家に帰ってからも、「いも田楽」のことが気になるので「下栗芋」について調べてみました。
下栗芋とは、信州遠山郷の下栗に伝わる在来種のジャガイモのことです。赤いもと白いもの二種類あります。下栗は南アルプスを眼前にする「日本のチロル」と呼ばれるくらいの標高1000メートルの急斜面にある集落です。この地域は他の地方と交通が隔絶していたために、長い間自給的・伝統的な農業が守られてきました。さてこの芋は、作付を二度して収穫できるので「二度芋」とも呼ばれますが、現在は3~4月に作付をして7月に収穫することの方が多いようです。小振りですが他品種に比べデンプン質の割合が多く、甘み・旨みが濃いうえに煮崩れしません。大きいものは他の野菜などと煮て食べますが、小さいのは皮のまま(皮は薄くて柔らか)煮てから串に刺し焼きます。そしてエゴマやクルミの味噌だれを付け焼きして食べるのです。これが「いも田楽」です。2002(平成14年)に長野県の「選択無形文化財」に指定されました。いわば地域の特産品としてブランド化されたわけです。
ネットで調べてみると、「いも田楽」という食べ物は全国にたくさん存在します。材料の芋はといえば、全部が全部サトイモといってもいいくらいなのです。確かに秋の収穫時のサトイモは粘りもあって美味しいものです。ところが、下栗の二度芋のほかに「いも田楽」の材料に小振りのジャガイモを使う地方が確実に存在します。(サツマイモはどうなんでしょう、・・・見つかりませんでしたが)
一つは、埼玉県奥秩父の大滝村の「中津川いも」です。
大滝村とは埼玉県の西端に位置する1000~2000メートル級の山々に囲まれた峡谷の地です。埼玉県の秩父農林振興センターによると、中津川地域の特産品で、いもの皮がやわらかく、皮ごと食べられるのが特徴です。やはり地元の急傾斜地で作られているとのことです。食べ方は、エゴマ味噌を付けて「いも田楽」としての食べ方が紹介されています。さら地元で「紫芋」ともよばれる品種もありますが、これも「中津川いも」と呼ばれています。明治期末の日露戦争から帰ってきた兵士が持ち帰って育てたという話が伝えられています。
二つは、徳島県の西、四国山地の一角を形成する1000~2000メートル近くの祖谷(イヤ)渓谷でとれる「ほどいも」と呼ばれる小振りのジャガイモです。
この芋の通販を営む「祖谷芋屋」によると、祖谷の中でも標高が700メートル以上あり、日当たりの悪い場所ほど「うまい芋が出来る」と言われてきました。この会社の畑は、その条件を満たした東祖谷の久保陰という場所にあります。栗のようなモチモチ食感とほんのりした甘みがあり煮崩れしないことが特徴です。やはり「いも田楽」として食されています。先祖代々自給用に栽培されてきたので地元以外ではほとんど知られていなかったようでこれも特産品・在来種ということができるでしょう。植え付けは山の上にはまだ雪が残る3月初旬、急勾配の土地に作られた狭い段々畑に、人の手で一粒一粒、植えられています。それは昔も今もほとんど変わりません。7月中旬に収穫されています。さらに「ほどいも」にも、「赤いも」と「白いも」の二種類あります。
三つは、同じ徳島県の祖谷渓谷に続く剣山(ツルギサン)周辺には、急斜面でとれる「いやふど」という小振りのジャガイモも知られています。
このいもを宅配する会社「らでぃっしゅぼーや」によると、味は淡白で肉質が締まっているのが特長で、「いやふど」を使った郷土料理は、「でこまわし」と呼ばれる田楽が代表的です。蒸して皮をむいた芋を串に刺して山椒味噌をつけ、囲炉裏に立ててじっくり焼きます。香ばしさが食欲をそそります。別名「ごうしゅいも」や「源平いも」などとも呼ばれます。「源平いも」の名前の由来は、都を追われてこの地方に落ち延びた平家の一族が伝えたという伝説と、皮の色が赤色(平家)と白色(源氏)の二種類あることからとか。
