尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

コトワザ教育は言語教育構想の大部分を達成できるという問題

2017-09-19 09:44:32 | 

 前回は、「方言の授業」と「コトワザの授業」の教育的な実験の総括(結論と展望および反省事項)的叙述を対象にして庄司和晃の研究法を浮き彫りにしてみました。ただ、「遊びコトバ」ついては、庄司のコメントが少なく、私が第一次テキストの目次を検討した編集の意図については検証することができませんでした。ここはすこし残念なところです。さて、今回は総括のおしまいの部分を紹介します。庄司はコトワザ教育の可能性、コトワザの定義、コトワザとそれ以前との関係について、実にハッキリと応えています。

 

⑤コトワザの授業の可能性について。

これはまずばくだいなものだといえそうだ。言語感覚に類するものはいうにおよばず、世界観の教育・知識やモラルの教育においてもかなりな可能性をもっている。このことについては、先の子どもたちの歓迎度が端的にものがたっているといっていい。

たしかに、コトワザは観賞性と実用性の一致した言語である。否むしろ、観賞性と思想性と実用性の三者が統一された言語である、といってさしつかえないであろう。おもしろくて、意味が深くて、役に立つ言語、それがコトワザなのだ。だから、子どもたちに思想的な満足を与えてくれるのだろう。

そういう点で、前章〔「体系化への構想おぼえがき」〕に示したわたしの言語教育の構想の大部分は、コトワザの教育によって達成しうるといっても過言ではない。≫(本書 九九~一〇〇頁)

 

 まず、コトワザは観賞性と実用性と思想性の三つが統一された言語であるということ。私にはこの定義を初めて知ったときの記憶があります。定義自体はコトワザについてのものですが、あるとき、庄司の著作を通じてこの定義は、良い教材を選ぶときの基準にも使えることを知ったのです。現場の若い教員にとって授業のための教材開発はふだんの仕事であると同時に悩みのタネでもあります。どんな素材を教材として選べばよいか、その原則は何だろうと思っていたときにズバリ応えてくれたのが、この三原則──おもしろくて(観賞性)、ためになって(思想性)、役に立つ(実用性)でした。三つ揃わなければ理想的な教材とはいえない。三つ揃えるのが無理ならば、せめて「おもしろい(観賞性)」という原則だけはできるかぎり優先しようと、若い心に刻んだ憶えがあります。逆にいえば、コトワザこそ教材の理想型を表しているわけです。もしかしたら教育文化の基本的な考え方にも通じているかもしれません。さらに、これら三原則を内蔵するからこそ、子供たちに思想的な満足を与えてくれるのだという指摘も私にとっては重要でした。おもしろいだけの授業、ためになるだけの授業、役に立つだけの授業と三つバラバラに考えてみれば、三つそろった授業の威力の凄まじさが容易く想像できてしまう。ここが授業研究を盛んにやった時代に背中を押してくれたイメージだったからです。

 コトワザの性格を以上のように三つに集約すると、今度はその裾野が気になってきます。一般化すればするほど具体的な範囲を確定したくなるわけです。さいごの総括がこの問題の行方を示唆しています。庄司は「わたしの言語教育の構想の大部分は、コトワザの教育によって達成しうるといっても過言ではない」といい切っています。たしかにコトワザを定義する三原則は多様性に富んでいます。これなら彼の言語教育構想における多様な「目標」と「内容」を掬い上げることができそうです。実際、庄司のコトワザ研究に重要な折目をつけた論文「コトワザの論理と教育」(本書第二部 1970.7)には言語教育構想における多様な目標と内容が掬い上げられているという印象もあります。しかし、彼の言語教育構想でリストアップされていた多様な目標と内容がどのようにコトワザ教育に掬い上げられているかの根拠づけや検証は、これからの課題になります。

 ですからここで言及したいことは、庄司がコトワザ教育という一事によって、言語教育構想の大部分が達成しうると確言したことじたいについてです。こう言えるのは、それだけコトワザの概念を拡張できたともいえますし、もともとコトワザには多様な文化要素を内蔵できる性質があったともいえます。しかし私には、このような「予想」を可能にしたのは、まず庄司が自前の研究蓄積を捨てなかったことに一番の要因があると思ってきました。これまで一度ならず書いたことですが、新しい分野の研究を開発するというときに、かつて取り組んだ研究の成果をいかに新しい研究に活かそうと腐心・苦心してきたか、その結果だと思うのです。これは庄司の研究的個性というべきものです。

 もう一つ書き加えておきたいことは、今しがた「もともとコトワザには多様な文化要素を内蔵できる性質があった」のではないかと書きました。この件についてです。庄司はのちにコトワザ論理発見説というコトワザ本質観を提唱していきますが、この「論理」からうける印象はコトワリ・筋道・法則など抽象的なものです。抽象的なものは感性的・具体的な側面を捨象して出来上がります。「論理」という以上、これで正しいわけですが、どうしてもやせ細ったハリガネのようなイメージを喚起しやすく、そこに豊かな具体性・多様性が伴っていたことを忘れがちです。これはコトワザ論理発見説の誤解されやすいところかと思います。この点、コトワザ教育は言語教育構想の大部分を留保(止揚といってもよい)してあると確言しているわけですから、この時点では誤解の余地は少なかったといえます。しかし、このような論理と具体の関係如何という問題は、論理学的なアプローチではなくて、「コトワザはどのような言語か」を問うような言語学的な関心から見ると、結構大事な問題だという気がしているのです。というのは、なぜコトワザは「思想」(世界観・指針・実践)を内蔵できるのか。このような問いは、なぜたいていの文章には題名がついているのかという問いと重なる気がするからです。興味深いテーマです。

 以上のように、「方言とコトワザの授業にみる可能性」についての総括的議論を読んできますと、とくに定義の面から、世の中のコトワザ研究者はコトワザをどう定義しているのだろうか、これが気になってきます。また、三浦つとむの助言から学んだ「核心」は、これまで見てきた教育的な実験から導き出される「コトワザ教育論」と、どのような位置関係にあるのか、あるいはどのような影響関係にあるのか。その初期のかたちを確かめていかねばなりません。次回から、庄司がコトワザ教育を実践していた時期に執筆された「表象論としてのコトワザのもつ論理」(1965.11.1)に入ります。これを読み切ることが、八月中旬以来綴ってきたブログのゴールになります。


「以前以後」や「周辺」から考察するコトワザ研究法

2017-09-18 13:11:18 | 

 庄司和晃は「方言の授業」に続く「コトワザの授業」という教育的な実験の渦中から、前者では何が可能か可能でないかを論じながら、コトワザには言語感覚を養うこととどまらず、「世界観・思想・指針・実践」にさおさす力を養うことを可能する性格が内蔵されていること発見しました。でも、このような性格はあらかじめ本書第Ⅲ部第2章「言語教育の体系化の歩み」の第Ⅰ節「コトワザの教育への展望をもつ」で想定していたことであって、それゆえの「小学校言語学(小学校哲学)」という一連の授業計画に対する命名であったわけです。ですから、ことわざの内蔵する多様な性格は、発見されたというより、教育的な実験の中から「再発見」されたという方が正しいと思います。

 では、できることには限界があるという「方言の授業」は、言語感覚を養うための「ことわざ以前」の分野としてだけとどめ置かれたのでしょうか。そうではないようです。庄司は方言と比較することからコトワザの性格を確かめたあと、返す刀で再び「方言教育の可能性」の言及しているのです。それから第一次テキストの目次からうかがえる第三部の「遊びコトバ」の授業(「わたしたちのコトバを見直そう」)はどうなるのか、という問題も気になります。今回は、このあたりを確かめたい。9/15のブログで紹介した「方言の授業では何が可能でないか」の続きから引用します。

 

なお、思想というわけではないが、方言は単なる言語感覚以上のものを伝えるということも忘れてはなるまい。名称が成立するところには、そのものの形態や生態、あるいは比喩や俗信などが関与しているからだ。それらを少しくほりさげることによって、自然観や昔意識(世間観)を高めることにもなるからだ。≫(本書 九八頁)

 

 方言の成立にはその「形態や生態」(あるいは比喩や俗信)が関与しているという言い方が庄司らしさを感じさせますが、そこを少しく掘り下げることによって、自然観や昔意識(世間観)を高めることに寄与できると書いています。その傍証としてか、引用に続いて柳田国男の業績を偲んで書いた臼井吉見の文章の一節を紹介しています。それは、アカトンボという方言の話(「赤とんぼの話」)についての話です。一つの方言の起りや広がりかたについて話をするためには、その言葉を調べるのにどんなに広い学問の背景が必要か、また一つの方言が移り変っていく背後に、どんなに幅の厚い暮しの歴史があるかを語ってくれて、おどろきとおもしろさを覚える、というものです。ここで庄司は、たった一つの方言が変遷していく背景に互いに結びつき積み重なり合っている人々の生活史のありようを方言の「形態や生態」と呼んだわけですが、このような方言に対する見方が世界観の育成に資する可能性を指摘しています。この柳田の「赤とんぼの話」は授業計画では、第一部「方言の授業」でとりあげる予定だった資料です。庄司は、テキスト作成段階で方言が「言語感覚以上のもの」を伝える言葉であることを熟知していた可能性があります。柳田国男を学んできた庄司からすれば当然の発想といえます(私はここを検討せずにきてしまいました)。庄司の「方言の授業」についての見直しはさらに展開していきます。

 

③方言の授業の今後について。

方言の授業の教材としては、今のところアリジゴクなどは適当といえる。方言集と解説文がかなりな程度に整備されているといえるからだ。ただ、今回使用してみた柳田氏の「蟻地獄と子供」の読み物と馬場氏のアリジゴクについての解説文は、子どもたちがひとりで読めるような形にととのえていかなければならない。読み物や解説文は、語の背景を知る上においてきわめて重要なことだからだ。とくに、方言のように、思想のコトバといえないような語をあつかうときには必要にして不可欠のものといってよいからである。

