今日から六月です。月曜から土曜まで、毎日一つのテーマだけを考え綴っていこうと思い、昨年の十一月下旬に再開したこのブログも、この六月で半年を一週間ほど超えました。また半年を目途に続けていきたいものです。このような形で再開が可能になったのは、まず私自身がアクションを起こしたことが大きな要因です。でも、ブログの訪問者数に如実に表れていますが、拙文を読んで下さる方の支えなしにはここまで継続することは不可能だったと思います。また直接声を掛けて下さった方のコメントも大きな励ましになりました。個々のテーマはまだ起承転結でいえば、ようやく「起」を抜け出したところというしかありませんが、半年やってみて心づいたことが一つあります。それは毎日異なるテーマを考えているはずなのに、いつのまにか共通のテーマを自覚するようになったということです。今回はこの点について少し綴ってみます。
同じ人間がやっているのですから当り前と言えばそういえるわけですが、これは半年やってみて初めて心づいたことです。勇ましいビジネス書とか人生指南書のジャンルで売れ筋のものをめくってみると、たくさんやりたいことが多すぎて結局何もできない人々について、書いてあります。私のような人間を指すのでしょう。その解決法は、いろんなこと・ものを「捨てよ」と書いてあったりします。たとえば、家で使われなくなったモノ、ああしたい・こうでなければならない、と思う欲求や理想さえも、さっさと捨ててしまえば毎日思い悩んでいる自分とはオサラバできるといいます。たしかに私などもアレコレ悩んでいるとき、自分の欲求が壁になっていたことに気づき、欲求を捨てることで悩みを解消してきたことが少なくありません。
ところが、私はいつの間にか忘れてしまうことはあっても、人間や社会について、いやこの世界についての多様な興味や関心を捨てることはできません。なぜならば、いくつもある興味や関心のどれも深く探求できずとも、学んでいくうちに時折やってくる「目から鱗が落ちる」快感は、私が元気に生きるための原動力だからです。テーマが見つかることも、わからない問題が見えてくることですから、やはり同じような快感の一つです。だから、どれか一つの興味関心に絞ることはできない相談なのです。原動力を捨てたら私はもう生きてはゆけません。
さて、月曜日~土曜日(日曜日は休み)まで異なるテーマを探求していくうちに、六つのテーマが、いくつかのより大きなテーマに分類できそうなことがポツポツと心づいてきました。まず毎日のテーマを言葉にしておきます。
月曜日・・・柳田國男「祭礼と世間」(一九二二)における方法原理にはどのような時代思潮が影響していたのか。日露戦争~大正期における新しい学問や教養主義や修養主義の動向を調べるなかで、その結び目をみつけたい。
火曜日・・・教育学者・庄司和晃はみずからが開拓した「小学生のコトバ研究」をどう展開していこうとしたのか。まずは小学生コトバの採集の枠組を検討すること。
水曜日・・・人間の根っこや幹にあたる「ハラのことば」は、どのように養われてきたのか。枝葉にあたる「アタマのことば」との関係で考えたい。柳田國男による前代国語教育のあり方から探ってみる。
木曜日・・・人間の集団行動を異なる人間同士の同期現象として捉え直せば、どのような構造が見出されるか。日本における百姓一揆と都市騒擾(米騒動)の事例を通して考えてみる。とくに逸脱現象を念頭において。
金曜日・・・戦時下国民学校で教育を受けた子供たちは敗戦後をどう生きたのか。国民学校における、一九三〇年前後に生まれた「戦争の子」をめぐって考えていく。これは親世代の思いを知ることに繋がる。
土曜日・・・日本の英語教育論争史では何が問題になってきたのか。焦点は「訳読」になるのかもしれません。論争史を日本人による異文化摂取の工夫と捉え直して論争の変遷を遡ってみること。
以上の六つのテーマは、現在のところ三つぐらいにまとめることができると思います。
① 人間の成長をハラの言葉とアタマの言葉の二重性で解いてみること。
② 人間の集団行動、学校教育、時代思潮を同期現象として解いてみること。まず、非線形科学としての同期現象をしっかり学ぶこと。
③ 他人・異人・異文化とのつきあいを、人間の工夫として考えてみること。
もとより、ようやくここまで言葉にできたという段階に過ぎません。いわば仮止めです。これによってテーマが大きく逸脱することを防ぐことができるのではないかと期待します。でも半年に一回ぐらいは軌道修正が必要になってくるでしょう。しばらくは、これまでのように六つのテーマを個々に進めていきたい。さて、バラバラにやっていたつもりなのに、異なるテーマ同士の間に繋がりを見出すこともまた、「目から鱗が落ちる」快感だと感じます。こうなると、私の学びは遊びそのものです。遊びは実際に遊んでみないとわからないものです。