尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

庄司による教育内容排列の意味

2017-09-05 12:47:07 | 

 前回(昨日)は、庄司の言語教育「体系化への構想おぼえがき」の「(A)目標にしていきたいもの」における最後「⑥コトワリの把握能力を高める」について、その特徴を考えました。他の能力についての言及メモに比べコトワザに対するそれは、抽象的段階にとどまっていることを指摘し、かえってこのことが間近に迫った「三浦つとむからの学び」を深いものにしたであろうことを述べました。

 この点を補足しておきます。コトワザは「前論理学的段階」に属すという三浦の助言が、なぜ庄司にあれほどの共感をもたらしたのかという問題にかかわります。庄司はさきの「⑥コトワリの把握能力を高める」で、「事象の複雑さの中に、端的にコトワリをつかむ能力をやしなくこと」というメモを冒頭にもってきています。「コトワリ」という古語を使っていますが、内意は「すじみち」や「ものごとの道理」のことです。広い意味での能力を考えていこうとしていたことが推測できます。また科学のコトワリについては「法則」や「法則性」という用語を宛てています。また「法則づくり」というコトバで、科学的思考を養成する一手段として位置づけてみたいともメモしています。これは、つづくコトワザについてのメモから分かるように、コトワザを広く「コトワリの把握と問題の解決能力」として関心を高めていた一方で、科学については「法則」という狭い意味にこだわって.おり、科学の「法則」もまた「コトワリ」の一つのかたちだとハッキリ自覚してはいなかったと思われるのです。

 しかし庄司は、一方で一九六五年頃よりしだいに「論理」というコトバを使っていく回数が増えていく印象を私は持っています。ピークは『仮説実験授業の論理構造』(一九六八)から『感性的論理学』(一九七五)の頃だと思いますが、もっと早くには「教育改造の論理」という使い方も見られます(一九六五刊行『仮説実験授業』まえがき)。この場合の「論理」とは、「考え方」、「思考の道筋」、「考える技術」といった意味です。すなわちその頃の庄司においては、「論理」と「コトワリ」とは「すじみち」という意味で親近性があり、そうでありながら合体することなく両立している思考状況にあったと言えます。ここに三浦の「コトワザは前論理学段階にある」という助言が与えられたとき、どのような反応が表われるか。・・・「前論理学」あるいは「論理」という一語が、庄司の思考に強烈に作用し、一挙にコトワザも科学の法則もコトワリ=論理であって、両者のちがいは「科学=論理学段階」と「コトワザ=前論理学的段階」を分けるところにある、と合点したのではないでしょうか。

 さて今回は、「おぼえがき」の「(B)内容としてとりあげていきたいもの」を読んでみたいと思います。いうまでもないことですが、「内容」とは庄司の言語教育で扱う教育内容のこと。以下のように箇条書きにされたメモですが、この排列の意味をハッキリさせるために、(A)の「目標」①~⑥のどこに該当する内容であるかを〔 〕に記入しておきます。①「言語への意識を高める」→「言語意識」、②「言語選択能力を高める」→「選択力」、③「言語の生出能力」→「造語力」、④「言語の記憶技術能力」→「記憶術」、⑤「言語以前の感覚能力も高める」→「言語以前」、⑥「コトワリの把握能力を高める」→「コトワリ把握」に簡略化しておきます。

 

(B)内容としてとりあげていきたいもの

①「コトバ」というもの〔言語意識?〕

②言語以前の「コトバ」〔言語以前

③身ぶりと素ぶり〔言語以前

④動物の「コトバ」〔言語以前

・信号など。

・リリーサーの原理*

*〔ある要因が動物固有の行動を触発するとする原理。形・色・匂い身振り、その複合がその要因になる〕。

⑤サルの「コトバ」といわれるもの〔言語以前

⑥未開人の「コトバ」というもの〔言語以前

⑦方言〔選択力

⑧物の名・生きものの名まえ〔造語力

⑨笑い話〔造語力

⑩落語〔造語力

⑪たとえ〔造語力

⑫ナゾナゾ〔造語力

⑬コトワザ〔コトワリ把握

⑭いろはだとえ〔コトワリ把握

       ・いろはガルタなど。

       ・藤村などのものも。

⑮名句・金言・格言・故事〔コトワリ把握

⑯座右銘と標語〔コトワリ把握

⑰遊びコトバと理科コトバ〔造語力

⑱コトバ遊び〔選択力

⑲記憶の技術〔記憶術

⑳言語の歴史〔言語と言語以前の境界?〕

         ・サインの系列

         ・人間のコトバの系列

㉑きまり・掟・ルール〔コトワリ把握

㉒命題〔コトワリ把握

㉓法則と法則性〔コトワリ把握

・宗教上の法則

・科学上の法則

・世渡り上の法則 ≫(本書 七四頁)

 

 太字の箇所に注目していただきたい。選択力・造語力・記憶術を「言語」で括ると、上の言語教育の「内容としてとりあげていきたいもの」の排列は、おおよそ、

言語以前―言語―コトワリ把握

と整理することができます。ただし、「コトワリ把握」には、コトワザや科学やルールなど抽象度が異なるものが含まれています。これを前に考えた「目標」①~⑥の排列「言語―言語以前―コトワリ」と比べると、「言語」と「言語以前」の位置が逆転しただけです。が、今回の排列の方が順次性に対する意識が明瞭になっていると思われます。しかし、実際にどのような順序で授業を組んでいくかは、この排列通りとは限らない。庄司はこの内容のうちから、子供の反応を確かめながら選択し授業を実施していることが後に分かるからです。

 以上の教育内容の排列は、(A)では抽象的だった目標を内容面に具体化したものです。認識が具体化されるときには、(あたりまえですが)感性的な認識が表に出てくるものだということを確認しておきたい。これがあってこそ、内容の選択が可能になります。しかし教育内容を具体化したから、それを全部やりたい・やらなければならない、と考えないところが庄司和晃の魅力だと言えます。このような考え方はどこからくるのか。私は、上の引用に続く最後の一節にヒントがあるように思います。

 

≪とにかく、「コレハオモシロクテ教材化シウル」というものを、何でも、どんな本でも、どんな話からでももってくること。そして、テキストに組みいれるときには、コトバを意識させる、おもしろいものを念頭においていきたい。それは、自分のコトバをもつ、自分の好きなコトバをもつ、自分の考えをもつ、ということに直結していくことだからである。≫(同前)

 

 教材化の大事な原則が語られています。のちに庄司はすぐれた教材を選ぶ視点を、①おもしろいか(観賞性)、②役に立つか(実用性)、③ためになるか(思想性)の三つを挙げていますが、上の引用では、まず「おもしろい」教材を用意することが第一だとして、その理論的根拠を、「自分のコトバをもつ、自分の好きなコトバをもつ、自分の考えをもつ、ということに直結していく」からだとしています。つまり、子供たちに対して何よりも主体的な自分を(自分で)養うことを願っていたのです。


学びにもっとも良く応え得る土壌

2017-09-04 12:10:42 | 

 前回(昨日)の続きです。と、庄司が書き残した「Ⅱ体系化への構想おぼえがき」における「(A)目標にしていきたいもの」最後の⑥「コトワリの把握能力を高める」に目と通してみてハテと思いました。これまでの「おぼえがき」、その短句・短文から推し測ることができる背景は、庄司がこれまで研究し学んできたことが土台になっていることが分かる、たいへん豊かな世界でした。しかし、今回また項目⑥を庄司調の語り(解説)を創作しようにも、その豊かな世界を引き出す手がかりがあまりに平板、抽象的、かつ単色的で具体化できないのです。ならば、そのまま引用して紹介するしかありません。

 

⑥コトワリの把握能力を高める

・事象の複雑さの中に、端的にコトワリをつかむ能力をやしなうということ。

・一種の法則・法則性づかみだ。

・「考え方」(考える技術)の教育にさおさす。(仮説実験授業にもかかわりをもつということ)

・コトバづくり(生出能力)とも密接な関係をもつ。

・法則づくりということ。(コトバづくりのひとつである)、そしてこれを、科学的思考の養成への、からめて戦法として位置づけてみたい。

・コトワリの把握と問題の解決能力。そして、コトワリの有効性について。

・問題の解決における中間的性格のもつ意味について。≫(本書『コトワザの論理と認識理論』 七三頁)

 

