尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

「時代・キャリア・体系化」による学び直し

2017-09-30 06:00:00 | 

 これまで、庄司和晃のコトワザ研究における「始まりのかたち」を求めて、一九六五年七~十二月のおよそ半年間に限定して私なりにリサーチしてきました。解読の対象になった主な資料を、今一度挙げてみると、

資料①「科学の論理形成にさおさすもの──科学の有効性・実践的課題をめぐる問題を理論化するための一資料」(一九六五、八月十二日)

資料②「言語教育と科学教育の周辺──小学生における私的言語教育試論(1)」(一九六五、九・二二)

資料③「言語教育と科学教育についてのMemo──小学生における私的言語教育試論(2)」(一九六五、九・二九)

資料④「テキスト:試案」(一九六五、九)

資料⑤「言語教育の体系化への試み」(一九六五、九・二九)

資料⑥「表象としてのコトワザのもつ論理」(一九六五、十一・一)

資料⑦「認識理論の創造への出発」(一九六五、十一月一七日)

 リサーチの順序は、資料⑦を読んでコトワザ研究の「始まり」のプロセスのすじみちを押さえることから始めました。そのうえで、資料①~⑦の時間系列による解読を試みました。最初にやっておくべき書誌研究が不足していたために、資料間のくいちがいに戸惑い二回ほど認識を訂正するハメになり、四苦八苦したことはブログに露呈されている通りです。また、なぜ研究の「始まり方」に注目するかは既に述べましたが、研究の始まり過程をどう定義するかはまだだったので、ここで触れておきます。研究とは際限のないものです。その完成をどう規定しようと、人間ひとりが一生にやれることは限られており研究とは未完成をその本質とします。なぜならば、研究におけるナゾ解きはつぎつぎと異なるナゾを呼び、別様の展開の必要性を生みだすからです。これは人間の認識実践の有限性にもとづいていることは明らかです。もしある研究を「完成した」ということがあるとすれば、研究途上に一つの段階を築いたに過ぎないこともまたあきらかです。

 だとするならば、研究の「始まり方」に注目することは、当該研究の原型を確かめその変遷を見定めるために重要な方法だと考えます。しかし、「始まり方」にも終りがあることを忘れては延々と研究を追跡しなくてはなりません。では、どこを「終り」とするか。一つの大きな段階に過ぎない研究の一通りの完成を、「素朴的」-「過渡的」-「本格的」の各小段階に三分してみれば、研究の始まり方の「終り」は、「過渡的」研究の始まる直前になります。「直前」といっても境界は二重性をもっていますから、素朴的と過渡的の重なるところだと考えることができます。今回の庄司のコトワザ研究でいえば、時代の課題に応えて問題解決学習における「諺・金言」の重要性に気づいてから、自前の言語教育構想の編集をもって三浦つとむの助言を受けとめコトワザ本質観を改めたこと、次いで体系化によって「言語教育構想」と「大衆の論理学」構想の二つの路線を敷いた(視角を得た)ところまで、となります。ここでは、「体系化」の視角を獲得したことがその「終り」を意味しています。

 ところで、私は氏のコトワザ研究にける「始まりのかたち」を三つの指標によって明らかにしてきました。これらを短くまとめて「時代・キャリア・体系化」と言い換えてみれば、これと似た「入門期」と呼ばれる認識現象にもこの三つを適用することができるはずです。私の場合は、コトワザ研究の「入門」ではなく、再入門になりますが、事情はさほど変わりません。変わるのは、「時代」の特殊性であり、何を「キャリア」に選ぶかであり、体系化すなわちどのような「系」によって何を縫い合わせて「体」とするか、これらのちがいがあるだけです。この三点を具体的に考えながら、「庄司和晃のコトワザ研究」の次の段階をリサーチしてみることが課題になります。「時代・キャリア・体系化」もよく考えてみれば、どの指標にも、体系が込められていたことに気づきます。

 「時代」には過去を生きた自分という自然な体系が成立しています。ひとは成長するにつれて自意識という「系」によって自分のありかたが縫い合わせられ「体」をなしています。「キャリア」もあとから見れば過渡的な体系よって秩序立てられていることがわかります。そして最後の「体系化」は体系を生みだすことですが、ゼロからの体系化はありないとすれば、学び直しとは、より本格的な段階への「体系の更新」にほかなりません。「再編集」や「組み替え」といってもいいでしょう。こう考えてくると、学び直しは一見世の中に順応するための自分の組織換えというような印象をもたれるかもしれません。しかし、人間が生きるということが、自分という体系の組み替えであることはおそらくどこでも変わりません。ですから、肝腎なのはどのような体系に更新すべきかという倫理あるいは思想の問題なのです。

コメント

体系化は研究の始まりの「終り」

2017-09-29 08:07:58 | 

 今回は、庄司和晃の「コトワザ研究」における「始まりの仕方」を特徴づける三つめの指標について綴ってみます。それは「最初から体系化をめざしたこと」です。「最初」とは、庄司が三浦の助言を受けいれ、そのコトワザ本質観を組み替えたときを意味します。言い直しますと、①前論理的段階、②段階の自覚、③認識実践の表象段階という三浦の教示によって、それまでの言語教育構想の中軸に据えた「思想」(世界観・規範)としてのコトワザ観を捉え直した(止揚といってよい)ときのことです。いわゆる庄司のコトワザ「論理」発見(「表象の論理」)説はここに発祥したということができます。これが十一月一日に執筆された論文「表象としてのコトワザのもつ論理」の主題です。

 また、この「最初」のときは、多少のタイムラグはありえますが、まさに庄司自身が「コトワザの授業」における子供たちの意欲のたかまりに、コトワザ教育の手応えを感じている渦中にありました。だから、あとで子供たちにコトワザをどう思うようになったか、その感想を何回か書いてもらい是非とも聞いてみたいと思うのは自然の成行きです。このような状況下で、彼は新たなコトワザ本質観(「論理」発見説)を獲得したわけですから、これを「系」として打ち立て、子供たちの感想を縫い合わせて「体」とすることはもはや必然といってもよいものでした。ここにコトワザ研究の「体系化」という必要が生みだされたのです。子供の「コトワザの授業」後のさまざまな感想はコトワザ研究の重要な資料なのです。教育現場からコトワザ研究を立ち上げるためには、これを軽視することはできないわけで、「系」は子供たちの声を求めていたといえます。言い直すと、コトワザ本質観を立てて言語教育構想を位置づけし直し、再構成する必要が出てきたのです。

 一方で、コトワザを「大衆の論理学」として位置づけることも「体系化」を必然としました。なぜなら子供たちの感想文以上に、コトワザには多様で矛盾する世界が広がっていたからです。これらを何とかして掬い上げなければ大衆の論理「学」は成立しません。どうすればいいか。あらたに獲得したコトワザ本質観を「系」として、多様なコトワザを縫い合わせて「体」とすることです。具体的には分類体系を作り出すことです。ここに庄司のコトワザ研究は「論理」発見説を「系」として打ち立てることで、言語教育構想とコトワザ群(大衆の論理学)の二つを「体」とする目標が生まれ、「コトワザ教育」研究と「大衆の論理学」の研究という二つの課題をもつことになりました。すなわち、前者は「コトワザの論理と教育」(本書第Ⅱ部 一九七〇)に結実し、後者は「仮説」研究と柳田国男の教育的研究を産婆として『コトワザ学と柳田学──大衆の論理と民間教育法』(一九七三)を生みだすことになりました。

