明湧會ブログ

明湧會の活動・神様の御教え・行事の様子・代表のお言葉など、お知らせします。
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2010年08月10日 18時00分00秒 | 御教え
世界も、国家も、個人も、凡(あら)ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。

政治の貧困は誠が貧困だからである。

物資の不足は、誠が不足しているからである。

道義の頽廃(たいはい)も誠のない為である。

秩序の紊乱(びんらん)も誠のない所に発生する。

凡(あら)ゆる忌わしき問題は誠の不足が原因である。

宗教も学問も芸術も、中心に誠がなければそれは形骸でしかない。

嗚呼、誠なるかな誠なる哉(かな)、人類よ、問題解決の鍵は、ただ誠あるのみである。


想念

2010年08月08日 18時00分00秒 | 御教え
人間の感情のうち、不安、焦燥(取り越し苦労、過ぎ越し苦労)、怒り、憎しみ、妬み、

悲しみ、蔑視等の悪い想念や、利己一点張りで他をかえりみない独善的な想念は霊体を

曇らせます。

この曇りは、徐々に蓄積され、やがて何等かの方法により解消しない限り、

心身に悪影響を及ぼすことになります。

 また、憎しみや妬み等の悪い想念は、自己の霊を曇らせるのみでなく、

その思いは相手にゆき、その人の霊をも曇らせます。

逆に、利他の心、感謝、喜び、人をたたえ、励ます等の想念は光となり、

幸福の原因となります。

 想念のみでなく、人の道に反したり、人を傷つけたり、物を無駄にする行為も

霊を曇らせる事になります。

明主様の御教え

2010年06月24日 18時00分00秒 | 御教え
「神に愛される」

 信仰の妙諦(みょうたい)を一口に言えば「神様から愛される」事であり
「神様の御気に入られる」事である。
 最初に述べた通りの神様に御気に入られるという事は一体どうすればよいか、
これが一番肝心である。
まず神様の御気に入られるには神様の御嫌いな事はやらない事で、
その反対に神様の御気に入ることを一生懸命やるようにする事である。
 これは誰でも常識で考えてもわかるように神様の御嫌いな事と言えば道に外れる事で、
すなわち嘘をつく事、他人を苦しめる事、社会に迷惑を掛ける事などである。
ところが今日の人は他人はどうなっても自分さえよければよいと思い、
それを行動に表すのがあまりにも多い事である。
これが一番いけない。
これでは神様の御気に入るはずがない。
 これについて自分は今神様の御気に入られているか、あるいは嫌われているかということを知らなければならない。
それならどうして判断するかという事であるが、
これを知る方は、実に簡単で何等の手間ひまも要らない。
すぐ判る。
それを書いてみよう。
自分はどうも思うように行かない。
物質に困る。
仕事が発展しない。
人の信用が薄い。
人があまり寄ってこない。
健康も面白くない。
これほど一生懸命にやっているのにどういう訳だか判らないという人がよくあるが、
これこそ神様の御気にさえ入れば仕事は面白いように運び、うるさい程人が寄ってくる。
物質は、使いきれない程入って来るというわけで、
世の中がとても面白くなるという訳である。
これでほぼ判ったと思うが、こういうような幸福者となる事こそ
初めて信仰というものの価値があるのである。
故にせっかく信仰しながら幸福がもし掴(つか)めないとしたら、
必ず自分の心に原因が潜んでいる事を覚(さとる)べきである。

『人間は想念次第』

2010年06月09日 18時00分00秒 | 御教え
感謝が感謝を生み、不平が不平を呼ぶとは正に真理だ。

なんとなれば、感謝の心は神に通じ、不平の心は悪魔に通ずるからだ。

この理によって常に感謝をしている人は自然幸福者となり、常に不平不満や愚痴を言う人は不幸者になるのは事実だ。

大元教のお筆先に日く、
「喜べば喜べ事が来るぞよ」とは正に至言である。

明主様の御教え

2010年05月31日 18時00分00秒 | 御教え
「輸血」

血液とは、霊の物質化である事は、常に我等のいうところであるが、
勿論輸血においても、霊の放射によって霊を充実させれば同様の効果を奏するのである。
先ず、霊の放射五分間で輸血二〇〇瓦(ぐらむ)位と同じ位であろう。
とすれば、本會會員の霊の放射能力は実に偉大というべきである。