 ここでいったん切りましょう。以上のおぼえがきから即わかるのは、目標①~⑤で見られたような、「コトワリの把握能力」を高めるための原理が見当たらないことです。言い換えれば、おぼえがきを詳しく展開していく、つまりときほぐしていく契機が見つからないことです。「コトワリの把握能力」とは、一種の法則づかみだ、「考え方」(考える技術)の教育にさおさす、コトバづくりと密接に関係する、法則づくりだ、とかいてあるばかりです。庄司らしい、類似するコトバを重ねながら対象の特徴に迫るという方法も途中で止まっています。そして「法則づくり」を、「科学的思考の養成への、からめて戦法として位置づけてみたい」と書き記しているように、ここでメモしているのは仮説実験授業研究で得た高次の法則づかみ、科学的なコトワリ把握という水準にとどまっていることが見てとれます。しかし、ここで庄司が書いておきたかったのは、みずからの言語教育構想で芯となる「問題解決のためのコトワザ」の話であるはずです。三浦つとむの著書からヒントを得て描いたあの図式(「経験」―「諺・金言」―「弁証法(科学)」)における「諺・金言」の中間的性格やコトワザ特有のコトワリについて、何らかのおぼえがきを書こうとしていたはずです。引用の最後の「問題の解決における中間的性格のもつ意味について。」が、その呼び水だったと思われます。続きを読んでみましょう。

 

≪・コトワザに宿るスジというもの。

・コトワザの生きた姿

・コトワザの実用性

・コトワザと人生観・世界観の問題

・おきて・タブー・各種のきまりとの関係は如何

・コトワザはだれがつくったのか。・・・だれともわからないが役に立っているものが、この世の中に存在しているということ。

・コトワリの把握と人生の知恵を身につけるということ

・コトワザと弁証法。

・コトワザをとりあげることは庶民教育の遺産の継承のひとつでもある。

・コトワザをつくらせてみるということはどうであろうか。先の「法則づくり」とも関係してくるであろう。

・コトワザは、一般性(普遍性)のものが使いものになることの自覚の教育、その一環にもなるであろうか。≫(本書 七三~四頁)

 

 「コトワザに宿るスジ」、「コトワザの生きた姿」、「コトワザの実用性」、「コトワザと人生観・世界観の問題」のいくつかコトバからは、庄司が高次な科学の論理を念頭におきながらも、コトワザに特有なコトワリ(スジ、論理)を探し当てようとしていたことが読み取れます。またコトワザの使われ方を反省すれば、それが規範と似ていることから、当然「おきて・タブー・各種のきまりとの関係は如何」という関心にも及びます。ここから延長していけば、「コトワザはだれがつくったのか・・・だれともわからないが役に立っているものが、この世の中に存在しているということ」というつぶやきが出てくることもなんとなくわかります。まるで、この「おぼえがき」の一つひとつが、肝腎のコトワザの中間的性格とはなにか、その論理にはどんな特徴があるのか、という疑問をめぐってそのまわりをグルグル回っているようです。あの図式で言えば「コトワリの把握と人生の知恵を身につけるということ」は「経験」的な問題解決に含まれ、「コトワザと弁証法」はもちろん「弁証法(科学)」的問題解決に含まれます。「経験」と「科学」の中間にあるコトワザ的問題解決の存在を自覚しながらも、両端を行ったり来たり、そのコトワリの特徴は未だ探し出せていません。見つからないので、コトワザは「庶民教育の遺産の継承」だと意義づけを試みたり、教育の面から「コトワザをつくらせてみる」ことを思いついたり、なんとかその特徴に迫るものの、結局コトワザは、「一般性(普遍性)のものが使いものになることの自覚の教育、その一環にもなるであろうか」と記すにとどまっているのです。

 このように見てきますと、ここにはコトワザを「前論理学的」と把握することも、「段階」という自覚も、まして「表象」という認識を知る機会も、未だ庄司をおとずれていないことがハッキリわかります。ただ、これまで試みてきた「おぼえがき」のときほぐしをふりかえってみますと、科学「以前」や言語「以前」という考え方、それらを関連性で考察すること、また「認識の発展」という問題意識、コトワザの中間的性格に対するひとかたならぬ関心は、三浦の助言をえる前に、すでに庄司のなかに受けいれる土壌として存在していたと言えます。しかし、今回の「コトワリの把握能力」に関する「堂々めぐり」ともいえる「おぼえがき」こそは、三浦からの学びにもっとも良く応え得る土壌(レディネス)だったように思われます。


「おぼえがき」を庄司調でときほぐす(下)

2017-09-03 12:00:14 | 

 前回(昨日)は、庄司の言語教育「体系化への構想おぼえがき」を、庄司自身に語らせて、「おぼえがき」の奥にある内容を展開してみました。「展開」というよりは、短いコトバで書かれているそれを、もっと具体的にときほぐすといったほうが的確なので、前回ブログのタイトルを修正しておきました。なぜこんな試みをしたのかを書いてみますと、「おぼえがき」は、庄司の学問づくりにとっては重要な機転になっていると感じてきたことが一つあります。これはメモ調の単語・短句・短文が箇条書きになったものですが、私が庄司の著書を理解しようとするとき、たびたび示唆をもらってきたという経験があったからです。ここには「なにかある」と感じてきたのです。このナゾを解いてみるために、箇条書きのおぼえがきの趣旨と繋がりを解釈し文章化してみようと思い立ったのです。二つめの理由は、「おぼえがき」もコトワザも、あるいは俳句なども、これを文章によって詳しく展開(ときほぐし)できるのはなぜなのか、を考える材料にしてみたかったのです。この疑問は、庄司のコトワザ「論理(学)」説を異なった側面から掘り下げることができるのではないかという直観と結びついています。この疑問を探る道も用意しておく必要がありました。ともあれ、今回は昨日の続き。庄司の「おぼえがき」の続きを綴ってみます。もちろん庄司口調を思い出しつつ、話題は、言語教育構想においてはどんな目標を設定するか、というものでした。

 

④言語の記憶技術能力を高める

 今日は爽やかな天気ですな。・・・では、昨日の続き。われわれは日常の暮しでよく目にするモノ・大事なこと・忘れてはならないことをコトバよって記憶しようとしています。どうすればこの能力を高めることができるか。この目標にも原理があります。方法ノ工面ニヨッテ、語彙の習得がデキルという原理です。えーと、これは何でしたかな。五十年以上も前に書き記したことで、ハテ、・・・単に記憶術の工夫によって語彙をふやすことはここで考える、と書いたものだったのか。今となっては当時の趣意が思い出せませんナ。

 記憶の技術(方法の開拓)の歴史を調べれば、思い出すかもしれませんが、ハッキリしているのは、ナゾナゾやコトワザなどには、前代からの記憶術がその表現の仕方に込められている事実です。まずナゾナゾ。(このフィクションでは掟破りになるけれど)これは後に「コトワザの論理と教育」(本書『コトワザの論理と認識理論』の第二部 二一頁)で整理した「ナゾナゾのもつ論理の周辺」を読み返してみて思い出しました。ナゾナゾというのは一種の「問題法」という教育方法なんです。単に教えたい事柄をストレートに子供に話すのではなく、問題を提示して答えを考えさせるというものです。今では、何かを教えようとするときには、教師でなくても「問題法」は民間に広く普及していますが、これは明治以後に西欧から移入されて、大正期に、子供みずからが考え問題を解いて進むという学習法として定着したと考えられるんです。ある事柄をただ知ることと比べ問題法はまず自分で考えるという点で答えの印象がまるで違いますね。これは一つの記憶法としてとらえていいわけですが、また考える技術としても見逃せないね。考える技術は仮説実験授業や予想実験授業において成功をみているといってよいです。

 でもね、「問題法」は日本にもあったんですよ。子供のナゾナゾ遊びです。たとえば、「ヒトツ目小僧二足一本ナアニ?」なんてナゾナゾがありますね。子供からこういうナゾかけコトバを投げられると、ふつうの大人でもふと目の前が一瞬マックラになるでしょう。すでに知っているなら別ですが、答えが思いつかないからです。答えは「ぬい針」です、と聞くとナーンだとガッカリします。もう一つ出すと、「山でコイコイ畑でイヤイヤナアニ?」。これはどうでしょう。風に吹かれると、山ではススキの穂がオイデオイデしているように見え、畑ではサトイモの葉っぱが横揺れしてイヤイヤしているように見えます。この風景を思い起こすには山里の風景を見た経験がないとまず答えられません。これもまったく見当がつかいないマックラ状態です。反対に、ナゾナゾをつくるときというのは、非常に明快かつ楽しいものです。答えとなるモノを何かに似せて比喩をつくるのはそれほど難しくないし、そのモノを見たままを形容する仕方は観察しながらだからいくらでも考えつくし、どのような形容をすれば、相手が困るだろうとか、この程度ならば正答してくれるだろうか、など考えるのも楽しいものです。以前に子供に尋ねてみたところ、子供のナゾナゾつくりは、ナゾナゾ遊びと同時期に始まっていますナ。つくりやすいし楽しいんだね。

 ナゾナゾに答える側でも、つくって問いかける側でも、そのモノを形容した感覚的な手がかりをもとにして問答をしているわけです。こういう遊びを繰り返していきますと、モノは別の見方ができるということが自然理に身につくだけではなく、モノは感覚的なコトバを結びつけて記憶しておけるという技術もこれまた自然理に身につけることできるのではないでしょうか。かくて、ナゾナゾ遊びは記憶術を養っているということができましょう。