 体系化とは、好きなものだけでなく嫌いなものも「系」の中に位置づけ秩序づけて初めて「体系」と呼ぶことができる、とは三浦つとむの指摘です。さらに庄司は、のちに体系の有効性を、①視野展望をもたらすこと(見通し)、②指針や規範を与えること(実践)、③予想予測を可能ならしめること(予言)の三点を挙げていました。どちらの指摘も、人間の認識が有限であるからこそ、自らの「系」のもとに、好き嫌いにかかわらず多様な対象を位置づけ・秩序立てて「体」となすこと、すなわち体系化によって広い展望(見通し)を得ることを示唆していました。また二人ともそのような見通しによって先の見えない未来を予測し、実践によって検証する機会を得ることで、たしかな知識をもたらすこともまた体系の役目であることを教えています。こう考えれば、たとえば、調理の体系、商品の並べ方の体系、交通ルールの体系等々、私たちは多様な「体系」を作り出し先の見通しや知識を獲得しながら暮らしていることがわかります。そうであればこそ、「系」と「体」を引き離さないこと、無関係だと誤解しないことが肝腎なのではないでしょうか。

 体系とは心のどこかで学者が偉そうにするための道具立てのひとつ、あるいは高度な学問だけにある特徴だと思われがちです。そうではなく、暮らしの中にあって私たちの認識実践に役立っているものでした。研究の体系もまた異なるところはありません。自分なりの「系」(本質観)によって、互いに異なる資料を縫い合わせて「体」を作ってゆく研究作業は、研究の始まりに比べれば本格的なものの始まりを意味しています。すなわち研究の始まり段階の終了です。ここに庄司による「体系化」への強調を研究の始まりの仕方を特徴づける最後の指標を認めることができます。逆にいえば、ここに最初から体系化を手放さなかった庄司の特徴が表れているのです。

コメント

自分の研究蓄積を捨てなかったこと

2017-09-28 06:00:00 | 

 庄司和晃のコトワザ研究における始まりの仕方を特徴づける第二の指標は、「自分の研究蓄積を捨てなかったこと」です。どういうことかというと、三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』の冒頭の記述から受けとった各種の「問題解決法」を、図式を描くことを通じて受けとめてから、そのまん中の「諺・金言」領域の重要性に気づくことになりました。ふつうならここで、まっすぐコトワザ研究に突入していいはずです。ところがそうではないのです。彼はこのとき十年以上にわたって蓄積していた、「小学生のコトバ」採集・分類・分析研究を思いおこすのです。

この研究は当時成城学園に住んでいた柳田國男に、小学一年生は家庭を背負ってくる」というアドバイスを受けて、入学以前・教育以前の言語生活に焦点をあて、まず遊びの中のコトバ、その中から自然交渉におけるコトバ(理科コトバ)の採集をはじめることになります。まとまった研究成果は、「小学生の言語生活とその考察」、「子どものコトバと行動についての諸考察」、「自然との交渉にみる子どものコトバ」として、『コトワザの論理と認識理論』(一九九〇、七)に収録されています。

 さて、「諺・金言」(コトワザ)の重要性に気づき、かつての「小学生のコトバ研究」を思いおこしたあと、果してどうなったのか。庄司はその研究成果を、コトワザを軸として再構成し、自前の言教育構想を構築してゆく途に出るのです。コトワザを中軸におくことによって、その内容がビシッとしてきたと書いてありますから、相当な手応えを感じていたのではないか。そのために彼が準備したのは、以下の五種類の資料でした。

資料①「科学の論理形成にさおさすもの──科学の有効性・実践的課題をめぐる問題を理論化するための一資料」(一九六五、八月十二日)

資料②「言語教育と科学教育の周辺──小学生における私的言語教育試論(1)」(一九六五、九・二二)

資料③「言語教育と科学教育についてのMemo──小学生における私的言語教育試論(2)」(一九六五、九・二九)

資料④「テキスト:試案」(一九六五、九)

資料⑤「言語教育の体系化への試み」(一九六五、九・二九)

 以上の資料のうち、資料③と④は未見です。単行本への収録がないからですが、資料③はその日のうちに改稿され資料⑤になります(その理由については不明)。資料④のテキストの全貌は未見ですが、資料⑤の第Ⅱ節「体系化への構想おぼえがき」の中に、そこに採用された資料名とテキストの目次立てが掲載されています。この第Ⅱ節は、言語教育構想の教育的な実験に際して自分の研究蓄積を如何に再構成・再編集しようとしていたかが見て取れる重要な資料です。また遠回りであっても、結局自前のコトワザ教育論を構築するうえでどのくらい役立ったのかも窺えるものです。さて、これらの資料の日付に注目していただくと、資料④のテキスト作成は、およそ九月いっぱいかかったとして、最初の「方言の授業」が開始されたのは十月に入ってからだと考えられます。目を通すことのできた資料①②⑤については、8/19~9/19のブログで四苦八苦しながら詳しく解読してあります。

 もう一つ重要なことがあります。これら資料①から④までの四つの資料は、九月三〇日以降の遅くない日に、自前の言語教育構想へ向けて直接の引き金になった本の著者三浦つとむの元へ届けられたことです。読んでもらい意見を聞いてみたかったのです。返事があったのは十月と十一月の境界頃だと考えられます。そこにはスゴイ助言がありました。それは庄司が描いた図式のまん中の「諺・金言」(コトワザ)に関するもので、その核心は、コトワザが、①前論理学段階にあること、②段階という考え方、③認識実践の「表象」段階にあたること、の三つでした。これらの教示は庄司の内にあった学問研究概念をまるごと変えてしまうほどの共感と感動をもたらしました。この影響は、「方言の授業」が途中で打ち切られ、すぐ「コトワザの授業」にチェンジされたという事実だけではなく、その頃の十一月一日に執筆された「表象としてのコトワザのもつ論理」にズッシリとその手応えが反映されているように思われます。

コメント

一教師の立場から時代の求める問題を考える

2017-09-27 06:00:00 | 

 庄司和晃のコトワザ研究の、始まりの仕方を特徴付ける第一の指標は「時代が求める課題に応えたこと」です。一九六五年の七月ころです。六三年に仮説実験授業(以下「仮説」と表示)の創設に参加し、一年半にも満たない間にその基礎的研究を『仮説実験授業授業』(国土社 一九六五、八)としてまとめたばかりでした。これを上梓したあと、庄司はこの本で、「仮説」に似た教育方法の歴史を辿った「予想・仮説着目史考」を書いたのですが、この関連で「問題解決学習」を先の論文の続編にどう位置づけるべきかを思案していました。ここに、一教師としての「いま・ここ」がありました。

「問題解決学習」とは、簡単にいえば、子供たちの興味・関心を踏まえた問題を学習単元として設定しその解決を考えさせる学習法のことです。もちろんこの為にはさまざまな知識や考え方や技能までが必要となりますから、その都度教えていかなければなりません。これは戦後に新しく創設された社会科の教育方法論として、アメリカからもたらされたものです。これに対して、そのような学習法では知識がぶつ切りにされ系統的な学習ができない、したがって学力低下がおきる、順序よく教えてゆけばそれなりに効果のあがる分野にまで影響が及ぶと考えた側から批判が出てきました。これを「系統学習」と呼びます。

この論争はなかなか決着がつかなかったと思われますが、一九五七年に旧ソ連がスプートニク1号という人工衛星の打ち上げに成功すると、当の「本家」のアメリカはソ連の宇宙開発レベルの高さに驚いてしまい(スプートニク・ショック)、このために、「系統学習」に方針転換してしまったのです。こうなると、日本は弱い。あっという間に(?)「系統学習」が声高に主張されるようになりました。この論争は一九六五年当時においても、とくに理科教師たちの間ではまだ議論がくすぶっていたことが想像できます。私には当時日本の教師間では、やや「問題解決学習」に対する希望が多かったという印象をもっています。なにしろ戦後の民主主義教育を象徴するような教育方法だったからです。

庄司は「問題解決学習」をもっとよく考えるために、当時の著名な教育学者の研究を参考にすることにしました。しかし、まったくと言ってよいほど役に立ちませんでした。その多くが外国の研究の紹介に終止し検証されることもなく提出され、自前の研究を装っても、根拠をしえないナサケナイ研究ばかりだったからです。庄司は憤慨し反発しました。反発のあまり、「属国意識あるいは主体性欠如」「植民地根性」とまで批判しています。原文を読んでみるとその激しさが分かります。そして、日本の教育学者には自前の理論を作ろうとする姿勢がないことを残念がったのでした。

