明湧會ブログ

明湧會の活動・神様の御教え・行事の様子・代表のお言葉など、お知らせします。
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祖霊供養について(明湧會の教習より)

2010年08月18日 18時00分00秒 | 教修より
「祖霊供養」

 朝晩まごころを込めてお祈りをし、時々に飲食(おんじき)等をお供えをしたり、

美しい花で荘厳したりするとともに、慰霊のお祭りや、年忌等は分相応に、

出来る限り立派に行うべきであります。

 すべて神様や祖霊に対しては、形がととのうことと、

心がこもっていることの両方が必要であります。 

供養のうちで最大の供養は、信仰を持ち、明るい幸福な家庭を築くとともに、

世の為、人の為につとめることであります。

日頃よりの信仰、利他の行為が大きな供養となるのであります。

 本會におきましては祖霊の供養を大切にしております。

各家々では、仏壇に御屏風観音様をお祀りいたします。

御屏風観音様とは、十一面千手観音様であります。

祖霊供養について(明湧會の教習より)

2010年08月17日 18時00分00秒 | 教修より
「霊的孝養」

 霊界に帰った霊は、子孫の真心よりの供養により、光を受け、救われるのでありますから

祖霊は子孫の供養を非常に喜ばれるのであります。

「孝行したいときに、親はなし」といわれますが、それは間違っています。

生存中の孝養以上に死後の孝養も大切であります。

 祖霊と子孫の関係は、木における根と枝葉の関係と同じであります。

根が健全であることによって、その木が勢いよく生い茂るように、

ご先祖様が救われることによって、その家が栄えるのであります。


「祖霊と不幸」

祖霊に救われていない霊がある場合、その霊が憑依したり、苦しみを訴えることにより、

その家に不祥事が起こったり、もめごとが起こったりします。

また治りにくい病気になったり、子女がぐれることがあります。

これらは祖霊が救われるに従って、立ち直るものであります。

祖霊供養について(明湧會の教習より)

2010年08月16日 18時00分00秒 | 教修より
「霊界への復帰」

人間死ねば、一切が終わると考えている人が沢山あります。

しかし、死は一切の終わりではありません。

死とは老衰や怪我、病気等のために、肉体が使用不能となって、霊体が肉体より離脱し、

霊界に復帰し、霊界生活が始まることであります。

 霊界に入った霊は多くの場合、一旦、中有界に入り、霊界生活の準備を整え、

その後それぞれの霊界へ入ります。

入るべき霊界はこの世での善悪の質と量によって決定されます。

肉体はナキガラとなって、自然界に帰るのであります。

病気は浄化作用(明湧會の教習より)

2010年08月14日 18時00分00秒 | 教修より
体内の汚物や、毒物の浄化作用が起こった場合、発熱や痛み等の苦しみを伴います。

これを「病気」と称し、今日まで悪くなる作用として恐れてきました。

それは浄化の時、多くは苦しみが伴うためであります。

しかし、これは体内の汚れを取るための浄化作用であります。

ですから、病気とは、身体がよくなる、浄くなる作用であります。

つまり浄化作用は、健全な心身となるのですから、むしろ喜ぶべきことなのです。


病とは  身魂浄むるものなれば  こよなき神の恵みにぞあらむ

やまいとは みたまきよむるものなれば こよなきかみのめぐみにぞあらむ


と神様はおさとし下さっております。

浄化作用(明湧會の教習より)

2010年08月13日 18時00分00秒 | 教修より
「浄化作用の原理」

 ものに汚濁がたまりますと、それを美しくしようという働きが起こります。

身体の汚れは入浴により取り除き、衣類、住宅等の汚れは

洗濯や掃除によってきれいにいたします。

空気の汚れも、雨風によって自然に浄化されます。

 人間の体内も、日常生活の中で知らず知らずの間に、

老廃物や汚物や毒物が堆積いたします。

そのままにしておくと、健康が害され、体にひずみが生じ、寿命も保てなくなります。

そこで汚濁を掃除し、浄化しなければなりません。

しかし、体内は、人為的に掃除をするわけにはゆきません。

この汚れがある程度に達した場合、「自然良能力」が働いて、

きれいにする作用がおこります。

これを「浄化作用」といいます。


霊界について (明湧會の教習より)