 コトワザのほうには、口拍子のよいおぼやすいものがたくさんありますね。特にボクが「知識コトワザ」よぶ種類のコトワザには、天気・生産関係など便利な知識がたくさんコトワザに込められ各地に伝承されています。「朝雨ニ傘イラズ」、「桃栗三年柿八年」、「尾﨑谷口淵の上」などがあります。最後など漢字熟語が三つ並んでいますが、これは苗字ではなく、地形名です。こういう場所は水害にあう可能性が多いから住むなという前代からのメッセージなんです。ほかに思惟(モノの見方考え方)をこめたコトワザも多数存しますから、これらも、大切な知識を保存する記憶術に含めていいのです。いわゆるの『記憶術』もいろいろ出ているようだけど、その積極面をすくいあげることが大切ですナ。人は、記憶術を使ってどのような問題解決をはかろうとしてきたのか。そこにはそれぞれの人生観が表われます。だから人生観教育にひとつでもあるんです。

 

⑤言語以前の感覚能力も高める

 この目標の原理はね、われわれが人間以外の動物の心をどうつかむか、かれらの発する信号というものをどうつかむか、と考えることなんです。ただ考えるだけでなく、具体的に人間の身振り・素ぶりの示すものを手がかりに、人間のコトバ以前という世界を知ることなんです。これは、われわれの使っているコトバの内意を広くとらえることに繋がっていきます。たとえば、コトバにはならないけど、人間は目で感情を表現することができるし、身振りで自分の意志を相手に伝えることができますね。「せんせい、オシッコ」なんていわなくても、からだをモジモジさせていれば、トイレに行きたいと直ぐに分かるし、悪戯をした子供に説教しようと思っても、目をみれば素直に反省しようとしているか、反抗的になろうとしているか、すぐ分かりますね。後者の場合など、子供がそうせざるを得なかった「わけあり」だな、と予想できます。

一方で、犬に対して「シッシ、あっち行け」なんて言っても、犬はわからんでしょう。人間以外の動物を相手にすることは、人間のコトバの限界というものを教えてくれるわけです。しかし、先の例のように、人間同士でもコトバなしで何かを伝え合うことができるという経験は、これを手がかりに、人間以外の動物に対してその心を知る手がかりにすることができるんです。たとえば、聞いた話ですが、家で飼っている子犬が、オシッコしたいときには、閉まっているドアの前で行ったり来たりするそうです。また、その目をみれば、機嫌がいいのか悪いのかも直ぐに分かるそうです。こんなふうに考えると、犬のあいだにも通じる、意志や感情を伝える合図・信号というものが浮かびあがってきますね。このようにコトバというものをもっと広く合図・信号を含めたものとしてとらえると、コトバという存在、人間という存在を絶対視せずに済むでしょう。このような例は、言語以前の感受性と行動の問題として、どこかで子供たちに伝えたいものだと思います。長くなりました。もう一つ残っていますね。コトワザの世界です。

 

 今回も晩年の庄司先生の面影をアタマに御浮かべながら綴ってみましたが、テンションが高くなるところをいささか忘れていたようです。語りが単調になってしまったことは否めません。さて、言語教育の「体系化への構想おぼえがき」における「(A)目標にしていきたいもの」をこれで二回ときほぐしてきました。「教育」のことですから、子供たちの「認識の発展」をいかに準備しいかに実現するかという研究の方向性がはじめからこの「おぼえがき」に込められているのは当然です。とすると、私が「三浦つとむからの学び、その核心」で整理したことの一つである「認識の発展」という問題意識は、どこの時点で、コトワザを考える場合にも再発見されるのだろうか。こういう疑問が毎日綴る自分の背中を押しています。


「おぼえがき」を庄司調でときほぐす(上)

2017-09-02 15:21:08 | 

 前回(9/1)は、資料⑤「言語教育の体系化への歩み」(一九六五、九・二九)の第Ⅱ章「体系化への構想おぼえがき」の(A)「目標にしていきたいもの」として挙げる六項目の排列が表す意味を考えました。そこで確かめたことは、(資料⑤の日付けから考えれば当然ですが)、三浦つとむの助言の影響はまだ見られないということでした。今回は「目標にしていきたいもの」として掲げられた②と③について詳しく書かれている「おぼえがき」を読んでみます(①については前回紹介済み)。とはいえ、これをどう紹介したらいいのか、しばし悩みました。前回にもちょっと書きましたが、この「おぼえがき」をじっくり読んでみると、庄司が言語教育体系化へのために、いかに意匠をめぐらしていたか、が伝わってくるのです。いろいろ表現方法を模索しましたが、結局以下のように、「おぼえがき」を庄司自身に解説講義させるかたちにする方法に落着きました。もちろんフィクションですが、個々の「おぼえがき」を太字にし語りの中に組みこんであります。したがってその他のすべての文章は私の創作です。ただし、私が知っている事実を使ったフィクションです。庄司先生の語り口調を思い出しながら書いてみました。「おぼえがき」を再読して改めて驚いたのは、「目標」には原理がともなうと考えて記述していたことでした。庄司の「おぼえがき」を読み飛ばしてはならない、軽視してはならないと思いました。

 

 ②言語の選択能力を高める

 いや、今日は暑いね。・・・コトバの選択力を高めるというのは自分自身の能力を高めていくことです。現在そうなっていない状態から目標とする状態へいつの間にかスーッと「変化」あるいは「動く」ことです。自動車が走るにはエンジンが必要なように、「動く」には動力が必要です。エンジンという動力には動くことを可能にする内燃機関の原理があるように、コトバの選択力能力を高めるには、それを可能にする原理があるのです。そこを、わたしはエラベバワカルの原理と呼んでいます。これはどういうことか? 単なる「なすことによって学ぶ」ということではなく、ナスコト(予想・仮説・目的意識などによるこちらからの積極的で大胆な問いかけ)によって認識する、という内意をこの原理の中に含めていきたいんです。コトバを選ぶとき、どのようなコトバがいいのか「問いかけ」をもって臨むことをさせたいわけネ。

 どんなコトバを選べばいいか。ひとつ予想するには、それなりに「言語感覚」が必要ですね。これはどういうものかというと、「良いコトバだなあ」「好きだなこういうコトバ」などの感想をもつということです。これを「言語美感覚」といいます。こういう感覚を養っていきますと、自分がお腹(内臓)で感じていた気持ちにピッタリのコトバを見つけたり、数ある中から選んだりすることができるようになるんです。ここで重要なことはこのピッタリ感覚は、一人ひとりの認識に生じること、固有の出来事なんです。全員が一斉にそのように感じることなんてないのです。そのように見えるだけです。この過程を、言語感覚―言語美―言語感覚―言語ピッタリ感覚、と整理しておきます。「おぼえがき」ですから、そのとき思いついたことが再び思い起こせればいいわけですから、タグのようなコトバをメモしておけばいいんです。人それぞれの工夫でいいんです。

 こんな言語ピッタリ感覚を味わえるコトバは、たいてい耳ざわりがよくて、的確で、実用性のあるもの、いわゆる「よいコトバ」です。こういうのがどこにでもあればいいのですが、そうはいきません。このようなコトバは方言という、自分が生まれ育った地方のコトバ群にしかないのです。これを柳田国男は「母の言葉」と呼んでいます。いい言葉ですね。直ぐに自分のそれを思い浮かべますから。これは方言と呼ばれます。では自分の気持ちにピッタリコトバをどうしたら身につけられるか。そこで、ハイ、方言の教育ということが必要になって来るんです。

 全国各地にはその地方だけに伝承されてきた、そこに生まれ育った人々の気持ちにピッタリ感覚のコトバが残されています。でもそれだけ知っていても、他の地方の人に的確に自分の本当の気持ちを伝えることは難しい。そういうときのために日本にも「標準語」がありますが、結局東京方言のことなので、それを学んでも東京人と伝え合うことができるだけ。「よいコトバ」は、他の多くの地方からもどんどん学べばいいのです。自分の気持ちにピッタリなコトバをたくさんもっていれば、相手に正確に伝えられます。もし相手が分からなかったら、そこで意味やニュアンスを教えればいいのです。たとえば愛知方面にはヅクと呼ばれる理想的な村人像を意味する方言がありました。でも今はその意味やニュアンスが希薄になっていると柳田さんは書いています。また福島県の会津津方には、ろくでなしの村人をオンヅクナシと呼んでいることを知っています。単に「ヅクナシ」ではなく、「オン」をつけて伝承されている点に、「ヅク」という方言がもっていた理想像の残滓がかんじられますなあ。こういう事実を知るだけで、よその方言のほんとうの意味を知りたくなるでしょ。このような観点で、耳ざわりがよくて、的確で、実用性のあるものを・・・いわゆる「よきコトバ」をみつける、ということで進めたい。方言の教育は、コトバを選択するの力を養うにとても大事な方法なんです。

 

