対極論

正論・異論・極論…様々な角度から考察する思考実験ブログ

大極論80号 分断列島? その1

2017-10-13 05:37:03 | 時事・思考実験
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【西日本新聞】「ネトウヨ」「ブサヨ」-安倍首相の言動も相まって分断先鋭化する民意(5ちゃん 東亜プラス・西日本新聞)

東京都議選最終盤の7月1日。自民党候補者の応援のため、JR秋葉原駅前でマイクを握った首相安倍晋三は、演説をかき消さんばかりの「帰れ」「辞めろ」コールを繰り出す聴衆に指をさし、そう叫んだ。
「レッテルを貼られた」。テレビニュースで見た主婦は当時、そう感じた。

そうした政策以上に気になるのは安倍の姿勢だ。「自分の意見に反対する人間を『こんな人たち』と、別のカテゴリーに入れてしまう。みんなの総理なのに」


「やじを飛ばす前に、まず話を聞くべきだ。安倍さんの気持ちはよく分かる」

福岡市西区の派遣会社員の男性(36)は、安倍の言葉に理解を示す。秋葉原での演説当日、「逆風の中、力強いご声援を賜り心から感謝いたします」と記した安倍のフェイスブックに、会社員は「いいね!」のボタンを押した。

大義がない、疑惑封じ-。野党から上がる批判に、会社員は首をかしげる。「野党こそレッテルを貼っている。批判ばかりでは有権者の理解は得られない」

拉致問題で対立した元外務省幹部を名指しで批判する一方、ヘイトスピーチ(憎悪表現)と批判が強いネット掲示板をシェア(共有)する。思想や立場に基づき「敵か、味方か」と峻別(しゅんべつ)する政治姿勢は、歴代宰相の中でも際立つ。


「ネトウヨ」(ネット右翼)、「ブサヨ」(ブサイク+左翼)-。インターネット上で飛び交う右派、左派それぞれの蔑称だ。安倍の言動も相まって対立は先鋭化し、議論がかみ合わないまま「親安倍か、反安倍か」という視点で全てを判断する傾向も見られる。



最前線にあって、自らを振り返る人も出てきた。


安全保障法制反対などを訴えて時代の寵児(ちょうじ)となり、昨年解散した若者グループ「SEALDs(シールズ)」の元メンバーだ。

「互いのステレオタイプをつくって、相手をラベリングして単純化する。分断は世界の潮流です。でも、敵か味方かという見方はまずい」。衆院選では、全ての党の主張に耳を傾けようと決めている。

従軍慰安婦問題など歴史認識に関する動画を投稿サイト「ユーチューブ」で発信し、50万回以上の動画再生回数を記録したビデオブロガー、馬田陽子(32)=福岡県筑紫野市=は最近、ネットの「限界」を感じる。「互いに歩み寄る気のない人間同士の罵倒合戦になっている」
発信を始めて5年。「敵を増やすより、仲間を増やそう」と訴えるようになった。安倍支持を公言しつつ、こう話す。「自分は正しい、相手はばかだと切り捨てていたら何も変わらない。対話しないと」


※本文が長いのでぶつ切り・抜粋


【お題】
世論が分断され社会もまた分断されようとしているらしい。
その一方で分断の無益有害を自覚し自省し啓蒙する動きも胎動している。
こうした現状はどうであろうか?

【極論】

A:
多様化な価値観とは価値観間の葛藤は当然の話、
それともメディアの多様性とはメディア都合の思想信条のみを認める了見の狭い価値観なのか?

B:
多様な価値観とは、他者への寛容性を前提にして成立するものじゃないかな?
人々が非寛容性のまま社会が多様な価値観になったら、多様な価値観とは単なる社会の分断装置に過ぎなくなる。
それではまずいだろ!

A:
そもそも多様な価値観を啓蒙しているメディア自体が、
メディアの主張に反する言動をする政治家に『決して許されない』と非寛容の罵倒をする訳でな。
ならば、そうした政治家や言論人を支持する人々からすれば、
そうした非寛容・排除の論理を行うメディアや言論の存在を『決して許されない』と罵倒するようになるに決まっている。

C:
民主主義社会、法治主義社会、近代市民社会から逸脱した言動をする政治家・言論を排除する事は社会の健全性を保つ為には当然の話だし。

A:
その「逸脱のボーダー」は誰が決めるんだよ!
結局はメディアとそれに結託した思想団体が勝手に決めたボーダーじゃねーか!
逸脱のボーダーとは「不都合のボーダー」の事だろ?

C:
不都合のボーダーじゃないよ、社会の規範のボーダーだよ。
人として言ってはいけない事を言う政治家や論陣を許さないのは当然だな。

A:
論法が完全に戦前の論理と被りますよ?
社会の規範が許さないから天皇機関説を徹底的に糾弾し、民本主義を破壊した。
社会の規範が許さないから疑問を持つ者を非国民として排除した。

あなた方、サヨクの主張と戦前の全体主義風潮との本質的な違いがわかりませんが?

C:
そういうあなたこそ、「サヨク」と人にレッテル貼りをして、非寛容を全面に出しているじゃないですか?

A:
あぁそうだね、非寛容だな俺は!
だが、何でもかんでも容認するならばそれは単なる無思考の人形だよ。
あなただって考え主張するという意味では俺と同じ非寛容だよ。

だが、あんたと俺には決定的に違う事がある。

あんた達サヨクは思想信条に排除の論理を持ち、その排除に手段を選ばない事すら正義とするが、
俺は非寛容だが排除の論理は原則として自らに作用させない。
法と秩序の上に成り立つ非寛容は思考をする上では仕方がないと思っている。
主張とはそういうものではないか?

つまり、あなたは主義主張に排除のボーダーを持つが、俺は主義主張の手段にボーダーを定める。
言論の自由はあるが、その手段にはルールがあると思っている。

B:
主張はそうだとしても、思考は常に発展するべきでしょ?
その中には弁証法的解消という
自らに寛容性がないとなし得ない思想的発展もある訳ですし。









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