世界観教育という面からみると、方言に宿る生活史の厚味をどのようにとらえさせるかに、もう少し意を注いでいく必要がある。読み物が整備されてくれば、この点も多くの解決をみるであろう。

方言を言語観賞教材としてみたらどうであろう。実用言語というよりは一種の鑑賞言語として教材化すれば、またそれなりの展望が開けてくるかもしれない。≫(本書 九九頁)

 

 一つは、「読み物や解説文は、語の背景を知る上においてきわめて重要」だから、そのような読み物は子供がひとりで読めるような教材に整備する必要があること。二つは、読み物が整備されてくれば、「方言に宿る生活史の厚味」をどう子供にとらえさせるかについて、多くの解決をえるだろうこと。三つは、方言を実用言語というよりも観賞言語として教材化すれば、方言の授業も独自の展開が可能になっていくのではないか、ということ。以上の三つは、方言の授業を単に「コトワザ以前」と位置づけることにとどまらず、その独自性を具体的に追及しようとする意欲の表われと受けとることができます。たいしたことだと思います。

 とくに三点目は、方言を観賞言語として教材化しその独自性を追及する授業として位置づけてはどうかという意見です。どういうことか推察してみると、方言を良いコトバの手本として見直すことを意味しているのではないでしょうか。もちろんすべての方言が良いコトバであるはずはないですから、代々の人々が肚で思っていることを素直に表現したコトバとして、したがって聴いてすぐにそれと分かり、おもしろく、覚えやすコトバの手本として学べる授業を構想してみてはどうか、そうすれば良いコトバを選ぶ目ばかりでなく良いコトバを作り出す担い手としての子供を育てることができる。方言の授業の「それなりの展開」とはこのようなことではなかったかと想像します。というのは、庄司はすでに柳田の国語教育論のいくつかを読んでいたと思うからです。(考えすぎかも) さて、「コトワザ以前」への関心は、第一次テキストの目次に予定されていた第三部「わたしたちのコトバを見直そう」(「遊びコトバ」の授業)についても、言及せずには済まないようです。

 

④方言の授業と他への影響について。

方言の授業が今回以上に格好がついてくれば、いろいろな呼び名・遊びコトバ・ナゾナゾなどの授業への道もついてくるであろう。思想性のない、あるいは思想性にとぼしい言語をどうあつうかということがわかってくるからだ。形式的なものをどう教えるかにもかかわりがある。コトワザなどはそれ自体が教育的効用をもっている。思想的には独立した内容を具備しているといってもいい。どんなコトワザでもすべてそうだとはいいきれないものはあるにせよ、大半はそのように理解してもまちがいではない。だから、ある意味において、コトワザの教育はやりやすい。それ自体が実践への指針をもたらしてくれるからだ。そういう点で、方言などの思想性にとぼしいものは教えにくく、また興味を持続させるには困難さをともなう。文法もそのひとつに数えてよいかもしれない。≫(本書 九九頁)

 

 ここには庄司特有の思考法が表われています。ある事柄についてハッキリそれが何かと言い当てることができないときの発想法、簡単にいえば対象が良く分からないときの考え方です。これまでの記述から見て取れることですが、コトワザというコトバの性格がよく分からなければ、「コトワザ以前」の方言の授業を通して考えます。逆に「方言以後」のコトワザの授業から方言の授業を見直しています。こういう方法をどう呼べばいいか。方言からコトワザへ、コトワザから方言へと眺めていくのですから、<往き帰りの構造>とでも呼んでおきましょう。

 また一方で、子供の世界では大きな存在感を示す「いろいろな呼び名・遊びコトバ・ナゾナゾなど」のコトバ群が、方言やコトワザの周辺に存在します。これを「遊びコトバ」群と呼んでおきましょう。これをどう位置づけ、どのように性格を言い当てるか。庄司は「方言の授業」の新たな展開からその答えが見えてくるのではないかと書いています。なぜならば、方言と同じく「遊びコトバ」は思想性のとぼしいコトバ群だから、新たな「方言の授業」の展開が、授業における「遊びコトバ」の扱いを教えてくれるはずだ、というわけです。「遊びコトバ」を授業でどう扱えばよいか、とくに何か分かったわけではないのですが、方言という「思想性のとぼしいコトバ」の周辺に「遊びコトバ」を位置づけて、まだハッキリ掴むことのできない性格をとらえようという手法であることが分かります。これも後年からみれば、庄司和晃らしい思考法(研究法)として浮上してくるのはまずまちがいないことです。名づけて、<「以前以後」と「周辺」から考察する研究法>ではどうでしょうか。その構造はいうまでもなく<往き帰り>にあります。


庄司和晃の「コトワザの授業」事始め(下)

2017-09-17 18:12:13 | 

 さっそく前回の続きで、コトワザの授業の経過を見てゆきます。

 

⑫コトワザの意味調べの第四回目(1965.11.9)、第五回目(1965.11.12)を実施。〔「江戸いろは」及び「小さなことわざ辞典」の中のコトワザ調べの続き〕

コトワザについての感想を書かせる(1965.11.12)〔最初の感想文、本書第Ⅲ部 第4章「小学生のコトワザ観の諸相」の第Ⅰ節に全文収録〕

⑭今までに調べたコトワザの中から気に入ったものを挙げさせる〔男女別に集計(三位まで紹介)。男子のお気に入りは、「憎まれっ子世にはばかる」(7人)、「油断大敵」(6人)、「安物買いのゼニうしない」(4人)、「ちょうちんにつりがね」(4人)。/女子のお気に入りは、「憎まれっ子世にはばかる」(7人)、「良薬は口に苦し」(6人)、「ちりもつもれば山となる」(6人)〕⇒ ≪カードの活用によるコトワザの意味しらべについては、ここで一段落≫(本書 九四~六頁)

⑮柳田国男の「なぞとことわざ」と「ことわざの話」を読み始める(1965.11.13)〔 ともに前者は15節、後者は13節から成る中学生向読物。読み終えたのは12.10。〕⇒ ≪1時限(40分授業)に、だいたい2~3節読み進める。全部で11時間を要した。/進め方としては、こちらが読んでやったり、順番に子どもに読ませたりした。気に入った箇所にはサイドラインを引かせたり、むずかしいことばはこちらで説明し、気軽に読み通すことを念頭において、進めていった。つかれを見せたときには、コトワザのカード作りと遊びをやった。/小学六年生でもけっこうを読める文章であった。程度からいうと、ややむずかしいという部類にはいるだろう。だが、内容がコトワザであるから、それほどの抵抗感を子どもたちに与えはしなかった。テキストに使うぶんには六年生にふさわしいといっていい。もっと時間をかけて、解説を多くし、一時間一節ぐらいに読み進めるとしたら五年生でもよいのではないかと思う。いずれ実験してみたい。/この二つの読物に出てくるコトワザは517個である。したがって子どもたちは、かなり多様で豊富なコトワザに接したことになる。≫(本書 九七頁) 

コトワザまじり文作りについて〔授業計画になかったことだった。子どものコトワザ交じり文は、本書第Ⅲ部 第4章「小学生のコトワザ観の諸相」の第Ⅳ節に全文収録〕〕⇒ ≪コトワザを勉強している間、意識的に文章の中にコトワザを挿入して使いはじめたのは、S子という子どもであった。自然発生的に生まれてきたのである。(1965.11.15)/ここにわたしはその可能性を見つけ、全員にやらせてみることにした(1965.11.16)。/これによってわたしは。子どもたちが意外にもコトワザをマスターしていることを知ったのである。コトワザの授業の終着点を見る思いであった。S子には感謝のほかはない。「コトワザ交じり文作り」によってはじめてわたしの“コトワザ授業”も体をなしたといってよいからである。≫(本書 九七頁)

コトワザについての二回目の感想を書かせる(1965.11.26

⑱柳田国男の二つの読物を読み終える(1965.12.10)

コトワザについての三回目の感想を書かせる(1965.11.26

コトワザの授業を終了する(1965.12.18〔五段階で子供たちによる自己評価。38人全員が「5.たいへんおもしろかった」(30人)、「4.おもしろかった」(8人)と評価する〕⇒ ≪授業中に、三回ばかりの感想文を記してもらったので、ここではとりたてての理由を記述させることはしなかった。ただ口答で聞いてみると、「すごく役に立つ」「ことばがおもしろいしためになる」、「意味がわかってきたので途中からとてもおもしろくなってきた」、「いろいろなところで使えるからためになる」、「たとえることのおもしろさがわかった」というようなのが、大半であった。4の評価をした子の中に、「人をけなすようなことわざもあったのでそれが気になった」というのがあった。≫(本書 九七~八頁)

 

 下線部を付した活動のうち、まず、授業の展開を変えていった⑯「コトワザ交じり文つくり」が注目されます。庄司も知らないうちに子どもたちが相応にコトワザを身につけていたことがわかるからです。「コトワザ交じりの文」を綴れるようになったということは、コトワザを駆使できるようになったことを意味します。言い換えれば、コトワザをあやつる能力(実践性)が相応に養われてきたわけです。また、最後⑳での六年生の、この授業に対する自己評価を見るだけで、コトワザの思想にさおさす「意味」や「ためになる」というコトバ、その実践性にさおさす「役に立つ」というコトバ、観賞性にさおさす「おもしろい」というコトバによって、コトワザが方言にない多様な要素を内蔵するものだということが伝わってきます。が、ここでは六年生の一回目の授業感想文(1965.11.12)に関する庄司のおぼえがきを引いて、さらにコトワザ教育が方言教育を超える可能性をもっていることを紹介してみたい。おぼえがきの末尾のマル数字は、授業を受けた38人の感想文の個々を指します。

 

