昨日は所用があって休みましたが、前回(8/24)の続きを綴ってみます。話題は、庄司和晃が一九六五年の、おそらく九月二十二日に、四種類(①~④)の資料をもって三浦つとむを訪ねたおりに、どのような助言をもらい、それをどのように受けとめたのかでした。今回はその際の庄司の学びに迫ります。今回の資料は、これまでのブログで中心的に取り組んできた資料⑦「認識理論の創造への出発」(同年、十一・十七)を使います。この論文は三浦つとむからの学びをコトワザ教育の実践途上の十一月十七日に、自己の認識の深化を内省的に綴ったものです。庄司の本格的コトワザ研究書である『コトワザの論理と認識理論』(成城学園初等学校 一九七〇)の冒頭に収録されています。これまで通り「本書」と呼ぶのはこの一書を指しています。この学びの機会は、庄司のコトワザ研究の開始を告げるものである、と同時にその核心を衝くものだったと考えています。まずこれまでも引用を含めて紹介してきた三浦つとむの助言は以下の四項目に整理できます。三浦の助言は、
(ア) 庄司持参の資料①「科学の論理形成にさおさすもの(一九六五、八・十二)」で示された、図式≪「経験」―「諺・金言」―「普遍的法則性・弁証法」≫の中間に位置する「諺・金言」に関するものだったこと。
(イ) その「諺・金言」を、「前論理学的段階」と指摘したこと。
(ウ) この際に、庄司に「ことわざ論をやってみたらどうか」と助言したこと。
(エ) 庄司図式「諺・金言」(「コトワザ」段階)は、表象」と位置づけられること、「表象」概念をハッキリ教えたこと。
では、以上の助言の意義を順に考えながら、庄司の学びの核心にせまってみたい。
(ア)「諺・金言」に限定した助言
三浦の助言が、図式の中間に位置する「諺・金言」に限定されてなされたことは、庄司が構想してきた、言語教育構想を大いに揺さぶりました。「言語教育構想」「小学生のおしゃべりコトバ」研究の蓄積を踏まえた「私的言語教育試論」から「児童言語文化学」構想について、「これによって、わたしの言語教育のふらつき気味の腰がきまった、といってよいくらい」だと言わせています。もう少し引用すると「コトワザをどういう角度でとらえていかなる姿勢をもって子どもたちにのぞんでいくかということについては、確たるものがなく思いあぐんでいたところ」だったのです。つまり、三浦が助言を庄司の図式における「諺・金言」の限定したことは、一挙に庄司の言語教育構想に中心軸を与えたことになります。こうして、前回に読み始めた資料⑤「言語教育の体系化の歩み」では飛躍に見えたコトワザ教育を軸にする「体系化の歩み」の記述に方向性を与えたことになります。次に助言の内容です。
(イ)「前論理学的段階」という助言が与えた三つの示唆
「諺・金言」は「前論理学的段階」に当たるという三浦の助言は、庄司に三つの示唆を与えたと考えます。「前~」、「論理学」、「段階」の三つです。
「前~」 庄司が「それ以前」を意識することは初めてではありません。三浦つとむの著作を読んで最初の図式をかいたときに、それまで十年以上に渡って蓄積してきた「小学生のおしゃべりコトバ」研究における「理科コトバ」群を、「科学以前」と見直したことは前に見た通りです。ですから、今回「諺・金言」は「前論理学的段階」に位置するという助言を聞いたときには、「前論理学的」という把握の仕方に抵抗感はなかったはずです。その仕方とは、ある高次元の認識がある場合、それ以前にも次元は異なるけれども同じものが共通して見られるという考え方です。「諺・金言」は、本格的とは言えないにせよ、同じく人間思考の法則性を掬い上げた「論理学」にちがいない、という確信です。ここに庄司のコトワザ「論理」説の発生があった、ということができます。
「論理学」 庄司は、この発見のあと、「コトワザの論理」という用語を多用していきますが、これを最初に適用していくのが、一度作成してすでに授業にかけつつあった言語教育構想で、これをコトワザを中心軸にして再構成するときだったと考えられます。このときに資料③「言語教育と科学教育のMemo」を改稿してできたのが、資料⑤の「言語教育の体系化の歩み」(九月二十九日)だったと考えます。その際に資料④「テキスト:試案」も再編集されていったと考えます。これが「言語教育→哲学教育」の姿勢が強化されたと、庄司が書いた事の意味です。ここに「哲学」とありますが、これは「コトワザの論理」と言い換えてもよく、これによって小学生なりに広く世の中の姿をとらえようとする意図が込められているはずです。