2010年08月12日 18時00分00秒 | 教修より
「霊と体」

人間は目に見える肉体と、目に見えない霊体が密合一致して成り立っております。

霊体は肉体と同じ形であり、心、魂は、その霊体の一部であります。

霊と体が一体となって活動しているのが「生」であり、この分離が、「死」であります。

つまり、死とは肉体と霊体が分離し、肉体は自然界に帰り、霊体は霊界に復帰し、

霊界生活がはじまる事であります。



「霊界と現界」

人間が霊と体から成り立っているように、この世も霊界と現界より成り立っています。

霊界と現界は、密接な関係があり、現界の動きは霊界の移写であり、

現界の動きもまた霊界に反映いたします。




霊主体従 (明湧會の教習より)

2010年08月11日 18時00分00秒 | 教修より
人間が活動する場合、心が先に動いて体がそれに従います。

この世に起こる現象は霊界で先に起こって、この世に移写するのであります。

丁度映画のフィルムとスクリーンの関係のように、

現界で起こることは、霊界での事象が写るのであります。

この世を「うつしよ」という所以(ゆえん)であります。

これを「霊主体従」の法則といいます。

偶然起こるように思える事象も、霊界の存在を無理解であるゆえに、

偶然と思うだけでこの世に起こるすべては、

霊主体従の法則にはずれるものはありません。

人間の幸・不幸・運・不運も勿論例外ではありません。

霊界に善徳の蓄積があるので幸福となるのであり、

日頃から善を思い、善を行うことによって、

不幸となる因縁も幸福に切り替えることができるのです。

2010年08月10日 18時00分00秒 | 御教え
世界も、国家も、個人も、凡(あら)ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。

政治の貧困は誠が貧困だからである。

物資の不足は、誠が不足しているからである。

道義の頽廃(たいはい)も誠のない為である。

秩序の紊乱(びんらん)も誠のない所に発生する。

凡(あら)ゆる忌わしき問題は誠の不足が原因である。

宗教も学問も芸術も、中心に誠がなければそれは形骸でしかない。

嗚呼、誠なるかな誠なる哉(かな)、人類よ、問題解決の鍵は、ただ誠あるのみである。


今日は、浄霊会でした。

2010年08月09日 18時00分00秒 | 浄霊会
今日の浄霊会の代表のお話では、

「神様のことを伝えて、素直に行動する人は、良い方向に行くし、

自分の考え方が正しいと思って、素直に行動しない人は、悪い方に行くけれども、

世話人が、神様のお言葉を伝えても、素直に行動しない人は、

ある程度ほっておくしかない。

言うことを聞かずに、悪くなってしまったら、それは自己責任だから。

かわいそうだと思わないで、素直でない人にとらわれずに、

前向きに精進していくように。」

とのお言葉をいただきました。

いろんな人と出会い、いい所は見習い、悪い所は真似をしないようにして、

切磋琢磨して、人間的に磨かれていくのですね。

神様に素直に、神様に好かれる心言行をして、真善美の人に、健富和の人に

近づけますよう、日々精進していきましょう。

想念

2010年08月08日 18時00分00秒 | 御教え
人間の感情のうち、不安、焦燥(取り越し苦労、過ぎ越し苦労)、怒り、憎しみ、妬み、

悲しみ、蔑視等の悪い想念や、利己一点張りで他をかえりみない独善的な想念は霊体を

曇らせます。

この曇りは、徐々に蓄積され、やがて何等かの方法により解消しない限り、

心身に悪影響を及ぼすことになります。

 また、憎しみや妬み等の悪い想念は、自己の霊を曇らせるのみでなく、

その思いは相手にゆき、その人の霊をも曇らせます。

逆に、利他の心、感謝、喜び、人をたたえ、励ます等の想念は光となり、

幸福の原因となります。

 想念のみでなく、人の道に反したり、人を傷つけたり、物を無駄にする行為も

霊を曇らせる事になります。

明主様のお言葉(景仰より)