そんなとき、くり返し読んでいた三浦つとむ『弁証法とはどんな科学か』(講談社 旧版)における冒頭の一節が突如ひらめいてきたのです。どんな一節だったか、私なりに要約すると、人間の生活は大小の問題問題解決の連続であって、生きるとは自分の身に起こる問題をいかに解決するか、その繰り返しといってもいい。その解決方法をふりかえってみると、以前こんなことがあったから今度はこうしよう、というような「経験」にもとづいた解決法がある。また人々の多くの経験を踏まえて作られた「諺・金言」がどの民族でも伝承されており、これを場面に応じて適用して解決を図ろうとする方法がある。しかし、もっと広く適用して解決を図る方法がある。それが科学であり弁証法などの普遍的法則である、となります。(どうも庄司寄りの要約になってしまったようです。不安な方は講談社現代新書の新版でもごらんいただけます)

庄司は大いに共感・感動して、これを「問題解決法の体系」と受けとめます。そして次のような図式を描き、三浦さんの記述を立体的に認識しようとしました。すなわち、A「経験」-B「諺・金言」-C「普遍的法則性・弁証法」、です。そしてこんな感想をもったのです。教育ということでは、Cの「弁証法」は、「仮説」によってイッテイル、コレハマア大丈夫ダ。Aの「経験」はカナリイッテイルとみてもいい。だが、Bの「諺・金言」は忘レテイタ、ヌケテイタ、気ヅカナカッタ、これは放っておいていい問題ではないという直観がやってきたのです。つまり、このなかでとくに衝撃を受けたのは、「諺・金言」についてだったのです。さて、このあと庄司はどのような行動を起こしたのでしょうか。

コメント

教えてもらったことを捨てちゃだめ

2017-09-26 06:00:00 | 

 今回から、これまで綴ってきた庄司和晃のコトワザ研究における「始まりのかたち」について、その要点とするところを拾いあげ、できるだけ分り易く整理してみる。その「はじめに」、どうしてこういうテーマで調べ考え書いてみることになったのか、いくつか記しておきたい。

 早期退職して十年目の秋を迎えました。寝たきりの母を十年介護して、九月には一周忌を迎えたばかり。すでに「前期高齢者」の仲間入りです。母を見送ってどこが変わったかといえば、自分の人生ふりかえってみることが多くなったことです。こんな折に、母より一年早く亡くなった庄司和晃の残した一つの言葉が耳元で聞こえてくるときがあるのです。晩年の「私の研究歴・談話録」にある、こんな一節です。

≪なぜ生身の人間に会っておくことが大切なことか。ぼくは、柳田國男さんが昭和三七年に亡くなって初めてわかったことなんです。いやあ、すごい先生に会っていたんだなあ、と思うわけです。そのとき、ふと、教えてもらったことを捨てちゃだめだなあ、と覚ったんです。≫(『庄司和晃先生追悼 野のすみれさみしがらぬ学たてよ』二〇一六 一二〇頁)

 私は子供の頃からたくさんのことを捨ててきた人間だと思っています。とくに新しい興味・関心が生まれる度に、結構熱中して学んだことも未練なしに捨ててきた、というよりは新しい興味に熱中しているうちに忘れてしまうという方が真相に近い。中にはだいぶお金のかかった「研究」もありました、別に後悔しているわけではないのです。自分らしく生きた証拠だと開き直ることもあります。ところが、「教えてもらったことを捨てちゃだめだなあ」という庄司の述懐はいつまでも心底にひびいていて離れなかったのです。こんな体験をくりかえすうちに、これは、・・・やるしかないな、と覚悟を決めることにしたのです。何をやるかというと、庄司和晃の築きあげてきた学問(以下「庄司学」と呼ぶ)を「学び直す」ことです。一九六八(昭和四三)年には研究会を作ってまで柳田國男の「学び直し」を実行したことを知って、これにはなにか深く意味するところがあるに違いないと直観し、学び直しへのホゾを固めたのです。

 てはじめに、これまで読んでこなかった庄司の「児童言語採集研究時代」の研究に注目しました。というのは、「私の研究歴・談話録」の編集しながら、小学生のコトバに対する目線や感度はずうっと変わらずにきたという手応えがあったからです。この時代の研究は、その後「認識の三段階連関理論」を軸にして構想された「全面教育学」においても、たえず樹木の根っこように働いていると受けとめてきました。こんなときに、「庄司和晃氏のコトワザ研究」についての報告を求められる機会がやってきたのです。

 庄司のコトワザ研究は、仮説実験授業授業の研究とともに庄司学の根幹にある認識理論を生みだす母胎のような位置にあるといってよいと考えます。かといって、にわかにコトワザ研究全体を網羅してレポートを作成するなど無理な話。ならば、その位置関係を踏まえたうえで、コトワザ研究の「始まりのかたち」に焦点を当ててみたらどうかと考えました。「始まり」とは物事が生成することで、「原初」や「始原」などと呼ばれたりします。そのかたちを「原型」と呼ぶこともあります。原型はたとえ成長発展そして老化衰退するにしても、基本のかたちは保存されていると考えることができます。こうなると、原型を明らかにすることの意義は大きいはずです。研究史上の変化がとらえやすくなるからです。

 これまでの準備作業をふまえて、庄司のコトワザ研究の、始まりの「かたち」をどのように表現したらいいのか。私は、ブログを書き続けながら、幸いなことにその始まりの「仕方」を特徴付ける指標を三つみつけることができました。まだ言葉が固まっていないので、のちに変更することもありますが、とりあえず書いてみます。コトワザ研究の始まりの仕方には、(1)時代が求めた課題に応えたこと、(2)自分の研究蓄積を捨てなかったこと、(3)最初から体系化をめざしたこと、以上の三つです。次回から一つずつザックリと敷衍していきます。最後に、「学び直し」の意義について考えて終りにします。

コメント

この時期、体系化への促迫は必然だった

2017-09-25 06:00:00 | 

 前回(昨日)の続きです。第Ⅳ節「コトワザの特性にまつわる二三の問題」の後半を読んでいきます。ここは、「大衆の論理学」の体系化に関する覚書きと、各種ことわざ本にみる体系化志向の如何を問うことの二本立てになっています。二つは絡み合って論じられていきます。下の引用では、世の中に出回っているコトワザ辞典には、出版社側も買い手側にもコトワザ(大衆の論理学)を体系化しようという気がないことを批判しているのですが、・・・。先に体系とはなにかその定義を確認しておきましょう。体系とは、英語でsystemといい、「一定の原理で組織された知識の統一的全体」(広辞苑第六版)のことです。庄司和晃の定義も見ておきましょう。──体系とは「系」をして「体」たらしめたものである。あるいは、「系」によってぬいあげられたものである。(『感性的論理学』一九七五 四八頁)私は庄司の定義が気に入っています。

 

わたしたちには、コトワザという大衆のウブな論理学をして、いわゆるの体系的な「学」とすべく、これ努める必要があろう。さもないと、電灯が消えるとともしび段階へと逆戻りするように、論理駆使の目は過去へもどるといううきめをみるからである。/これまでに刊行された“コトワザ辞典”、そして今店頭をかざっている“コトワザ辞典”のほとんどが五十音順の配列である。ということは、利便さもさることながら、「コトワザ論理学」(第二段階・表象論・特殊法則の占める世界)のアンビシャス、ないしは「学」化傾向の意識なり眼力なりが自覚されていないからである。バラな知識の提供になりさがっているのである。それはまた、買い手の要望に答えるということでもあるのだから、責はこちら側にもあるわけである。というのはこちら側にも、「学」として「理論」(それなりの「理論」)としてとらえていかそうとするカマエのなさにも留意してみる必要があるであろう。いわゆるの即席主義のしからしめるところなのであろうが、それならばなおのこと体系化・原則化の要求があってしかるべきである。体系なり原則なりがもっとも有効性・実践性をもつものである、と考えるからだ。≫(本書 十六頁)

