(4)刺身と名づけて魚を生で食うことは、牛鍋・鰻飯などと同じく日本料理の代表のように扱われていますが、これも新世相の一つでそんなに昔からあるものではないのです。ではいつどのように始まったのか。柳田の仮説はこうです。
≪いわゆる早鮓の流行が刺身と提携して現われたろうという事は、まだ断定するのには早いかも知らぬが、少なくともこの二つは同じ歴史の偶然なる原因によって、ほぼ同じ頃からだんだんに頭を挙げて来たという関係をもっている。≫
「提携」とは、鮨(はやずし)の流行は刺身の助けを必要とし、刺身の普及には鮨(はやずし)の助けを必要とする関係です。どうしてこのような「提携」が可能になったのか。その原因は「二つは同じ歴史の偶然」だとしか述べていません。どういうことでしょうか。考えるに、鮨(はやずし)の流行は商品の流通過程に乗ることで可能になりました。刺身も同じなのです。柳田が言うように、「早便の運送が開け、さらに冷蔵装置の完備する」ようになることです。つまり、刺身(鮮魚)の流行も商品として時代の流通過程に乗ることなのです。この流通過程が充実してくれば、新鮮なネタを求める鮨屋が鮮魚の流通に関心を持ち、新鮮な刺身を都市部に提供したい鮮魚屋が市場に関心を持つ限り、両者の出会いは同じ必然(流通過程)下での偶然(需要と供給の一致)です。これが「二つは同じ歴史の偶然」の意味です。
これを私たちの問題として考えてみれば、もっと分かりやすく説くことができます。たとえば旅先の鮨屋で旨い握りを口にしたとしましょう。美味いのはシャリと合体した地元ネタだと気がつけば、ネタそのものをじっくりと味わいたいと思うのは自然な欲望です。流通網が発達せず居住地では得がたいとすれば、またかの港町にいって食したいものだと想望するにちがいありません。流通網が改善されて手軽に口にできれば、この地元ネタはそれこそ爆発的に普及することになるでしょう。平成の現代でも見られる光景です。
(5)刺身が鮨(はやずし)の流行と提携しつつ現われる原因の二つめは醤油の発明です。これがまた鮨と刺身にとって好都合な存在でした。たしかに鮨も刺身も醤油につければすこぶる旨くなります(ワサビもほしいところですが)。ですから醤油との出会いは、鮨と刺身の流行を助けることになりました。醤油はどのような食品だったのでしょうか。
≪醤油の歴史はやや明治以前に遡るが、最初はもちろん生魚の味を佳ならしめんがために、考案せられたものでも何でもなかった。動機はむしろ反対の精進料理、すなわち寺方の嗜好品として国外から学んだものと思われるが、日本はこの種の調味料の醸造に非常に便宜の多い国であったとおぼしく、久しからずしてこれが一つの特産となり、西洋に輸出せられてソースの原(もと)になったという話もある。ちょうど甘酒が酢を発見させたように、最初はただもろみの中の水を掬(く)んで、塩気の代用に供したのであろうが、後には特にこのために多量の粕を搾るようになった。そうして明治年代が最もこの生産の躍進した時期であった。≫
醤油は元をたどれば生魚を美味しくいただくために発明されたものではなかったのです。最初は精進料理における「嗜好品」として外国(たぶん中国)から取り寄せたものです。嗜好品とは栄養摂取を目的としない、香味や刺戟を得るための飲食物のことです。まあ各人各様の好みの品ですね。酒・茶・コーヒー・タバコの類です。千葉県の銚子の名産に「ひしお」がありますが、あのようなものだったかもしれません。もちろん醤油は発酵を応用した醸造品ですから、塩っ気としてはなかなか美味香気豊かだったのでしょう。汁を搾って醤油としての生産が始まり、明治年代がその最盛期になりました。
このような醤油の全盛時代に、刺身が鮨の流行と提携しつつ「一つの新世相」として世の中に登場します。刺身は鮨ともども醤油に出会ったのです。一方の刺身の流行を促したのは、醤油との出会いばかりではありませんでした。酢の醸造技術が近代(明治)に入り、いよいよ精妙になってきたからです。刺身は酢によっても美味しさを味わうことができたのです。
ここで、以上の「魚調理法の変遷」を「普及(流行)と分化」という観点で見直してみると、変遷とは、かつて世の中に普及していた物事が、しだいに新しい物事に分化して普及していくことだ、と見なすことができます。たとえば、鮓(なれずし)から鮨(はやずし)への変遷です。鮓(なれずし)は魚の独特な調理法であって、これから分化したとは考えられていても鮨(はやずし)は柔らかくなった白米の調理法という決定的な違いを持つ食品への変化です。この変化には断絶があり、同じ寿司とはいいながら、かつての調理法を忘却、あるいは食品そのものが消滅してしまうタイプです。
次に鮨(はやずし)の変遷を思い起こすと、それはさらに分化を繰り返していきながら多様な形態を生みだし、総体としての鮨(はやずし)は全国に普及していきます。一方で、強力な提携相手が見つかると、それ自体が分化していく勢いをえます。鮨(はやすし)と提携した刺身がそうでした。鮨(はやずし)から刺身が分化していくときは、新たな流通過程が従来のそれから分化していきました。さらには醤油の発明が両者の普及を助けました。結果として鮨(はやずし)の普及は大きく拡大します。刺身はついに日本料理を語るときにはなくてはならないほどの存在になりました。醤油だって世界的な存在です。ここでの変遷は分化によって新たに商品が誕生しても従来の食品が消失することのないタイプです。
後者の変遷のタイプは、普及が分化を生み、分化が普及を生みだし合う関係です。普及がより広範化するというのは、多様なかたちの分化が累積・濃厚化しより個別な存在が増えることです。このものごとの広範化と濃厚化との関係が密になるところとは、二つが互いに必要とし合う関係だと私は考えました。上に述べた鮨(はやずし)の変遷が一つの事例になると思います。ならば、「国民としての我々の生き方」がどう変化したか、本節ではどう論じられているでしょうか。書いてある場所は本節の最後です。
≪幸いなることはこれ(刺身・醤油・酢)が皆新種食品の追加であって、鮓の改良のごとく今まであったものを滅してしまわなかった。永く併存しまた次第に譲り合って、おのおのの用途を割拠している。四海を洋海とする日本国ではあるが、北と南とでは魚の種類も味もちがっている。新たに缶詰の製法が起れば、缶詰の魚にもまた一隅の領分を付与することができた。自由な選択は常に消費者の幸福に帰着する。ただその間に折々の偏見の存するのを悲しむべきのみである。≫
ここで垣間見える我々の生き方とは、我々の歴史への態度、歴史への関わり方といってよいものです。鮓(なれずし)から鮨(はやずし)へ変遷のように古いものを滅し忘却して新製品に没頭していく態度。もう一つは、刺身・醤油・酢の誕生が物語るように、古いものを滅ばさずそれを活かしつつ新製品を生みだす態度。後者は選択肢を増やすことに繋がります。これら二つの生き方が浮かび上がってきます。柳田はどちらか一方が正しいと言っているわけではありません。それは本節を締め括ることばが何よりも雄弁に物語っています。すなわち、──「自由な選択は常に消費者の幸福に帰着する。ただその間に折々の偏見の存するのを悲しむべきのみである」。すなわち、生き方を考えるのはここなんだよ、そういうメッセージが伝わります。(続く)