③言語の生出能力を高める

 ここにはツクレバワカルの原理が働いています。どういうことが分かりますね。実際にコトバをつくってみることで、コトバを生み出す能力を高めることです。だから、造語能力といってもいいし、命名技術と一言で引き締めてもいいです。反対にもっと砕いた言いかたをすれば、モノの名まえというものに注目せよ、ということなんです。さっきの言語ピッタリ感覚が大切なことから、気持ちコトバ(形容詞・副詞)に関心をもって、子供の造語能力を育てていく観点も忘れてはなりませんナ。

 ではどのように子供のコトバつくりを実際化していけばいいか。いい方法があります。子供がふだん喜んでやっていることです。ズバリ、ニックネームメソッドの活用です。子供はよく互いにニックネーム(あだ名)で呼び合っているじゃないですか。先生に対しても気軽にあだ名をつけるでしょう。漱石の作品『坊っちゃん』の登場人物には、なにやらそれらしい一面をほうふつとさせる、面白く巧みなあだ名が付けられていますナ。なかには人を傷つけるようなあだ名もありますが、このような消極面でなく子供が喜んでやるという積極面を大いに活用するのです。そのさいに消極面はやんわりと人を傷つけることを諭すか、つくるなかで心づかせてやればいいのです。

 同じく子供のコトバつくりに活用できる方法に、わたしが若い頃から取り組んできた遊びコトバ(子供に特有のコトバ、わたしの採集したコトバを中心に)を活用する方法です。これはごまんと採集。分類してありますので、コトバつくりに呼び水に使うこともできれば、分類ごとに例示して集中してつくらせることもできそうです。こういう自分の研究してきた成果をたとえ中途半端に見えたとしても、捨てないで新たな視点で利用することが大切なんです。人の尻にばかりくっつくなという意味で、です。このような意味では、「自分のコトバ」というものを、大切にする意識が消えてしまわないように、われわれ教師にも、子供たちに対しても配慮しなければなりませんナ。

 コトバづくりなど、といっても、それを実践するチャンスは一つや二つではありません。チャンスは身近なところにゴロゴロ転がっています。ほかにナゾナゾつくり・題目つくり・見出しつくり・目次つくりなども含めてやっていくことです。目次づくりは素朴ながらも「体系化」の指導にもなるだろう。子供自身の学習にも体系化、つまり自分が学んだことを、忘れないように、あるいはあとで活用できるように、体系化は素朴でもやっておいた方がいいのです。ここでナゾナゾについては、けっこう重要なので、「おぼえがき」にしておくと、「なぞ」論も必要。ナゾナゾは喜ぶ。茶話会やちょっとした会にもわんさとでる。雑誌などの付録「なぞ集」もよく子どもは活用している。ナゾナゾ作りなどもぜひやらせたい

 なぜ重要かというと、ナゾナゾ遊びの根柢(に)は、創造能力・想像力・構想力・空想力・自由自在なありかた等々の養成にかかわっているといってよい、からなのです。このうちの創造性は、言語の生出能力の具体化によってのみ可能となりうるのではないか、これをコトバづくりの原則とすることはできまいかそしてコトバつくりこそ、もっとも原始的素朴的なものではないのか。こんなふうに考えたんです。

まだ言い足りないのでつけくわえますと、つくってみなければ言語能力はのびないのです。つまり受身的ばかりでなく、積極的にのりだし、コトバにふりまわされずに、コトバをふりまわすようにする。さすれば、言語感覚も進展するだろう、と考えるんですナ。つまりわたしが実践しようとする言語教育構想は、真の意味でコトバの主人公になることを目指しているわけです。ここら当りは「③言語の生出能力を高める」ための原理にとどまらず、この「おぼえがき」にかいた一番目の目標「①言語への意識を高める」ための原理になっていることが分かるでしょう。とにかく「コトバつくり」はたいへん重要な実践項目なのです。

 そういうことだから、もう少しほかにどんなコトバつくりができるかを考えてみると、アルアル。面白いので子供が喜んでやるものに、ウソばなしと笑いばなしがあります。コトバのあやつりの自在さのねらいは、ウソばなしと笑いばなし、この項に含めてみたらどうであろうか。自在なあやつり能力として。また、事象をコトバに写しとる、いわゆる採集能力の育成もここにいれてみたい。かつて取り組んだ、「小学生のおしゃべりコトバ」の採集・分類や、柳田社会科具体版といわれる『ぼくらの社会科しらべ方事典』(岩崎書店 一九六〇)が役立ちますね。

 さて、今回はわたしの言語教育構想で、目標にしたいと考えた「②言語の選択能力を高める」や、「③言語の生出能力を高める」ための「おぼえがき」の解説をやってきましたが、悪いクセで最後はかけ足になってしましました。これらの目標は、わたしがつい最近書いた「柳田国男の児童観をめぐって」(一九六五、『教育改造』第二一号 成城学園初等学校)で心づき、浮き彫りにしたことなんです。「小学生のおしゃべりコトバ」の採集も柳田さんの「一年生は家庭を背負って登校するから・・・・」という助言で始めたものです。いやあ、ふりかえってみると、新しい社会科つくりに始まり、柳田さんにはたくさん教わったね、一〇年くらいのあいだだったかな。わたしはね、柳田さんの告別式から帰るときにこう覚ったんですよ。「教えてもらったことを捨てちゃダメ」。いやよかったね。──今日はここまでにしましょう。(つづく)


<言語―言語以前―コトワリ>という排列の意味

2017-09-01 22:06:34 | 

 前回(昨日)は、再び資料⑤「言語教育の体系化の歩み」の第Ⅰ節「コトワザ教育への展望をもつ」を読みました。そこでは「問題解決法としてのコトワザ」を言語教育構想の核心的な柱に据えることで、その教育内容が再構成されてゆく端緒を、かれの案出するコトワザに関するいくつか問題(疑問)メモを通して読み解きました。これらのメモはすでに認識の「のぼりおり」が駆使された立体的な構成になるもので、ここから得られたコトワザ教育の根本性格(目標)は多義的なものでした。これを庄司はのちに「一種の綜合教育」だと再措定することになります(本書第二部第6章)。今回は、第Ⅱ節の「体系化への構想おぼえがき」を読んでみたいと思います。この「おぼえがき」は以下のように(A)~(E)の五つの項目から構成されています。

 (A)目標にしていきたいもの、(B)内容としてとりあげていきたいもの、(C)テキストにしてみたいもの、(D)とくにテキストとして編集してみたいもの、(E)授業法として採用したいもの、です。これらの項目をいちべつするだけで、授業実践のための抽象的な「目標」から順々に具体的な問題について記されているらしいことが予想できます。この中でもっとも多くのおぼえがきが記されているのは(A)の項目です。庄司はコトワザ教育の「目標にしたいもの」について、いかに意匠をめぐらしていたかが分かってきます(次回)。学習指導要領の教科ごとの目標から教科用指導書に書かれた単元目標、そして一時間ごとの指導目標を前提に授業実践を組んでいる教師からみれば、それぞれの目標は単に「上」から与えられたものにしか見えず、できることといえば、教室の子供たちの姿を念頭におきながら、せいぜい具体化の工夫を凝らすぐらい、だと思い込んでいる教師も少なくないようです。しかし、独自に一つの単元や教科に相当するプランを構想するとなると、やはり「目標」をどう設定するかは大きく、かつ難しい仕事です。

 この一連の仕事を、「(教科内容の専門的な)研究者」―「教師」―「子供」というつながりの上で位置づけると、教師は「中間者」に位置づけることができ、この中間者的性格は一方で子供の理解者であると同時に、他方では教科内容に関する理解者という二重性を喚起します。二つの異なった領域に渡るよき理解者であるためには研究という自己研鑽が欠かせません。なぜ「自己」研鑚かといえば、結局心の底から納得した研究でなければ、役に立たないからです。心の底から納得するには研究の自由が必要なのです。こんなことを言っても、研究の自由を認めない現在の勤務体制下で四苦八苦している現場教師にはなんの慰みにもなりませんが、ここで紹介したかったのは、一九八〇年代初頭、私が授業研究の必要性に心づいた頃です。庄司の講演記録を目にする機会がありました。たしか題目は「中間者としての教師」だったと思います。「中間者」という言葉が当時の自分の感覚にピッタリときた記憶を思い出したからです。要するに私は、庄司の講演記録から子供研究と教科研究の二重性に徹底せよ、という励ましと受けとりました。そのような自覚のもとで独自の授業構想を考えたころ、初めて「目標」を編み出すことの難しさを実感した、というわけです。話を戻します。

