よりも1人の大将の生命の方が重いということもいえますが、これはやはり不合理でしょう。 返信する Unknown (α) 2006-05-29 21:37:38 >第二に、電子や陽子はみな平等ですが、恒星や銀河のような重いものは必ず個々で差がつきます不勉強のためよくわかりません。質的相違(明るさ、など。数量化すれば量の一つとされるのでしょうが)という意味では、大きいものほど明らかかと思いますが。 返信する Unknown (φ) 2006-05-29 23:04:17 物体の重さも、置かれる場所によって変わります。地球上と月面、水中と空中、等々、物体の重さの順位が入れ替わることがあります。足軽百人と大将一人は、戦国時代でなく民主国家に置いてみれば重さが逆転する。だからといって物体や命の重さが「ない」ことにはなりません。 素粒子はみな厳密に同じですが、素粒子の膨大な集まりである巨視的物体は、同等の重さということは確率的にほぼゼロでしょう。重いものほど、差がつきやすいわけですね。 ここから転じて、平等と言えるような人命は、軽いに違いない、というのが1746の心。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
というわけで、1746。
ちょっとよくわかりません。たとえば、2kgの鉄球はどれも2kgだし、5kgの鉄球はどれも5kgで、2kgの鉄球個々の相違と5kgの鉄球個々の相違にそれほど差があるようには思えませんが。
第二に、電子や陽子はみな平等ですが、恒星や銀河のような重いものは必ず個々で差がつきます。差がないということは、差がつきようがないほど個々の絶対値がちっぽけということです。
不勉強のためよくわかりません。質的相違(明るさ、など。数量化すれば量の一つとされるのでしょうが)という意味では、大きいものほど明らかかと思いますが。
素粒子はみな厳密に同じですが、素粒子の膨大な集まりである巨視的物体は、同等の重さということは確率的にほぼゼロでしょう。重いものほど、差がつきやすいわけですね。
ここから転じて、平等と言えるような人命は、軽いに違いない、というのが1746の心。