蔵書目録

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「歌劇オルフォイスの演奏」 緑樹生稿 (1903.8)

2018年03月26日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

     

 ・「オルフォイス」第三幕第四十四 「百合姫蘇めよ」
 ・「オルフォイス」第三幕第二十九  パレト(舞踏)
 ・歌劇「オルフォイス」の重なる演奏者 
   〔右から〕柴田環嬢(百合姫に扮せる) 吉川やま嬢(オルフォイスに扮せる) 宮脇せん(アモールに扮せる)
  上段に掲げたるオルフォイス演奏者吉川やま宮脇せんの両嬢は東京音楽学校卒業生、柴田たまき嬢は同校第三年特待生なり

 歌劇オルフォイスの演奏 緑樹生稿

去る七月二十三日の夜なりき、日本に於ける邦人最初の歌劇演奏は上野の楽堂に於て開かれぬ。これ実にわが邦文芸史上に重大なる意味を有する事実に非ずや。西欧の思潮わが国に流れてより、国民の趣味漸くかれが文芸の清泉を汲んで改らんとするに当り、最も吾人の刮目を値するものは文学と絵画に過ぎず、今や楽界の意気甚だ振へるが如しと雖も、これ慈善なる名の下に、乾燥無味なる音楽会の流行するに過ぎざるなり。この時に当り、芸苑の渴を医さんとて、東京音楽学校学生諸君二十余名、清新の意気を以て歌劇研究会を組織し、先づ近代歌劇の改善者なるグルックが有名なる歌劇オルフォイスを演奏し、以て楽界に新紀元を開けり。吾人は実行に短なる論客のみ多き現時の芸壇に、かくの如き活動起りて将に民衆の趣味を改善せんとするを見て、歓喜禁ずる能はず、吾人は熱切の同情を以てこの挙を祝すると共に音楽学校に於ける有為なる二十余名の諸君が、わが邦の思想界に新なる生命を與へたるを深く感謝するものなり。その昔文芸復興の機運に乗じて、南欧の一隅に起りしカッチニイの壮挙は、実に欧洲芸術界の光明なりき。世界文明の二大潮流なる希臘と希伯来の思想とを融化して近代楽劇の淵源を作りし事績は史上稀に見る所なれども、わが邦に於ける歌劇研究会の事業も当に之れに比すべきものに非ずや。吾人は多大の嘱望を以てこの会が未来の成功を祈らんとす。
聞く所によれば、この会の起因に二の動機あり。一は明治三十二年音楽学校に入学せる同期生十余名の団体にして、他は文科大学、音楽学校及び美術学校学生有志よりなれるワグ子ル会なると云ふ。去る五月四日同期会の第四回懇話会の開かれし時、音楽学校本科生は歌劇を研究する必要あるのみならず、わが邦に於ても近き未来には必ず歌劇の演奏を要求すべき時期は来らん、ことに声楽部の者はその歌曲を屡々学べることあれども、そを実際に演ずること能はざるは憾多きことに非らずや、まして音楽を専門に学べる者にして歌劇を知らずとありては、耻かしき至なり。されば先づペリイ先生指導の下に、歌劇を研究して音楽の趣味を社会に示さん。然れど之を音楽学校の事業とすることは時勢の未だ許さゞる所なればとて、この会を起し六月三日音楽学校長の許可を得て、課業の余暇に練習を始めたりといふ。この時ワグ子ル会にてもその理想にもとづき歌劇を研究して、民衆の趣味を改善せんと、先づワグ子ルのロマンチック歌劇タンホイゼルを訳せしが、多くの事情に妨げられて止むを得ず之れを中止し、歌劇研究会と合して歌劇オルフォイスを研究することゝなし、音楽の練習、歌詞の翻訳、舞台の装飾及び学校の事情など非常なる困難に逢ひつゝも、終に七月二十三日の夜を以て或る一部の人士にその結果を示すに至れるものなりと云ふ。
なほこの外に特筆すべきことあり。そは渡邉朔氏が、この挙を賛し一千円の財を投じて、この会を輔けたることあり。わが邦に富豪多しと雖も、かれ等は自己の為めにその財を費すことを知るの輩のみなるを、今渡邉氏が文芸の為めにかゝる大金を捐てゝ惜まざりし美挙は永くわが邦の芸苑の感謝を享くべきものにして、思ふにわが楽界はとこしえへにこの保護者を忘るゝことなからん。氏の歌劇研究会に於けるはあだかもルウドヰッヒ二世のワグ子ルに於けるが如きか。またペリイ氏、ケエベル博士及び画伯山本芳翠氏が身を捧げてこの会に尽力されしことはわが音楽界の深く感謝するところなるべし。聞くペリイ氏の如きはかゝる酷熱の候にも拘らず、早朝より日暮まで学校にありて音楽と所作の指揮をなし、また山本氏を始め、北蓮藏氏、白瀧幾之助氏、湯淺一郎氏、藤島武二氏、岡田三郎氏、磯谷建吉氏も、芝或は麻布より日ごとに上野に通ひて、筆を執り或は道具を作られしと云ふ、諸氏の芸術に忠なる実に感服の外なきなり。
吾人は之れより筆を書割及び道具立に染めん。書割は山本氏の考案により氏及び湯淺氏、白瀧氏、北氏、藤島氏、岡田氏の執筆に係れりと云ふ。山本氏は久しく巴里にありて、歌劇及び演劇の書割を研究せられしが、幼稚なるわが劇場は氏の伎倆を用ゆるとを許さずして止みぬ。然るにこのたび歌劇演奏のこと起るや、氏はいたく此挙に賛し、報酬を拒んで、其書割を担当せられしといふも、渡邉氏の捐費と共にわが邦歌劇史上に特筆すべきことなり。吾人が知る所によれば書割は一専門の科に属し普通画家の描くこと能はず、劇詩、衣服、所作及び道具の調和あるべきは勿論、電燈の配置にもなかゝに伎倆を要するものにして、歌舞伎座などの書割が、常に不自然にして屡々詩趣を害するは、此等の注意なきに依るなりと云ふ。
吾人は今回の歌劇に於てその書割の立派なるを見て益々日本劇書割の不完全なるを思へり。この演奏は実にわが邦の道具方に少からぬ知識を與へたるならん。吾人はその第一幕の沈静なる森を見てブリュック子ルの書けるタンホイゼル(第一幕第三齣、第三幕)及びジョッエウスキイの筆になれるバルシファル(第一幕)の書割を見るの心地せり。第三幕は有名なるピュヰ゛スがソルボンヌの壁画に依れるものなりと聞けり。紅の花咲き乱るゝ間に、黄金の光あえかに輝ける様は実に極楽苑をよく表はせり。第二幕は暗かりし故明には見へざりしが岩のかたちものすごき間にリコポルドの燃えしは真に地獄の感を興さしめぬ。或人は歌劇オルフォイスの書割を見て帝都第一の劇部と雖も之れに及ばざること遠しと云へり、至当の言なる哉。衣服は渡部康三氏がおほかたの書を調べて作られしものなりと聞けり、色彩配合の巧なる驚くべきものありき。
次に音楽に就て聞ける所を述べんに、今回演奏の指揮者ノエル・ペリイ氏及びフォン・ケエベル博士が我邦の楽界に於て第一流の大家なることは普く人の知る所にして、またオルフォイス、オイリデイケェ及びアモオルの役を勤めし吉川やま子嬢、柴田環嬢及び宮脇せん子嬢は実にわが声楽界に並びなき唱歌者なることは世すでに定評あり、その他合唱に列したる諸君は皆音楽学校の精髄なりといふ。また歌詞の翻訳はすべて文科大学、外国語学校の学生にして、楽を音楽学校にに学べる石倉小三郎氏、吉田豊吉氏、乙骨三郎氏、近藤逸五郎氏の筆になれりと聞く。吾人は曲と調和せざる無意味の歌詞を附して満足せしわが楽界にこの事のあるは祝すべき現象なりと信ず。これ実に斯壇に新なる教訓を與へたるものなればなり。思ふに語脉の異れる欧語を音符に合せてわが国語に訳すことは殆ど不可能の事にして、語脉の全く同じき独、仏、伊語に於てすら其背馳する所あるを免かれず、まして欧語にて一音符を以て完全なる意味を表はすものも、わが国語にては数音符を要することあり、剰へ音楽の発想、音の高低に対する字音の関係動作の制限ありて、困難いふ方なきを凌ぎつゝ歌劇オルフォイスの如き大曲を翻訳したるは空前の試みに訳者の苦心思ふべきなり。訳者は完全に原文の意を伝ふること能はざるは恨なりと歎かれしが、そは国語の不完全に帰するのほかなかるべし。嗚呼吾人は以上の諸君が滔々たる迷妄の徒たるに甘んぜず、卓然時流を抜きて芸壇の為めに尽されしことの、思想界に及ぼす影響の偉大なるものあるを思ひて、感激の意に堪へざるものあり。今当日の目次を得たれば之を掲げて筆を措かん。
  歌劇オルフォイス  グルック作
   第一幕    現世場
   第二幕    幽界場
   第三幕    極楽界場
  指揮    ノエル・ペリイ先生
  伴奏 博士 フォン・ケエベル先生
  オルフォイス     (アルト)  吉川やま
  百合姫 オイリデイケ (ソプラアン)柴田環
  アモオル       (ソプラアン)宮脇せん
   合唱
    一、牧童及び女神
    ニ、復讐の女神及び地獄の魔鬼
    三、幸福なる霊
  (ソプラアン)本多かつ、伊澤乙女、鈴木よし、志賀ちよ
  (アルト)  福貝ひさ、栗原きん、三浦とめ、鈴木のぶ、天野あい、
  (テノル)  渡邉康三、成田藏七、島田英雄、
  (バッス)  堤正夫、 澤田孝一、横田三郎、高津環
  歌詞記者
    石倉小三郎 乙骨三郎 吉田豊吉 近藤逸五郎