 

 たったこれだけの引用中に、≪体系的な「学」とすべく、「学」化傾向の意識なり眼力が自覚されていない、「学」として「理論」(それなりの「理論」)としてとらえていかそうとするカマエ、体系なり原則なりがもっとも有効性・実践性をもつ≫など、なんと四ヶ所も「大衆の論理学」の体系化に関するフレーズが出てきています。どこか「ないものねだり」、もっと言えば「いいがかり」を感じさせるような書きぶりです。というのも体系化が必要な理由については、たった一言「電灯が消えるとともしび段階へと逆戻りするように、論理駆使の目は過去へもどる」ことになってしまうからだ、と書きつけるのみだからです。なぜ体系化が必要なのか、ちっとも「説得の論理」も「納得の論理」も感じられません。またこの時期になにゆえコトワザという「大衆の論理学」の体系化を強調する必要があったのでしょうか。その前に体系とはなにか、その有効性はどこにあるかについても理由が必要ですが、これらすべての疑問はあとで考えることにして、この先の記述を追っていきます。

 このように既刊のコトワザ辞典の出版社にも買い手にも、コトワザ(大衆の論理学)を体系化する意欲も意志もないことを見てとる一方で、庄司は辞典の「はしがき」や「まえがき」などには、「体系化へのしののめ」や「体系化のきざし」が認められると書いています。そして体系化へ向け、≪認識発展論の第二段階論=表象論を踏まえた分類辞典が編集せらるべきである。それが無体系といわれるコトワザ群をして、「コトワザ論理学」を成立せしめる重要な踏み石となる・・・どうであろう≫と、提言を行なっています。こちらで勝手に名づけてみれば、「表象論による分類コトワザ辞典」の構想です。続けてこの構想と同じ観点に立ったとき、まずもって参考になるのは、柳田国男の「コトワザの話」と「なぞとことわざ」だと書いています。そこには認識論的な視角は見られないが、「素朴な分類と一つの思想で貫かれた解説がある」からだと説きます。この一句を見直すと、「解説」は素朴ながらも「体系」そのものを意味していることに気づかされます。すなわち体系化のためには、それ以前の段階にある「分類的観点」を具えている解説・論文の類を求めていることが伝わってきます。体系化以前としての「分類」への着目です。

 見方が変わると風景が一変します。この論文でさんざん批判してきた創元社版の『ことわざ新辞典』にある「諺について」には分類的観点がある、集英社版の『暮らしの中のことわざ辞典』に収録されている「事項分類索引」はたいへんな労作だがそこには貫く思想がない、あるいは福音館書店版の『世界のことわざ辞典』は日本民俗学をふまえているが思想性に欠ける、とか言いたい放題というところでしょうか。また同書店の『ことわざ故事金言小辞典』に収録の「かるた絵札-あとがきにかえて」についてはやや詳しく論評し、曰く参考文献には価するが江戸時代の封建制度からの考察処理が先に立って狭い解釈になっている、なお認識論的切りこみの姿勢がないのは仕方がないが、所々にはそれに関係した箇所が見られる等々です。

 なんでこの時期これほど大衆の論理学の体系化を強調したのか。いま読んでいる論文「表象としてのコトワザのもつ論理」(1965.11.1)は、「コトワザの授業」における六年生の意欲が高まり盛んになっている時期に執筆されたものです。なぜこの時期にこの論文を執筆したのかについては、ずっと「三浦つとむからの助言」だと思っていました。このあたりの消息については、庄司は三浦への追悼論文「体系的な理論づくりを学びとる」(横須賀壽子編『胸中にあり火の柱-三浦つとむの残したもの-』明石書店 二〇〇二)で、こう書いているのです。

 

三浦さんに、こういわれたことがあります。「学問で大切なことは、体系ですよ。自分で気に入ったところだけを明らかにすることではありません。好きでないところも、ちゃんと、それなりに位置づける工夫と考察をやっていく必要があるんです。」とういふうに。/対立面、他分野にも目を配っておくということ。反対者、いわば敵側をも見ておくということ。その中に宿る真理性を見落としてはいけないということ。/まさしく、弁証法的指示ともいっていい文言でした。それは、仮説実験授業の研究とコトワザ教育との、それらの本質部分を一応とらえ切ったときでしたから、たしか一九七五年頃だったと思います。≫(横須賀前掲書 一四六頁 太字は原文では傍点箇所)

 

 体系化のすすめは、たしかに三浦つとむからのものでしたが、庄司の回想によると一九七五年の頃だったと書かれています。私は目をこすりました。どこでどうまちがえたのか。一九六五年であれば・・・。私の思い込みだったようです。とすると、このセンは無しです。でも引用には体系について庄司の学びが記されています。いいことが書いてあります。体系とは自分が知りたいことだけを明らかにすることではなく、好きでないところもちゃんと位置づける工夫と考察を必要とするものだ。言い換えると、対立面、他分野、反対者、いわば敵側にも目を配り、そこに宿る真理性を見落とさないことです。もっと短く言うと、体系化とは一般原理によって自分の嫌いなことを位置づけ秩序立てること。「も」が重要です。もう一つ、体系の必要性あるいは有効性について庄司はどう考えていたか。時期はあとになりますが、『感性的論理学』(一九七五)から引いておきましょう。

 

体系の有効性としては、①視野展望をもたらすこと(見通し)、②指針や規範を与えること(実践)、③予想予測を可能ならしめること(予言)≫(前掲書 四八頁)

 

 なぜこの時期に「大衆の論理学」の体系化を強調したか、少しずつ分かりかけてきました。豊富なコトワザ群を「大衆の論理学」と呼び方を変えるだけで、そのような学問が突如出現するわけではありません。これは自明です。「大衆の論理学」を創るには、何をさておいてもコトワザ群を体系化する必要がありそうです。好きなコトワザだけを集めて秩序立てたとしても「大衆の論理学」になるわけではありません。体系化するにはまず「系」を立てなければなりません。庄司は三浦つとむの助言から「表象としてのコトワザのもつ論理」を獲得しました。これを「系」にしました。次にこの「系」でもって好き嫌いをとわずコトワザ群を縫い合わせて「体」たらしめなければなりません。

 だけど、「大衆の論理学」を創るのに、なぜ体系化が必要なのでしょうか。一つは「視野展望」を得るため、二つは「指針や規範」をもって実践に立ち向かうため、三つは「予想予測」を得んがため、の三つあります。庄司は前掲書でこんな例を提示しています。

 

たとえば、「自然」-「社会」-「精神(思惟)」という一連の体系を持つと、精神の世界で発見されたところのある法則の論理は、社会や自然の世界においても別様の形で存在するのではないか、という見通しがついてくる。また、「正」-「反」-「合」の体系を知っていると、何かの折りに反になった場合、今度は合にいくぞ、という予想がついてくる。三段階連関理論の体系を持っていると、ある事象に出会った際、これはあの段階のことだなという見当がついてくる。血管の体系がわかっていると、ある箇所に腫瘍などがでた時、これはこっちの方に転位するのではないかな、という予測がついてくる。ことほど作用に、体系というのは未知に対する展望・予測・予想をもたらすものだ。そしてそれが指針となって実践へと踏みきらせていく。そういう点で体系は発見の論理を持つといってよいであろう。いわば千里眼を持つようなことになるからだ。自分で歩く道を自分で見つけるのである。それはつまり自立することである。他面からいうと、失敗を最小にくいとめていきたいからである。そのために、すでに見てきたように種々様々の体系※を私たちはつくりだしているわけだ。≫(同前)

 

 ※印ですが、これには大きく三つあります。(1)自然的体系(現象論的体系、現象的整理体系、年中行事的体系、流れ的体系、順序論的体系)、(2)ヌエ的体系(混合的体系、おまつり的体系、技倆的体系、中途完結的体系、マンダラ的体系)、(3)論理的体系(科学的体系、学問的体系、ヘーゲル的体系、本質論的体系、認識論的体系)です。(1)(2)(3)は、それぞれ素朴的段階-過渡的段階-本格的段階に対応しています。