全体的なことがら。

・コトワザの世界へ入っていく道筋がよくわかる。またどう受けとめていったかもわかる。

・おもしろい世界だわかってきたところ・・・⑨

・コトワザの便利さに気づく・・・⑧⑨

・コトワザへのおどろき・・・⑩

・コトワザを使えるようになったことの悦び・・・⑩

・コトワザの世界へ突入しつつあるのがよくわかる。テレビを見ながら、そこに出てくるコトワザに気づくとか・・・⑪、つまりコトワザの世界を意識するようになっている。

・コトワザを自覚的に使うようになっている・・・⑪、またコトワザの効用にも気づいている。

とくに「コトワザ観」の断面を示すもの。

コトワザ、よくあんな意味のあることばを作ったもんだ・・・㊳

コトワザを使うときには相手を選べ・・・㊱

短いことばに長い意味がある・・・㉟

コトワザには深い意味のおもしろものがある・・・㉛

コトワザにはかならず意味がある・・・㉚

だいたい本当にあることのようだ・・・㉚

本当のことをちがったいいかたにして作ったのだからえらいもんだ・・・㉙、(たとえ的表現・からめて的表現を、子どもながらいいきっている。)

コトワザでいろいろなことがわかる・・・㉙、(世の中・人生にあいわたること、世界観へさおさす)

何のことかわからずおもしろがっていたのが、あとで意味がよくわかると、これはぼくにぴったりだと思うようなコトワザがよくある・・・㉘、(それほどに普遍性をもつ)

コトワザは俳句や短歌みたいだ・・・㉗、(が、俳句や短歌は主として芸術的鑑賞品であり、コトワザは主として鑑賞品であるとともに実用品である)。

コトワザとナゾナゾはよく似ている・・・⑲㉗、(どちらも鑑賞的実用品か)。

昔の人は、今の人とくらべてたいへんに複雑だ・・・㉔

コトワザは長ったらしいことを短くおぼえやすくしたものだ・・・㉒

コトワザには使い道がたくさんある・・・㉒

一つのコトワザは何種類にも使える・・・⑬

使ってみるとコトワザがどんどんでてくる・・・⑱

コトワザで昔のことがよくわかる・・・⑰

だいたい、たとえをいっている・・・⑯

コトワザっていうのはあたりまえなことをいっている・・・⑬⑮

人に注意するときも、こういうふうに、おもしろいいいかたをしたら、きっと相手の人もわかってくれる・・・⑪

うまいことを考えてたとえたものだ・・・②

昔の人は古いことばっかりいってつまらないような気がしていたが色々なコトワザを知っているのなら、つまらないなんていっていられない・・・⑳、(古人ないしは大人の再発見か)。≫(本書 一〇六~七頁)

 

 以上の庄司によるおぼえがきが書かれた日付は不明ですが、もとになった六年生の感想文(1965.11.12)は、日付を考慮すると、庄司が論文「認識理論の創造への出発」(1965.11.17 本書第Ⅰ部第1章)を執筆する上で、相応な手応えをもたらしたものだと考えられます。この論文には三浦つとむからの学びの「核心」が説かれていました。学びの「核心」を明らかにする上で、この時点では唯一の参考とすべき子供たちの感想(声)であったからです。もちろん1965.11.16付の「コトワザ交じり文」つくりからの影響も軽視はできませんが。

 前回と二回に渡って、庄司の「コトワザの授業」の経過を辿りながら、方言の授業では可能でなかった言語感覚と思想の両方を養う可能性の根拠を探索してきました。今回は主に六年生の感想文によって、前回カギ括弧で「思想」と表現したなかに含まれる多様な性格(世界観・指針・実践)確かめることができました。以上をふりかえってみますと、この新たなコトワザ像は庄司自身によるコトワザの教育的な実験の渦中から生まれ出たということに、改めて気づかされます。庄司のコトワザ研究の独自性です。


庄司和晃の「コトワザの授業」事始め(上)

2017-09-16 17:02:04 | 

 前回(昨日)は、庄司が「方言の授業」で得た「言語感覚」を養う可能性という視角で、コトワザの授業を眺めたとき、そこに言語感覚だけではなく「言語感覚と思想」の二つ同時に養うことの可能性を発見したことを述べました。しかし、これは二つの授業のあとでなされた総括で整理されたことです。まだその根拠を提示したわけではありません。そこで、今回は庄司の実践したコトワザの授業のどこにその根拠があったのか確かめてみようと思います。そのためにはこの授業の経過を追跡してみなければなりません。第Ⅱ節「コトワザの授業と子どもの受けとめ」を見ていきましょう。〔 〕は授業に関する私の補注。矢印⇒≪≫は、庄司のコメントの部分再録です。必要だと考える活動についてだけ紹介します。

①コトワザについての子どもの説明度を聞く〔どの程度説明できるか五段階評価で尋ね、実際にコトワザの説明文を書いてもらう〕

②授業前の子どものコトワザ観を捉える〔①の説明文を子どもたちに紹介したと思われる〕⇒ ≪説明文と言っても定義めいたものが大部分である。しかし、下手な説明よりは、それぞれが一面の的を射っているといってよいのではなかろうか。ともかく、以上のものは、授業前の子どものコトワザ観を端的に物語っているとみることができよう。かなりのところまで達していることはたしかである。一言でもってこれをいえば、教訓的なコトワザ観とでもいうべきであろうか。≫(本書 八八~九頁)

③現在知っているコトワザを列挙してもらう〔各人に筆記させる〕⇒ ≪平均してみると一人約14個であった。・・・最も多く挙げたのは23個・・・最も少なくあげた子で、6個。≫(本書 八九頁)

④「いろはたとえ」で知っているコトワザを確かめる〔江戸大阪京都の三種類。一読させてチェック〕⇒ ≪江戸のいろはたとえについては、大阪・京都のものにくらべてだいぶ知っている/・・・30人(約80%)以上の子が知っているというコトワザを拾ってみると、・・・花より団子、骨折り損のくたびれもうけ、塵もつもれば山となる、頭かくして尻かくさず、油断大敵。/この五つはとくに、子どもたちの心中に深く根をおろしつつあるコトワザといってよいものであろう。/これによって子どもたちは、かなり多くのコトワザに接したことになったわけである。/ここから、「このコトワザはどういうことなんだろう」という質問が多く出、「意味しらべ」への必然性がでてくることになった。コトワザはおもしろく表現されてはいるけれども意味のわからないのがほとんどだからである。≫(本書 八九~九二頁)

⑤「いろはにほへと」のうたの意味を教える。

⑥「いろはたとえ」の意味調べに入る〔購入したり家にあった辞典で調べる。最初は自由にやらせてみて慣れさせた〕

⑦その意味調べの第二回目〔「江戸いろは」〕⇒ ≪そのあとで、使えそうに思ったコトワザを数えさせてみると・・・〔11~30個に約74%の個が集中〕/子どもたちの摂取能力の一面を伝えているといえるであろう。六年生ぐらいになるとかなりのコトワザをものにしているようである。

ナゾナゾを話題にする〔この遊びの記憶や自作の記憶を尋ね、続いてコトワザを使った記憶や自作についても。さらに子どもたちが自作したナゾナゾを紹介する。〕⇒ ≪物事を「たとえる」ということ、つまり比喩のしかたを問題にしてみたわけである。≫(本書 九二頁)

ナゾナゾとコトワザについて「たとえ」のちがいを考える〔いわゆる授業らしい授業ともいえる。〕⇒ ≪ナゾナゾの例(「ひとつ目小僧に足一本?(ぬいばり)」「山でこいこい畑でいやいや?(ススキとサトイモ)」)、そしてコトワザの例(「花より団子」「たなからぼたもち」)を使って以下の三つのことに気づかせる。(1)ナゾナゾは「物」がたとえられているとみることができるということ。(2)コトワザのたとえには、直接に目でみることのできない「考え」(ことわり・りくつ・知識・真理)がもりこまれていること。(3)コトワザは、「表」の世界(表現・比喩)と「裏」の世界(ある考え・ことわり)の二面からつかみとるということができるということ。≫(本書 九二頁)

「いろはたとえ」以外のコトワザをとりあげる〔新井秀一の「小さなことわざ辞典」を利用する。50個のコトワザの意味が小学生向きによく解説されている〕

⇒ ≪例によって各人の知っている数にあたって集計してみると・・・6~20個に子どもの66%が集中。/この「小さなことわざ辞典」は、子どもたちにぴったりしたものであったらしくたいへん受けた。初期のうちはやはりこういうコトワザの辞典でないとうまいこといかないのかもしれない。/この辞典を使用しているうちに、次のことを思いついた。すなわち、この辞典をばらして、画用紙にはりつけ、カードにした方がよい、ということに気がついたのである(カードの表にコトワザ、裏に意味をかいた)。/「カード方式のことわざ辞典」ができたわけである。この立体的なありかたに子どもたちは大いに喜んだだけでなく、これはまた、先に述べた「表」の世界(表現・比喩)と「裏」の世界(ことわり・考え・知識)の二つの面を自然裡に、しかも具体的に、手にとれる形で把握させることになった。いわば一挙両得の仕事になったわけである。/と同時に、コトワザ遊びを開発することができた。カードの裏を読みあげて、相手にそのコトワザをあてさせるのである。(集団・二人・一人で、できる)この遊びをたいへん歓迎してくれた。予想外のことであった。「コトワザあてっこ遊び」と名づける。しかし、「表」をいって「裏」をいわせるのは、いわゆるお勉強になるせいか、あまり子どもは面白がらない。/これをやっていたらこんどは、自然な形で、「類諺遊び」もできるようになった。というのは、たとえば「どんなに自分がとくいななことでも時には失敗することがある。云々」と読みあげたとき、カッパノ川流レだけが正解なのではなく、テングニモトビソコネでも、サルモ木カラオチルでもよいということに気づいたからである。ここから、「表」にいくつも類諺を書き、「裏」に意味を書いたカード、また「表」にコトワザを一つ、「裏」に類諺を複数かいたカードも生まれた。/カード作製と運用になれてくるにつれて、善ハ急ゲ←→急ガバマワレなどの反対句の遊びもできたし、中にはカードの表に「あたりまえでおもしろいことわざ」と見出しをつけて、その裏には雨ノ降ル日ハ天気ガ悪イ・犬ガ西向キャ尾ハ東などを書きこむ子どももでて来、コトワザの習得も急速に進んでいった。まことにカード作りは、一挙両得にとどまらず一挙十得ほどの効果をもたらしてくれたのである。以下のコトワザの意味しらべも如上のカード方式(作製と遊び)を併用しておこなっていったものである。≫(本書 九三~四頁)