 上の写真と文は、「美術新報」 明治三十六年八月二十日 第貮巻第拾壹號 (通巻第三十五號) 畫報社 に掲載されたものである。

 この上演に関連した「合資会社共益商社楽器店発行」の絵葉書が、下の写真である。

 

 歌劇研究会第一回演奏記念 
    オルフォイス  
  
  汝が琴の妙なる調あはれに

 なお、下の写真は「1910.10」の判が捺さた絵葉書で、その袋に次の説明がある。

  

  東京音楽学校 
   学友会 
 秋季演奏会記念

 ◎オルフェウスの舞台面

 グルックのオルフェウスが近代歌劇の発足点として史上如何に重要な地位を占むるものであるかは茲に喋々を要しない。図は同劇の第三幕目、愛の神アモールの計らひで地獄の闇に漸く探りあてた亡き妻オイリデイケを伴って此の世の明るみに出やうとするオルフェウスが、その道すがら神との誓を破って妻の顔を一と目見ると忽ち神の怒りにふれて妻はその場に倒れる、オルフェウスは絶望の余り吾れと吾が身を刺して死なうとするところへ愛の神が現はれて神々の慈悲によってもう一と度救はれるであらうと告げて愛の宮殿に連れて行く、そこで舞台は賑やかな歓楽の三部合唱の伴ったバレットに変って幕、

 ◎音楽学校学友会合唱 



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