 上の注※を読むだけで、体系とは人間が自立していくためにどうしても必要とし、さまざまな次元で編み出されてきた認識のありかたなのだと腑に落ちました。私は「体系」を誤解していました。このことは後日かきますが、なぜこの時期に庄司は「体系化」を強調していたのか。ここだけは決着をつけておきましょう。

 「コトワザの授業」はこれまで見てきたように、庄司の予想を超えるほど子供たちの反応がよく、コトワザ学習についての感想を読むとかなりの程度まで習得していたことを実感したはずです。実際、なんで三回も授業の感想文を求めたのか不思議でした。しかし、子供たちの授業の感想文に表れたいくつもの認識発展論の契機は、まさにこの時期コトワザの本質観を獲得し、それを「系」として縫い合わせていくべき対象的事実群として庄司の現前にありました。つまりこのとき庄司は体系化の必要性を直観したのです。体系化の強調がこの時期でなければならなかったのは、このような子供たちのありようから生まれた必然性によるものだったと言えます。

 体系化は学問創出のスタートラインに当たります。逆にいえば、体系化という促迫(そくはく)は、研究の始まり=「原初のかたち」=入門期の終りを意味します。長々と綴ってきたこのブログ、「庄司和晃のコトワザ研究における始まりのかたち」は今回でおしまいになりますが、次回から数回、これまで綴ったことをシンプルなかたちに整理してみたいと思います。一九六五年十一月一日は、庄司がコトワザを「大衆の論理学」として、その体系化を思い立った日だったのです。

コメント

大衆を凡庸さだけで括ってはいけない

2017-09-24 09:02:18 | 

 いよいよ、論文「表象論としてのコトワザのもつ論理」の最後第Ⅳ節の「コトワザの特性にまつわる二三の問題」に入ります。この論文の意図を私はこう考えてきました。庄司の言語教育構想の教育的な実験の成果と、三浦つとむの助言から受けた学びの両者を認識発展論という角度をもって統合する試み、この試みによって「表象論としてのコトワザのもつ論理」の基礎固めをする一篇。しかしこう書きながらこの最終節の位置づけはなかなか難しい。それでも解決のつかないものはとりあえずそのままにして、読んでみるしかありません。一応の位置づけを試みると、こんなふうになります。

 前節の「コトワザと大衆との関連」という文脈を延長しますと、本第Ⅳ節は、大きく二つに分けられます。前半は、コトワザを大衆の論理学と捉え直したときに、予想される重要なコトワザ群を整理しておくこと、後半は「大衆の論理学」の体系化に関する覚書きと、各種ことわざ本にみる「大衆の論理学」志向の如何を問うことの二本立てになります。合わせると、「重要なコトワザ群の整理」、「大衆の論理学の体系化について」、「各種コトワザ本」の、だいたい「二三の問題」に重なります。今回は長いので引用を極力おさえ、私の要約によって紹介していきます。まず前半の話題です。前節文脈の延長としての「大衆の論理学」における重要なコトワザ群は、八つに整理できます。「重要なコトワザ群」とは、大衆の論理学を考えていく場合に、コレゾ大衆的らしいという見方・考え方を保存している一群のコトワザのことです。

 

(1)矛盾するコトワザの存在・・・「言わぬが花←→言わぬが損」、「大は小をかねる←→しゃもじは耳かきにならぬ」、「好きこそものの上手なれ←→下手の横好き」など。これらの適用範囲を考えると、それぞれに限界をもっていることが分かります。ということは、コトワザは広い範囲に適用できる論理を宿したものではなくて、特殊な世界に属する論理だということです。認識発展論からいうと、中間段階に位置します。

(2)場合に応じて使い分ける・・・「楽は貧にあり」というかと思えば「地獄の沙汰も金次第」ともいう。これはいったいどういうことなのか。ここでは適用範囲の問題ではなくて、コトワザは時・所・相手次第に応じて使い分けができるということを意味します。コトワザが真理であるのは条件しだいなのです。

(3)素朴でナチュラルな弁証法・・・たとえば「楯の両面」というコトワザがあります、どちらか一方に偏した見方・考え方に固執していると、現実が突きつけてくる問題に柔軟に対処することができない論理です。大衆は「楯の両面」の論理を体験的に知っていました。

(4)一般原理に類したコトワザの存在・・・たとえば、「まかぬ種は生えぬ」「打たねばならぬ」「はじめに二度なし」など、第三の普遍的段階にそうとう近いコトワザがあります。これらは特殊な世界を超えた論理を内に宿しています。しかし、「物には重さがある」という科学の基本的法則とくらべてみると趣が異なります。つまりコトワザは一般原理をナマでは出していないのです。感性的なものと背中合わせにして提示し行使することで説得性をもたせ、こちらの心情を動かしガッテンさせる表現をとっています。コトワザはどこまでいっても中間段階に属しているのです。

(5)表現という言語技術の所産・・・コトワザは単なる経験法則ではないし単なる法則や原理でもありません。表現という言語技術によってコトワザは時に人生の深い意味を味わうことを可能にします。言語芸術と言っていいのです。ここには大衆が生きぬくための論理(知恵)、暮らしのなかで生じる問題解決の手引きがあります。

(6)合理性も非合理性も・・・たとえば「ものはためし」は、原初的な科学認識論・実験論にさおさしています。一方で「百聞は一見にしかず」や「論より証拠」は、事実の重視を表現しており、科学的認識の土台を支えているコトワザともいえますが、科学的認識にとって重要な契機である仮説(理屈)を立てるための合理的な思考や理論を軽視しがちです。非合理を売りにするコトワザは日本にはあんがい多い。「不言実行」「下手の長談義」「来年のことを言えば鬼が笑う」など、合理的な根拠をもたないのに、広く信じられているコトワザの一群があります。これも大衆の論理学なのです。

(7)コトワザは武器になる・・・相手から一言コトワザを言われただけで周囲から笑われ、対抗する意志が消えてしまう場合があります。コトワザは相手を笑うことによって勝負をつけることのできる武器なのです。ここに対話の成立する余地はありません。だから人は他人に笑われないように、慎み深く、よくよく内省する修行が自然に定着しました。反対に笑われたら言い返すのにぴったりなコトワザもあると思います。(自分専用のコトワザ辞典が必要ですね)

(8)コトワザのもたらす鎮魂・・・たとえば、みんなの前で誰かに笑われたときは、相当辛いものです。被った心情のショック状態をやわらげるための合理化、つまり自分を鎮魂する役目を負う「さわらぬ神にたたりなし」とか「至誠は天に通じる」などのコトワザが大きな効果をもっていました。類諺はもっとたくさんあるはずです。人間関係に過敏になりがちな現代人にはなくてはならないものです。もっと重視されてよいコトワザ群です。

 

 これで前半はおわりです。ザッとみてくると、以上は、「大衆の論理学」らしさを表現しているばかりか、現代の小中学生、いや高校生にも是非必要だと思えるコトワザ群に思えてきます。小中学生・高校生と大衆はどこか似ています。個々の場面では、上で紹介した論理を駆使し、あるいは自分のコトワザを考案しつつ、世の中を生きぬいているようにも見えます。彼らは知るべきことは経験を通じてよく知っています。そして成長にしたがい自分も大衆の一人であると身をもって覚えていくことも私などの世代と変わることはありません。公共についてあまり考えようとしないという「凡庸さ」だけで大衆を括ってはいけないわけです。大衆の論理学を嘗めてはいけない。

コメント

「コトワザと大衆との関連にみる一側面」によせて

2017-09-23 06:55:10 | 

 前回(昨日)に続いて「表象論としてのコトワザのもつ論理」(本書第Ⅰ部第2章)の続きです。今回は第Ⅲ節「コトワザと大衆の関連にみる一側面」を読みます。

 