四つは、岐阜県吉城(ヨシキ)郡上宝(カミタカラ)村の新穂高温泉で「あぶらえ料理(エゴマ料理)」の一つとしてふるまわれている「いも田楽」の、材料の「ころいも」です。
ただこの近くの飛騨地方では「ころいも」といえば、男爵いもなどを掘ると一緒に付いてくる小芋のことをいうそうですから、「二度芋」や「中津川いも」や「ほどいも(いやふど)」とは品種がちがうようです。 ですが、この地方も北アルプスへの西側入口に位置し、急斜面に囲まれた地域です。もしかしたら、「ころいも」と呼ばれている品種はずっと以前は、ふつうの男爵いもなどの小芋とは異なっていた可能性があります。もともと二度芋のような品種を作っていたのかもしれません。でも、後継者がいなくいなったために仕方なく、郷土料理として伝統を守ってきた「あぶらえ料理(エゴマ料理)」の一つとしての「いも田楽」に、男爵いもなどの小芋を代用してきた可能性があるからです。というのは、この新穂高温泉ができる前の山村が、明治政府から払い下げられた共有林野を処分した資金で温泉を掘り、次の世代のために温泉地に転換したという記事をどこかで読んだ憶えがあるからです。とすれば、これまた山村の在来種を守りながら自給的な農業を営んできた歴史が、郷土料理「あぶらえ料理(エゴマ料理)」に託され生き延びているといっていいかもしれません。
これまで、「いも田楽」に使われる小振りのジャガイモについて、各地で特産品とか郷土料理とかブランドとかに焦点を当てながら調べて来ました。では田楽とは何かを辞典(百科事典マイペディア 平凡社)でみると、これは「田楽焼」の略称であって、豆腐を竹串に刺し、味噌をつけて焼いた料理のことです。サトイモ、こんにゃくなどは応用だとされています。だとすれば、小振りのジャガイモを使った「いも田楽」も応用の一つです。ここから、小振りであればどんなジャガイモでも、竹串に刺して、そこに味噌をつけて焼いて食べる料理を思い浮かべることができます。こんな「いも田楽」ならば、全国の家庭で広く調理されているのではないでしょうか。こういうのは特産品ともブランド化ともいわないはずです。もっと広げて考えれば、串に刺さなくても大きなジャガイモを薄切りにして味噌をつけて焼いて食べる田楽も必ずや広く存在するにちがいありません。
こういう、広範にどこの家庭でも作られている「いも田楽」を、認識論の上で素朴な段階と位置づけてみますと、信州下栗の「二度芋」、奥秩父大滝村の「中津川いも」、祖谷・剣山周辺の「ほどいも」や「いやふど」を使った、それぞれの田楽料理は本格的な段階ということができます。地域の特産品としてブランド化されたり、由来の物語を付帯して世の中へアピールしているという特徴を挙げることができます。そうしますと、中間の過渡的段階として位置づくのが、新穂高温泉の「あぶらえ料理(エゴマ料理)」としての「いも田楽」です。この段階には、小振りのジャガイモならどれでもOKという側面と、伝統的郷土料理としてブランド化しつつあるという側面とが合わさっているという特徴を指摘することができます。
この<素朴的──過渡的──本格的>という「いも田楽」の三段階の連関を考えてみますと、右方向へは「のぼる」、左方向へは「おりる」という人間の認識活動を想定することができます。すなわち、「のぼる」は、ジャガイモを使った田楽料理が、伝統的な郷土料理としてブランド化していく道筋を示唆し、「おりる」は、ブランド化したジャガイモの田楽料理がだんだん世の中へ知られ、「それなら自分で作ってみようか」といったキッカケで、大衆化していく道筋を示唆していると考えられます。
そこで次に考えてみたいのは、地域ブランドとしての「いも田楽」体験とは、そこに暮らす人々にとってどのような意味をもつのか、こういう問題であります。