2010年08月06日 18時00分00秒 | 景仰より
『悪に対しては腹を立てよ』

ある日、家内が明主様に、

「私は腹が立って仕方がございません。

どうか気を長く持つことができますようお許しのほどを」

と申し上げましたので、

そばの私は得意げに、

「私は腹が立ちません」

と申し上げました。

 すると明主様は、

『腹の立つのがほんとうだ。

腹が立たないようでは、ほんとうの仕事はできぬ。

わたしも、悪に対して腹を立てて今日まできたのだから、この仕事が出来たのだ。

よい意味の腹は大いに立てるべきだ。

きみはしっかり腹を立てることだね』

とおっしゃり、爆笑されたことがありました。

(教会長)









昨日は、浄霊会でした。

2010年08月05日 18時00分00秒 | 浄霊会
昨日の浄霊会は、1時から7人見えてました。

大阪からMさんも参拝されて、3日前に本部月次祭にてお会いしたばかりだったので、

その勢いに、また驚かされました。

Mさんが、会う度にどんどん曇りが取れていき、どんどんと元気になっていくので、

神様の光のありがたさを感じます。

初参拝のご夫婦も見えました。

その方は、昨年度までは三重県の小学校の教師をされてたそうですが、

今年度から、愛知県の大学の準教授になられたそうです。

ある人に「大学教授になりたいなら、10冊は本を書かないと。」

と言われ、10冊ではなくて、11冊、昨年の夏に、一気に書かれたそうです。

自費出版されて、ネットで大学側の目にとまり、「ぜひともうちの大学に来てほしい」

とのことで、今年3月で小学校を退職し、4月に大学準教授になられたそうです。

小学生に教育を実践されてきた先生の講義は、とても人気があり、出席率もいいそうです。

本人の強い想い、継続した努力を神様が見てくださり、

夢を実現させてくださったのですね。

その方は、ご夫婦でオーケストラもされているそうです。

音楽教育の本も、よく売れているそうです。

ぜひとも、読んでみたいですね。

その方のお話も、とても情熱的なので、引き込まれました。

大学の講義も人気あるのが、わかる気がしました。

初めて、代表に御浄霊をいただき、また代表にお会いしたいとおっしゃってみえました。

シンデレラ・ストーリーにとても驚きましたが、これも、神様のおかげですね。

明湧會の皆さんにも、いつこういうことが起きるかもしれません。

毎日こつこつと夢に向かって努力し、神様に感謝と神様に好かれる心言行をし続けましょう。


今日は、浄霊会です。

2010年08月04日 18時00分00秒 | 浄霊会
人は、湖くらいの曇りを持っているそうです。

人によっては、大きさや、深さが違いますが、

その中に、ダンプトラックで、土を埋めていく作業が、浄霊です。

湖が、埋まり、水面から土が見えるまでは、なかなか気が遠くなるような作業ですが、

こつこつと埋めることにより、いつかは、湖から、土が見えてくるので、

日々、曇りを取る努力を、続けていきましょう。

湖が埋まる頃、御霊が上がり、健康で幸せな生活が待っています。

浄霊は、代表の強い光の御浄霊で、たくさんの曇りを取っていただけます。

心身ともに軽くなり、元気にしていただき、運も良くしていただき、

ご相談もさせていただけるので、毎週1回も逃さず、受けたい気持ちになってきます。

霊の曇りが取れると、オーラ(霊衣)が厚くなり、より事故や災難から

身を守っていただけます。

今日も、たくさんの方々が御参拝され、幸せになりますように。

明主様の御讃歌

2010年08月03日 18時00分00秒 | 御讃歌
私心なく  正しき道を守りなば  大御恵みを豊に亨くなり

ししんなく ただしきみちをまもりなば おおみめぐみをゆたにうくなり


何事も  程の一字を守りなば  容易すかるべきこの世なりけり

なにごとも ほどのいちじをまもりなば たやすかるべきこのよなりけり


曲人は  弱きものなり諸々の  罪にうち克つ力なければ

まがびとは よわきものなりもろもろの つみにうちかつちからなければ