ここ(コトワザが「世間一般にいわれる語」に関するコメント)からさらに歩を進めてみよう。コトワザと大衆との関連において、認識発展論の角度からつきささってみようというわけである。

 (2)「諺を内容の上から見ると、人事、自然を問わず、人間の関係するところすべてに渡っている。」(同上:P.5より)≫(同前)

 これを機縁として一考してみるに、「人間の関係するところすべてにわたっている」ということは、コトワザなるものを“大衆の論理学”といってみることができるであろう。より正確には“論理学以前の論理学”といったほうがよいかも知れぬ。いわゆるの体系化がないからである。さりとて全然体系化がないか、というと大衆=通常人の伝承的に生きのこってきたところの、それなりの体系、ナチュラルな体系があるといってもよい、とわたし考えている。これについては、折をみてふれることにしよう。/ともかく“一般大衆のナチュラルな論理学”として、コトワザをみるとき、より実践的な課題を、そこからくみあげることができる。

① 問題解決の方法論。(特殊法則の適用)

② 法則性の感性的なつかみとり。(特殊的段階の法則把握)

③ 言語選択能力とその生出能力の育成。(一種の文芸能力)

④ 行使する方法と自分を守る方法の習得。

⑤ 言語感覚と記憶の技術の獲得。

・・・などにおいてである。わたしは、小学校言語学=小学校哲学として研究と実践を進めている。むろん、コトワザを主とする言語学では、第二段階の直接教育であり、特殊的法則の行使能力の育成にとどまることはいうまでもない。≫(本書 十二~三頁)

 

 コトワザを「一般大衆のナチュラルな論理学」と位置づけると浮き彫りになってきた「実践的課題」は、庄司が構想し教育的な実験を行なっている小学校言語学=小学校哲学──「私的言語教育試論」あるいは言語教育構想のこと──において「(A)目標にしていきたいもの」に挙げた六つの目標(課題)とほぼ重なります。再録しますと、①言語へ意識を高める、②言語の選択能力を高める、③言語の生出能力を高める、④言語の記憶技術能力を高める、⑤言語以前の感覚能力も高める、⑥コトワリの把握能力を高める、の六つになりますが、以上挙げた中で⑤「言語以前の感覚能力も高める」を除くと、その順序は異にするものの、見事に一致しています。とすれば、前回書いたようにこの論文は、「表象論としてのコトワザのもつ論理」によって、同時進行していた言語教育構想は組み替える意図があったことがいっそう明瞭になります。さらに、興味深いことは「大衆の論理学」としてのコトワザは、「小学校言語学」におけるコトワザ教育とかなり親しいもの、もっといえば同じ第二段階の表象的論理として扱われていることです。ここに、小学校におけるコトワザ教育の研究は「大衆の論理学」の解明に活かすことができるのではないか、との展望をもたらしたということができます。もう一つ見ていきましょう。

 

(3)「諺を、形式・表現の上からみると、それは何よりも一般の耳に入り易い形で語られるところから、形が比較的簡単で、句調のよいものが多いことが、まず注意せられる。諺の一つに「寸鉄人を殺す」というのがあるが、寸言の中に深い意味を蔵しているのが、諺の特徴といえるのである。」(同上:P.12より)

“特徴”というところに、認識発展論の立場からの把握というよりは、分類主義・解釈主義的な受けとめ様の気配が感じられる。このようないきかたでは、コトバの武器付与とはなるまい。

①「一般に耳に耳に入り易い形で語られる」ことの意味と論理。

②「形が比較的簡単で、句調のよいものが多い」ことの意味と論理。

③「寸言の中に深い意味を蔵している」ことの意味と論理。

≫(本書 十三頁 太字強調は引用者)

 

 まず①と②についてのコメントを抜粋します。≪コトワザというものは、きわめて実践性の高いものである。役立つ度合いの高いものなのである。そういうものは、単純なものでなければならない。そうでなければ役にたたぬからである。とくに、とっさのばあいの問題処理のときなどに、あれは何だったけな、と思い出すのに苦労するような文句ではよき武器とはいえない。ここに、記憶の技術の論理が横たわっている、といっていい。≫とあるように、①と②は記憶術の問題にかかわっていることが説かれています。また、③──「寸言の中に深い意味を蔵している」ことの意味と論理──については、「表現の論理」にさおさしたもので、≪コトワザは表面づらの論理ではなく、裏面の論理である。「筋」といい「道」というものがことばのかげにかくれているから、ある種のコトワザの意味がとれにくい≫というふうに、「寸言の中に深い意味を蔵している」存在理由を説明しています。さらに、≪コトワザにみる「五・七調」、「五・五調」、「七・七調」、「同音」「」類音」「韻「対句」「誇張」「ユーモア」、これらの中の論理もまた民間文芸論にとどまらず記憶技術の論理に関係するのだ」とも述べています。

 さて、ここからは私の意見です。コトワザが「耳に入り易い形」で語られたり、「句調のよいもの」が多かったりするのは、庄司が指摘するように大衆の記憶術の発露であるといっていい。しかし日本のすべてのコトワザに見られる短句化の傾向が、記憶術の問題に解消できるのかどうかは訝しい。なぜならば、コトワザは「論理」だからこそ簡潔さを必然とする、と庄司も述べているからです。私が知っている範囲ですが、韓国のコトワザもフランスのそれも結構長いものが目立つという印象があります。しかし長い文句だから両国民の記憶術が劣っているというわけでもないことは当然でしょう。どちらの国民も日常的にコトワザを使っているということが確かであるとするなら、長いか短いかの理由を記憶術に解消することはできないはずです。ですが、もし庄司のいうように、コトワザ本質観を「表象としての論理」に求めるとすれば、可能なかぎり諸民族のコトワザについて、この本質観が適用できるものかどうかを吟味することの方が先です。その上での記憶術の問題が論じられるべきです。

 もう一つ、疑問があります。庄司が「寸言の中に深い意味を蔵している」のは、それがもつ表現上の問題に属するというのは正しい指摘だと思います。しかし、「寸言の中に深い意味を蔵している」のは、コトワザには表の意味のほかに裏の意味があるからだというのでは答えになっていません。コトワザには表の意味において感性的な度合い(抽象の度合い)があるとはいえ、すべてのコトワザには意味があるからです。これを文学的な言語としてみた場合、その中に「深い意味を蔵している」のは、言語には意味があるからだといっても答えにならないことと同じなのです。私は、コトワザの特殊な表現形式と内容の関係こそが、「深い意味」を探ることを可能にするのだと考えます。この意味で表現上の問題に属するというには正しいわけです。とはいうものの、ここには、私の未だ十分に解決できていない問題があります。

 コトワザには、年齢や経験によってその解釈に浅い深いがあるのはなぜかという問題です。その理由をどう考えたかすこし綴ってみます。それは、省略された形のものも含めて比較的短いコトワザは、一文(ときには一語)であると同時に文章だからではないか、と考えてみたのです。文章にはたいてい題名がついています。なぜ文章には題名がついているのか。あるいは文章の題名にコトワザが使用されることが多いのはなぜか。こんな疑問を考えていると、そういえば手紙などは題名がない。こんな題名ぬきの文章が可能であるように、反対に文章内容が省略された題名だけの文章もありえるのではないか。それに近い表現形式としては、俳句(川柳)や短歌、あるいは意味が不明になりながら使われてきた枕詞のように、意味内容を表現する文章本体が省略された、それを探る手がかりだけが残されている言語表現の一群が存在します。他方で、さきの疑問については、単に人間の想像力の問題なのではないかと考えることもあります。たしかに各人の想像力によってコトワザの解釈は異なってきます。ではこの想像力はなにを手がかりにして起動させることができるか。それはコトワザの表現形式(表の意味)にしかありえません。ここを起点にして起動させる想像力はかなり自由なものです。だからこそ、コトワザの意味は時代によって変遷するし、誤解もされるし、年齢や経験によって深浅があるともいえます。ふと、こんな定義が思い浮かびます。コトワザとはどのような言語か。それは表現内容を理解する手がかりを題名にしか求めることができない、「題名だけの文章」あるいは「想像力で補うことしかできない文章」である。──すこし道草をしました。

