息子の自転車事故で学ぶ

息子が自転車通学中に危険運転車に轢かれた。その後の保険会社や加害者の対応、決着など綴ります。時系列になってます。

ワルを憎んでも仕方ない

2019-03-10 13:01:41 | 自転車通学

平成29年11月の事故のあと、私は〈交通事故証明書〉を入手し、加害者の住所と加害車両の情報を得ました。

そして加害者の家(公営団地)を突き止め、近所の駐車場の車を見つけました。

あらためて我が子をやられた憎しみが、沸き上がりました。


目には目 ・・・・やり返す・・・・復讐・・・・




しかしその感情を何とか抑え、後々の為の証拠画像として、加害車両のフロント部分の破損個所を撮るだけに留めました。



それから月日を経るにつれ、“罪を憎んで人を憎まず” ではないですが、「加害者を憎んでも仕方ない」と思うようになってきました。

人はほとんどが真っ当な善人ですが、少数の大ウソつきの悪人もいます。

それはもう、世の中の仕方ない事のひとつとして、哀しい事に確かなことです。

そういう奴を相手にして、怨みと共に生きても良いことはないでしょう。

諦めないにしても、関わりあうことは避けようと考えました。



いっぽうで、保険会社は違います。

“業務”とは云え、加害者の嘘を敢えて鵜呑みにして加害者を擁護し、事実から目を背け、弱者である子供、被害者とその家族をいたぶる。

そこには企業倫理は無いし、人の世の”義”の欠片も無いと判断しました。



これは許されることではないと、私は思います。

交通事故には、『事故』もあり『交通犯罪』もあります。



事故なら民事、犯罪なら刑事ですが、日本の警察は"民事不介入"という掟(世界的に見れば特殊です)があります。


何の力もない私が保険会社とやりあっても、それは相手にとっては些細なことでしょう。

向こうには、社会的地位と権力・財力があります。


また人によっては、私の拘りは子供が不幸にあった『憂さ晴らし』や『カネが目当て』と思う人もいるかも知れません。

想像は勝手ですが、私はお金に困っていません。

どちらかと云えば、貧しい暮らしかも知れませんが、お金に執着心を持ったことはありません。



大それたことでしょうが、私が保険会社を相手に戦う理由は、弱い者いじめがキライだから、権力をカサに着る輩が大キライだからです。



世の中が拝金主義になって久しいです。

社会の中で、様々な弱者は、いま受難の時代のような気がします。



私は人が幸せであるためには、お金は少しあれば良いと思っています、反論は多々あるでしょうが・・・・







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