⑪コトワザの意味調べの第三回目(1965.11.8)〔「江戸いろは」調べの続き、「小さなことわざ辞典」の中のコトワザ調べ〕≫(本書 九三~四頁)

 

 今回はここで切っておきましょう。こうして「コトワザの授業」の展開を追っていくと、小学生向けの「小さなことわざ辞典」で調べたり、「コトワザのあてっこ遊び」が生まれたりするあたりから、子どもたちが授業に乗ってくる勢いが伝わってきます。⑩の終盤では庄司が子どもたちにひっぱられていく様子も感じられます。もう少し詳しくみていきましょう。下線を引いた授業に注目していただくと、子どもたちがコトワザに込められている「思想」(世界観・指針・実践も含めて)の存在にタッチする機会がいくつか認められます。⑧のナゾナゾを話題にする活動あたりから、「たとえ」というものに気づき、⑨でナゾナゾとコトワザの「たとえ」のちがい、そしてコトワザの意味を表と裏で把握する仕方は、コトワザというものには「裏の意味がある」という実感をより鮮明にしたことでしょう。それを個々のコトワザで確かめる機会が待ったなしでやって来たわけです。⑪の小学生向けの「小さなことわざ辞典」を使った意味調べのことです。なんというタイミングの良さでしょうか。ここで子どもたちは学習の勢い、つまり自分から進んで調べているうちに自然に覚えるという機会を得たのではないでしょうか。「コトワザの意味しらべ」が遊びになるのは自然の流れだったと言えましょう。

 ところで、⑪の意味しらべの三回目の実施日を確かめると、「1965.11.8」になっています。コトワザの授業に勢いが出てくるのが、その前(直前?)です。興味深いことに、庄司は「1965.11.1」に重要な論文を書いているのです。既に紹介していますが、「表象論としてのコトワザのもつ論理」(本書第Ⅰ部第2章)です。ここには明らかに三浦つとむの助言からの影響と見られる「論理」、「段階」、「表象」、「認識発展論」などの用語がふんだんに使われています。論文構成だけを紹介しておくと、第Ⅰ節「認識発展論の角度からのアプローチ」、第Ⅱ節「第二段階としての表象論のもつ有効性」、第Ⅲ節「コトワザと大衆との関連にみる一側面」、第Ⅳ節「コトワザの特性にまつわる二三の問題」です。庄司はこの時期、コトワザの授業における「言語感覚と思想」の問題と同時に遥か先(認識理論の創造)を見ていたことが伝わってきます。


方言の授業では何が可能でないか

2017-09-15 21:22:01 | 

 さっそく、本書の第Ⅱ部「言語教育試論と小学生のコトワザ観」の第3章「授業にみるふたこまの様相」に入ります。第3章は、第Ⅰ節「方言の授業と子どものうけとめ」、第Ⅱ節「コトワザの授業と子どもの受けとめ」、第Ⅲ節「方言とコトワザの授業にみる可能性」の三節からなります。章の冒頭には「前章の構想にもとずいて、〔受持の六年生38人の子供に対して〕集中的に授業をおこなったもののうち、ふたつばかりのものを、次に箇条的に列挙していく」と書いてあります。

 まず子どもの活動項目によって「方言の授業」の順序を追ってみましょう。

①アリジゴクを知っているか。

②どの程度知っていると思うか。〔五段階評価〕

③アリジゴクをみせる。〔図鑑併用〕

④アリジゴクにニックネームをつけさせる。

⑤アリジゴクの方言はいくつぐらいあると思うか。〔予想させる〕

⑥馬場金太郎の「蟻地獄方言集」を見て感想を書かせる。〔テキスト第一部のを使用〕

⑦柳田国男の「蟻地獄と子供」を読む〔テキスト第一部のを使用〕

⑧馬場金太郎の「アリジゴクの方言について」を読む。〔テキスト第一部のを使用〕

⑨アリジゴクの方言集から「よい名前」を三つ選択させる。〔テキスト第一部の②を使用〕

⑩カマキリにニックネームをつけさせる。

⑪他の子どもたちのニックネームを紹介する。〔テキスト第一部のを使用〕

⑫カマキリの方言はいくつぐらいあると思うか。〔予想させる〕

⑬カマキリの方言集から「よい名前」を選択させ、理由を聞く。〔テキスト第一部のを使用〕

⑭「よい呼び名」とはどんなものか。

⑮方言の授業への子どもの評価(歓迎度)を調査。〔五段階評価、理由も書く、約60%の達成率〕

 「方言の授業」はここで終りなのですが、太字のマル数字に注目していただくと、この授業はテキスト第一部の資料①~⑧のうち、①~⑤が使われたことがわかります。つまり授業の進行にしたがい、テキストの①~⑤の資料はほぼその排列順にそって、使用されていたことがうかがえるのです。しかし、残された⑥「おたまじゃくしの方言集」(『分類方言辞典』)、⑦「山バトと家バト」(柳田国男)、⑧「赤とんぼの話」(同前)の三資料は使われた形跡がありません。この理由はあとで考えることにして、庄司が以上の「教育的な実験」をどう総括しているか見ていきましょう。それは第Ⅲ節で「方言の授業では何が可能か、何が可能でないか」として整理されています。

 

(1)方言の授業では何が可能か

コトバそのものへ目を向けさせることができる。つまり、コトバを意識させるのに役立つ。

コトバ(名称)のゆたかさとおもしろさに気づかせることができる。

コトバ(名称)を選びとるという選択能力やそれを生みだしたりつくったりするという造語能力(生出能力)を高めることができる。つまり、命名技術を向上させるのに役立つ。

よいコトバ(名称)とは何かということも含めて言語感覚をやしないうる。≫(本書 九八頁)

 

 たしかに、上の四つの結論はここではくわしく取り上げませんが、授業の記録からその可能性の高さを確かめることができます。たとえば、「コトバ(名称)を選びとるという選択能力」を養うための、数ある方言集から「どれがよい名前」を選びその理由を考える実践(⑨⑬)、あるいは「よいコトバ」の条件を考えさせる実践(⑭)などは、私もそのアイディアに共感し、柳田国男の児童向けの話を教材化(編集)して、三、四年生向けに「ブランコの話」や「赤とんぼの話」を授業化したことがあります。そこでは、授業の最後に各地の方言から「よいと思うコトバ」を選んでもらい、「よいコトバとはどんなコトバだと思うか」を書いてもらったところ、子供の多くから、柳田国男が定義する「よいコトバ」の条件(聴いてすぐわかること)と一致した意見が出て驚いたことがあります。ですから、そのよいコトバの選択力やその基準を育てる効果は、私も確認しています。

 また、庄司は、引用の最後に「よいコトバとは何かということも含めて言語感覚をやしないうる」と書き付けていますが、この「言語感覚」というコトバこそ、私が庄司の第一次テキストの目次から編集意図を探ったときに使った、「方言とその心づかいの<あいだ>を味わう」ことによって養われる感覚のことにほかなりません。この「言語感覚」がコトワザの特質を見ていく際に、ひとつの視角や問いとなって機能したことは、次の(2)「方言の授業では何が可能ではないか」で確かめることができます。とにかく、庄司は「方言の授業」を予定された最後まで行なわずに、すぐに直接的な「コトワザの授業」実践に入っていくのです。その実践記録を踏まえた上での「方言の授業では何が可能ではないか」という総括なのです。

 

(2)方言の授業では何が可能でないか

・実生活への指針、もしくは行動への指針を教えることはできない。当然といえばそれまでだが、世界観の育成を目途とする言語教育にとっては留意するに足る一事である。そしてまた、この点がコトワザといちじるしく相違するところである。

・つまり、方言の授業は、コトバへの関心や言語感覚を高めたりすることはできるが、それらとともに思想の教育や実践の教育にはならないということだ。六年の子どもたちが、この授業への歓迎度として60%しか示さず、その理由に「役に立たない」とか「ためにならない」とか表明したのも、世界観・思想・指針・実践にかかわる面が存しなかったからだろうと思う。

・言語感覚と思想、この両者の同時教育という点ではコトワザにはるかにおよばないというわけだ。つまり、方言の教育は名称の問題であって思想の問題ではないのだ。これによって方言教育の積極面(やりうる範囲)もヨリはっきりしてくるであろう。(続く)≫(本書 九八頁)

 ここでいったん切っておきましょう。方言の授業から得られた言語感覚という視角からコトワザの世界を眺めたときにハッキリ見えてきたことがあります。それは世界観・思想・指針・実践というコトバの性格を方言に求めることは難しく、コトワザがこそが担っていけること、これだけでなく「言語感覚と思想、この両者の同時教育という点ではコトワザにはるかにおよばない」という発見です。

 ここからは想像です。おそらく「方言の授業」が終盤にある頃、三浦つとむの助言(返信)がやってきたのではないでしょうか。三浦は「諺・金言」(コトワザ)の認識論的な位置について「前論理学的段階」にあること、また「段階」という意義、そして「表象」という認識実践上の重要な位置について助言したことでしょう。大きな感銘を受けた庄司は急いで方言の授業を切り上げ、次の「ことわざ教育」を直接的にやってみたい衝動に駆られたことでしょう。そして三浦つとむの助言を何回も噛みしめているうちに、上の引用にいう「世界観・思想・指針・実践」を「論理」と言い換えたかったにちがいありません。しかし、敢えてそうしなかったと思われます。それは三浦の助言が一挙に組織換えされてしまうような共感をえたからこそ、ジックリ検討してみたかったのかもしれません。あるいは、自前の言語教育構想(私的言語教育試論)を最後まで通してみたかったのかもしれません。私は、後者ではないかと思えるのです。ともかく、方言の授業との比較が、庄司のコトワザ研究における「原初のかたち」を決定づける大きな契機だった、と言いたいところです。(明日に続く)