コメント

いま読んでいる論文の意図に気づく

2017-09-22 10:59:51 | 

 今回は、「表象論としてのコトワザのもつ論理」(1965.11.1)の続きです。第Ⅱ節「第二段階としての表象論のもつ有効性」を読んでみます。

 

つぎに掲げる引用文は、無意識ながらも、認識論にタッチしたものとみられよう。

(1)「なお、諺のことを、古く「たとえ」とも「世話」ともいっているが、それは、諺が比喩的表現に富み、又、世間一般にいわれる語であることから来たものであって、そうした名称にも、諺の性格が出ているといえる。(創元社編集部編『ことわざ新辞典』:創元社:昭和40:15版P.5より:初版は昭29

ここから、つぎの問題点を浮きあがらせることができる・

①「たとえ」とか「比喩的表現」とかのもつ論理と役割、および歴史的背景のもつ意味。

②「世間一般にいわれる語」のもつ意味。

③「例」とか「たとえば」とかの論理と心理。

 わたしたちは、「例」をひいて議論を進めたり、「たとえば」ということで相手に理解してもらおうとする。相手が得心したような顔つきや言動を示したりしないと、いよいよもって多くの例をひっぱりだしてくる心のはたらきがある。これは、相手ばかりに関係したことではなく、こなたにしても抽象論議のばあいなどには、「たとえばどういうことですか」と問うこともしばしばである。そういうことでがてんしようとする。ここには、「説得の論理」「合点の論理」がある。/この論理自体、認識発展論からいえば、第二段階の表象論的段階に属する、といってよいであろう。人は多く、この段階において説得したり、合点したりして、自分の考えを進めているわけである。「例」とか「具体例」・「たとえば」とだしてくるそのものは、認識発展論論からいえば第一段階の個別的・感性的・直観的段階のものといいうるし、「抽象論」とか「理屈一点ばり」とかのものは、第三段階の概念的・普遍的・理性的段階のものといいうるであろう。≫(本書 十頁 太字強調は尾﨑 以下も同じ)

 

 ここでいったん切りましょう。引用は③の問題点──「例」とか「たとえば」とかの論理と心理──に関する庄司のコメントです。すこし驚くのは、この時点ですでに、後の「認識の三段階連関理論」の骨格の第二段階を表象論的段階として位置づけるのはいいとして、思考運転(説得や合点)の契機になる「たとえば」の使い方の意味をすでに押さえていることです。「たとえば」とだしてくる当のものや「例」自体が第一段階に属し、このようなコトバによって相手の説得や自分の合点を導くという認識活動は第二段階に属するというように両者を区別していることです。これは、表象の二重性的性格とその実践性を理解していなければできないことです。「この時点」というのは、三浦つとむの助言やコトワザ教育の実践があったこの一九六五年の一〇~十一月のことですが、もうすでに「思考運転」という動的なイメージが成立していたのです。こんなに早い段階でもう本格的な研究がなされていたことにちょっと驚いたのです。ここに仮説実験授業研究で鍛えられた目があったことは疑いのないことですが、のちに「つまり」というコトバとともに「きっかけコトバ」と名づけられ、認識発展論(「のぼりおり認識理論」)のタグのようになっていったことを思えば、仮説実験授業の影響は相当なものだったと思えます。

 つぎは問題点①──「たとえ」とか「比喩的表現」とかのもつ論理と役割、および歴史的背景のもつ意味──に関するものです。庄司が教育研究大会に参加する機会があったときのことです。開会式ではたくさんのお偉いさんが挨拶をしたが、そのなかでタトエやコトワザがよく使われていたこと、その使い方を紹介したあとで、以下のようにコメントを加えていきます。

 

この(挨拶した)人たちは認識における発展の論理的な意識を持っているのではなかろう。どうにかして、自分の考えなるものを伝えたいという心理のもとにいっているのであろう。だからある意味において、この中の「タトエ」や「名句」や「コトワザ」は、ナチュラルな形で生きてはたらいているといってもよいのである。/しかし、こうした心理に宿る論理をつかみだし、意識的に行使するようになれば、さらに効果的な方法論を身に体することができる・・・/ここからいっても、第二段階の表象論には「説法の論理」「説教の論理」が内在しているといってもよいであろう。いな、その論理が第二段階の論理といってもよいのである。/講演・演説・講釈・講話・問答・対話・提唱の成功・失敗のカギは、この第二段階の論理適用いかんにかかっている、・・・ワカルとはどういうことかにさおさす重大なことがらだからである。≫(本書 十一頁)

 

 まあ、ここでは先の「説得」や「合点」の論理ではなく、ある意味、高みからの「説法」や「説教」の論理もまた、第二段階の表象論的な段階に属しているという指摘です。ここにとどまらず、以下のように議論が発展することがすごい。まるで「表象論という刀」の切れ味を試しているかのような物言いです。すなわち、表象的な論理を意識的適用・論理の意識的行使ができるかどうかが、成功失敗に分かれ目になる。それは、なぜか。説法や説教の成功とは伝えられる内容がワカルということ。ゆえに第二段階の研究は、ワカルとはどういうことかにさおさす重大問題を提起している、とも付け加えています。「ワカルとはどういうことか」という問題は、当時の教育学においてスッキリ解明されたわけではない(もしかして今もそうかも知れない)が、「さおさす」とはそのような時代の流れに乗る問題なのだという話なのです。話が良い意味でデカクなっているというか展望が出てきたわけです。このことは、≪「比喩的表現」とそれのもつ論理は、如上のしだいであり、その歴史的背景=人類の認識発展のことについては、古代インド思想の所産ともいうべき論理学の解明ならびに宗教の論理の考察の際において詳述してみる心算である≫(同前)と話が括られていろことからも明らかです。「宗教の論理」の考察は、庄司の学生時代(師範学校~大学)からの蓄積のある研究テーマですので、これもまた自分のキャリアの活かす途に心づいたことを意味します。では、最後の②──「世間一般にいわれる語」のもつ意味──の問題点を見ていきましょう。

 

「世間一般にいわれる語」というコトワザの性格、これを単に「性格」とのみ規定せずに「論理」として把握する必要があろう。性格→論理(あるいは発想)となってこそ、生きていくための武器、問題を解き明かすための技術と化しうるからである。「世間一般にいわれる語」というところには、個別的段階(第一の段階)を踏まえて、そこをのりこえた論理を示唆するものであろう。個別的段階から発展した段階のものであることを暗示しているわけである。もちろん、ここにもまた認識発展論の意識はない。だから、この『ことわざ新辞典』の前文「コトワザについて」(P.3~19)は、いわゆるの解釈、分類的説明になりおわっているのである。「世間一般」とはいうけれども、この説明と性格的説明は、第二段階の表象論=特殊的段階のものである。第三の概念段階をいっているのではあるまい。これについてはいずれ明らかになるであろう。≫(本書 十二頁)

 

 ここでは「世間一般にいわれる語」としてのコトワザについて、「世間一般にいわれる語」という性格について言及されています。しかし、コトワザを認識発展論の文脈で見直すとき、その性格について云々するよりも、これを「論理」と捉え直すほうが「生きていくための武器、問題を解き明かすための技術」として活かせるのではないか、というのがここでのコメントでもっとも言いたいことだと受け取れます。ここでハッと気づかされるのは、この論文「表象論としてのコトワザのもつ論理」の性格です。もうすでに読み始めながら、庄司のコトワザ研究におけるこの論文の位置については、単に「表象論の基礎固め」とか、「言語教育構想の大部分を達成しうるコトワザ教育」論との影響関係にあるという見込みに過ぎなかったのですが、少し見えてきました。それはこういうことです。

