尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

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体系化は研究の始まりの「終り」

2017-09-29 08:07:58 | 

 今回は、庄司和晃の「コトワザ研究」における「始まりの仕方」を特徴づける三つめの指標について綴ってみます。それは「最初から体系化をめざしたこと」です。「最初」とは、庄司が三浦の助言を受けいれ、そのコトワザ本質観を組み替えたときを意味します。言い直しますと、①前論理的段階、②段階の自覚、③認識実践の表象段階という三浦の教示によって、それまでの言語教育構想の中軸に据えた「思想」(世界観・規範)としてのコトワザ観を捉え直した(止揚といってよい)ときのことです。いわゆる庄司のコトワザ「論理」発見(「表象の論理」)説はここに発祥したということができます。これが十一月一日に執筆された論文「表象としてのコトワザのもつ論理」の主題です。

 また、この「最初」のときは、多少のタイムラグはありえますが、まさに庄司自身が「コトワザの授業」における子供たちの意欲のたかまりに、コトワザ教育の手応えを感じている渦中にありました。だから、あとで子供たちにコトワザをどう思うようになったか、その感想を何回か書いてもらい是非とも聞いてみたいと思うのは自然の成行きです。このような状況下で、彼は新たなコトワザ本質観(「論理」発見説)を獲得したわけですから、これを「系」として打ち立て、子供たちの感想を縫い合わせて「体」とすることはもはや必然といってもよいものでした。ここにコトワザ研究の「体系化」という必要が生みだされたのです。子供の「コトワザの授業」後のさまざまな感想はコトワザ研究の重要な資料なのです。教育現場からコトワザ研究を立ち上げるためには、これを軽視することはできないわけで、「系」は子供たちの声を求めていたといえます。言い直すと、コトワザ本質観を立てて言語教育構想を位置づけし直し、再構成する必要が出てきたのです。

 一方で、コトワザを「大衆の論理学」として位置づけることも「体系化」を必然としました。なぜなら子供たちの感想文以上に、コトワザには多様で矛盾する世界が広がっていたからです。これらを何とかして掬い上げなければ大衆の論理「学」は成立しません。どうすればいいか。あらたに獲得したコトワザ本質観を「系」として、多様なコトワザを縫い合わせて「体」とすることです。具体的には分類体系を作り出すことです。ここに庄司のコトワザ研究は「論理」発見説を「系」として打ち立てることで、言語教育構想とコトワザ群(大衆の論理学)の二つを「体」とする目標が生まれ、「コトワザ教育」研究と「大衆の論理学」の研究という二つの課題をもつことになりました。すなわち、前者は「コトワザの論理と教育」(本書第Ⅱ部 一九七〇)に結実し、後者は「仮説」研究と柳田国男の教育的研究を産婆として『コトワザ学と柳田学──大衆の論理と民間教育法』(一九七三)を生みだすことになりました。

 体系化とは、好きなものだけでなく嫌いなものも「系」の中に位置づけ秩序づけて初めて「体系」と呼ぶことができる、とは三浦つとむの指摘です。さらに庄司は、のちに体系の有効性を、①視野展望をもたらすこと(見通し)、②指針や規範を与えること(実践)、③予想予測を可能ならしめること(予言)の三点を挙げていました。どちらの指摘も、人間の認識が有限であるからこそ、自らの「系」のもとに、好き嫌いにかかわらず多様な対象を位置づけ・秩序立てて「体」となすこと、すなわち体系化によって広い展望(見通し)を得ることを示唆していました。また二人ともそのような見通しによって先の見えない未来を予測し、実践によって検証する機会を得ることで、たしかな知識をもたらすこともまた体系の役目であることを教えています。こう考えれば、たとえば、調理の体系、商品の並べ方の体系、交通ルールの体系等々、私たちは多様な「体系」を作り出し先の見通しや知識を獲得しながら暮らしていることがわかります。そうであればこそ、「系」と「体」を引き離さないこと、無関係だと誤解しないことが肝腎なのではないでしょうか。

 体系とは心のどこかで学者が偉そうにするための道具立てのひとつ、あるいは高度な学問だけにある特徴だと思われがちです。そうではなく、暮らしの中にあって私たちの認識実践に役立っているものでした。研究の体系もまた異なるところはありません。自分なりの「系」(本質観)によって、互いに異なる資料を縫い合わせて「体」を作ってゆく研究作業は、研究の始まりに比べれば本格的なものの始まりを意味しています。すなわち研究の始まり段階の終了です。ここに庄司による「体系化」への強調を研究の始まりの仕方を特徴づける最後の指標を認めることができます。逆にいえば、ここに最初から体系化を手放さなかった庄司の特徴が表れているのです。

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