庄司の言語教育は「実践の中途から」展開が変わる

2017-09-14 20:49:58 | 

 今回から本書:『コトワザの論理と認識理論』(一九七〇、七)の第Ⅱ部「言語教育試論と小学生のコトワザ観」の第3章「授業にみるふたこまの様相」に入ります。これまで折に触れ述べてきたように、第Ⅱ部第1章「言語教育と科学教育の周辺」は、庄司が三浦つとむに送った資料①「科学の論理形成にさおさすもの」(1965.8.12)と資料②「言語教育と科学教育の周辺」(1965.9.22)に該当します、ただし資料①は資料②の「追記」と位置づけられています。ついで第2章「言語教育の体系化への歩み」は、資料③「言語教育と科学教育についてのMemo」(1965.9.29)と資料④「テキスト:試案」(1965.9/?)の二つがもとになって改稿されたものだと私は考えています。根拠は資料⑤「言語教育の体系化への歩み」が、資料③の日付と一致するからです。ただし、実際に三浦に送られたのは、資料①②③④の四種類です。

 そしていよいよ、三浦からの助言が返ってくるのは十月中だと考えています。根拠は三つあります。一つは、三浦つとむに送った四種類のうちの資料③の日付が一九六五年九月二九日であること。二つは、三浦からの返信(助言)を受けとった後に、同じく三浦から「コトワザ論をやってみたらどうか」と言われたので、一週間ほど熟考して自前の認識理論を創造する決意を固めるのですが、並行してこの一週間に庄司は「柳田国男の児童観をめぐって」(『教育改造』21号 1965.10/?)を書きあげるからです。(本書第Ⅰ部第1章「認識理論の創造への出発」1965.11.17の日付入り)。三つめは、内容的に三浦の助言を受けとめて執筆したと考えられる最初の論文:資料⑥「表象論としてのコトワザのもつ論理」(同前第2章)の日付(1965.11.1)です。

 以上のように、「三浦つとむからの学び」が十月中にあったのは確実ですが、日にちを特定するのはいまのところ困難です。ただ、これから読もうとする本書第Ⅲ部第3章「授業にみるふたこまの様相」には貴重な日付の記載があります。まず、六年生に対する「小学校言語学(小学校哲学)」の授業が十月中にはすでに始まっていたことが、方言の授業の一環として柳田国男の「アリジゴクと子ども」を読む授業が四回(1965.10/12,15,16,19)実施されたことでハッキリします(本書 七九頁)。また、「コトワザの授業を終了する」(1965.12.18)という記載が本書(九七頁)にあります。ということは、ほぼ十月中に方言の授業が、その続きでコトワザの授業が十二月十八日まで実施されたとみてまちがいがなかろうと思います。

 とすると、こういうことが想定できます。三浦つとむからの助言(返信)も「コトワザ論をやってみたら」という励ましも、まさに庄司が言語教育の体系化構想のおぼえがきに従ってはじめた教育的な実験、すなわち方言からコトワザの授業の渦中に、投げ込まれたものだということです。ただ、これが方言の授業実践中なのか、コトワザの授業実践中なのか、あるいはその中間の時期なのかは、第3章を詳しく検討してみなければわかりません。

 もう一つ書き添えておきたいことは、三浦つとむからの助言や励ましが、庄司による言語教育の授業実践渦中に投げ込まれたとしても、その波紋がその実践のありかたに目に見えるカタチで影響が表われるとは限らないということです。むしろいまの段階では、間接的な影響を与えたのではないかとさえ思っています。また影響が出るまでのタイムラグも考慮する必要もあるでしょう。

 たしかなことは、前回までしつこく読んできた資料⑤「言語教育の体系化への歩み」(1965./9/29)の「追記(1970.2/6)」にこう記されていることです。

 

以上のごとき、おぼえがき的な展開と次に示す実践の中途から、Ⅰの視点に立ちつつ直接的にコトワザを中核とする言語教育へと収斂していくのである。その教育体系は、第Ⅱ部の第6章「コトワザの教育過程の体系化」に掲げてみたとおりである。≫(本書 七六頁)

 

 第一次テキストにそって進めようとしていた庄司の言語教育は、「実践の中途から」その展開が変わったことは確かなのです。私はその変化を媒介したのが「三浦からの学び」だったと考えているのですが、これを実証するのは難しいのではないか。ともかく、「直接的にコトワザを中核とする言語教育へと収斂して」いった結果、入手しえたコトワザ観がどのようなものだったのか。私はここに庄司和晃によるコトワザ研究の「原初のかたち」を決定する契機を見てとりたいと考えているのです。先のことですが、この「直接的にコトワザを中核とする言語教育」は、以下のような研究論文を経て洗練されて行くことがわかっています。

・「コトワザの論理と教育──そのあらまし的な序説」(『教育改造』第22号、成城学園初等学校 一九六七年)

・「コトワザの論理と教育」(成城学園五十周年記念論文集教育篇』一九六七、十一月 同学園発行)

・「コトワザの論理と教育」(本書第二部 一九七〇、七)

 以上の内容的な変遷の検討は、「原初のかたち」を明らかにしたあとのテーマになりますが、先月十四日以来綴ってきたブログもようやく正念場に来たなと感じています。


テキスト第三部「わたしたちのコトバを見直そう」の編集意図

2017-09-13 14:09:30 | 

 前回(昨日)は、庄司が言語教育の「体系化への構想おぼえがき」で書いていた第一次テキストの目次(排列)からその意味を考えました。このテキストは第一部「方言のゆたかさとおもしろさ」、第二部「ことわざのいろいろ」、第三部「わたしたちのコトバを見直そう」からなります。第一部には①~⑧の資料が採用されています。昨日はこの第一部の編集の意図を考えたわけです。それは珍しい方言(物の名)とそこに込められた認識(心持・心づかい)の<あいだ>をジックリ味わうことに力を入れて聴くという体験を重視したものであることが分かりました。これによって、第二部「ことわざのいろいろ」をそのような視角で眺めると、コトワザのどのような性格が浮き彫りになるか、という問いを手にすることができます。今回は、第一次テキストの第三部「わたしたちのコトバを見直そう」における編集の意図を考えてみます。

 小見出しは庄司によるものですが、このテキストは教室の六年生に読ませたいと思って作られたものです。だから「わたしたちのコトバを見直す」主体は六年生の子供たちです。第三部ではどんなコトバを見直すのか。「見直す」というのですから、全く初めてのコトバではありえません。それは庄司が「遊びコトバ」と呼んでいる、この時点(一九六五年)でふりかえると十年以上にわたって採集されてきた小学生のおしゃべりコトバの一群を指しています。そしてテキストの第三部はこれを分類し分析した庄司自身による研究資料を編集したものです。その研究資料は本書の第Ⅵ部「小学生の言語生活とその考察」として収録されています。そこから選ばれた資料名を紹介しますと、①子どもの遊びコトバ、②歌遊びコトバ、③メンコ遊びのコトバ、④遊びコトバは変化する、⑤コトバの研究の五つです。

 子供の「遊びコトバ」とはどんなものをいうのか。まず「手遊び」があります。これは学校の音楽会や学芸会の出し物と出し物の隙間になるとたちまち始まる遊びです。たとえば二年生の手遊びの採集ではこんな例があります。中心になる子供が「アンタ→チョイト→ミカケニ→ヨラナイ→クルクルパー」の五つのコトバに合わせて指を一本二本と順に立てて最後は片手をパッとひらいていく。これを任意に選んだ五人にさせていく(もちろん自分が一番手になってもよい)。最後の五人目がドッと笑われるわけですが、これを見ていた子供たちにもドンドン波及していきます。。また「ウントダシテ チョットダシテ ウンバラチョキ」に合わせてじゃんけんをしていく手遊びなどもあります。子供たちはこの世界に没入して夢中になって遊びます。庄司は、夢中になって遊ぶことが「子供のある感覚を助長するチャンスになっている」と述べて説明を加えています。≪手さばき、指さばき、そして、まちがいのない頭のはたらき、その回転のすばらしさを誇る。自分にできないものは、他から強いられることもなく、みずから幾度も幾度も繰返してマスターせんとして、これつとめている≫、そういう意義をもった遊びだというのです。

 つぎの「遊びコトバ」は、「歌遊びコトバ」です。二、三年生の遊びに見られる「かえうた、しりとりうた、はめこみうた、かぞえうた」における「おかしみ」を誘うものを、そう呼んでいます。たとえば、遠足に行くとき電車の中で、「今は山中今は浜・・・」ではじまる「きしゃ」のかえうたがあります。「いまは よなかの さんじごろ でこぼこ おやじが ゆめをみた ゆめの ねどこと まちがえて あっと いうまに ねしょうべん」など、歌い終わると子供たちは笑い転げています。「しりとりうた」でよく知られているものは、「いろはにこんぺいとう」で始まり、長々と続いて最後の「ひかるは おやじの はげあたま」で笑いが爆発します。「はげあたま」というコトバは、子供らに常と異なる興奮をもたらすようです。続いて、こんな「はめこみうた」があります。尾﨑という子供を笑いの対象にするときには「お」がはめ込まれ、「おっちゃん おがつく おんざえもん おんこーの おんぶくれ おりきんたまの おーりおり」というぐあいです。さらに「かぞえうた」にもよく知られたものがあります。おだやかに歌うとなんだかハゲの悲しさが静かにただよってきます。「1つ2つはいいけれど 3つ みんなにハゲがある 4つ よこちょに はげがある 5つ いっぱいハゲがある 6つ むこうにハゲがある 7つ ななめにハゲがある 8つ やっぱりハゲがある 9つ ここにもハゲがある 10で とうとうジャリッパゲ」など。これらの「歌遊びコトバ」について庄司はどう受けとめているでしょうか。

 