 「(A)目標にしたいもの」の全体構成をみていくと、①言語への意識を高める、②言語の選択能力を高める、③言語の生出〔うみだし?〕能力を高める、④言語の記憶技術能力を高める、⑤言語以前の感覚能力も高める、⑥コトワリの把握能力を高める、と六つの項目からなります。この項目それぞれに詳細な「おぼえがき」が付くのですが、まず六項目の排列の意味を考えます。文章では「冒頭」がその展開の端緒になることを踏まえれば、①の「言語への意識を高める」項目には、どのような「おぼえがき」がメモされているかが大事です。そこには、「・コトバそのものを意識するということ。・コトバを自分のものとしていくプロセスの実態の明確化。・表現への着目力をつける。・コトバの客観視。・コトバへの感受性を高めていくこと。」とメモされています。これらは、私なりにとらえ直せば、言語への意識を高めるための、原理(コトバそのものの意識化+習得過程の解明)→必要な視角(表現への着目力+コトバの客観視+感受性)に分節化されていると考えられます。言い換えると<言語意識化の原理とそのために必要な視角>に括れます。とすると、以下の②「言語の選択力」→③「言語の生出〔うみだし?〕能力」→④「言語の記憶技術能力」までが、言語への意識化のために必要な具体的な能力を取り上げた一つのグループに括れます。そのあとの⑤「言語以前の感覚能力」と⑥「コトワリの把握能力」はそれぞれ①~④までとは相対的に独立していますので、そのまま二グルーブとみなすことができます。特に⑥は、論理としてのコトワザについてのメモがいっぱい記されています。そうすると、全体の排列は、①②③④を「言語」のグループとして括ると三グループに分節化できます。また⑥の「コトワリの把握能力」は、論理や法則による認識能力について多くメモされているので、これを<コトワリ>グループとしておきましょう。

 <言語>・・・・・①②③④

<言語以前>・・⑤

<コトワリ>・・・・⑥     

 以上の排列を眺めると、「段階」という抽象度を基準にした分節化の影響は薄いと見なければなりません。もし影響があるとするならば、論理性という抽象度を基準に、<言語以前>―<言語>―<コトワリ>と排列すべきものだからです。しかし、別様にみることも可能です。<言語>は、①を序説にした各論②③④を備えた言語意識化のグループ、次に<言語以前>では、言語以前の感覚を問題にし、最後<コトワリ>は、言語でも高次な能力を扱うグループです。言ってみれば、言語―言語以前―超言語という排列です。このように考える意義も何にかあるような気がします。いってみれば、V字排列。

 ともかく、言語教育体系化のための「目標としたいもの」という排列の観点からは、「段階」の自覚によってコトワザを中間において前後の関連性で見る影響はあまり見られなかったといえます。ですが、<言語>と<言語以前>の順に排列され、超言語ともいうべき<コトワリ>を最後にもって来る考え方には、単純な「関連性」という研究方向を見てとることができます。これは興味深いことです。萌芽的だからです。

 次に「認識発展」という研究志向はどうでしょうか。これは各項目にはどんな「おぼえがき」がメモされているかを調べてみる必要があります。


「のぼりおり」が無意識的に駆使されているメモの案出

2017-08-31 20:56:57 | 

 前回(昨日)は、庄司が資料①~④を携えて、三浦つとむのもとを訪ね、直接資料を手渡したという想定は誤りだったと気づき、庄司は九月二九日に先の資料を郵送したあとで、その日のうちに資料③と④を改定し、資料⑤を作成したのではないかということ、そして三浦からの助言が返信というかたちで届くことになったのだという想定に訂正しました。とすれば、私が縷々綴った「三浦つとむからの学び、その核心」という出来事は、彼の言語教育構想が授業にかけられている途上に生じたということになります。

 ですからこの出来事の影響を資料上で確かめていくとすれば、本書の第Ⅲ部「言語教育試論と小学生のコトワザ観」の第3章「授業にみるふたこまの様相」、第4章「小学生のコトワザ観の諸相」の二本が挙げられますが、これらは本書(一九七〇、七・二五)での発表が初めてということになり、以前の正確な執筆日の記入はなく、ただコトワザの授業終了が「十二月十八日」という一行があり、この言語教育試論(言語教育構想)による教育実践は、一九六五年の九月~十二月十八日に実施されたことが知られるだけです。

 三本めは、資料⑥「表象論としてのコトワザのもつ論理」(十一・一)です。題名にあるように。「表象」概念の示唆は、三浦つとむからの学びのうちではもっとも重要で、庄司のコトワザ研究を大きく飛躍させる「ツバサ」になったものですが、その辺の影響が確認できるかどうかは不確定です。四本目の資料は、前回に紹介した資料⑤の「付記」で挙げられていたもの、それは本書の第Ⅱ部「コトワザの論理と教育」の第6章「コトワザの教育過程の体系化」を指します。この第6章を収録する「コトワザの論理と教育」という長い論文は、一九六七年十一月に『成城学園五十周年記念論文集教育篇』に発表された同題名論文を改稿したもので、いってみればコトワザとその教育について、最初の体系的論文で完成度の高いものです。まえがきが長くなりましたが、書誌的には以上のように押さえて、さっそく資料⑤「言語教育の体系化への歩み」(九・二九)を再び追ってみましょう。

 前(8/24)のブログ「児童言語文化学とコトワザ教育の「あいだ」」で引用した冒頭には、庄司が最初に三浦の著書(『弁証法とはどういう科学か』)から得たヒントで描いた問題解決に関する図式、≪「経験」―「諺・金言」―「弁証法」≫において中間に位置する「諺・金言」=コトワザを、自分の言語教育構想の「核心的な柱」に据えたことが書かれています。私は、これを資料①や②から飛躍したものだと考え、これらと資料⑤のあいだに「三浦からの学び」が媒介していると予想したのですが、先にも書いたようにこれはナシです。とするとこの「飛躍」の謎をそれなりに再解釈しておく必要があります。

 問題解決法として科学の強調(資料①)と「小学生のおしゃべりコトバ」を採集研究した経験(資料②)を一連のものと見直してみると、コトワザを中間に置いた、「経験」―「コトワザ」―「科学」>という図式を描くことができます。ここから一つの認識の発展に気づきます。つまりコトワザ以前に位置する「経験」とコトワザ以後に位置する「科学」の二つの段階がハッキリしますと、それらに挟まれた場所が浮き彫りになってくるということです。それがコトワザへの「飛躍」、いや、つまり認識の発展による「移行」(正しくは「転位移行」、のちに庄司はこの用語を多用するようになる)と、とらえればいいのではないかと考えます。もっといえば、物事の以前の段階あるいは以後の段階をよく調べてみれば、その「物事」はより鮮明にならざるを得ない。これも認識の発展ととらえることができるのです。庄司が資料⑤「言語教育の体系化への歩み」(九・二九)の冒頭でまず把握したのは、そのような「問題解決法としてのコトワザ」だったと、とりあえず再解釈しておきます。

 この把握はたちまち庄司の、あるコトワザ体験を思いおこすことになりました。それは妹さんの結婚話でのことで、叔母さんが夫婦になるときには、必ず考えておかなければならない「釣りあい」の問題を「われなべにとじぶた」というコトワザでもって熱心に説いているのを聞くという一事でした。庄司は「なるほどタイシタモノダ、こういう問題の解決法が、現に生きている。いろいろと決めかねている結婚問題という重要なところで生キテイル、ということをまざまざと、わたしはそこにみた」と書き付けています。ここからが教師兼研究者・庄司和晃の真骨頂というべきか、以下のような問題(疑問)メモを次々と案出していきます。(→で私のコメントを付けて引用します)

 

≪・それら〔暮しの中で使われている多様なコトワザ〕がどのように形成されてきたのか。(無名の先人たちの生き方なども)→研究的姿勢がなければこんな疑問は出てこない。( )の中には疑問をヨリ一般的な観点で扱うとどう言えるか、という一言がある。

コトワザにはどんなものがあるか。(コトワザとは何か)→特殊性と本質性において考えようとしている。

コトワザと憶えやすさ。(おぼえやすさと実用性の度合い)→憶えやすさを実用性という一般性においてとらえている。

君たちはどんなコトワザを知っているか。(その採集と整理)→眼前に教室の子供たちを思い浮かべ、個別性や経験性の段階に下りて考察しようとしている。

それをどんなときに使っているか。(同じく採集と整理)→コトワザの使われ方を採集と整理という一般性において扱おうとしている。

使って役にたったということがあるか。(つまり問題解決の指針となったか)→コトワザ体験という経験段階の把握から「問題解決の指針」という一般性において扱おうとしている。

コトワザをなんで知ったか。(友だちからか大人からか)→コトワザを知るキッカケという経験レベルの把握を、横に広げてヨリ具体的にとらえようとしている。

コトワザの種類。(役にたつものとたたぬもの)・・・等々。→「種類」というのは一般性の高い把握のしかたである。個別性を超えた段階にいるからである。 

 そのようなことがらだけでも、かれらに知らせたいものが多くある。これは学校教育の体系の中になっていい、とわたしは思ったわけである。≫(本書 七一~二頁)

 

