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健康な死にかた

2025年05月21日 | 名古屋健康禁煙クラブ
死んでもお墓なんていりません安楽死も議論すべき…
田嶋陽子(84)が提唱する《健康な死に方》とは?

「死んでもお墓なんていりません」安楽死も議論すべき…田嶋陽子(84)が提唱する《健康な死に方》とは?(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

“死に方”も自分でデザインしたい
今の私は、毎日が死んで生きての繰り返しのように感じています。1日よく働いて、夜にお酒を飲んでベッドに入ると、「このまま目があかずに死んじゃうかもしれない。それでもいいか」と思いながら眠りにつきます。そして朝になって目が覚めると、「ああ、今日も生きてるな」と思うわけです。毎日が生まれ変わって、新しい1日がはじまる。そうやって死と再生を繰り返しながら、いつの日にか目の覚めない朝がやってくる。これが「健康」な死に方のような気がしています。


お墓なんて まっぴらごめん
私は死んでもお墓なんていりません。田嶋家のお墓には父も母も入っていますが、
自分は入ろうとは思いません
私の理想は遺体をくるんでもらって、そのまま海に放り込んでもらうこと。
以前インドネシアのバリ島でシュノーケリングをしたとき、海の底がとてもきれいで、
静かでした。魚たちもきれいで、泳ぎ回ってる姿を見ているだけで、
あっという間に時間が過ぎていきます。生きてる間に
さんざん魚のお世話になったわけですから、死んだら魚たちに
お返しがしたい。魚たちに遺体をチュンチュンつついて食べてもらって、
「ああ、くすぐったい」と思いながら朽ちていけたら最高です。
私がお墓を嫌うのは、お墓が家と切り離せないものだからです。お墓を守るといっても、結局は男系の家を守るためのもの。「○○家代々の墓」というのがまさに家意識を反映しています。先祖をまつるといっても結局は男ばかり。女は嫁として男の家に取り込まれてしまいます。フェミニズムの立場から見ると、日本の墓は家父長制の象徴なのです。

 にもかかわらず、いつもお墓を掃除したり、お花を供えたりしているのは女です。
ここでも男たちのお墓を守るために、女が奉仕させられている。
死んだ後にまで、女が男たちに縛られることはないのです。
“家”に縛られないお墓があってもいい

私はお墓参りをしませんが、部屋には父と母の写真を飾っています。そして毎日、その写真に向かって話しかけています。年に1回、お墓参りをしてお花を供えることだけが供養の仕方ではないと思う。お墓に行きたい人は行けばいいでしょうが、それは強制されるべきものではありません。死んだ人とは、人それぞれのつき合い方があるはずです。お墓でなくても、その人を偲ぶものが指輪ひとつ、着物の切れ端ひとつあればいい。何だったら物に頼らなくてもいい。

 私は三回忌や七回忌のような法事も嫌いです。あれは、亡くなった人を
忘れないようにするための儀式でしょう。
本当に大切な人のことは忘れないはずですから、
そもそも必要ありません。
今はお墓が必ずしも馴染みのある場所にあるとはかぎらない。自分たちが暮らしている街から遠く離れたところにあるケースもあります。だからといって、近所に新しいお墓を建てようとすれば、それだけでたくさんのお金がかかります。死んだ後も誰かがお墓の世話をしなければなりません。はたして、そこまでしてお墓にこだわらなければならないのか、私は疑問を感じます。

 たとえお墓をつくるにしても、家単位である必要はないでしょう。個人個人のお墓があってもいいし、家族でなくても親しい人と一緒に入るお墓があってもいい。石のお墓をやめて、遺骨を入れたペンダントをつくってもいい。家の思想から離れたら、お墓をもっと自由に発想できるはずです。
日本人がお墓にこだわるのは、個として自立していないからかもしれません。家の呪縛から解放され、それぞれが個として成熟すれば、死後の対処についても個を中心とした考え方に変わってくるでしょう。葬儀もお墓ももっと自由に。死んだ後のことも、私たちは主体的に選べるようになればいいと思っています。


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