3年生頃の時期には、こういう歌コトバを早く覚え、自分でつくりかえ、「知っているぞ」という面持を示してくるときである。わたしたちは、このありさまを、精神分析学的手法でうけとるまえに、かれらがコトバというものを客観的に手玉にとれるようになってきたのだ、と受けとめている。彼らの口にするのは品のなさそうなコトバかもしれないが、心の底には、「創造の芽」が活気を帯びてぐんぐん伸びはじめているのであろう。≫(本書 二八〇頁)

 

 三つ目にとりあげる遊びコトバは、「メンコ遊びのコトバ」です。子供の数ある遊びの中にはその遊びの中でのみ使われている特有のコトバ群があります。その遊びコトバは子供たちがつくり出し、あるいは大人のコトバを流用して、自分たちの利害に動機づけられて生み出されたものです。庄司は、そのような特有の遊びコトバをもっている遊びを、①ビー玉コトバ(二、三年生)、②けん玉コトバ(二、四年生)、③こまコトバ(二、三年生)、④てんか落しコトバ(二年生)、⑤ハンケチ落し(二年生)、⑥(みんなで)ゴムとびコトバ(二年生)、⑦(ふたりで)ゴムとびコトバ(二年生)、⑧しのびあしコトバ(二年生)、⑨ごとぶつけコトバ(二年生)、⑩チョコレート遊びコトバ、⑪かんけり・ボールけりコトバ(四年生)⑫メンコ遊びコトバ、の十二種類に分類しラベルをつけています。( )の中は採集学年です。これら分類項目を眺めるだけで、「ああいうコトバのことか」と思い出してもらえるかもしれません。ここでは「メンコ遊びコトバ」をとりあげます。

 庄司が勤務校で採集したメンコ遊びは、年に数回流行し、いったんはやり出すとどこもかしこもメンコ遊びのグループで埋め尽くされるような活況を呈する遊びでした。私にも当然夢中になって遊んだ経験がありますが、メンコ遊びにはなにか子供の心の底にタッチする刺戟があるものと思われます。庄司のメンコ遊びコトバの分類は精緻なもので、①メンコの名称(これを十二種類に分類)、②メンコの置きかた(二分類)、③メンコの遊びかた(三分類)、④メンコ遊びの中のかけ声(二分類)、の四群に整理し、それぞれに卓見がいくつも含まれるコメントが追記されています。①メンコの名称には子供たちのメンコ感覚の「多様さ」を見てとり、②メンコの置きかたについては、子供たちのアタマペッチャン(メンコを頭にのっけて落とす)やカタペッチャン(肩にのっけておとす)などカラダをの部位を使った名称やペッチャンという、実際にはそのように音するわけではないが、心の耳で聴き表現するところのリズム感・言語感覚が見て取れるというコメントが追記されています。ここで私が注目したいのは③メンコの遊び方に関する庄司のコメントです。

 ③メンコの遊び方に見られる子供の造語は、A「方法」を表すガマ(全部裏にして出し、最後に裏を一枚だけ残した者がもらえる)、サバ(メンコを売ったとき、相手のメンコにもぐること、そうすればもらえる)など多数あり。B「申しあわせ」を表すスナドケ(砂をどけてやり易くすること、スナドケ有り、無しの形をとる)、アシカケ(足をそばに置いて有利にしてやること)の約束事の呼称など多数あり。C「負けことば」を表すタイラ(自分のメンコが全部なくなること)、カチニゲ(勝ったとき、この辺でやめておこうといってにげること)などを列挙したあとに、こうコメントしています。

 

第一に気のつくことは、メンコ遊びの方法その他のゆたかさであり、その複雑さである。3年生の子どもたちでも、この複雑さをいとわずよくおぼえて、おたがいに火花をちらして夢中になる。こういうばあい「単純から複雑へ」という教育理論はいささかぐらつき気味になろう。自分の有利不利を強く考慮にいれるから複雑になっていくのではないかと思う。・・・以下なる手段を用いて、自分の利にするか、しかもいかにして一時にごっそりともうけるか。そこにはスリルもある。ここに方法案出・規約の発生があり、子どもの受けいれとなって、しだいに流布されていく。≫(本書 二九二頁)

 

 「方法案出・規約の発生」には必ず命名が伴います。つまりここには、コトバとその心づかいの<あいだ>で味わうべき世界があります。コトバが生み出されるときの切実な心持が発生し渦巻いていることがわかります。とすると、ここには、前回テキストの第一部に見てとれた庄司の編集意図と同じものが見られます。このてんで第一部の編集意図と、第三部は共通性をもちますが、異なるのは第三部においては、コトバとその心づかいの<あいだ>を味わうのはメンコ遊びに熱中している子供たち自身であるという点なのです。だれか、昔の幼い子供が生み出したアリジゴクの方言とその心づかいの<あいだ>を味わうことに力をいれて聴くのではなく、自分が命名の当事者となってその<あいだ>を味わうことなのです。ここに「わたしたちのコトバを見直す」ための一つの契機があります。

 しかし、ここで紹介できなかった多くのメンコ遊びコトバは、次(翌年か数年後か)に流行する頃には、すっかりといってよいほど消えてしまったり、しぶとく残っているものがあったりすることが庄司の調査によって明らかになっています。メンコ遊びコトバには消長があるのです。長くなりましたが。最後に「遊びコトバ」研究について庄司が書いている総括を見ておきましょう。

 

ともかく小学生の遊びコトバのなかに、特有な用語が数多くみられるということは、採集によって、ほぼ明らかになったといえよう。また小学生は、自分たちの遊びに必要なコトバを自由に作り出すばかりか、おとなの手にかかるコトバでも、気のきいたものは遠慮なく採用して、遊びのもつおもしろさを最高度にもっていこうとする努力のあることも明瞭である。そして、その背後には、成長の喜びがかくされていることも読み取れたといってよいであろう。≫(本書 二八七~八頁)

 

 ここでは小学生の遊びコトバについて、三つの総括が述べられています。一つはその豊穣といってよい世界、二つはコトバをあやつり度合を高めること、三つは成長の喜びです。三つ目が「わたしたちのコトバを見直す」だけでなく、更なる成長への契機につながることは明らかです。ここからテキスト第三部の庄司の編集意図を取り出すならば、二つ目の総括、「コトバをあやつり度合を高めること」を挙げるべきだと私は考えます。ここには第一部の編集意図のからみで、コトバを生みだす当事者としてのコトバとその心づかいのあいだを味わう経験が伴っています。それがなければ「コトバをあやつり度合」を高めることは困難だったと思われるからです。

 以上で、テキストの第二部「いろいろのことわざ」の性格を浮き彫りにするための、二つのモノサシ(二つの問い)を手にしたと言えます。すなわち、コトバとその心づかいの<あいだ>を味わうというモノサシ、二つはコトバのあやつり度合というモノサシです。次回は、第3章「授業にみるふたこまの様相」に入ります。ここでは、庄司のコトワザを中軸にした言語教育構想が実践においてどう展開されていったのか、を調べていきます。


方言とその心づかいの<あいだ>を味わうこと

2017-09-12 23:11:00 | 

 昨日は、資料読みで一日を使い果たしブログを休みました。「資料」というのは、資料⑤の「言語教育の体系化の歩み」(1965.9.29)の第Ⅱ節「体系化への構想おぼえがき」で紹介した第一次テキストを作成するために編集された各種の資料を指します。第一次テキストは、庄司の私的言語教育試論の「体系化への構想おぼえがき」のなかで、唯一具体化された授業計画といってよいもので、このあとに第二次のテキスト構想を練っていたと判断してよいものでしょう。今回は、第一次テキストの目次から、授業計画の意図(ねらい)を探ってみたいと思います。うまくいけば、次の第3章「授業にみるふたこまの様相」を読む際の「仮説」になるはずです。

まず下に再録した目次のどこに注目するか書いておくと、全体に共通する意図です。一つは、第二部の「いろはたとえ」を中間に置いて、第一部「方言」と第三部「遊びコトバ」との比較によって、コトワザの性格を考察するという意図がうかがえます。二つは、子供の教育以前ないしは授業以前の、遊びにおけるコトバということです。第一部は自然交渉という遊びで生みだされた各地の方言、第二部はかるた遊びのなかのコトワザというコトバ、第三部は小学生の「遊びコトバ」についてです。簡単にいえば、庄司の意図の基盤にあるのは「遊びにおけるコトバ」という観点から、第一部の「方言」と第三部の「遊びコトバ」によって、第二部の「いろはたとえ」の性格をさぐる意図を推測することができます。比較するなら第一部の「方言」でも第二部の「遊びコトバ」のどちらかでいいはずです。なぜ二つなのかといえば、第一部「方言」と第二部「遊びコトバ」は性格が異なるからです。二つの異なる「遊びにおけるコトバ」によって中間のコトワザの性格を考えさせようという意図なのです。では、第一部の「方言」と第二部の「遊びコトバ」ではどこが違うのか。前者は自然交渉のなかで、後者は子供の遊び全体の中で、というちがいがあります。

 

≪ 編集したテキストの目次

第一部  方言のゆたかさとおもしろさ

①アリジゴクと子ども

②アリジゴクの方言集

③アリジゴクの方言について

④カマキリの方言集

⑤子どものつけたカマキリのニックネーム

⑥おたまじゃくしの方言集

⑦山バトと家バト

⑧赤とんぼの話

第二部  ことわざのいろいろ

①江戸のいろはたとえ

②大阪のいろはたとえ

③京都のいろはたとえ

④島崎藤村のいろはがるた

⑤鶴見俊輔のいりはがるた

⑥二通りの意味をもつもの

⑦小さなことわざ辞典

第三部  わたしたちのコトバを見直そう

①子どもの遊びコトバ

②歌遊びコトバ

③メンコ遊びのコトバ

④遊びコトバは変化する

⑤コトバの研究 ≫(本書 七五頁)

 