 以上のコメントを参考にしながら、庄司の提出した問題(疑問)読んでいただくと、すでにこの段階で認識の「のぼり(抽象化)・おり(具象化)」を無意識的であれ、自在に使い分けている様子が伺われると思います。特に先述の問題(疑問)を、異なるレベルで再把握したことを( )書きにして、問題メモそのものを立体化している方法を自分のものにしていることにも気づかれたと思います。庄司はこのとき三十六歳。私もこれに近い年齢であったと記憶していますが、当時、この箇条書きを一読して、すごい技量の先生がいるものだと思ったことがあります。もうちょい広げていえば、経験的なレベルを超えようとしている教師にはこの程度の問題(疑問)の案出は容易だったのかもしれません。(自分の力量の未熟さに気づかされたときでした。)

 このような庄司の無意識的な認識の「のぼりおり」は、以下につづく叙述にもハッキリと見て取ることができます。(「のぼりおり」を意味する箇所に下線を引いて引用します)

 

≪あとさきになるが、それらのことから、この教育は一種の「哲学」教育だわい、と思うようにもなった。それを言語教育内にくみいれて、教材化してみようというのが、わたしのねらいのひとつである。/人間は如何にして「原則的」なものを見出してきた、という点では広い意味の科学教育である。前代人の生き方、百姓や漁師などの職業によってどうなのかということでは一種の歴史教育ですらある。それをどう使っていくかという面では、実践的課題にさおさすことにもなる。三浦氏のいうことでいくと弁証法的思惟の意味をくみとらせることによって、意識的に使う訓練にもなる。/ともかく、従来の国語・文学・文法などの教育とは、よほど違った言語教育がでてくる可能性がたぶんにある。≫(本書 七二頁)

 

 ここでも庄司は認識の「のぼり・おり」を意識しないにせよ、実際に使っていることが見て取れると思います。のちにコトワザ研究を通して自前の認識理論である「三段階連関理論」を発見するための土壌は、どこか別の知らない場所にあったのではなく、自分の経験という土壌から再発見したものだった可能性がほの見えてきました。以上のような「のぼりおり」を経てコトワザ教育を、「広い意味の科学教育」、「一種の歴史教育」、「人生観の教育」、「弁証法を意識的に使う訓練」というふうに、一段と高みに立ってのちに、次節で「体系化への構想おぼえがき」を綴っていきます。ここには「おりる」ために「表象」という認識が多用されているはずです。次回はそこをみていきたい。まだ、三浦つとむからの返信は来なかった頃だと思われます。


庄司は資料を三浦に「手渡し」たのではなかった(仮定の一部修正)

2017-08-30 16:22:37 | 

 前四回のブログで、「三浦つとむからの学び、その核心」(上・中・下・補)と題して、庄司和晃が三浦つとむの助言から学んだ四項目──①「諺・金言」に限定されたもの、②それは「前論理学的段階」、③「コトワザ研究をやってみたら」、④コトワザは「表象」──を「核心」とよび、庄司が獲得したコトワザ研究の方向性を三つ──①コトワザの「矛盾したあいまいさ」の自覚、②コトワザを異なる段階との関連性で研究すること、③コトワザを「認識の発展」という問題意識で研究すること──に整理してみました。そのうえで改めて資料⑤の「言語教育の体系化への歩み」(一九六五、九・二九)を読んでみようと思ったわけです。

 これまで私は、庄司が一九六五年の九月二九日に、三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』から得た着想を図式化したもの(A「経験」──B「諺・金言」──C「弁証法」)を含めた資料①「科学の論理形成にさおさすもの」(一九六五、八・十二記)、②「言語教育と科学教育の周辺」(一九六五、九・二二記)、③「言語教育と科学教育についてのMemo」(一九六五、九・二九記)、④「テキスト:試案」(一九六五、九)を携えて、直接三浦のもとを訪ねたという仮定のもとで、庄司のコトワザ研究の始まりを追跡してきました。その根拠は、

 

その後、上記の諸論文とテキスト試案を、三浦つとむ氏にお渡ししたところ、Bの「諺・金言」のことがらについて多大のご示唆を受けた。≫(「認識理論の創造への出発」(一九六五、十一・十七)、本書冒頭に所収)

 

という記述にありました。しかし、ここで誤読したようです。そう気がついたのは、三浦つとむの追悼集(横須賀壽子 編『胸中にあり 火の柱──三浦つとむの遺したもの』明石書店 二〇〇二)に収録されている庄司論文「体系的な理論づくりを学びとる」を何気なく再読していたら、当時が以下のように回想されていたことに気づきました。

 

「段階」の一事におどろく/問題解決の論理構造、その図式的発見で、コトワザの世界が、新たな文化遺産として、わかってきたとき、このことを三浦さんにつたえたいなあと思いました。/そこで、そのことを綴ったプリント類を送りましたところ、多大の教示をいただきました。≫(前掲書 一四三頁)

 

 たしかに前者には「お渡しした」と書いてあっても、「手渡しした」とは書いていません。後者にはハッキリ「プリント類を送りました」と書いてあります。ウーン、またやってしまったかという落胆が襲ってきて、また「鵜呑みの半助」的性格が出てしまったかと、という思いもやってきましたが、しばし考えているうちに、四種類の資料は郵送したと考えるほうがスッキリすると思い直しました。

 というのは、資料③「言語教育と科学教育についてのMemo」と、同じ日付けになっている資料⑤「言語教育の体系化の歩み」(一九六五、九・二九)の関係を解釈するうえで無理がないと思えたからです。当初、私はこう想像しました。庄司は、九月二九日に書き終えた資料③を他の資料ともども、その日のうちに三浦に会いました。そしたらその助言によって、自分の「体内の組織がえ」が一挙に遂行されるような深い共感を得たために、その日のうちに資料③を改稿して資料⑤を作成することになった、と。しかし、資料⑤には三浦と会ってその助言に大きな示唆をうけたことが記述されていてもおかしくないのに、その痕跡がないのを不思議に思っていました。しかもこの資料は三浦に「渡した」なかには含まれていないわけですし・・・。

 しかし、九月二九日に資料①~④を郵送したと考えればすっきりします。庄司は送ったその日に、資料の③を、資料④「テキスト:試案」ともども改稿したのだと考えられます。そして、一九七〇年に本書『コトワザの論理と認識理論』を編集する際に、第三部の「言語教育試論と小学生のコトワザ観」の第1章に資料②(「付記」で資料①)を当て、第2章に資料③④を改稿した資料⑤「言語教育の体系化への歩み」を当てたわけです。本書におけるこの論文は一九六五年九月二九日の日付けがありますが、本書への掲載に際して、以下のような「付記」が一九七〇年二月六日付けで、加えられています。

 

「付記」/以上のごとき、おぼえがき的な展開と次に示す実践の中途から、Ⅰの視点〔同資料⑤「言語教育の体系化への歩み」の第Ⅰ節「コトワザの教育への展望をもつ」〕に立ちつつ直接的にコトワザを中核とする言語教育へと収斂していくのである。その教育体系は、第二部の第6章「コトワザの教育過程の体系化」に掲げてみたとおりである。(1970.2.6)≫(本書 七六頁。〔 〕は尾﨑の補足)

 

 この引用から分かるのは、資料⑤にしたがい言語教育構想(「言語教育試論」)を授業にかけている途上で、おそらく、三浦つとむからの「助言」が届き、コトワザを中核とする教育実践へと修正・展開したのだと、いう可能性です。だとすれば、私が縷々綴ってきた「三浦つとむからの学び、その核心」は、まさに庄司の教育実践の渦中で生まれ、その後の展開に活かされたと考えることができます。かえって、その意義深さが腑に落ちたという気がしました。(・・・・紆余曲折ばかりのブログですみません。)


三浦つとむからの学び、その核心(補)

2017-08-29 14:29:41 | 

 前回(昨日)は、コトワザは「表象」と位置づけることができるという、哲学者言語学者・三浦つとむの助言を庄司はどう受けとめたのかを考えました。そこを要約しますと、表象とは論理性と感覚性の両方を伴った認識(シルエットのようだ!)の一つのかたちであると自覚したことは、「前論理学的段階」にあるというコトワザの性格をより鮮明にしていきました。一つはコトワザの感覚性は経験的段階へ、その論理性は論理学的段階へ繋がっていくことで、コトワザを、異なる段階との関連のなかで研究する方向を決定づけていきます。二つはコトワザを、経験的認識と論理学的認識のあいだに位置する「過渡的」段階とみることで、コトワザを認識発展論として研究する方向性を手にするわけです。今回は、三つ補足します。

 このような見通しを得た庄司は、おそらくその日(九月二九日)のうちに、三浦のもとに携えて行った資料③「言語教育と科学教育についてのMemo」と資料④「テキスト:試案」を一挙に書き改め、資料⑤「言語教育の体系化への歩み」へと仕上げていったものと考えられます。このようなパワフルな行動を可能にしたのは、いうまでもなく、コトワザ論を「表象論」として展開できるという手応え、そのさきに「自分認識理論の創造」への見通しを得たことです。果たしてそれがどれほどの感動であったのか。以下の引用がこれを雄弁に語っています。

 