 三つ目の引用では、庄司はコトワザを「論理」として捉え直すべきことを書いていましたが、これは教育的な実験として成果を、表象論の立場からどう了解することができるかという試論的な位置にあると気づいたわけです。庄司は「方言の授業」から「コトワザの授業」に到る実験において、コトワザの定義を確立してゆきました。それは観賞性・実用性・思想性の統一された表現だという規定です。しかし定義はその内容と範囲の限定であって、本質を意味しません。本質は物事の実体構造の先にあって抽象度の高い認識です。ではコトワザはどのような本質をもっているのか。庄司の獲得した「言語教育構想の大部分を達成できる」というコトワザ教育観が求めていたのは、定義に含まれるすべてのコトワザに共通する本質的な認識だったと考えられます。なぜならコトワザの本質観がなくては、コトワザ教育の体系化はもちろん、これを通じて自前の認識理論など作れるわけがないからです。それが、コトワザの本質を「表象的な論理」に求めることだったのです。結論的にいえば、論文「表象論としてのコトワザのもつ論理」は、「言語教育構想の大部分を達成しうるコトワザ教育」論を構造化するためにこそ必要であったのです。ここでいう「構造化」とは本質観にもとづいて、コトワザ教育の全過程を改めて解釈し編集し直すことです。(昨日はお彼岸の所用でブログを休みましたが、往き帰りの時間に考えることで当該論文の位置づけに気づきました。オイシイ考えには熟成が必要なようです。)

コメント

認識発展論という角度からのアプローチ

2017-09-20 23:25:59 | 

 前回(昨日)で、本書の第Ⅲ部第3章「授業にみるふたこまの様相」を読み終えました。そこでは、庄司がコトワザ教育によって自前の言語教育構想の大部分を達成できると確言したことの意義について考えました。この確言(言い切り)は、庄司がコトワザ教育の可能性に対して大きな期待と自信をもったことの証しであり、かつて自分が研究し学んだことは捨てないという庄司的研究法の発露でもありました。一方で、庄司が「方言の授業」から「コトワザの授業」への渦中に投ぜられた三浦つとむからの助言と激励があります。この方面と「教育的な実験」から得られたコトワザ教育論はこの時点でどのような影響関係にあったのか。これをつきとめてみなければ、庄司のコトワザ研究の「原初のかたち」のシッポは見えて来ません。そのためには、二つを同じ土俵にのせてしまうことが必要です。この土俵こそ認識発展論という角度なのではないか。今回はそこを考えてみたいと思います。

 おさらいすると、三浦の助言の核心は、「諺・金言」的な問題解決に関してであったこと、それは「前論理学的」性格をもっていること、「経験」と「弁証法・科学・普遍性」のあいだの中間的「段階」に位置すること、最後にそのような論理は「表象」的性格をもっているという四点(「諺・金言」的な問題解決という前提条件を省略して、三点と呼ぶ場合もあります)でした。庄司はこの助言の後に、三浦から「コトワザ論をやってみたら」という激励を受けます。これ契機に熟考の末、コトワザ研究を通じて自前の認識理論を創造する道へ進むことを決意します。と、以上はこれまで調べてきたことです。

 したがって庄司が「コトワザの授業」に際しては、自前の「認識理論の創造」という志向は当然念頭にあったことでしょうし、それゆえこのような実践を「教育的な実験」だと位置づけたものと思われます。そして教育現場から認識理論を創造するのだとしたら、当然まず子供たちの認識発展論という視角を外すことはありえません。ですから自前の認識理論の創造とは、まず子供たちの認識発展の問題を解き明かすことを意味していたのです。とすれば、コトワザ教育によって言語教育構想の大部分を達成できると言い切った庄司の中では、認識発展論という視角で「コトワザ教育」の体系化・構造化を図っていくべきこともまた必然の課題だったと思えます。

 そのためには、前回読んだようにコトワザとは何かその定義にとどまっているわけにはいきません。研究の行方は三浦からの学びの「核心」をどのように展開してゆくかで決まります。もともと三浦の助言は、コトワザを「前論理学」・「段階」・「表象」として位置づけること自体、すでに人間の認識実践における発展論的アプローチを意味していました。庄司はコトワザの本質観をどう把握しようとしていたのか。前にも紹介しましたが再度確認しておきましょう。

 

(三浦つとむは)すなわち、コトワザというものは、一方では経験とつながっているからとらえやすいし、他方では論理としてすぐに使えるだけに抽象されていることになる、という。要するに、中間位にある表象、過渡的な段階の表象、そしてそれをこのようなかたちでとらえられている論理だという。実に示唆に富む、わたしの図式化への、逆転的で激烈な指針を導入してくれたというわけなのである。≫(「認識理論の創造への出発」1965.11.17 本書第Ⅰ部第1章)

 

 つまり、コトワザを「表象的な論理」として受けとめることでした。ここで「表象」とは、感性的であると同時に概念的でもある内的な画像のことです。影絵のシルエットを思い出していただければ分かりやすいと思います。表象は、哲学・思想・心理学の用語としても、また最近ではメディア用語としても使われていますが、ここでは、人間の認識実践の発展を媒介する内的画像としての使い方に限定しています。庄司は以上のようにコトワザを把握しておいて上で、その基礎固めともいうべき(と、書いたもののこの論文の位置づけはまだハッキリできない)、「表象としてのコトワザのもつ論理」(1965.11.1 本書第Ⅰ部第2章)を書いていきます。まさに「コトワザの授業」で六年生が「小さなことわざ辞典」でコトワザ調べをやっていく中から、カードを作り「コトワザあってこ遊び」に熱中していた頃だと思います。その第Ⅰ節「認識発展論の角度からアプローチ」の冒頭を次のように書きだしています。

 

今、わたしの手元には、柳田国男氏のコトワザ関係本をはじめとして、近頃妙に流行しだしたと思われる新刊のコトワザ辞典や研究書等が二十数冊ある。が、そのほとんどは、人生の道しるべないし人生の指針という姿勢のもとに解説・解明されたものばかりである。その中でも、一定の立場と目的のもとにたちむかってコトワザのもつ意味・役割に言及して特異な位置を占めているのは、何といっても柳田国男氏を中心とする日本民俗学関係の著作だけである、といってよい。したがって、柳田国男氏のコトワザ観については、いずれおりをみてとりあげてみたいものだと思っている。この分野においても氏をぬきにしたコトワザ論はありえないといってよいものだからである。通常人の中に生きてはたらく諸相を充実した内容でもって究明せられているからである。/しかし、いずれの著作においても、認識発展論の角度からのアプローチした解説・研究は皆無である、といってよいようである。人生の道しるべ・指針という姿勢、そのこと自体を別にどうこうする必要もなさそうであるがそこには“コトワザはなぜ人生の指針となるのであるか”・“いかにして道しるべとなりうるのであるか”についての深い掘りさげはないのである。この問いにこそ、重大な役割があるのだ。/わたしの読書してみたせまい経験範囲からいって、コトワザのもつ論理、とくにその弁証法的側面から明らかにしているのは、三浦つとむ氏をのぞいてほかにはないようである。(中略)/ともかく、コトワザ関係本の中には、無意識的に吐露された認識論の芽ばえともいうべきものを、そちこちに見出すことができる。それらをまずすくいあげてみたい。それと一緒に突きつめてみなければならないものを“問題点”として提出していきたいと思う。≫(本書 一〇頁)

 

 三浦の名前は当然として、柳田国男の名前が出てきました。柳田のコトワザ論もいずれとりあげてみたいと書いていますがこの時点では認識発展論の角度からのアプローチした解説・研究とはいえないとされていることに注目しておきたい。この論文では、一冊のコトワザ辞典の解説文から「無意識的に吐露された認識論の芽ばえ」をとりあげ、そこに潜在する問題点を提出したいと書いています。私は、ここを読み取りながら、「三浦つとむからの助言と激励」の流れと、「「教育的な実験」から得られたコトワザ教育論」の流れの影響関係を探ってみたい。

コメント