 では、テキスト第一部「方言のゆたかさとおもしろさ」の編集の意図を探ってみます。私が調べたかぎりでは、この中のすべての資料は、自然交渉という遊びの中で、その多くが幼い子供によって命名された方言(あるいはニックネーム)を扱ったものです。とすれば、「方言のゆたかさとおもしろさ」の根拠は、自然交渉という遊びのなかで子供が命名する行為のほかには存在しません。そのような記述を求められる代表的資料といえば、柳田国男の「①アリジゴクと子ども」(原本では「蟻地獄と子供」)を挙げることができます。この資料は戦後発表されたものですが、副題に「特に疎開の少年のために」と添えられているように、戦中に執筆されたと考えられます。ここで柳田国男が「方言のゆたかさとおもしろさ」をどう捉えていたのかを探してみたい。

 まず冒頭の「一、コトバの楽しみ」で、こんなことを書いています。戦時中の疎開は都会の小学校高学年の児童が戦禍を避けるために、親元を離れて地方で集団生活を送ることを言います。誰でも寂しいときは何かおしゃべりをして元気をつけようとするのが普通だ、こういう時は何か珍しい話を聴くのがよい。それもふだんは無口でおとなしい人の話を聞くとよい。なぜなら、無口な人の方がいろいろは話を良く知っているからだ。「だからできるだけそういう人の話を聴くように、また自分たちも人の言葉を味わうことができるように、力を入れて聴くのも寂しさに勝つ一つの方法」だと書いています。またこうも書いています。「地方の言葉を笑って聴いているうちは、それを真似する気にはなかなかなれまいが、今度の疎開では、それを笑わずに聴く人と、その心持を味わってみる機会とが多くなった」。つまり柳田はめずらしい話(言葉)とその心持を味わうことに力を入れて聴くことが、「方言のゆたかさとおもしろさ」を獲得する方法だと考えていたと思うのです。では、柳田が紹介する話の中から、そのような聴き方のできる箇所をいくつか探してみましょう。

 

蟻地獄を今でもくぼ虫(原文では傍点)といっている処は、あるかも知れないが私はまだ聴いていない。ただ、この虫の作るような砂の凹(くぼ)みを、窪(くぼ)というのがもとは普通であったのと、似よりの名が今でも方々にあるのと、窪にいるから窪虫というのがごく手軽で、それで十分に他の虫と区別することができたであろうからそう思うのである。京都では今何と呼んでいるか知らぬが、その周囲のそう遠くない村々には、くぼ虫からでたらしい名が折々ある。たとえば大和の宇陀(うだ)郡などではメメクボ、丹波の氷上(ひかみ)郡ではクボクボドンドン、同じ兵庫県でも、山を隔てた摂津(せっつ)の多田地方では、コボコボまたはオコボといっており、子供が砂を補ってこの虫を探す時の童詞(わらべことば)に、オコボ出て来い オコボ出て来い というのがある。クボクボドンドンの名が始まったのも、多分そういってこの虫を見つけようとしたからであろう。≫(「四、言葉を新しくする」)

古い名称が新しいものに改められた例として、蟻地獄のスリバチ虫などは最もはっきりとしている。この言葉は、東北では山形県の荘内を始め、関東地方の一部、また静岡県の東部にも西の方にも、近畿地方にも行なわれているばかりか、今までまるで知らなかった人でも、聴くとあの虫のことだなとすぐにさとるほどに、適当な名であった。・・・擂鉢(すりばち)の形は、底がきわめて小さく、上の縁(へり)ができるだけ広く、従って鉢のまわりの傾斜がゆるくて、形が何物よりもよく蟻地獄の窪みと似ていた。それでこの名を聴くとなるほどとうなずく人ばかりで、どうして擂鉢虫というのだろうかと、訝(いぶか)る者などはなかったから、少なくともこの道具がまだ珍しいうちは、気の利いた名として悦んで用いた人も多かったのである。≫(「五、すりばち虫」)

蟻地獄の体格は小さいだけでやや牛に似ている・・・長崎県の壱岐島(いきのしま)でも蟻地獄はジゴッテー、または単にコッテ-ウシという人もある。コトイは『万葉集』時代からの日本語で、今いう牡牛(おうし)のことである。東京などの子供は知るまいが、その前を通るのは気味がわるかった。牛にたとえることは全国同じでも、あの島では特にその点に注意して名を附けていたのである。≫(七、地ごっとい)

 

 なかなか適当な箇所を探すのはむずかしい。これらの記述例からも推し量れると思うのですが、庄司がこの第一部で意図したねらいは、主に方言とその心持の<あいだ>をあじわうこと、庄司の言いかたを使えば、方言とその心づかいの<あいだ>を味わうことだったのではないでしょうか。


コトワザ教育を軸に思惟と言語の可能性を拓く

2017-09-08 16:09:47 | 

 昨日は急用があり疲れてしまいブログは休みました。さて、前回(一昨日)は、庄司による言語教育の「Ⅱ 体系化への構想おぼえがき」のテキストづくりに関する「おぼえがき」を読みました。第一次テキストの目次からは、コトワザを、方言と遊びコトバの間に位置づけて授業を組んでみようとする庄司の意図を知ることができ、それを図式化してみると、<方言―コトワザ―遊びコトバ>ということになります。また、庄司の研究史を辿るうえでその「おぼえがき」が重要だという私の感想も付け加えました。

 今回は、まず「Ⅱ 体系化への構想おぼえがき」で読み残していた(E)授業法として採用したいものをとりあげます。要点は二つです。一つは、授業を「予想授業の線」でやりたいこと。これは当時、仮説実験授業研究も併せて取り組んでいたことから考えれば、はずせない流れであり、問題を提示したら、まず子供に考えさせるという授業法を採用するということです。二つは、言語教育の授業時間をどうやりくりするかです。一週一時間。教科的には「コトバ」の時間として特設すること。この「おぼえがき」を書いている時点(9/29)で、すでに自分が担当する六年生の学級で授業が開始されていたことが記されています。また、後に回想された記録でもある「認識理論の創造への出発」(11/17)には、「自分の学級の理科と社会科からそれぞれ一時間ずつぬきとってこれにあてた」こと、この時点(11/17)で十時間ほど実施されていたことが記されています。これだけの計画がありテキストまでつくったというのであれば、力こぶの入りそうな授業ですが、庄司は「ラフに楽しくやっていくことを心がけたい」と書いています。

 これで、資料⑤「言語教育の体系化の歩み」(9/29)における「Ⅱ体系化への構想おぼえがき」は終りです。残るのは「 世界観づくりにさおさす言語教育」のみ。ここで庄司は、以下のように改めて言語教育構想のねらいを見定めようとしています。

 

特設しようとしている、わたしの個人研究的な「コトバ」の時間を、小学生の「哲学」(世界観・人生観づくりの根柢にさおさす教育)にしたいのだ、最後の「ねらい」は、である。(中略)私的言語教育試論の筋立てを図式化してみると、次のようになるであろう。

言語以前 ― 言語 ― 思惟 ― 世界観

Ⅱの(A)と(B)、この流れが踏まえられているといってよい。一言でいうと、世界観(人生観)づくりに寄与せんとする言語教育ということになろうか。/逆言すると、言語教育を基盤とした「小学校哲学」をつくりたいのだ。「生き方の技術」を育てる体系をあげたいのだ。「世界観・人史観」教育の具体的な形をうみだしたいのだ。誤解されるのを覚悟の上でいえば、「世渡りの技術」を教えようというわけなのだ。自立的に生きていくときの“タヨリ”になるもの、・“ミカタ”になるものを教えようというわけだ。≫(本書 七五~六頁 )

 

 まず下線部ですが、これは「Ⅱ 体系化への構想おぼえがき」で見てきた「(A)目標にしていきたいもの」と「(B)内容としてとりあげていきたいもの」のことを指します。さて、私がこれまで「おぼえがき」を検討するなかで確かめた三種類の図式があります。引用にあるように庄司自身が、自分の言語教育構想(私的言語教育試論)を筋立てた図式をここに加え、さらに庄司による資料①に示した最初の、あの図式を先頭にもって並べてみます。全部で五種類の図式になります。それぞれに名前をつけ時間順に並べてみましょう。ただし、「内容の図式」については、再検討した結果、ここには「コトワリ」というコトバは使われていないことが分かり訂正してあります。(根拠は9/5のブログで紹介した(B)「内容にして行きたいもの」における項目排列)

最初の図式:<「経験」―「諺・金言」―「普遍的法則性・弁証法」>(資料①より)

目標の図式:<言語―言語以前―コトワリ>(コトワザ・法則づくり)(「(A)目標」より)

内容の図式:<言語以前―言語―コトワザ―言語―法則性>(「(B)内容」より)

目次の図式:<方言―コトワザ―遊びコトバ>(テキスト目次の検討によって)

筋立の図式:<言語以前 言語 思惟 世界観>(最後の締めくくりに)

(太字は庄司作成の図式)

 以上の図式に沿って、庄司の研究方向という観点から、これまでに分かったことを整理していきます。

(ア)最初の図式は、「諺・金言」という問題解決法を、「経験」的解決法と「普遍的法則性・弁証法」的な問題解決法の中間に位置づけたこと、さらに中間的性格を考察する志向をもったらしいこと。

(イ)この志向はストレートにコトワザ研究へと向わずに、「コトバ」を焦点化する方向へ進んだこと。

(ウ)「コトバ」への関心は、それまでの、児童言語採集研究や柳田学からの学び、理科教育~仮説実験授業研究にいたる成果を「私的言語教育試論」という形で再編集する試みとなって出現したこと。その内容を統合する中軸に「問題解決法としてのコトワザ」を位置づけたこと。

(エ)この位置づけを幾つかの「目標」の排列から抽出したのが、私が提示した「目標の図式」。この図で、コトワザは三番目の「コトワリ」の中に含まれており、それは、論理や筋道をつくりだす「法則づくり」という問題意識であつかわれ、高次のコトワリといえる人生観・世界観との関連もメモされていた(上の図式にはこのことを補足してあります)。

(オ)私が、次に多様な内容項目の排列から抽出したのが、「内容の図式」。これを再度見直したら、なんと「コトワリ」というコトバそのものが使われておらず、訂正して上のように変えました。また、目標の図式に見られた<言語―言語以前―コトワリ>の太字部分が、「内容の図式」では逆転しています。この理由はいまは棚上げ。