「段階」 庄司は、こう書いています。──「ことはそれ〔「言語教育→哲学教育」という強化〕にとどまってはいなかった。別様の展望が開けてきたのだ。それは、何によってであるか。取りもなおさず、前論理学的段階の中の「段階」という把握のしかたがピリピリときたわけなのだ。これではじめて、平面的分類的に発見したあの図式が、ダイナミックな立体的構造図式として、さらなる発見をなしえたしだいなのだ」と。「別様の展開」とはなんでしょう。それは、最初の図式が「ダイナミックな立体的構造図式」に見えてきたということです。また庄司はすこし後に「質的変化へと飛躍せしめた」とか、「発展的・段階的・立体的・動的」にとらえる地位にたかめてくれた、と補足しています。これはどのような質的変化なのでしょうか。「段階的」、「立体的」、「動的」、「発展的」の順に、これらの意味を考えていきます。
質的変化は、もちろん三浦つとむが先の庄司の図式を指して、≪個別―特殊―普遍≫というふうにも展開できる、と助言したことにはじまっています。これによって、庄司は「諺・金言」(コトワザ)を、個別と普遍の中間の「段階」として見直したわけです。いったい「段階」として見直すとはどういう事態なのか。個別、特殊、普遍の三つを一連のものとしてとらえ直し、それぞれを段階と把握するというとき、その段階のちがいは何を意味するか。それは抽象の度合がちがうのです。すなわち抽象度を基準に三つの水準(地平)に分けたものなのです。敷衍しますと、個別的段階は個別的な事物の範囲での抽象です。例えば個人ごとの経験則あるいは問題解決法を指します。だから、個々にちがった問題解決法の集合を意味しています。この集合のうちからいくつかをならべて(つまり特殊な範囲で)見ると、そこに共通な問題解決法が発見できます。言い換えれば、代々の多数の人々が口伝えで残してきた諺・金言の類に代表させることができるでしょう。これをもっと広い範囲、言ってしまえばすべての人間にとっての問題解決法というふうに共通性を掬いとっていけば、そこに普遍的な問題解決法が発見できるはずだ、といえます。しかし個別―特殊―普遍という繋がりは、相対的です。つまり、普遍的な段階がいつも「すべての人間」に当てはまるものと考えているわけではありません。一民族内であったり、男女別だったりするわけです。
以上のような個別的範囲、特殊的範囲、普遍的範囲を円の大きさに比例させて、同心円状に重ねると、平面を立体化する契機が生まれます。ここではいちばん下から上へ大小の丸い板が三重になった「普遍―特殊―個別」という立体を思い浮かべることができます。ですが、この一連の「個別―特殊―普遍」の各段階を、「ものの見え方」(認識)という基準でとらえ直すと、すべてのものを対象とする普遍的段階の方が眺望は遠く広く効くにちがいありません。そうすると、正三角形を仮想し水平に三等分する線を引けば、一番上から下ヘ「普遍―特殊―個別」の各段階で構成される立体をイメージできるはずです。後者の方が「立体化」のイメージを強く喚起できるのではないでしょうか。
さらに、後者の正三角形のように考えると、一連の段階はその抽象度に応じて物事の「発展」を表すことが可能になります。「まだ赤ん坊の段階だからいまそんなこと教えても無駄よ」とか、「中学生の段階にならないと思春期の悩みは分からないよ」などと、「段階」は成長発展の「程度」を表すことができます。さらに、二字熟語「段階」からは階段をイメージできます。階段はのぼりおりするための道具です。もっと言えば、「のぼる(抽象化)」と「おりる(具体化)」という思考の「動的」イメージが喚起されます。これは認識を「発展的」に扱うことを可能にするわけです。仮説実験授業の基礎的研究で、抽象度の高い科学の基本的な法則をいかに身につけるかを研究していた庄司にとって、この程度の連想は容易だったと考えられます。(続く)