この表象論=コトワザ論をいかに展開するかに、自分が自分となるか、他人様の尻にくっついてしまうか、自分の理論をもつ主体的な人間になるかどうか、にかかわる問題といってよいのである。「よいのである」というなまぬるい問題ではない。重にして要なる課題なのだ。コトワザ論という形での表象論は自分の研究の生き死ににかかわることがらなのである。自分の認識理論を構築するキイポイントであり、前段階を統一的につかむ所業なのだ。思えばえらいところにつきあたったものである。自分が真の意味においての人間誕生にかかわる重大事に直面しつつあるという自覚をわたしはもつ。解説家・資料展示者・単なる人様の讃美者・普及者になりおわってしまうかどうか、本ものの思想家となりうるかどうか、という一大時期にさしかかっていることをまざまざと思わざるをえない。≫(「認識理論の創造への出発」、本書八頁)

 

 もうひとつここで記しておきたいことは、これまでも指摘してきたことです。たとえば、ある山頂に立って前方に広い眺望を得たとします。後方をふりかえったとき、登っているときは気付かなかったけれど、斜面がいく筋もの谷川によって削られている風景を目の当たりにすることがあります。そして大きく見れば、どの谷川もその先端が頂上付近に集まっている(正確には頂上付近から発している)ことに改めて気付くのです。庄司の場合にかぎらず、一般になにか新たに研究上の見通しを得たときには、過去の研究蓄積の再編集が一箇所に集中してはじまるのではないでしょうか。このことは、これまでは庄司の論文から拾い出した断片によって確かめてきたのですが、ここでは庄司自身が直接書いているのでぜひ紹介しておきたい。

 

仮説実験授業の体験以前に、はいまわり的にちくせきしたぼう大な児童言語、様々な授業メソッド、大ぎょうにかまえた種々なるりくつ等を瓦礫と化してしまうか、それともつきざる泉として宝の貯水池となしてしまうかそこへ深いかかわりをもつ。そればかりではない、仮説実験授業ならびに予想授業や科学史授業のもつ論理をダイナミックなものとしてとらえて構想する「科学教育」、ひいては「教育」を“学”たらしむるか否かにもじゅうぶんなかかわりをもつ。

 

 こうしたかかわりの中枢にあるのがコトワザ論を表象論として展開していく研究ですが、表象について復習するつもりで、三浦つとむの名著『認識と言語の理論(第一部)』に収められている「表象の位置づけと役割」(三浦つとむ選集第三巻『言語過程説の展開』勁草書房 一九八三)に目を通してみました。読んで、「表象」はそもそも認識の能動的な役割を担っていたことに改めて気付かされました。そう、表象は認識の一つのかたちだったのです。しかし、表象的認識は表現されない限り私たちの感覚にふれないわけですから、つい関心は「表現としての表象」に集中してしまいます。でも、これはたいへん多様な世界であることはすこし調べてみれば分かります。

 なぜ、「認識としての表象」を忘れていたのかと問われれば、多様性が生みだす面白さにひきずられてきたのかもしれません。また、私の授業実践おいても「表現としての表象」は、子供たちの認識上の「のぼりおり」に重要な役割を果たしていることも分かってきたつもりですが、子供たちにどんな表象を提示すればいいのかと考えてきたことをふりかえると、やはり「表現としての表象」ばかりに気をとられて、「認識としての表象」という根本的な視角を忘れてしまったのだという気がしています。三浦つとむは上記に論文の終りで、「(表象)のような重要な認識の形態が従来の認識論においては軽視され、あるいは無視されている理由はどこに求められるか」を以下のように書いています。これが今回最後に書いておきたいことです。

 

第一に、表象それ自体が矛盾した不明瞭な存在だというところにある。感性的認識か理性的認識か、あれかこれかと割り切ってしまう形而上学的な考え方をすると、表象はいわば中間的な存在であるから、どちらにも入らない中途半端なものは切りすてようということになりかねない。第二は、個々の単純な表象を断片的に扱ったところにある。断片的に他から切りはなしてとりあげるかぎり、感覚にくらべて感性的なものを相当多く失ったその意味で抽象的な認識であるというにとどまってしまう。表象として複雑な発展したありかたを、認識のダイナミックな過程に位置づけてとりあげなければ、その有用性をとらえることができない。第三は、実践との関係で理解しようとしなかったところにある。科学の応用という実践の過程を具体的に検討してみるだけでも、表象の果す役割の重要性はほぼ納得できるのであるが、哲学者もそして心理学者も、認識の発展の中に構造的に実践を含めてとりあげる姿勢を欠いていたのであった。≫(三浦前掲書 四八頁)

 

 表象が軽視されてきた三つの理由が述べられていますが、庄司のコトワザ=表象研究は、すでにこの三つの理由をクリアーしていることが分かります。第一は、表象の「矛盾した不明瞭さ」です。庄司はこの矛盾した不明瞭さを、自分のコトバで「ヌエ的性格」「人魚的性格」「アイノコ的性格」と覚書に連ねています(「認識理論の創造への出発」、本書八頁)。コトバを重ねてその矛盾した不明瞭さを意識立てていることに気付かれると思います。言ってみれば、「表象」のもつあいまいさを、表象的ネーミングによって逆に浮き彫りにしています。曖昧だからこそ面白いとさえ感じていたかも知れません。これも庄司のコトワザ研究の方向性の一つとして数えておきたいと思います。

 第二の理由は、表象を断片的に扱ったことです。庄司は表象としてのコトワザを異なる段階との関連において研究しようとしています。これでは表象を軽視も無視もできないはずです。第三の理由は、実践との関係で理解しようとしなかったことを挙げています。庄司は小学校の教室を現場とする研究者です。研究方向の一つである「認識の発展」という問題意識は、目前の子供たちに対する教育実践を構想し計画し実践するという力動的な認識活動のなかに必然的に実現されていきます。ここにも表象の役割は大きかったはずです。

 次回から、資料⑤「言語教育の体系化への歩み」(一九六五、九月二九日)に戻り、その言語教育の実践構想や授業後の小学生の感想などから、庄司のコトワザ研究=表象研究の三つの方向、(1)曖昧さの「自覚」、(2)異なる段階との関連性、(3)認識の発展性、の三つがどう実現されていったのか。これを読みとっていきます。庄司のコトワザ研究の始まりにおける「原初のかたち」というゴールが、うすぼんやりと見えてきたようです。


三浦つとむからの学び、その核心(下)

2017-08-28 23:09:01 | 

 今回は残りの(エ)庄司図式の「諺・金言」は、「表象」と位置づけられること、「表象」概念をハッキリ教えた三浦の助言について考えます。ここでまず「表象(ヒョウショウ)」という用語の意味が気になると思われます。ここでは、簡単に以下のように押さえもらえばいいと思います。庄司自身が徐々にこの「表象」概念を深めていく過程を追跡するつもりだからです。まず「表象」とは、私たちがある対象を認識するときに自分で思い浮かべたり、ひとから与えられたりするシルエット(影絵)のような画像だと考えておいて下さい。表象は頭や心に在って人間の認識活動に利用されるのですから、表現されない限り外部からは見えません。また「シルエット(影絵)」といえば、かたち(輪郭)は分かるけれど、それ以外はただの黒い影になって見えません。これに似たものが私たちの頭や心の中で活躍しているのです。このぐらいにして、庄司は、三浦つとむの助言をどう受けとめたのか、彼の叙述から探っていきましょう。

(エ)コトワザは「表象」として位置づけられる

さらに、三浦氏は、諺・金言というものを、論理学・認識論的には前論理学的段階であり、それ〔諺・金言というもの〕は無体系であるとともに感性的なものが残っているということにおいて、そのように〔論理学・認識論的には前論理学的段階として〕理解しうるといい、それ〔諺・金言というもの〕のもつ論理は表象としてとらえられているものだ、という。

 

 先ず上の長い一文の前半です。「論理学・認識論的には前論理学的段階であり」とはどういう意味でしょうか。まず「論理学」とは、人間思考の法則性(と前に書きましたがここで訂正します)を含んだ、すべての個別学問(科学)に共通な法則性を扱う学問です。コトワザ(諺・金言)は、その前段階に位置するということが「前論理学的段階」ということの意味です。とすれば論理学も前論理学も、結局人間が何かを認識するときに利用される論理(知識)であり、一つの道具ということができます。「認識論的」とは、そういう観点を意味すると考えます。

 次に、一文の後半です。このコトワザ(諺・金言)は、「無体系であるとともに感性的なものが残っているということにおいて、そのように理解しうるといい、それのもつ論理は表象としてとらえられているものだ、という。」とあります。コトワザ(諺・金言)は、高次の論理学大系からいえば、たしかに無体系です。たとえば「大は小をかねる」といえば、「しゃもじは耳かきにならぬ」と互いに否定するような表現がたくさんあります。つまり多様な「ものの見方・考え方」が互いに一匹オオカミ的であるために体系にはならないわけです。