(カ)「内容の図式」<言語以前―言語―コトワザ―言語―法則性>における、太字の繋がりに注目すると、「内容の図式」が、次の「目次の図式」<方言―コトワザ―遊びコトバ>に具体化されていることに気づく。しかし、このテキスト目次にあるように、なにゆえコトワザを方言と遊びコトバの間に位置づけて授業をしようとしたのか。これはまだハッキリしないけれど、「方言」と「遊びコトバ」に採用された内容項目を調べてみて、おおよその意図が見えてきました。次回に綴ってみます。

(キ)最後の「筋立ての図式」は、「内容の図式」から直接導かれます。すなわち、<言語以前―言語―コトワザ―言語―法則性>の太字の部分が、<言語以前-言語-思惟-世界観>に変わっただけです。変化した<コトワザ-言語-法則性>と<思惟-世界観>を互いに見比べていますと、なんだか庄司の言いたいことが少しずつ伝わってくるようだ。問題解決法としてのコトワザを、経験と法則性(人生観・世界観)の中間に位置づけると、残るのは言語・コトワザ・思惟という三つのコトバです。この三つは何を象徴しているのでしょうか。先の引用に続き庄司は、論文「言語教育の体系化の歩み」を、こう締め括っているのです。

 

うすっぺらな道徳教育、感謝型の道徳教育、他人のつくった理想像へかりたてる道徳教育、そういう「イカニモ」道徳教育をもくろんでいるのではさらさらない。それらの根本の根本ともいうべきものをにぎりとらせ、運用していく技術、生きる技術をねらおうというわけだ。今、おこなわれつつある道徳教育や国語教育にもっとも欠けているものは「言語教育」というものを忘れている点だ、とわたしは解している。言語とは何か、ということで言語観の吟味からはいっていく必要があるだろう。極端にいえば、言語=精神ということ、この言語観こそ、人間教育をしてホンモノたらしめるであろう。言語=思想といってもいい。そういう点で、私的言語教育論をやってみようというわけだ。コトダマ式の神秘教育を目途としているのではない。(1965.9.29)≫(本書 七六頁)

 

 現在の道徳教育や国語教育に必要なのは「言語教育」である。言語教育の根本は、言語を思惟や思想のつかい(表現)と見ることだ、それを中間で担っているのがコトワザではないか。手短かに言えば、コトワザ教育を軸に思惟と言語の可能性を拓くこと、これが私的言語教育体系のねらいだったと、ひとまずは括ってみることができます。これは私が想像していたものより、遥かに堅固なヴィジョンだったと思いました。ひとまずのゴールは見えていますが、庄司のコトワザ教育の話はもう少し続きます。(明日、明後日のブログは法事のために休みます)


庄司の「おぼえがき」が示唆するもの

2017-09-06 11:56:34 | 

 今回は、庄司和晃の「Ⅱ体系化への構想おぼえがき」における「テキストつくり」と「授業法」についてのおぼえがきを読みます。このテキストとは、教科書や仮説実験授業でいう「授業書」とも異なるようです。庄司は自分の言語教育構想においてどんなテキストをつくったのか調べてみましょう。テキストづくりに関してはわざわざ(C)と(D)の二つのおぼえがきが書かれています。まず(C)の冒頭をみてください。

 

(C)テキストにしてみたいもの

①柳田国男『なぞとことわざ』・・・(4)、②北村学『ことばのなりたち』・・・(2)、③沢田允茂『少年少女のための論理学』・・・(2)、④秋元寿恵夫『ぼくらは自然をどう見るか』・・・(3)≫(本書 七四頁)

 テキストにしたい候補を①~④と四冊あげて(原文では一冊ずつ箇条書き)いますが、書名のあとに( )付きの数字がつけてあります。これは「コドモ不在度」を表したものだそうです。「六年生あたりの子ども心へのタッチがたいへんに不足している」本を(1)とした五段階評価の数値なのです。四冊の資料の評価からは、まず、庄司の言語教育において学年にあった本を揃えることの難しさが伝わります。ならば、なぜ評価が(2)段階の本などを挙げておくのか。使う側の解説しだいでおもしろくする自信があるからだそうです。そのような準備や心構えがなく、やたらと市販本を資料として導入すると失敗授業に終わることは、私にも経験があります。庄司は上の四冊を将来的には子供の数だけ揃えたいと書いてあるので、テキストとして丸ごと必要だと考えていたことがわかります。

 学級担任ではなく、他人が書いた単行本をまるごと授業のテキストにしたいというのは、やはり無理があります。自分の教育構想にぴったりの単行本など、めったにあるはずがないからです。そこで四冊も選択したのでしょう。この四冊のうち、注目すべきは③沢田允茂『少年少女のための論理学』です。「論理学」というコトバが入っています。また②北村学『ことばのなりたち』と④秋元寿恵夫『ぼくらは自然をどう見るか』は、言語と言語以前という区分に重なるような気がします。以上の単行本は残念ながら読んだことがありませんが、①柳田国男『なぞとことわざ』には表題の文章のほかに、「ことわざの話」が収録されていますので、コトワザの単行本と割り切って、書物名だけを並べてみると、<『ぼくらは自然をどう見るか』―『ことばのなりたち』―『なぞとことわざ』―『少年少女のための論理学』>、となります。置き換えると、<言語以前―言語―コトワザ―論理学>という図式が出来上がります。ちと無理な想像だったかも知れませんが、テキストにしたいという単行本にも選択する意味があったことだけは伝わります。

 話を戻します。単行本をもってきて教科書のように扱うには無理があるという話でした。だとすれば、次善の策は多様な資料から必要な部分を集めてテキストを編集していくことです。(D)の前半を引用します。

 

D)とくにテキストとして編集してみたいものについて

①馬場金太郎「蟻地獄方言集」(『蟻地獄の生物誌』より)

②柳田国男「蟻地獄と子供」(『西方は何方』より)

③「カマキリ」(『分類方言辞典』より)

④庄司蒐集「カマキリのニックネーム」

⑤「江戸・大坂・京都のいろはたとえ」(東京新聞、1965.6.6)

⑥新井秀一「四年生のことわざ事典」(『小四』付録、1963年10月号より)

⑦「犬も歩けば・・・は二通りの意味」(東京新聞、1961.12.30)

⑧三浦つとむ「ことわざ」(各著書より蒐集)

⑨鶴見俊輔「かるた」(雑誌『思想の科学』、講談社版第9号より)

⑩島崎藤村「いろはがるた」(全集より)

⑪庄司作製「コトバの採集手帖」(拙著『社会科しらべ方事典』より)

⑫「おたまじゃくし」(『分類方言辞典』より)

⑬柳田国男「山バトと家バト」(『少年と国語』より)

⑭柳田国男「赤とんぼの話」(同上)

⑮庄司採集「遊びコトバ集」

手遊びコトバ/合いコトバ/歌遊びコトバ/コトワザの口だし/浮浪者的コトバづくり/コトバのおかしみ遊び/仲間コトバ/メンコ、ビー玉などの各種遊びコトバなど

⑯庄司採集「尻とり歌のおかしみ」

いろはにこんぺいとう型/いろはにおはか型/あいうえおもち型/不一定型

⑰庄司採集「かえうたのおかしみ」

・・・等々である。この中から。第一次として選びとり、実際に一冊本(タイプ版)にしあげたのは①~⑦と⑪~⑰である。量からいうと、人様のもの半分、わたしの採集と文章化したもの半分である。≫(本書 七四~五頁)

 

 量的には庄司自身の作製資料が半分ほどでも、質的には十七種類中五種類です。多様な資料を蒐集したことが分かります。テキスト編集のための十七種類の資料を①から⑰まで一瞥するだけで、この排列の意味が分かります。①~④が「方言」(昆虫の名前)関係の資料で、ここには歴史的な子供の関与が記述されていると思われます。⑥~⑩が「コトワザ」関係の資料で、多様な「いろはたとえ」や個人の蒐集になる多様なコトワザ群です。⑪~⑰が庄司の目の前で展開された「小学生の遊びコトバ」です。並べてみると、<方言―コトワザ―児童語彙>という図式ができあがります。この排列からは、庄司が「コトワザ」を、「方言」と「小学生の遊びコトバ」の二つの関連から子供たちにコトワザの何たるかを伝えようとしていていたことがわかります。(もっとも、いくつかの資料は未見ですのであくまでも参考意見です)

 この図式に見て取れる庄司の教材化の意向は、実際に仕上げたタイプ版の一冊の目次にも如実に表われています。(D)の後半を見てみます。

 

≪ 編集したテキストの目次

第一部   方言のゆたかさとおもしろさ

①アリジゴクと子ども

②アリジゴクの方言集

③アリジゴクの方言について

④カマキリの方言集

⑤子どものつけたカマキリのニックネーム

⑥おたまじゃくしの方言集

⑦山バトと家バト

⑧赤とんぼの話

第二部  ことわざのいろいろ

①江戸のいろはたとえ

②大阪のいろはたとえ

③京都のいろはたとえ

④島崎藤村のいろはがるた

⑤鶴見俊輔のいりはがるた

⑥二通りの意味をもつもの

⑦小さなことわざ辞典

第三部  わたしたちのコトバを見直そう

①子どもの遊びコトバ

②歌遊びコトバ

③メンコ遊びのコトバ

④遊びコトバは変化する

⑤コトバの研究 ≫(同上)

 

 なぜ、コトワザを「方言」と「遊びコトバ」の間に位置づけて、子供たちにコトワザ教育を実施しようとしたのか。その理由はまだ分かりません。未見の資料を読んでみれば、庄司の意図が見えてくるかもしれません。このテキストはもとになった資料名と目次から察するに、コトワザ読物集や副読本という趣ではないかと思います。さて、これまで庄司の「おぼえがき」をときほぐしてきましたが、ここには研究史上の豊かなヒントがある、と感じています。これまでは軽く一読して済ましていたので、そのように感じることができなかったのだと思います。庄司の「おぼえがき」はとても重要です。