 また、殆どのコトワザが物事の感覚的なありようを扱った表現になっていることに注目すると、コトワザらしさに心づきます。たとえば「猿も木から落ちる」と「どんなすぐれた人でも失敗することがある」を比べてみれば明瞭ですが、コトワザらしいのは前者でしょう。後者はそれを抽象化したもので、前者の意味を表現するふつうのコトバ使いにすぎません。つまり感性的なものがくっついている論理だというのがミソ(コトワザらしさ)なのです。そして大事なことは、このような「感性+論理」という二重性格をもった認識は「表象」と呼ばれる、とまずは、このように三浦の「表象」論を受けとったことです。このような表象という概念を獲得することによって、コトワザ自体の輪郭をハッキリさせ、庄司のコトワザ研究に方向性がでてきたからです。続きをみていきましょう。

 ≪つづいて、その〔諺・金言というもの、の〕論理は特殊性の中でとりあげられたものであり、具体的なくらしということでは日常生活に使う道具の論理というすがたで問題になってくる、すなわちコトワザというものは、一方では経験とつながっているからとらえやすいし、他方では論理としてすぐに使えるだけに抽象されていることになる、という。≫

 

 「表象」としてとらえられたコトワザの二重性格を改めて見直すと、コトワザが掬いとった経験則は、体系的な論理学のように広い範囲を扱いそこから普遍的な法則を掬い上げた学問とは異なり、たしかに生活経験という特殊性から導き出された論理です。だからこそ、「日常生活に使う道具の論理」と呼ばれるわけです。たとえば、やってもやっても効果の上がらない作業をしている者たちに、「ざるで水をくむ」というコトワザを使ったとすれば、これは「効果のないことをする」ことへの警告や批判を意味しますが、これは一方で経験則として高次の論理学的段階に繋がります。他方で「ざるで水をくむ」という感性的な側面は、そのような作業をしている経験の世界に繋がっていきます。すなわち、庄司は表象としてのコトワザを、論理への道と経験への道の両極との関連性において理解していることが分かります。最後です。

 ≪要するに、中間位にある表象、過渡的な段階の表象、そしてそれをこのようなかたちでとらえられている論理なのだ、という。実に示唆に富む、私の図式化への、逆転的で激烈な指針を導入してくれたというわけなのである。≫(以上、「認識理論の創造への出発」、本書七~八頁)

 

 上のひとつの結論は、庄司をしてコトワザとは、「中間位にある表象」だと書かせています。これはだれにでも気づかれることでしょう。もう一つが重要だと思われます。それは「過渡的な段階の表象」だという受けとめです。ここには「認識の発展」という問題意識の端緒が見えます。

 まとめますと、三浦のコトワザを「表象」だと指摘した助言は、コトワザの性格を、感性と論理の中間位にあることから、両者の関連性において研究すべきことを自覚させました。またコトワザが、感性と論理のあいだにあって「過渡的」だという受けとめは、コトワザを「認識の発展」という問題意識の中で研究すべきことを促しました。コトワザを「表象」と位置づける三浦の助言は、その庄司のコトワザ研究を、前後の「関連性」に配慮し、「認識発展」の芽を見ていく、二つの方向に決定づけたと考えられます。(つづく)


三浦つとむからの学び、その核心(中)

2017-08-27 17:27:17 | 

 前回のブログは不十分な記述が多く、先ほど改稿しておきました。さて、続きです。話題は、三浦つとむの助言からの庄司の学びについてでした。三浦からの助言はあと二つ残っています。(ウ)庄司に「ことわざ論をやってみたらどうか」と助言されたこと。(エ)庄司図式の「諺・金言」(「コトワザ」段階)は、表象」と位置づけられること、「表象」概念をハッキリ教えたこと、です。今回は(ウ)について考えてみることにします。

 

(ウ)「ことわざ論をやってみたらどうか」

  敬愛する人の著書をくりかえし読んできた者が、直接ご本人とあってこのような助言をいただく場面を想定してみれば、このような助言をもらうことが、研究を志す者にとってどれほどの励みになるかは、おおよそ察することができます。ちなみに、庄司は研究者としてこの種の励ましの、言って見れば達人でありました。・・・話を若い頃(一九六五年)に戻します。「ことわざ論をやってみたらどうか」という助言は、庄司の意欲と力量を見込んだ本音から発した一言だったようです。晩年の「私の研究歴・談話録」で、当時を回想して、

 

当時、三浦つとむさんの話を、あとで奥さんから聞いたのですが、こう言ってくれました。三浦さんは「コトワザはワ・タ・シがうやりたかった」と。そのくらいコトワザに惹かれたひとだったんです。≫(全面教育学研究会 編『庄司和晃先生 追悼 野のすみれさみしがらぬ学立てよ』二〇一六 一〇一~二頁)

 

 しかし、すぐにその助言に応ずることはありませんでした。「それに応ずるだけのかまえが熟していなかった」というのです。では、どうしたか。庄司は≪「柳田国男の児童観」をまとめあげ、関係著書や友人との討論などの中をうろつきまわり、よくよく拈提〔ネンテイ〕すること一週間にして次の結論に到達することができた≫と書いています。「拈提(ネンテイ)」とはどんな意味か調べてみても一般の国語辞典類には出ていないので、各種サイトをあたってみると、曹洞宗の関連用語であること、直訳すれば「つまんで示す」こと、たとえば古人が書いた著作などを主題にして、後に学ぶ者が自らの意見を示すことだ、とあります。ここでいえば、師の三浦つとむの助言を課題として自分はどう取り組めばいいのかを、一週間考え続けたことを指しています。とすると、答えは決まっていたわけですが、どう答えるかに庄司は意を尽していたことになります。どのような結論を出したのか。前にも引用しましたが、くり返しを厭わず引用します。

 

すなわち、“自分の認識理論を創造することなくしては、いつも亜流じみた言説しか弄することができないのがセキの山である。すべからく〔すべきこととして当然〕その道にむかうべし”という、まことにもって凡々たる地点へといきつくことができた。それには、今の境遇からして「コトワザ論」をやることが、もっとも近接しうる好題目である。しかも自分の認識理論を創造するための重要なる機縁となりうるであろう、という結論にいたりついた≫(本書 七頁)

 

 「拈提かァ、やはり庄司先生は禅宗のお坊さんだったんだなァ」などと、ひとり、心でつぶやきながら、このようなときの答えの出し方に感心すること、しばし。庄司のもとに集まった者たちがなにか良さそうなレポートをだすと、必ずひとこと付いた励まし。「○○さん、あなたの全面教育学もこれで前進ですな」という一言が思い出されます。・・・庄司は自分では「凡々たる地点」とはいうけれど、それが「自分の認識理論を創造する」ことであると聞いて、とても「凡々たる地点」とは言えないのが大部分であったのではありますまいか。かえって、「それが王道ですな」と聞かされているようなものです。「王道」と聞くと、わたしなどヒネクレ者はどうしても異なる道を探してみたくなるのですが。

 もう一つ、書いておきたいのは、この「拈提(ネンテイ)」の最中に、「柳田国男の児童観」と綴っていたという一事について、です。この論文は私も好きで、覚えているのは柳田国男が明らかにし庄司が浮き彫りにした二つの重要な児童観です。過去保存的児童観と子供の造語能力の存在です。一週間の拈提(ネンテイ)のあいだ、このような、自分が学んだ他の領域の研究成果も動員しようとしていたのではないか、と思われるのです。私はブログを通して庄司の研究歴のなかで以下のようなことを確かめてきました。まず「自分の認識理論の創造」のためには、コトワザ研究を機縁としたことはもちろん、これ以前にさかのぼると、柳田社会科つくりの経験、小学生のおしゃべりコトバの研究蓄積を見直し言語教育構想へ再編集しつつあること、一九六三年以来の仮説実験授業研究も継続しつつ、コトワザ研究の出発にはその大事な端緒に導入したばかりか、続く議論を深めるために重要な比較材料になった科学教育研究の存在などを不十分ながら調べてきました。さらにその後となると、一九六八年に本格的に始まる「柳田教育学」の研究などを斟酌すると、庄司は、異なる領域の研究と並行しながら、「自分の認識理論の創造」に向ったことに気づかされます。まさに「一人ワールドにおける研究の総動員体制」と呼びたくなります。

 しかし私は、ここに庄司からの大きなヒントと励ましをもらった気がします。だれもが多様な関心領域に携わっている、または関わらざるをえない状況に生きている。大事なことはそこで考えたり書いたりしたことを捨てたり忘れたりするのではなく、ある研究に総動員させることを可能にする、自分らしい題目を立てられるかどうかだ、ということです。もう一度、庄司の場合をふりかえってみますと、「自分の認識理論の創造」がそのような研究題目でした。そのために中心に設定したのがコトワザ研究とその教育実践(これを忘れてはいけない)でした。この核心となるべき研究に要求されるのは「自分の認識理論の創造」にまで飛ぶことのできるツバサです。コトワザ研究を飛翔させより高い位置に上昇させたツバサこそ、「コトワザは表象である」という助言ではなかったかと予想します。次回はここを確かめます。